台所と私

これまでの私は、道子の指示通り動くロボットのようなもので、せいぜい食器洗いの手伝いくらいでした。今は、自分自身で調理しなければ生きていけないので、毎食台所に立つようになったのです。

気になるのは、冷蔵庫・食器棚・調理器具の入った引き出しの中、ぎっしり詰まった「もの」、「もの」です。あんな状態でも、彼女には物の在り処が分かっていたようで、意見することはできませんでした。

冷凍庫の整理

先ず手をつけたのが、冷凍庫です。賞味期限に問題なくても1年以上前に仕入れたもの、いちど溶けた痕跡のあるもの、私の好みでない食材は、即刻処理できました。とりわけ、冷凍庫の詰めすぎは、熱効率から言っても不経済です。1か月も経たないうち、収納庫の半分は空になっていますが、何の不自由もなく生活できています。

沢野ひとしさんの「台所の哲学」に学ぶ

最近届いた某社の広報誌に、沢野ひとしさんの「台所の哲学:キッチンの春の大掃除」というエッセイが載っており、その中に、食べ物には賞味期限があるが、食べ物を作る道具の捨て時の難しさが述べられています。

不用だと思っても、妻や子供が、「待って、それは捨てないで」と言えば、それを押し切ると大変なことになります。対策としては、春から初夏の、水もぬるみ、陽も柔らかく、鳥もさえずり出すこの時期が「台所の片づけ」の大きなチャンスだと言うのです。

今朝は、青空が澄みわたり、朝日が燦々と輝いています。しかも、「燃えないゴミの回収日」。前から気になっている私にとっては不用のなべや包丁、使用法の分からぬ調理器具類を手当たり次第にビニール袋に詰め込み、運び出しました。清々しい気分で朝のコーヒーを口にしています。   2024.5.2.

私の好物のランチ

今日は、午後から碁楽会の集まりがあります。急いで昼食をとるときの私の定番は、小餅を御茶漬のりに浸して食べることにしています。

年中トースターの傍らには、「サトウの切り餅」を常備しています。最近学習したのは、永谷園の「御茶漬のり」に、「味付けのり」一袋分を幾重にも折りたたんで加えると、全体に真っ黒になりますが、ノリの香りが漂ってきます。昔は、お正月前にならないと手に入らなかったのが、今では真空パックしたものが売られており、年中口にすることができ、好都合ます。

もちの横に置かれているのは、伊予柑です。これまで、道子がいつも「ムッキーくん」で手際よく薄皮も剥いてくれたので、私は食べるだけでした。最近、スーパーの店頭に、並べてあるのを見て、私も挑戦することにしました。当初の何個分かは原型を留めぬ細切れになってしまいましたが、今ではかなり上達しました。こんなことを自分でするなんて夢にも思っていませんでした。でも、砂糖を少しふりかけ、冷やしておくと結構美味しいですよ。  2024.4.27.

歴史的に見た日本の人口から

日本の人口は、歴史的にみて一時的な停滞期こそあれ、弥生時代より絶えず増加し続けてきました。今日のような人口減少社会のモデルはないのです。

これまでの人口の頭打ちの背景をみると、平安時代の300年余りは、農民一人ごとに耕地を割り当てた戸籍・班田収授制の崩壊や、西日本を心とした干ばつ被害・疫病等の影響が考えられています。
江戸時代前期(17 世紀)においては、人口の急増がみられましたが、江戸時代後期(18世紀以降)、享保の改革で知られる徳川吉宗の時代には倹約令がしかれ、大飢饉があり、江戸時代末期まで人口増加が停滞しています。

私たち現代人は、明治維新より続いてきた人口急増と相俟った繁栄の歴史に終止符を打ち、新しい未知の世界に足を踏み入れようとしています。
私が、今の若者であるなら、旧来の価値観に全くとらわれない、新しいライフスタイルを求めて、国内外を問わず旅し続けている気がします。

資料:縄田康光氏: 歴史的に見た日本の人口と家族より

科学の難しさ

映画「オッペンハイマー」を観て

話題のアメリカ映画「オッペンハイマー」がこの3月末から一般上映され、早速観に行きました。平日の午後だったので客の大半は後期高齢者、ごく稀に若者が混じっています。この映画は、原子爆弾の開発に成功したことで「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材に描いた、180分にわたる長編のストリーです。大抵は、途中で居眠りをする私が観続けられたので、よほど退屈しない内容だったようです。

