「医師の働き方改革」で思うこと

「働き方改革関連法案」が2018年春に成立、2019年4月1日以降、法人は従業員に対して年5日の年次有給休暇を取得させる義務が発生しました。加えて、関心が高かったのが、長距離輸送のドライバーと医師の働き方です。

来月から勤務医の残業規制

いよいよ来月から勤務医の残業規制が始まることになっていましたが、今朝の神戸新聞によると、年間残業時間の上限が960時間とされていたのを、県立病院をはじめとする多くの病院では、2035年までの経過措置として1860時間とする上限特例指定を行うとの報道でした。人によっては、残業時間が延長する場合もあるかもしれません。
間際になって上限を倍増するなんて。この5年間一体何を考えていたのか疑いたくなります。というよりも非現実的な数字を示す法律をつくった側に問題がある気もします。さらに、法規制を頑なに遵守している労働基準監督署の動きと何か矛盾を感じざるを得ません。

では、医師は1日換算で何時間働くことになるのか?

2024年に土日は年間104日あります。 また、土日と被らない祝日・振替休日は14日あります。多くの職場では、土日祝日および振替休日を公休日と定めているので、最低でも年間休日は118日になります。労働日数は残りの248日です。つまり、労働日数を基にした1日換算での残業時間7.5時間という大きな数字を、上限にしようというのです。

働き方改革は若者のInitiativeで

若者にとって残業時間は貴重な収入源であり、欠かせぬものです。「働き方改革」に若者の声が聞こえて来ないのは、若者一人一人が異なる生活環境にあり、また考え方が異なり、纏まりにくいからでしょう。近年、一般企業においては、労働時間を遵守し、残りの時間は自らのスキルアップのために自由に使え、副業も認められるようになっているそうです。

これだけAI化が進んだ世の中です。私が期待するのは、患者さんの前でキーボードを叩たり、煩雑な書類づくりに時間を使うのではなく、多職種の活用と業務の簡素化を遂行し、病院内にいる間は患者さんと正対した業務に専念し、17時には次の勤務者に仕事を委ね、病院を去るのが当たり前の毎日となることです。主役である今の若者たちの主張を知りたいものです。2024.3.12.

 

リハビリテーションは現代医療の潤滑油

私は、80歳を過ぎて度々入院・手術を繰り返しています。その度に、痛む傷口を庇いながら、歩行練習の手助けをしてくれたのが理学療法士です。医師や看護師の視線は絶えず傍のパソコン画面を向かっています。その点、どのセラピストの方々も、温もりのある手で私の身体に触れながら、ゆっくりとした口調で話し相手になって下さいます。

最近、体調も回復し、再び障害児の神戸医療福祉センター「にこにこ」に顔を出す機会が増えました。センターには、脳性麻痺児の筋力強化訓練・関節可動域訓練・歩行訓練など大きな動作訓練を行う理学療法士だけでなく、病気や障害のある人々の日常生活を支援する「作業療法士」と「言語療法士」がいます。

作業療法士の役割は、小児の発達障害や精神障害者の支援、高齢者や認知症のリハビリテーション・介護予防などを目的に、日常生活動作訓練や感覚情報処理能力訓練、コミュニケーション行動訓練など広きにわたっています。

言語療法士は、言語訓練だけでなく、摂食・嚥下訓練などを担当し、日常生活動作機能の向上を目指しています。

リハビリは、1日に40分間、1〜2週に1回を、3か月間行うのを1クールと呼んでいます。多くの方はこのクールを数回繰り返し行っておられます。この間、セラピストは、ご家族に自宅での訓練方法を伝授し、より効果が上がるように努めています。

40分という時間はあっという間に過ぎ去ってしまいます。治療ごとに実施記録や実施報告書を書かねばなりません。いま、私は職場の仲間と一緒に、書類作成はAIに任せて、セラピストがゆっくりと患者さまに向き合える時間を保てる工夫を行なっています。   2024.3.9.

