メタバースとNeurodiversity

最近、老後の楽しみとしてメタバース(仮想世界)に関心を抱いています。
これぞ、今後の高齢者の日常生活のQOLを向上させるツールと確信し、早速VR用ゴーグルを購入し、試行錯誤しながら楽しんでいます。でも、メタバースの恩恵を最も受けそうなのが発達障害者です。

発達障害とメタバース

発達障害とメタバースでネット検索していると、やたらとNeurodiversityという単語が出てきます。私には馴染みのなかった言葉ですが、4月8日付の経済産業省のHPには、「ニューロダイバーシティの推進について」という記事が掲載されています。
https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinzai/diversity/neurodiversity/neurodiversity.html

Neurodiversityとは

ニューロダイバーシティ(Neurodiversity、神経多様性)とは、Neuro(脳・神経)とDiversity(多様性)という2つの言葉が組み合わされて生まれた、「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」という考え方です。

自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、学習障害といった発達障害において生じる現象を、能力の欠如や優劣ではなく、『人間のゲノムの自然で正常な変異』として捉える概念でもあります。

経産省では、一定の配慮や支援を提供することで、「発達障害のある方に、その特性を活かし、企業の戦力となっていただく」ことを目的としたニューロダイバーシティへの取組みを、成長戦略として捉えています。

発達障害児のコミュニケーションツールとして

われわれ医療界では、このNeurodiversityという用語に不快感を示す方もおられるようです。

同じ発達障害者でもIQの高いグループと低いグループがあり、社会生活上大きな違いがあります。小児科医が通常みている発達障害児の多くは、IQの低いグループであり、Neurodiversityという言葉で一括りにできるか疑問な点もあります。

ただ言えることは、自閉的傾向のある児やADHD児が、対面でのコミュニケーションは苦手でも、メタバースの世界に入ると、他人とのコミュニケーションがスムーズに取れるようになることが期待できそうなことです。

私は、メタバース環境をコミュニケーションの場として発達障害児に提供することは、大いに意義あることだと考えています。 2022.10.29.

メタバース ボーダーレス社会への期待

最近、メタバースが、よく話題になっています。メタバースとは、一言でいうと「仮想空間」です。

メタバースのポイントは、現実世界に限りなく近い状態で活動できることです。現実世界と同じように常に時間が流れ続けている世界で、私たちはアバターに変身して、遊べ、集まってミーティングができ、Web上の空間で社会生活を送れるのです。私たちはアバターと呼ばれる自分の分身を介して、Web上の3次元の世界、仮想社会に入れます。

ZOOMの出現に当初は感動しましたが、何か心の通いがありません。さらに、進化したメタバースの可能性を見ていると、これぞこれからの高齢社会を楽しく生き抜くツールである気がします。

体力の衰えをカバーできるアバター

仮想空間といえば、SFの世界の話、ゲームやアート、音楽の分野の問題とばかりと思っていました。メタバースの世界、アバターを使って社会生活を送れる仮想世界なら、創意工夫をすれば、高齢者が若者に混じって、自分の想いを伝えることのできる、ボーダーレスの社会が夢ではなさそうです。

人間は、歳をとるにつれ、目、耳の反射は衰え、どんな頑強な人でも体力的な衰えは確実に訪れます。現実社会と仮想社会を自由自在に往き来できる時代が、もう目の前まで来ていることは楽しみです。
2022.10.27.

Homo stupidiusに格下げ

高校時代の友人が、私の10月8日付の「ペーボ博士がノーベル賞を受賞」を読んで、一通のメールをくれました。そこには、

ひとつの時代が終わって新しい時代の幕明け。いよいよHomo sapienceがHomo stupidius?に格下げされるかどうかの分岐点。しっかり食べて寝て、元気出して変化を見ていきましょうと記載されていました。

Sapienceは賢いという意味で、stupidiusはおバカさんという意味だろうと推測はできましたが、言い得て妙、実際にこのような単語がこの世に存在するのかと、早速ネットで検索しても見当たりません。当人に確認すると造語だそうです。
さすが、英語、フランス語と語学に堪能で、ウイットに富んだ彼女です。
2022.10.17.

岡本バラ公園で 2022.10.16

増えるブルシット・ジョブ

米国の人類学者デビッド・グレーバーの著書のタイトル「ブルシット・ジョブ(Bullshit job)」は、「クソどうでもいい仕事」という意味だそうです。

あらゆる職種において、DX化が進められているのは、業務効率化が狙いでしょうが、どうでもいい仕事、ブルシット・ジョブが同時に増えています。

グレーバーの言うブルシット・ジョブは、組織の欠陥をとりつくろうためだけの仕事、形式的な意味しかない書類をつくる仕事、他人に仕事を割り振るだけの不要な上司の仕事、などを指しているようです。これらの職種に就く人が、高い地位と高い報酬を得ているのです。病院組織にも当てはまり、私自身もその一役を担っていたような気がします。

2000年5月に、私のblogに書いた「モモと時間どろぼう」も同じです。折角ライフワーク・バランスという考えが広がった今日です。後は、自らが、仕事以外に、生きがいを感じる行動、時間をいかにつくり出すかでしょう。

2022.10.15.