第二次世界大戦でナチスドイツ、日本の降伏を決断させた原爆の優位性をアメリカ人は高く評価し、時のルーズベルト大統領から彼は顕彰されています。広島・長崎への原爆投下のシーンは映し出されず、核兵器廃絶とは程遠い内容です。

しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けたオッペンハイマーは、第二次世界大戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対する立場をとりました。オッペンハイマーの科学者としての、栄光と挫折、苦悩と葛藤が描かれています。

戦時中の日本国も、満州のハルビン市近郊に関東軍防疫給水部本部、通称「731部隊」が拠点を構え、表向きには兵士の感染症予防や安全な給水システムに関する研究を行うとしていましたが、秘密裏に非人道的な人体実験を繰り返し、実戦での使用を目指した生物兵器の開発を試みていたようです。

科学者の研究が、戦時下においては予期せぬ方向に利用され、人類に甚大な不幸をもたらすことを、科学者自身がよく弁えておくことが大切です。

医学・医療における科学的事実

この数十年間に、医学・医療の進歩は、社会的生活の向上と相まって日本人の乳児死亡率を低下、平均寿命を延長させています。このところ、私自身が患者として医療の恩恵を被る機会が増え、自らの医療者としての過去の行いに多くの反省点があることに気付きました。

数年前に、私自身が前骨髄球性白血病にかかった折、自分が研修生の頃に担当した同病の6歳男児のことを思い出しました。彼は入院生活に馴染めず、骨髄穿刺では暴れ回り、点滴チューブを自ら抜去、入院後数日でDICによって死亡しました。嫌がる彼を、必死で押さえつけ、加療したことを今でも忘れられません。子どもの医療では、その大半は、本人の意思抜きで、医療者と親の意見で物事が決められ、大人では耐え難いプロトコールの選択が小児では行なわれ勝ちです。気をつけたいものです。

私のような高齢者にとっては、5年生存率も気になりますが、限られた寿命の中で、日々のQOLの方がもっと大切です。医師は、論文を引用して5年生存率を恰も「科学的事実が絶対的に真」の如く患者に説明しますが、大抵の臨床医学論文は一定の条件下で行われており、大半が統計処理された結果です。参考にはなりますが、患者当人に当てはまるとは限らないのです。

一旦入院すると、連日のように繰り返される検査、検査。これだけ医療が進化した中で、ここまで検査しなければ病気の様子が把握できないのだろうかという疑問も湧いてきます。AIを活用して病状把握すれば、患者は、痛み・不快を伴う検査からもっと解放され、入院期間をもっと短縮できる気がします。

2024年4月

寝る前に唱える二つの呪文

4年前に大病をした頃から、毎晩、就寝前に二つの呪文を唱えるのが習慣となっています。一つは「Aaー」、「Yeー」、「Wuー」、「Beー」、もうひとつは「般若心経」です。

「Aaー」、「Yeー」、「Wuー」、「Beー」

歳を重ねると、どうも滑舌が悪くなります。周りの人は気づかなくても、話している当人にはかなりのプレシャーです。滑舌が悪くなったのは、老化とともに顎の噛み合わせが狂ってきたことが、原因と考えるに至りました。

掛かり付けの歯科医の勧めもあり、できるだけ大きく口を開け、「Aaー」、「Yeー」、「Wuー」、「Beー」を毎晩4回唱えるようにしています。大きく口を開ける効用としては、唾液の分泌もよくなるようです。道子の生前中は気色悪がるので控えめにしていましたが、今は精一杯声を出しています。

もうひとつは「般若心経」

「般若心経」は、唐代の中国の訳経僧、玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典のひとつです。『西遊記』の三蔵法師は、玄奘三蔵がモデルと言われています。

私は、以前から般若心経に興味をもっており、いろんな解説書を読むのですが、結局のところ、何を言っているのかよくわからない。でも、何か惹かれるものがありました。

以前から手に入れていた般若心経の本を、大病を機に再び本棚から取り出し、読み始めました。書かれている意味はよく理解できませんが、以前にも増して心が安らぐ気がします。それまで覚えることのできなかった、たった262文字の漢字の羅列を、丸暗記の苦手な私が記憶できるようになりました。

爾来、就寝前に般若心経を唱えるのが習慣となっています。意味もわからず唱えているので、一度詰まると、どうしてもその先が出てこず、情けなくなります。
2024.3.25.