いま再び安全神話が・・・

年初の羽田空港の衝突事故、トヨタ自動車のグループ会社であるダイハツ工業や豊田自動織機なで相次ぐ認証試験の不正の報道をみていると、何だか昭和末期のインターネットが普及し始めた時代が思い浮かびます。全国の大学病院での医療事故がつぎつぎと明るみに出、マスコミで大きく報道されました。私もその矢面に立たされた一人です。

学んだのが航空界のインシデント報告

私たちが当時安全対策のモデルにしたのが、事故につながりかねない事態を示す航空インシデント報告制度です。事故に至るまでに、その数十倍ものニアミス例が必ずあると学びました。大学病院では、当初は報告をためらっていた職員も、ペナルティーに関係しないことが周知され、毎日10件以上の報告が上がってくるようになりました。
わかったことは、インシデントの大半が聞き間違い・勘違いやコミュニケーション不全に基づくものでした。

歪なIT化が安全を脅かしている

日本が誇る世界一の大企業、トヨタでなぜ認証試験の不正が行われていたのか?問題なのは外部の声を聞き入れない、互いに干渉しないという大企業のもつ「文化」が、長年にわたる認証試験の不正を許すことになったと私は考えています。

これらの不正を見抜くには、AIを用いなくても、旧来のIT技術で十分に可能です。新しい製品開発にはIT技術を活用するが、安全管理への活用を後回しにしている今の社会風潮がこのような結果を生んでいる気がしてなりません。参照;PDCAは時代遅れ? 2023.12.25.のブログより

医療界も他人ごとではありません。

全国津々浦々、中小の病院にも電子カルテが導入されています。電子化は、病院の経営戦略を練るには格好のツールです。でも、医療現場で働く職員は大変です。紙に書くと直ぐなのに、パソコン相手にアナログデータを手入力。何だか違和感を感じます。中途半端なデジタル化、デジタルとアナログの混在が、重大事故につながらないことを念ずるのみです。

2024.2.2.

 

 

 

 

 

 

 

伊達正宗公の五常訓

20年近く前に、仙台を訪れた際に、立ち寄った松島にある瑞巌寺で、「伊達正宗の五常訓」を書き記した額を買い、我が家に壁に掲げています。

仁に過ぐれば弱くなる。
義に過ぐれば固くなる。
禮(れい)に過ぐれば諂(へつらい)となる。
智に過ぐれば嘘をつく。
信に過ぐれば損をする。

伊達政宗は、戦国末期の安土桃山時代から江戸初期にかけての武将。米沢城主であり、のちの仙台城主です。幼少のころに疱瘡(天然痘)の毒が入って、右目を失明したと伝えられています。

この政宗公の遺訓は、は、儒教の基本的な”五つの徳目「五常」”をさし、孔子が「仁と礼」を説いた後、孟子が「仁義礼智」の四つを説きます。その後、漢の蕫仲舒(とうちゅうじょ)が、これに「信」を加えて、「五常」になったそうです。

現代人に当てはめて考えてみると、何事にも「ほどよく」行動するのが苦手な感じがします。その根源はマスコミ報道に由来している気がします。単純化しないと読者の興味を引かないために、ワンパターンの偏った論調になりがちです。世間と反対意見を述べれば叩かれる、非民主主義社会に成りつつあるような気がしてなりません。

2024.1.30.

4年ぶりの同門会に出席して

先週末に、神戸大小児科の現役・OBの集いである同門会がありました。実に4年ぶりの再会です。出席者は、100人余り、今春から入会する気鋭の若手医師から全国各地で活躍している幅広い年代層の集まりです。もう私より年長者は、お一人だけでした。

会合への初見参の若手医師たちの自己紹介で、その輝かしい目の輝きを見ていると、これからの日本の小児医療も安泰であるという思いを強くしました。頼もしい限りです。気掛かりなのは、多忙な勤務に追われている中間世代の出席者が少なかったことです。

同門会員の大半は、地域小児医療の最前線で活躍している小児科医です。現在兵庫県小児科医会の会長として活躍しておられる藤田先生が、「今後の小児医療のkeywordとなるのが、bio-psycho-social well-beingとCommunity Pediatrics」とスピーチされたのが印象的でした。

日本の2023年度の出生数は70万人になり、ますます減少し続けます。だからこそ、生まれてきた子一人一人が、健康に育つように我々小児科医の役割がますます重要になっているのです。

2024.1.29.

 

寒中お見舞い申し上げます。

厳しい寒さに向かう折ですが、いかがお過ごしでしょうか。
新年早々の能登半島大地震の揺れ、阪神・淡路大震災がフラッシュバックされました。

道子が亡くなり、はや4か月が経過しました。あらためてみなさまの生前のご厚情に対して深く感謝申し上げます。さる21日には、息子・娘・孫たちの立会いのもと、尼崎市如来院の墓地に、お骨納めも無事に終了しました。

私にとっては、1か月足らずでしたが、高齢者施設で共に過ごせた時間が、大切な思い出になっています。今は、自宅に戻り、買い物・料理にもなれ、娘透子が傍にいてくれるために、元気に生活しております。

新型コロナも第5類になったために、外出が容易となり、月2回の神戸しあわせの村にある障害児者福祉センター「にこにこ」の役員会に出席し、神戸大学の友人の誘いで週2回の東灘区民ホールでの囲碁同好会に、最近増えてきた友人とのお食事会にと退屈せずに過ごしています。

みなさまのご健康、ご多幸を心よりお祈り申し上げます。

2024.1.23.

