Homo stupidiusに格下げ

高校時代の友人が、私の10月8日付の「ペーボ博士がノーベル賞を受賞」を読んで、一通のメールをくれました。そこには、

ひとつの時代が終わって新しい時代の幕明け。いよいよHomo sapienceがHomo stupidius?に格下げされるかどうかの分岐点。しっかり食べて寝て、元気出して変化を見ていきましょうと記載されていました。

Sapienceは賢いという意味で、stupidiusはおバカさんという意味だろうと推測はできましたが、言い得て妙、実際にこのような単語がこの世に存在するのかと、早速ネットで検索しても見当たりません。当人に確認すると造語だそうです。
さすが、英語、フランス語と語学に堪能で、ウイットに富んだ彼女です。
2022.10.17.

岡本バラ公園で 2022.10.16

増えるブルシット・ジョブ

米国の人類学者デビッド・グレーバーの著書のタイトル「ブルシット・ジョブ(Bullshit job)」は、「クソどうでもいい仕事」という意味だそうです。

あらゆる職種において、DX化が進められているのは、業務効率化が狙いでしょうが、どうでもいい仕事、ブルシット・ジョブが同時に増えています。

グレーバーの言うブルシット・ジョブは、組織の欠陥をとりつくろうためだけの仕事、形式的な意味しかない書類をつくる仕事、他人に仕事を割り振るだけの不要な上司の仕事、などを指しているようです。これらの職種に就く人が、高い地位と高い報酬を得ているのです。病院組織にも当てはまり、私自身もその一役を担っていたような気がします。

2000年5月に、私のblogに書いた「モモと時間どろぼう」も同じです。折角ライフワーク・バランスという考えが広がった今日です。後は、自らが、仕事以外に、生きがいを感じる行動、時間をいかにつくり出すかでしょう。

2022.10.15.

Jアラートで思い出すこと

いつものようにテレビをみながら、朝食をとっていると、臨時ニュースが繰り返し流れました。北朝鮮から弾道ミサイル発射のJアラート=全国瞬時警報システムです。

政府発表によると、4日午前7時22分ごろ、北朝鮮から弾道ミサイル1発が発射され、最高高度は1,000キロで、過去最長の4,600キロ飛行したそうです。東北地方上空を通過して排他的経済水域(EEZ)外の太平洋に落下したそうです。

自衛隊が所有している迎撃ミサイルを、今回撃ち落そうと発射したのか、呆然と見送っていただけかは定かでありません。

ウクライナ戦争ばかりに目を向けていると、日本の上空を北朝鮮のミサイルが飛ぶという恐ろしい時代になったものです。

阪神淡路大震災とシェルター

思い出すのが、1995年1月の阪神淡路大震災の時のことです。自宅は全壊しましたが、幸い家族に怪我人もなく避難できました。

自宅再建にあたり、つぎの大災害は原爆に違いないと予測し、地下にシェルター付きの建物を夫婦で真剣に考えていました。

二人の話し合いで気づいたのは、シェルターのお陰で、私たち夫婦だけが生き残り、地表に出てみると、もう誰一人いない世界。想像しただけで、恐ろしくなりシェルターづくりを断念しました。
2022.10.12.

秋のお彼岸に墓参り

秋のお彼岸は、秋分の日を中日として前後3日間、計7日間がお彼岸です。中日は過ぎましたが、今日は朝から風もなく、雲ひとつない快晴です。
私にとって退院後初の車での外出となりますが、娘家族に連れてもらい、今年もお墓まいりに行くことができました。我が家の墓は、尼崎市の如来院というお寺にあります。

お彼岸にお墓参りするのは

お彼岸に墓参りするのは日本独自の風習で、仏教のルーツであるインドや中国にお彼岸という行事はないそうです。
ご先祖があの世にとどまり、お盆やお彼岸の時期になると、この世にやってくるというのは、お釈迦様本来の教えではなく、仏教が伝わる以前から存在していた、わが国古来の先祖崇拝信仰の名残りのようです。

彼岸(ひがん)と此岸(しがん)の交流の場がお墓

春分の日と秋分の日には、太陽が真東から上り真西へと沈む、この時期に先祖供養をすることで、ご先祖さまの冥福を祈るとともに、自らもいつか迷いのない彼岸に到達できるよう願い、お墓が、彼岸(あの世)と此岸(この世)、すなわちご先祖と私たちとが交流できる場となったようです。

ほんの1か月前には、ほとんど彼岸に渡りかけていました。今こうして、先祖の墓前で孫娘と並んで手を合わせている自分に何とも言えない感じでした。これからも、何が起こるか予測がつきませんが、しばらくは、此岸で精一杯生きたいと思います。
2022.9.25.

