退官に当たって

「若葉」巻頭言 2003

昭和64年1月に松尾保教授の後を受けて教授に就任して以来、教室同門の皆様方の絶大な御支援により、なんとか職務を全うし、松尾雅文教授にバトンタッチすることができました。

私が就任したのはちょうどバブル経済が崩壊しはじめた時でしたが、まだまだ経済繁栄を謳歌していた時代でした。その後のバブル崩壊、阪神淡路大震災、少子高齢社会への突入により、我が国の経済基盤は揺らぎ、あらゆる分野で構造改革が求められるようになりました。

国立大学法人化への移行

大学にもその波が押し寄せ、国立大学法人化への移行により大学自身が経済性を重視した運営を求められるようになってきています。研究分野でも、日本の経済活性化に繋がる研究が重宝され、大学教官の評価は、獲得した研究費額の多寡により決められるという、即物主義、拝金主義のアメリカ的発想で、大学を支配しようとする体制へと向かいつつあるのを危惧しております。

いま、米国の一国大国支配体制への批判が強まりつつあります。イラク戦争でその構図がハッキリとしたようにみえます。世界には、極めて多数の人種・文化が存在しています。日本だけでなく、世界が大きく変貌する中で、我々も、日本がもつ固有の文化を大切にした社会づくりを目指す必要があり、その先頭に立つのが大学だと思います。ぜひ一度、立ち止まって、大学の存在意義を見直して下さい。

医療への期待が、‘治す’だけでなく、‘癒す’に

私達が直接関わりあいをもつ医療、とくに小児医療は、乳児死亡率の著しい低下、少子化により、この四半世紀に大きく変貌しました。社会の医療への期待が、‘治す’だけでなく、‘癒す’に移ってきています。一旦生を受けると、多くの人が天寿を全うできる時代になり、たとえ疾病のためにハンでキャップを背負っても、豊かな社会生活が保障される必要があります。小児医療のゴールは、退院ではなく、退院後の生活のフォローを含めたものとなりました。

小児救急は地域社会全体で

近年、小児救急が大きな社会問題になっており、小児科医師不足がその原因の全てのように言われていますが、もう少し巨視的にその問題点を見出す必要があります。

救急医療と言うと、すぐに救命医療と同義語としてとらえられますが、小児救急には当てはまりません。急病センターを訪れる子どもたちの多くが、母親の育児不安に基づくものであることは周知のことです。

小児救急に小児科医としてかかわり合うのは、なにも急病センターに出務することではなく、もっと地域での子育て支援ネットワークにかかわりをもち、日常からの啓蒙活動、組織づくりに努めることです。

「子育ては社会で」という意識を住民に植え付け、地域に子育て支援チームがあれば、そのメンバーが、不安をもつお母さん方の相談にのることができます。夜間の急な子どもの変化にも、近隣の相談員が参加して、お母さん方に対応できるようになります。

これだけ情報技術の進化した社会ですから、ネットワークに乗っている親子は問題ありませんが、ネットワークの網の目から外れた親子にこそ支援が必要になっています。

小児科医は地域子育て支援ネットワークとかかわりを

男女共同参画社会への移行に伴い、育児は「親・家族と子ども」という閉ざされた関係から、「子育ては社会で」という時代になりました。各地で子育て支援ネットワークづくりが活発に行われており、われわれ小児科医の役割としては、疾病の治療だけではなく、地域子育て支援ネットワークのアドバイザーとして、コミュニティーのリーダーとしての役割が期待されています。

この混迷の二十一世紀で心豊かな社会生活を送るためには、小児科医が率先して他の職種と連係し、子どもたちが心豊かに育っていける環境づくりを目指したいと考えます。