科学の難しさ

映画「オッペンハイマー」を観て

話題のアメリカ映画「オッペンハイマー」がこの3月末から一般上映され、早速観に行きました。平日の午後だったので客の大半は後期高齢者、ごく稀に若者が混じっています。この映画は、原子爆弾の開発に成功したことで「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材に描いた、180分にわたる長編のストリーです。大抵は、途中で居眠りをする私が観続けられたので、よほど退屈しない内容だったようです。

第二次世界大戦でナチスドイツ、日本の降伏を決断させた原爆の優位性をアメリカ人は高く評価し、時のルーズベルト大統領から彼は顕彰されています。広島・長崎への原爆投下のシーンは映し出されず、核兵器廃絶とは程遠い内容です。

しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けたオッペンハイマーは、第二次世界大戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対する立場をとりました。オッペンハイマーの科学者としての、栄光と挫折、苦悩と葛藤が描かれています。

戦時中の日本国も、満州のハルビン市近郊に関東軍防疫給水部本部、通称「731部隊」が拠点を構え、表向きには兵士の感染症予防や安全な給水システムに関する研究を行うとしていましたが、秘密裏に非人道的な人体実験を繰り返し、実戦での使用を目指した生物兵器の開発を試みていたようです。

科学者の研究が、戦時下においては予期せぬ方向に利用され、人類に甚大な不幸をもたらすことを、科学者自身がよく弁えておくことが大切です。

医学・医療における科学的事実

この数十年間に、医学・医療の進歩は、社会的生活の向上と相まって日本人の乳児死亡率を低下、平均寿命を延長させています。このところ、私自身が患者として医療の恩恵を被る機会が増え、自らの医療者としての過去の行いに多くの反省点があることに気付きました。

数年前に、私自身が前骨髄球性白血病にかかった折、自分が研修生の頃に担当した同病の6歳男児のことを思い出しました。彼は入院生活に馴染めず、骨髄穿刺では暴れ回り、点滴チューブを自ら抜去、入院後数日でDICによって死亡しました。嫌がる彼を、必死で押さえつけ、加療したことを今でも忘れられません。子どもの医療では、その大半は、本人の意思抜きで、医療者と親の意見で物事が決められ、大人では耐え難いプロトコールの選択が小児では行なわれ勝ちです。気をつけたいものです。

私のような高齢者にとっては、5年生存率も気になりますが、限られた寿命の中で、日々のQOLの方がもっと大切です。医師は、論文を引用して5年生存率を恰も「科学的事実が絶対的に真」の如く患者に説明しますが、大抵の臨床医学論文は一定の条件下で行われており、大半が統計処理された結果です。参考にはなりますが、患者当人に当てはまるとは限らないのです。

一旦入院すると、連日のように繰り返される検査、検査。これだけ医療が進化した中で、ここまで検査しなければ病気の様子が把握できないのだろうかという疑問も湧いてきます。AIを活用して病状把握すれば、患者は、痛み・不快を伴う検査からもっと解放され、入院期間をもっと短縮できる気がします。

2024年4月