Mac とともに、Steve Jobsへの感謝を込めて

若葉「名誉教授からの一言」2012

私が昭和39年に大学を卒業し、小児科の大学院に入学した当時は、コンピュターはおろか、電卓もなく、そろばんと計算尺で、実験データの平均値と標準偏差値をこつこつと計算していました。手垢に塗れた計算尺はいまも大切に机の引き出しの奥にしまってあります。電力不足で停電になったときには役立つかもしれません。

間もなく、医学部にも本格的な電子計算機Fortranが基礎棟に設置されることになり、当時須田勇教授の生理学教室にいた同級の森英樹君の指導を受けながら、腫れものに触るように使わせて頂きました。図体は大きいですが、その性能たるや今では5万円くらいで入手できるPCにも遥かに及ばないものでした。

1972年には」『カシオミニ』が誕生し、様相が一変しました。手のひらに乗るサイズで、価格も1万2800円まで下がり、個人でも手に入るようになりました。

Basic言語によるプログラムを自ら作成

1980年代になると、パーソナル用途向けの安価なコンピューター(いわゆるパソコン)が次々と発売され、私は、NECより発売されたPC-8001を入手しました。当時のパソコンはBASICで起動するマシンで、自分自身でBasic言語による標準偏差値の算定プログラムを作成しました。一瞬にして答が出たときの感動は今でもよく覚えています。

以来、私はパソコンの虜になり、研究データの統計計算、新生児センターのデータベースの作成、患児の発育曲線の作成等を次々と試みてきました。パソコンは、まさに日進月歩、2年もすれば骨董品同然となるために、これまでに私が個人的に買い求めた台数は20台を下らないと思います。妻に小言を言われながらも、私の趣味と実益を兼ねた最大の道楽です。

Macの出現とスライド作成

学会発表の方法は、今日ではパワーポイントで作成し。カード持参が当たり前の時代となりましたが、1970年までは模造紙にマジックで書いて一枚一枚めくりながら、口演していました。70年代に入り、スライド映写機が用いられるようになり、レタリングで一文字一文字貼付けて作成しました。その後、次第に普及してきたワープロでスライド原稿の作成をしていました。

1984年に現れたのが、あの箱型の一体型パソコン、マッキントッシュです。小型ですが、値段はNECやIBMのパソコンに比べると倍以上していました。しかし、作成の容易さ、仕上がりの美しさからスライド作成には欠かせないツールとなりました。パソコンといえば、他の学部ではWindowsが主流でしたが、医学部ではMacです。恐らく学会発表の回数が多いことや、スライドにはグラフ、イラストを多く用いる必要があったためでしょう。

ファイルメーカーとJ-SUMMITS

プログラム作成の言語には、Basic言語、C言語などがあり、自分でプログラムを作成しなければパソコンを駆使できませんでした。そこに、1995年Macでしか使えないデータベースソフトであるFileMaker Pro 3.0v1をファイルメーカー社が開発しました。本ソフトは、データベース機能にすぐれており、専門的な知識がなくても、容易にプログラムを作成でき、臨床データの整理に好適なツールでした。

その後、ファイルメーカーは進化し、今では病院の診療情報システムの一翼を担うまでになっています。その先導的役割を担っているのが、我が同門の名古屋大学医療情報部長である吉田茂教授です。彼は、医療者のニーズにマッチするフレキシブルなシステム開発を目指す研究グループ、日本ユーザーメード医療IT研究会(略称J-SUMMITS)を2008年に立ち上げ、NECとか富士通の医療情報システムのホストコンピューターとリンクさせ、機能性アップを目指しています。

iPadの臨床応用にもファイルメーカー

2010年春にアップル社から発売されたiPadは、これまでのパソコンの常識を覆す一大エポックとなり、爆発的人気を呼んでいます。私自身もその虜となり、早速、阪神北こども急病センターでの看護師によるトリアージ業務にファイルメーカーで作動するiPadを導入し、医療者にも、患者にも好評を博しています。その様子は、日経メデカル電子版に大きく紹介されました。

Steve Jobsへの感謝を込めて

振り返って、私の大学生活、こども病院での生活、さらには今の阪神北こども急病センターでの生活においては多くの仲間に支えられてきました。そのつながりをより強固にしてくれたのがITではなかったかと思います。私がツールとしてのITの素晴らしさを享受できたのは、Macのお蔭だと思っています。

このたび、今日のITの進化を先導してきたSteve Jobsの訃報に接し、Macのもつ素晴らしさとともに、彼のイノベーターとしての偉大さを知ることになりました。Steve Jobsがもつ偉大さは、Macの開発者、iPadの開発者というだけでなく、彼にはイノベーターとしての強い信念、強いリーダーシップを備えもつ人物であったこと、ITの中にも強い魂、やさしい心が宿らないと、人の役に立たず、感動を与えない事を最近出版された彼の伝記から知ることになりました。

改めて、彼に感謝を捧げたいと思います。

Stay hungry, Stay foolish.

スティーブ・ジョブズが亡くなってから、スタンフォード大学の卒業式での彼のスピーチがクローズアップされています(Steve Jobs’ 2005 Stanford Commencement Address)。

この2005年スタンフォード大学の卒業式でのスピーチを締めくくる言葉、”Stay hungry, stay foolish” は、「ハングリーであれ、愚かであれ」の訳はちょっと違うようです。

Jobsは、次のようにも述べています。「当時は分からなかったが、アップルを首になったのは、自分の人生においてこれ以上望みようがないほど最高の出来事だった。成功という重荷がなくなり、もう一度ビギナーになるという軽やかさに取って代わった。物事を知らない状態に戻ったのだ。私はこうして、人生で最もクリエイティブな時期に突入した」。

成功、それも世界的な大成功を白紙に戻して、何も知らない状態からやり直す。それこそが人生で最良の展開である。これがhungryやfoolishの意味するところのようです。