Let’s get along forever in space.

Countless artificial satellites dart through space.

Humanity has launched numerous artificial objects into space, such as satellites, space probes, and space stations. The first satellite ever launched was the famous Sputnik 1 in 1957. As of December 2021, there were over 12,000 registered artificial satellites, and in recent years, it is said that over 1,000 new satellites are added each year.

The International Space Station: A Joint Project of Five Countries

The International Space Station is the largest artificial satellite orbiting the Earth in low orbit. Its average altitude is about 400 km, and it takes less than 4 hours to travel from Earth to the satellite. It completes approximately 15.5 orbits around the Earth in a day and can sometimes be seen as a slow-moving point among the stars, even with the naked eye.

This inhabitable artificial satellite, the International Space Station, is a joint project involving the United States, Russia, Japan, Europe, and Canada. While conflicts between nations persist on Earth, it seems that they get along well in space.

In recent years, there has been much discussion about space stations on the Moon, and it is also desirable for cooperation to take place there.

Date: April 26, 2023.

 

震災から28年経ちました

NHKテレビでは、震災体験を風化させてはなるまいと、連日放映されています。身内に不幸のあった方には忘れられない日でしょうが、幸い家族全員が無事だった私には、すでに遠い過去の思い出となっています。

震災当日の思い出

私の記憶の中で、今でも鮮明に残っているのは、激しい揺れの中で布団を頭からかぶり、丸くなって、上下の揺れに身を任せ、「神戸に地震が来るなんてあり得ん」と自問自答していていました。

パジャマの上からセーターを手当たり次第に重ね着し、オーバーに身を包み、屋外に避難しました。しばらくすると夜が白み始め、すべて倒壊した家々の上から、六甲の山並みがどこからでも見渡せました。この地震のエネルギーなら、山が隆起するのも納得できました。

近所の人たちとの話で盛り上がる

寒空の下でしたが、近隣の人たちは皆な屋外に出、家屋の下敷きになった人々の救出、高齢者の避難所への搬送に当たっていました。一段落したところで、普段顔をあわせることのない近所の人たちとの話で盛り上がっていました。

当時、ボスニア内戦という泥沼の戦争が続いていました。地震による被害は一時的であり、戦争でなくてよかったと全壊した自宅を前に、自らを慰めていました。

防災、防衛と何かと恐ろしい話が多いですが、平穏な日々が続くことを願います。

2023.1.17.

わたしと囲碁

コロナの流行で自宅にいる時間が増え、囲碁を楽しむ機会が増えました。ケーブルテレビでは連日囲碁番組が放送されており、いつも観ています。

同年代の友人の誘いで、囲碁の市民講座に行くと、全員が高齢者で、私がちょうど真ん中くらいで、90歳を過ぎた方もおられます。

学生時代に流行っていた囲碁

私が囲碁の手ほどきを受けたのは父親からで、小学生の頃です。本気で囲碁に取り組み始めたのは学生時代です。当時は学生間で囲碁が流行っており、学生控室の碁盤には、絶えず誰かが向かっていました。放課後には三宮のガード下にある碁会所によく立ち寄っていました。代金は敗者払いなので、小遣いのないときには申告段位を下げたりしていました。

今日では、コロナを気にすることなく、パソコンで世界中の囲碁愛好者とネット対局が可能となっています。近い将来には、VR の世界で、部屋の真ん中に置かれた碁盤で相手と向かい合う姿を想像するとワクワクします。

AIが人間のトッププロ棋士に勝利

Googleの子会社、イギリスのGoogle DeepMind社が開発した「アルファ碁(AlphaGo)」
が、韓国囲碁界のトッププロ李世乭九段と対局し、AIを用いたコンピュータ囲碁が人間のトッププロ棋士に勝利したのが、2016年3月です。その後も、コンピュータ囲碁は進化し続けています。

AIが囲碁界に革命を

囲碁は、定石・手筋と言われる決まった形が尊重され、ある程度の経験を積まないと上位に入れませんでした。ところが、コンピュータ囲碁は誰もが手軽に活用・学習できることから、10代のプロトップ棋士の進出や女性プロ棋士の進出を引き起こしました。