 

子どもが幸せを運んでくる

「こども家庭庁」が、来年年4月に設置されるそうです。これまでの女性が働きやすい保育園づくりではなく、子どもたちが幸せに過ごせる社会が期待されます。

若い夫婦にとって、子どもを産み、育てることが無上の楽しみであることは、今も昔も変わりなさそうです。我が子の手を引くご夫婦やボール蹴りの相手をするお父さんを公園で見ていると、こちらまで幸せになります。

それを阻んでいるのは、子育ての経済的負担が、若い親たちに余りにも大きいことです。

子育ては、貧困対策の福祉でなく、経済的格差をつけずに、子どもたちが平等に育まれていく社会づくりです。国民全体が一丸となって子育てを楽しめる世の中づくりが大切です。

子どもが幸せを運んでくることを子育ての経験のない若者たちに伝えたいと思います。

子どもたち、バンザイ!

台風一過、自宅近くの幼稚園や公園から、子どもたちが思い思いに発する甲高い声は、明るい未来を感じさせてくれます。

2022.10.2.改変
2022.9.23.

熱性けいれんに慌てないで

新学期が始まり、マスク着用下とは言え、対面での生活に戻りつつあり、なんだかホッとします。でも、子どもは、秋口から冬にかけて、いろんな種類のウイルスにかかり、しばしば高熱を出します。

熱性けいれんとは、38℃以上の発熱によって起こるけいれんで、生後6か月から満5歳までの子どもにみられる病気です。多くは5分以内におさまるので落ち着いて対応すれば、問題がありません。万一、けいれんが5分以上続く場合には救急車を呼んで子ども急病センターを受診してください。

熱性けいれんは自然に治り、基本的に後遺症を残さない病気です。予防接種を積極的に受けて発熱を防ぐことが、予防につながります。

熱性けいれんは、日本人の5~10%程度に起きるといわれており、子どもに多い発作性の病気です。熱のない時でも起きる発作性の病気であるてんかんとは、区別されます。
2022.9.7.

中村 肇

きかんしゃトーマス

私が、「きかんしゃトーマス」に関心を持ち始めたのは、自閉症の幼稚園児が外来にある模型を見つけ、長時間食い入るように見続けていたからです。一般的に、自閉症児は車のタイヤなど丸く、廻るものが大好きです。車の横に屈み込み、じっとタイヤを見つめています。

丹波市にある植野記念美術館で、世界中の子どもたちに愛されている「きかんしゃトーマス」の原作の出版75 周年を記念した、きかんしゃトーマス展が開催されていると知り、観に行ってきました。

日本初公開となる作品を含む約180 点以上におよぶ絵本挿絵原画、オードリー牧師による手書き原稿など、多くの貴重な作品が展示されていました。

原作者のウィルバート・オードリー牧師は幼い頃、家の近にあるトンネルから出てくる列車を眺めるのが大好きだったそうです。お父さんになったオードリー牧師は、病にかかった息子を元気づけようと、擬人化された機関車のお話を、語り聞かせます。これが「きかんしゃトーマス」の始まりです。
その後、26 冊の絵本が出版され、模型を使った実写アニメーションが放送されるなど、トーマスシリーズは大人気になりました。現在でもCG アニメが放映されています。

トーマスの物語には、擬人化された列車に、「正直さ」や「仲間への思いやり」そして「努力」の大切さといった、子どもに伝えたいメッセージが込められており、世界中の子どもから大人まで幅広い世代が共感できるものです。2022.7.21.

八十過ぎてわかったこと

PDF版(縦書き)をダウンロードして、読んでください。

印刷して読まれるときには、A5版用紙に、文字の大きさを普通の人なら50%、高齢者は60%で印字すると、読みやすいと思います。

また、iPadで読まれるときは、原寸で。縦書きの原稿ですから、読書用無料アプリ「i文庫S」をダウンロードし、使われることをお勧めします。詳細をクリックし、縦書きを選択すると読みやすいです。


内容:

これまで、あまり年齢を意識することなく過ごしてきたのですが、80歳を過ぎたあたりから、思いもかけぬ出来事が次々と襲ってきます。

80歳を過ぎて体験すること、はじめて気付いたこと、同年代の方々には納得いただけても、後輩たちには理解不能なことがたくさんあります。

社会の先行きが不透明になっている今だからこそ、余計なお世話かもしれませんが、この3年間の出来事を冊子としてまとめてみました。

はじめに
第1章 老いを楽しく生きる
第2章 80歳での大きな試練
第3章 高齢者と新型コロナ
第4章 ポストコロナ社会への期待
第5章 社会が後戻りしないように

気になり始めた認知症

歳をとると、気になるのが認知症です。物覚えが悪くなり、特に人の名前を思い出せない時には、自分もついにボケが始まったかと不安になります。同年輩の友人との会話でも、身体的な老化症状とともに、認知症への恐れが増えてきました。

小児科医の私は、認知症は全くの専門外ですが、友人たちから相談されると、医師として余りいい加減なことも話せません。自分自身が、日本人の平均寿命を超え、周りをみていると、認知症も他人事とは思えない今日この頃です。

