「人」を軽視する経済至上主義

若葉「名誉教授からの一言」 2006

何もかもが経済性が第一

何もかもを経済性で評価する最近の世の中の動きを見ていると、あと10年もしないうちにどんな世界になるのだろうかと不安になります。聖域なき改革ということで、大学教育までもが経営効率の対象とされ、富を生み出す研究か否かが科学研究費の配分対象となっている現実は、余りにも短絡的で、人間的な知性の後退としか言いようがありません。

大学病院は、大学運営での貴重な収入源として位置づけられ、医学教育は採算性のないことから軽視されています。公立病院も同じで、採算性のある診療科には人員が配置され、診療収入につながる医療機器は優先的に購入されます。採算性が重視されるあまり、医療の質を維持するのに必要な投資は後回しにされ勝ちです。

小児科は不採算部門であることから、民間病院は手を引き、公立病院を中心に展開されています。その公立病院ですら小児科を閉鎖するところが増えており、採算性を重視すれば当然の帰結と言えます。

持続可能な医療制度を

わが国は、国民皆保険のもと、誰もが安心して医療を受けることができる医療制度を実現し、世界最長の平均寿命や保健医療水準を達成しました。しかし、急速に進む少子高齢化のために現行の国民皆保険を堅持し、将来にわたり医療制度を持続可能なものとするには、その構造改革が喫緊の課題となっています。

科学技術による経済至上主義をとるわが国の政策は、医療も例外ではなく、医学研究に求めるのは経済活性のための新薬の開発であり、GDPとの対比で国民医療費はさらに抑制され、医療の本質である「安心・信頼」は後回しとなっています。

小児科、産科における医師不足

今回の医療制度改革大綱では小児科、産科における医師不足、へき地における医師不足が取り上げられているが、その対策として医学部入学定員の地域枠の拡大や奨学制度が挙げられるのみで、どうもその本質の部分が忘れ去られている気がします。

私が心配するのは、構造的な欠陥による病院赤字の責任を医師に押し付けるいまの病院経営に嫌気がさして、若手医師の指導をお願いしたい優秀な中堅医師層が病院から去ろうとしています。これら中堅医師の役割を、病院診療収入の多寡で評価するのではなく、若手医師をはじめとする医療従事者の指導や地域医療への貢献度などで評価を行い、それを待遇面に反映させ、彼らのモチベーションが高まることを期待したいのです。

全国の自治体病院の半数近くが消滅する

全国の自治体病院の半数近くが消滅するのは時間の問題です。その理由は、医師不足と言われていますが、実際は医師の数不足ではなく、医師として働きやすい環境を提供するに十分な予算的裏づけがなされていないのです。

かっては、医師としての技術を獲得するのにかなりの経験年数を必要とし、恵まれない環境であっても我慢できました。しかし、科学技術が進歩したために、医師個人としての力量を発揮できる「技」が少なくなり、また情報革命で経験年数のもつ意味が少なくなっています。

病院経営で経済効率を追求する姿勢を続けるなら、卒後研修での大学離れに続いて、病院でも不採算医療分野から医師がいなくなる可能性が十分考えられます。産科が労務環境を良くするために医療の集約化を図ろうとしたところ、気がつくと肝心の基幹病院からも医師がいなくなっていたのがいい例です。小手先の数合わせでは問題解決にはなりません。

医療は、「もの」ではなく、「ひと」で

医療は、「もの」ではなく、「ひと」で支えられています。それも、医師・看護師・コメディカルなど多くの職種からなる労働集約型の典型です。医療の質を維持するには、各医療従事者に対する教育・研修が不可欠です。それには指導者育成が不可欠であり、いまの医療制度改革に最も欠けている点です。

「ものづくり」から「ひとづくり」への転換が行われない限りは、決して住みやすい社会はできません。「労働集約型の医療」こそが、新しいタイプの二十一世紀型産業構造であると考えます。

2006年1月記