今や、トッププロ棋士でもコンピュータ画面上に表示される「次の一手」の妥当性を信じ、学習しているようです。トッププロ棋士によるテレビ解説では、画面に表示されるAI の模範解答をベースに話される時代となっています。

人間が再びAI囲碁にリベンジ

AI囲碁も数種類開発されており、今も新しいタイプのものが開発中とのことです。人間と同じく、コンピュータ囲碁も、強気なAIや慎重なAIと個性のあるものが開発されているようです。
コンピュータ囲碁も所詮人間が造り上げたものです。

天才的な少年・少女が、AIの弱点を見抜き、再び勝利する日が来ると信じています。

2023.1.10.

湯田温泉・萩への旅

寒波の中を、山口へ2泊3日の旅に出かけてきました。
湯田温泉は豊富な湯が湧き出し、駅には足湯場があり、町中に数多くの旅館が立ち並んでいます。
リーゾナブルな国家公務員共済組合の旅館、KKR山口あさくらは、自家泉源を有し、豊富な湯量で露天風呂はとくに快適です。

萩に路線バスで向かう

今回の旅は湯治が目的で、観光の予定は立てていませんでしたが、コンシエルジュの勧めもあり、翌日の朝から松下村塾のある萩に路線バスで向かいました。連なる峠道を越え、道中雪が降り始めましたが2時間ほど要して萩に着きました。
バスで乗りわせた地元の女性の勧めで、萩・明倫学舎前で下車しました。
強風の中を二人でヨタヨタと歩いていると、まるでイシグロ・カズオの小説「忘れられた巨人」に登場してくる老夫婦そのものです。

バス停からすぐのところにある藩校明倫館跡に、日本最大級の木造校舎旧明倫小学校があり、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」を紹介するビジターセンターや「幕末ミュージアム」などがありました。

吉田松陰と松下村塾

松下村塾といえば吉田松陰が有名ですが、もともと創設したのは松陰の叔父である玉木文之進という人物が開いた長州松本村に開いた私塾です。塾名の由来は「松本村の塾」という意味だそうです。

幼いころの松陰は、彼のもとで学びました。わずか9歳で才能を認められて、藩校である明倫館の師範に就任したと言います。しかし1854年にペリーが来航した際、黒船に乗り込んでアメリカに密航しようとしたため、長州で収監され、翌年以降は実家である杉家で謹慎処分となってしまいました。その建物は松陰神社に現存しています。

その後、吉田松陰は1858年から59年に起きた「安政の大獄」で、老中首座の間部詮勝(まなべあきかつ)の暗殺を計画した罪で斬首刑になります。そのため彼が実際に塾生に教えを施していたのは2年あまりに過ぎません。

松下村塾の教育とは

長州藩の藩校である明倫館が武士しか入校できなかったのに対し、松下村塾は身分の低い足軽や中間、農民たちも学ぶことができました。そのため従来の教育機関では学ぶことのできない人々が松陰の下に集まり、そのなかから伊藤博文や山県有朋などが輩出されることになります。

いわゆる時間割は存在せず、松陰が各地で学んだ儒学や兵学・史学など多岐にわたるテーマが扱われました。授業形式も特徴的。ただ講義を聴くだけでなく塾生同士の討論が積極的に取り入れられ、時には塾生が講義をすることもあったそうです。

至誠通天

この吉田松陰が好んで用いた孟子の言葉があります。
「誠は天の道なり。誠を思うは人の道なり。至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」という言葉です。
誠に背かないようにつとめるのが人の道であり、誠を尽くせば、それに動かされないものはない、という意味です。これを4文字で簡潔に表した言葉が「至誠通天」という言葉です。
この言葉は、私自身の「座右の銘」にさせていただきました。

長州ファイブ

幕末には日本から自由に西洋に渡ることは難しく、攘夷運動を推進していた長州藩士の洋行は至難の業でした。その中で、1863年5月に命がけで5名の長州藩士が技術を学び「生きた器械」となるべく、イギリスへ密航したのです。

「長州ファイブ」と称されるこの5名は、伊藤博文、井上馨、井上勝、遠藤謹助、山尾庸三であり、井上勝、遠藤、山尾が技術官僚となります。当時は、鉄道敷設や電信架設など近代化事業を政府が直接担当しており、西洋に由来する技術の進化を官僚が担い、「明治の技術官僚」として彼らは大きな役割を果たしたのです。
山口の街の至る所に「長州ファイブ」のポスターが貼られていました。

2022.12.18.