同年輩女性の4人に一人が認知症

まず、どの位の頻度で認知症を発症するものかと、私が懇意にしている精神科名誉教授で、認知症の権威である前田潔先生に伺いますと、65歳以上になると有病率が15%、その割合は年齢とともに増加し、私の属する80-84歳では、男が17%、女が24%ということです。90歳を超えると、男も、女も半数以上の人が認知症になっているようです。

90歳が人生の大きな節目らしい

我々の年齢層の平均余命が8年、ちょうど90歳あたりです。どうやら、90歳というのが大きな節目で、仲間の半数が生き続け、生きていても半数が認知症になる計算です。

少しは勉強をしなければと、最新の認知症特集の掲載された臨床医学雑誌を手に入れ、一夜漬けではありますが、同年輩の友人たちの不安解消に役立てばと、いくつかの話題を取り上げます。

認知症とは、一体どんな病気?

認知症は、英語でdementiaと言い、以前は痴呆と訳してました。日本神経学会の「認知症疾患治療ガイドライン2017」によりますと、「獲得した複数の認知・精神機能が、意識障害によらないで、日常生活や社会生活に支障をきたすほどに持続的に障害された状態」を認知症と定義しています。運転免許を返上した私ですが、電車・バスで不自由なく動き回れていますので、まだ発病には至っていないようです。

その原因疾患として、よく知られているのがアルツハイマー病、レビー小体型認知症といった中枢神経変性疾患、血管性認知症です。治療可能な内科疾患でも認知症が引き起こされることから、不安のある方は一人で悩まず、受診をお勧めします。

MCI(Mild Cognitive Impairment:軽度認知障害)

本人や家族から認知機能の低下の訴えはあるものの、日常生活は問題なく送ることができている状態のことをMCI(Mild Cognitive Impairment:軽度認知障害)と言うそうです。

65歳以上では、当該人口の約15%、約460万人が高齢者認知症と診断されており、MCIの該当者も13%、約400万人と推定されています。(厚労省認知症対策総合研究事業研究報告書、2012)

MCIは、認知症有病者には含まれませんが、認知機能の低下が起きており、放置すると症状が進み、認知症へと移行する可能性が高いと考えられています。年間にMCIの10%が、症状が進行し、認知症へと移行するそうです。

日常生活は問題なく送れていても、認知症予備軍と言われると、この歳になると、誰しも不安になります。妻から、「あんた、ボケてきたん違う?」と指摘され続ける自分は、「前からや!」と開き直りはしているものの、認知症予備軍そのものです。ゴルフのスコアが、大叩きが原因でよく分からなくなります。認知力よりも、体力増強の方が必要かと考えています。

認知症の方やご家族を支援する神戸モデル

神戸市では、認知症の方やご家族を支援する仕組み、認知症患者の早期発見のための診断助成制度と事故救済制度を組み合わせた「神戸モデル」を2019 年1月より開始しています。

神戸市としては、認知機能検診を無料で実施することにより、早期発見し、認知症患者として登録してもらう方が、トラブルを未然に防ぎ、社会的メリットが大きいようです。

高齢発症の認知症は進行が緩やか

ご安心ください。認知症の有病率は、80代後半になると40~50%となりますが、高齢発症の認知症は進行が緩やかで、記憶障害が出ても、それ以上には進まない方も結構おられるとの前田名誉教授の言葉を頼りに、歳を重ねていきたいと思っています。

2022.6.25.

太平洋戦争末期の神戸市街の惨状 従兄の記述より

中村和成著 わが母校誕生のころ;本学の神話時代

本文は、私の従兄で、神戸医科大学の第1回卒業生の中村和成が、医学部の同窓会、「神緑会学術誌」に書き遺した「わが母校誕生のころ : 本学の神話時代 (2)」の引用です。

ここには、昭和20年の2月から3月にかけての神戸大空襲の様子が細やかに、1926年生まれの彼にしか書けない神戸市街の惨状が生々しく記述されています。

神戸医大は、神戸駅の北側、湊川神社の更に北の高台に建っています。隣の大倉山には高射砲台がありました。ほとんど敵機に命中することがなかったそうです。私が高校生になった時にも、その台座は残っており、その周囲は永らく家を失った被災者の住み家となっていました。

和茂兄さんとは、父・母が、兄弟・姉妹というダブル従兄弟で、小学生の頃からよく可愛がってくれていました。中学生ごろから夏休みには、することがないので、彼のいる解剖学の研究室によくついて行きました。帰り道、三宮の生田筋にあるロシア料理店「バラライカ」で、食べさせてくれたピロシキとボルシチスープの味は今でもよく覚えています。

私が同じ神戸医大に進み、フランス留学したのも彼のお陰です。私は、13歳から63歳まで、じつに50年間お世話になった学舎です。

2022.6.15.