私の一週間 医学部教授時代

5月13日(月曜)
9 時早々に、K1 病院 T 医師、K2 病院 N 医師が相次いで来室し、来年早々に医院を開業したい旨の報告を受ける。彼らはいずれも40代に入ったところで、まだまだ病院で後進の指導にあたって欲しい。個人開業で地域医療に従事するのは小児科医として大きな魅力であることは理解できるが、それ以上に彼らを病院に引き留めるだけのものがないということか?
11 時 30 分から、定例院内会議に出席。医師、看護部、薬剤部の総括リスクマネージャー、事務部の面々と「ひやりはっと報告」、「ご意見」を分析、対策を協議する。
昼食は、神戸外国大学松浦南司教授ととる。彼は経営マネージメントが専 門で、医療経営に大変な関心を抱いている。彼の協力を得て大学病院に医療経営研究センターを設立し、これからの法人化を目指して活動を開始する予定である。
16 時から、月 1 回の診療責任者会議(医局長会議)に出席し、1か月間の 病院活動について報告するとともに、意見交換する。会議では、懸案の「外来予約制度の見直し」と待ち時間短縮のためのワーキンググループを立ち上げ、具体的な対策を立ててもらうことにした。職員に対して、B 型肝炎、麻疹の予防接種とともに、C型肝炎の検査実施について検討。

5月14日(火曜)
8 時から、定例のモーニング・カンファレンスに出席し、院生YKの研究報告を聞く。モデル動物を使ってのIUGRの脳発達に関する研究であるが、仮説、研究目的をもっと絞り、ゴールを目指して欲しい。
12 時 30 分から、母子センター・一般病棟の回診を行う。新しい研修医(正式採用は6月1日であるので今は見学生)とはじめて一緒に回診することになる。今年は総勢 23 名の入局であるが、すでに関連病院で 6 名が研修を開始しており、大学病院で研修するのは 17 名である。忙し過ぎない、暇すぎない、程よい研修計画を米谷医局長に練ってもらっている。うまくいくかな。回診では新研修医17名に BSLの学生7人が加わり、入院患者数を上回る人数。若い彼らのプレゼンテーションは新鮮でいい。
16時30分から、院内各部門の責任者を招集する。6月に開催されるワールドカップ時の救急患者受け入れ機関となっているので、フーリガンなどによる広域災害救急対策について協議。神戸では、6 月 5 日にロシアーチュニジア、6月7日にスエーデンーナイジェリア戦がが、さらに 6 月 17 日夜には決勝ト ーナメント戦が予定されている。
18 時に、K3 病院の院長、事務長ならびに市の助役の来訪を受ける。この 4 月から小児科医師数が 4 名から3 名に減少したにもかかわらず、従来通りに、小児2次救急輪番を週2~3 回を受け持つよう病院から要請され、それではと ても責任を持って勤務できないと彼らが固辞したことから、その善後策につ いて相談に来られた。医局では、私が来春定年であることも関係し、新規開 業者が後を絶たず、小児科勤務医師不足が深刻な状況にある。病院側が労務 環境を改善し、彼らを説得する以外に道はないと告げる。 T – Yb 4 – 2 首位奪回

5月15日(水曜)
10 時から、神戸大学本部で国立大学法人化に向けての検討部会、財務会計部会に出席する。病院収入は神戸大学全体の収入の6~7割を占めることから、平成16年からの法人化後の病院経営は大きな課題である。収入増には人材確保以外に道はないと考えている。
13 時から、病院運営委員会を開催、新病棟に移転後、在院日数、紹介率はかなりアップしている。来年4月実施の包括医療に向けて対策を練る必要がある。
15 時から、医学部教授会に出席する。
18 時、K4 病院院長と会う。
夜、K3病院A医師より、このままではとても勤務を続けることはできないと病院長に辞職を申し出たところ、病院側から「辞表を受理できない、退職するなら懲戒免職にすると告げられた」という怯えきった内容のメールが届く。これは 恫喝であり、許せない。T-Yb4-2 薮5勝