Jアラートで思い出すこと

いつものようにテレビをみながら、朝食をとっていると、臨時ニュースが繰り返し流れました。北朝鮮から弾道ミサイル発射のJアラート=全国瞬時警報システムです。

政府発表によると、4日午前7時22分ごろ、北朝鮮から弾道ミサイル1発が発射され、最高高度は1,000キロで、過去最長の4,600キロ飛行したそうです。東北地方上空を通過して排他的経済水域(EEZ)外の太平洋に落下したそうです。

自衛隊が所有している迎撃ミサイルを、今回撃ち落そうと発射したのか、呆然と見送っていただけかは定かでありません。

ウクライナ戦争ばかりに目を向けていると、日本の上空を北朝鮮のミサイルが飛ぶという恐ろしい時代になったものです。

阪神淡路大震災とシェルター

思い出すのが、1995年1月の阪神淡路大震災の時のことです。自宅は全壊しましたが、幸い家族に怪我人もなく避難できました。

自宅再建にあたり、つぎの大災害は原爆に違いないと予測し、地下にシェルター付きの建物を夫婦で真剣に考えていました。

二人の話し合いで気づいたのは、シェルターのお陰で、私たち夫婦だけが生き残り、地表に出てみると、もう誰一人いない世界。想像しただけで、恐ろしくなりシェルターづくりを断念しました。
2022.10.12.

ペーボ博士がノーベル賞を受賞

2022年のノーベル生理学・医学賞の受賞者には、人類の進化に関する研究で大きな貢献をされたドイツの研究者、スバンテ・ペーボ博士が選ばれました。

ペーボ博士は、4万年前のネアンデルタール人の骨に残っていた遺伝情報を詳しく調べ、現代の人類であるホモ・サピエンスが、ネアンデルタール人の遺伝情報の一部を受け継いでいることを突き止め、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人とが種として交わっている可能性を明らかにされたそうです。

今の考古学の研究では、発掘された古代人の骨格、特に頭蓋骨の形状と、DNAの解析から、古代人の由来が調べられています。人類遺伝学的には、ヨーロッパ人も、アジア人もホモ・サピエンス、その起源を辿ると、みんなアフリカのエチオピアに結びつくようです。

昔、日本人の由来は、ジャワ原人、北京原人と学習した気もしますが、今では、日本人は、彼らの祖先よりも後にアフリカを出たホモ・サピエンスの子孫と考えるのが正しいようです。いずれにしろ、日本人の祖先も、そして日本人以外の祖先も、みんなアフリカにルーツを持つホモ・サピエンスなのです。

とはいえ、これまでにない新しい古代人骨化石が、いつ、どこで発見されるかもしれません。すると、新しい学説が生まれる可能性もあります。過去も、未来も、まだまだわからないことだらけ。これから先、人類ホモ・サピエンスが、どのように進化していくか楽しみです。

何はともあれ、元を辿れば人類みな一緒という、今回のペーボ博士のノーベル賞受賞が、世界平和に役立ちますように。

2022.10.8.

対面の会話で高揚感がいっぱいに

私、7月末に腹部大動脈瘤破裂で緊急手術を受け、九死に一生を得て、また戻ってきました。

毎日顔を合わせる妻や娘は、最近見違えるように元気になったと言ってくれますが、1か月あまりに及ぶ入院生活で、かなり痩せ、足腰の筋肉が落ちました。顔が一回り小さくなった自分を見ると、人前に顔を晒すのが恥ずかしい思いです。

つい先日、いまの私の唯一の出務先、神戸市北区「しあわせの村」にある障害児者向の医療福祉センター「にこにこ」の事務長から、月一度の定例会議への出席案内を頂き、多少不安でしたが快諾しました。

何しろ、家族・医療関係者以外の人と、対面で話をするのは、丸2か月ぶりです。目覚まし時計を合わせ、朝早くから目が覚め、高揚した気分で家を出ました。

会議に出席すると、いま伝えておかねばという思いが勝ち過ぎたのだと思いますが、これまでになく多弁になりました。自宅に戻って我に帰ると、何を話したのか思い出せない部分があります。

きっと仲間のスタッフも呆れていたと思います。私自身は、まだ術後せん妄状態か?と不安になります。

酷暑も過ぎ、心地よい秋風が頬を撫ぜてくれます。幸い新型コロナの流行も下火となってきました。メールでのやりとりだけだった友人とも、久方ぶりの対面での会話が楽しめそうです。

たとえマスク越しであっても、赤ちゃんだけでなく、目と目のコンタクトの大切さを改めて実感しました。

2022.10.1.