比較的読みやすい参考資料:
瀬戸内寂聴:般若心経 生きるとは、中央公論新社、2005
新井満:自由訳般若心経、朝日新聞社、2006

高校3年時の文集「がらくた」から

高3の時のクラス10組での文集「がらくた」を、岩崎君が各人の分をわざわざ電子ファイルにしてくれました。60年以上昔のことで、自分が書いたことをすっかり忘れ果てていました。高校時代を振り返ってみると、国語が最も苦手な科目で、この文章をみても納得のいく気がします。タイトルは、美術の得意な吉井さんが描いて下さったものと思います。

このクラスは今も団結力が強く、年に2回の昼食会には十数名が集います。

2024/3/19

「医師の働き方改革」で思うこと

「働き方改革関連法案」が2018年春に成立、2019年4月1日以降、法人は従業員に対して年5日の年次有給休暇を取得させる義務が発生しました。加えて、関心が高かったのが、長距離輸送のドライバーと医師の働き方です。

来月から勤務医の残業規制

いよいよ来月から勤務医の残業規制が始まることになっていましたが、今朝の神戸新聞によると、年間残業時間の上限が960時間とされていたのを、県立病院をはじめとする多くの病院では、2035年までの経過措置として1860時間とする上限特例指定を行うとの報道でした。人によっては、残業時間が延長する場合もあるかもしれません。
間際になって上限を倍増するなんて。この5年間一体何を考えていたのか疑いたくなります。というよりも非現実的な数字を示す法律をつくった側に問題がある気もします。さらに、法規制を頑なに遵守している労働基準監督署の動きと何か矛盾を感じざるを得ません。

では、医師は1日換算で何時間働くことになるのか?

2024年に土日は年間104日あります。 また、土日と被らない祝日・振替休日は14日あります。多くの職場では、土日祝日および振替休日を公休日と定めているので、最低でも年間休日は118日になります。労働日数は残りの248日です。つまり、労働日数を基にした1日換算での残業時間7.5時間という大きな数字を、上限にしようというのです。

働き方改革は若者のInitiativeで

若者にとって残業時間は貴重な収入源であり、欠かせぬものです。「働き方改革」に若者の声が聞こえて来ないのは、若者一人一人が異なる生活環境にあり、また考え方が異なり、纏まりにくいからでしょう。近年、一般企業においては、労働時間を遵守し、残りの時間は自らのスキルアップのために自由に使え、副業も認められるようになっているそうです。

これだけAI化が進んだ世の中です。私が期待するのは、患者さんの前でキーボードを叩たり、煩雑な書類づくりに時間を使うのではなく、多職種の活用と業務の簡素化を遂行し、病院内にいる間は患者さんと正対した業務に専念し、17時には次の勤務者に仕事を委ね、病院を去るのが当たり前の毎日となることです。主役である今の若者たちの主張を知りたいものです。2024.3.12.

 

リハビリテーションは現代医療の潤滑油

私は、80歳を過ぎて度々入院・手術を繰り返しています。その度に、痛む傷口を庇いながら、歩行練習の手助けをしてくれたのが理学療法士です。医師や看護師の視線は絶えず傍のパソコン画面を向かっています。その点、どのセラピストの方々も、温もりのある手で私の身体に触れながら、ゆっくりとした口調で話し相手になって下さいます。

最近、体調も回復し、再び障害児の神戸医療福祉センター「にこにこ」に顔を出す機会が増えました。センターには、脳性麻痺児の筋力強化訓練・関節可動域訓練・歩行訓練など大きな動作訓練を行う理学療法士だけでなく、病気や障害のある人々の日常生活を支援する「作業療法士」と「言語療法士」がいます。