5月16日(木曜)
9時30分、K5 病院院長と会う。小児科医の確保と増員を求められる。小児救急は複数市町が組んで広域ネットワークを考えなければ問題解決にならないと、こちらから協力要請する。
10時、N社の営業担当者と会う。最近米国で開始されたサービスとして、入院中の新生児の様子をインターネットで家庭に送るサービスの日本における可能性を尋ねられる。日本でも、ハイリスク新生児は退院後にいろんな問題を抱えていることから、長期にわたる母子分離への支援策としてその開発推進を要請した。
11時30分、毎朝の定例院内会議に出席。相変わらず、転倒・転落のひやりはっと報告が出されている。患者はいずれも高齢者であり、十分にオリエンテーションをし、いろんな対策を練ってはいるが、なかなか解決困難で看護部では頭を抱えている。ご意見箱には、外来の待ち時間の指摘がある。
13時30分から、神戸大学評議会に出席。その後、引き続いて神戸大学将来計画委員会が開催された。国立大学法人化に備えて、中期目標・中期計画をまとめるためのワークシート作成について討論する。神戸大学の理念は、「真摯、勇気、自由、協同の伝統を尊重し、開放的で進取の気性に富む高等教育研究機関としての役割を果たす」ことである。 T – Yb 8 – 0 井川、 無四球完封

5月17日(金曜)
朝5時に起床。新大阪6時53分発ののぞみ2号で上京、都市センターホールでの全国医学部長病院長会議に出席。全国の国公私立79大学から集まり、喫緊の課題である、「卒後臨床研修義務化」と「大学病院の包括医療制度」を中心に議事が進められた。
卒後臨床研修義務化は、平成16年度からとなっており、去る4月22日に 医道審議会から「中間とりまとめ」が出されたが、研修医の身分、待遇、指導医の確保などについての具体的なかたちは全く示されていない。大学病院での研修については、厚生労働省と文部科学省とのせめぎ合いばかりが目立ち、肝心の研修医の立場に立った議論になっていない。現在病院長をしている我々は、インターン闘争を経験した世代であり、我々が過去の体験を生かして、研修医の味方として活動しなければ、だれも彼らの立場を代弁するも のはいないという認識にある。もっとも来賓として来られた篠崎医政局長も44卒とのことで、当時の事情はよくご存知のはずである。 4時に会議が終了し、とんぼ返り。夕食は自宅で。 T-D雨天中止

5月18日(土曜)
10 時に大学病院に向い、同門の吉田澄子先生から寄贈される絵画を受け取る。8号Fの大作で、画題は「花とキャベツ」、彼女の自慢の作品の一つとのことである。新病棟の大ホールに飾らせてもらう予定。
13時30分から、神戸大学内の神緑会館で開催される日本小児科学会兵庫県地方会に出席。新入局者たちが早速お手伝いを。途中、2時から30分間、27年度卒業生のクラス会に出席し、新病棟の紹介と寄付の依頼。また、4時から30分間、医学部後援会(父兄会)に出席し、大学病院紹介といまの臨床医学教育について説明する。
17時30分、地方会が終了するや否や、医学部後援会懇親会に出席、学生の父兄と懇談する。多くの親御さんが、クラブ活動に精を出して、いつも帰りが遅く、勉学に支障しないか気を揉んでおられる。そのぐらいでないと良い医者にはなれないと励ます。
21 時帰宅。家内は娘達と泊まりがけで出かけており、独りぼっち。メールの確認と返事。小児科教室ホームページに、提言「世界の中の子ども達」をアップロードす。明日の講演のスライドを取りそろえる。今夜はテレビを見ないでおこう。 T – D 1 – 5

5月19日(日曜)
朝から、土砂降りの雨。10 時からの神戸市こども家庭センター主催の「子育て市民講座」の講演に出かける。演題は、「脳の発達からみた育児」で神戸市の一般市民、保健福祉関係者を対象にしたものである。発達期脳の脆弱性と可塑性を中心に話を進める。3歳児神話の持つ意味について、3歳までの育児の重要性と女性を家庭に閉じこめる問題とは別問題であることを。乳児が人間不信に陥らないように、養育者(必ずしも母親である必要はない) との「基本的信頼感の形成」を妨げない育児環境の提供を図ることの大切さ を強調してきた。
午後からは、芦屋市立美術館で開催されている日本画家の故山田皓斎展に家内と行く。山田皓斎氏は私の中学高校時代の親友山田泰将君のご尊父である。泰将君が招待状を送ってきてくれた。彼の妹である女優岸ユキさんも日本画家として有名である。
夜は、溜まっている原稿書きに追われる。 T – D 2 – 6  Never, Never, Never Tigers
小児科臨床 「私の一週間」平成14年掲載
神戸大学医学部小児科教授・附属病院長時代の日記から。平成15年3月退官。