作業療法士の役割は、小児の発達障害や精神障害者の支援、高齢者や認知症のリハビリテーション・介護予防などを目的に、日常生活動作訓練や感覚情報処理能力訓練、コミュニケーション行動訓練など広きにわたっています。

言語療法士は、言語訓練だけでなく、摂食・嚥下訓練などを担当し、日常生活動作機能の向上を目指しています。

リハビリは、1日に40分間、1〜2週に1回を、3か月間行うのを1クールと呼んでいます。多くの方はこのクールを数回繰り返し行っておられます。この間、セラピストは、ご家族に自宅での訓練方法を伝授し、より効果が上がるように努めています。

40分という時間はあっという間に過ぎ去ってしまいます。治療ごとに実施記録や実施報告書を書かねばなりません。いま、私は職場の仲間と一緒に、書類作成はAIに任せて、セラピストがゆっくりと患者さまに向き合える時間を保てる工夫を行なっています。   2024.3.9.

いま再び安全神話が・・・

年初の羽田空港の衝突事故、トヨタ自動車のグループ会社であるダイハツ工業や豊田自動織機なで相次ぐ認証試験の不正の報道をみていると、何だか昭和末期のインターネットが普及し始めた時代が思い浮かびます。全国の大学病院での医療事故がつぎつぎと明るみに出、マスコミで大きく報道されました。私もその矢面に立たされた一人です。

学んだのが航空界のインシデント報告

私たちが当時安全対策のモデルにしたのが、事故につながりかねない事態を示す航空インシデント報告制度です。事故に至るまでに、その数十倍ものニアミス例が必ずあると学びました。大学病院では、当初は報告をためらっていた職員も、ペナルティーに関係しないことが周知され、毎日10件以上の報告が上がってくるようになりました。
わかったことは、インシデントの大半が聞き間違い・勘違いやコミュニケーション不全に基づくものでした。

歪なIT化が安全を脅かしている

日本が誇る世界一の大企業、トヨタでなぜ認証試験の不正が行われていたのか?問題なのは外部の声を聞き入れない、互いに干渉しないという大企業のもつ「文化」が、長年にわたる認証試験の不正を許すことになったと私は考えています。

これらの不正を見抜くには、AIを用いなくても、旧来のIT技術で十分に可能です。新しい製品開発にはIT技術を活用するが、安全管理への活用を後回しにしている今の社会風潮がこのような結果を生んでいる気がしてなりません。参照;PDCAは時代遅れ? 2023.12.25.のブログより

医療界も他人ごとではありません。

全国津々浦々、中小の病院にも電子カルテが導入されています。電子化は、病院の経営戦略を練るには格好のツールです。でも、医療現場で働く職員は大変です。紙に書くと直ぐなのに、パソコン相手にアナログデータを手入力。何だか違和感を感じます。中途半端なデジタル化、デジタルとアナログの混在が、重大事故につながらないことを念ずるのみです。

2024.2.2.

 

 

 

 

 

 

 

伊達正宗公の五常訓

20年近く前に、仙台を訪れた際に、立ち寄った松島にある瑞巌寺で、「伊達正宗の五常訓」を書き記した額を買い、我が家に壁に掲げています。

仁に過ぐれば弱くなる。
義に過ぐれば固くなる。
禮(れい)に過ぐれば諂(へつらい)となる。
智に過ぐれば嘘をつく。
信に過ぐれば損をする。

伊達政宗は、戦国末期の安土桃山時代から江戸初期にかけての武将。米沢城主であり、のちの仙台城主です。幼少のころに疱瘡(天然痘)の毒が入って、右目を失明したと伝えられています。

この政宗公の遺訓は、は、儒教の基本的な”五つの徳目「五常」”をさし、孔子が「仁と礼」を説いた後、孟子が「仁義礼智」の四つを説きます。その後、漢の蕫仲舒(とうちゅうじょ)が、これに「信」を加えて、「五常」になったそうです。

現代人に当てはめて考えてみると、何事にも「ほどよく」行動するのが苦手な感じがします。その根源はマスコミ報道に由来している気がします。単純化しないと読者の興味を引かないために、ワンパターンの偏った論調になりがちです。世間と反対意見を述べれば叩かれる、非民主主義社会に成りつつあるような気がしてなりません。

2024.1.30.