2020年はいろんなことがありました

新型コロナの流行も、5月末の非常事態宣言解除でホッとした途端、思わぬ大病、白血病に罹ってしまいました。しかも急性前骨髄球性白血病です。

私が小児科に入局し、最初に受け持った患者さんがこの病名で、入院後あっという間にDICを引き起こし、亡くなられたのを、病名を告げられた途端に思い出しました。

主治医からの説明で、急性前骨髄球性白血病M3型で、ビタミンA誘導体が奏功するタイプのものだろうという話を聞かされ、その日の夕方から、ベサノイドというオールトランスレチノイン酸(ビタミンA誘導体)を内服することになりました。この主治医の迅速な診断と治療の開始で、幸運にもDIC状態を無事脱出できました。

服用開始後1週間ごろより効果が現れはじめ、DIC状態を徐々に脱し、2週後には、末梢血に幼若細胞が見当たらなくなり、血小板数も白血球数も増加しはじめました。骨髄細胞を用いたPCR検査の結果から、 t(15; 17)転座が検出され、分子遺伝学的にもM3型と確定されました。

ビタミンA誘導体の内服で血液所見が改善

ビタミンA誘導体は、白血病細胞に対して分化誘導作用があり、 t(15; 17)転座が検出された細胞には,効果的で完全寛解が期待できるとのことでした。

服用開始後3週間を過ぎた頃より、ビタミンA誘導体はビタミン剤の仲間とは言え、結構副作用が強く、胃部不快感と全身倦怠感が現れ、食欲も低下してきましたが、多少の副作用は我慢しなければと、必死にのみ続けました。後半の1週間は自宅に戻り、服用を続けました。末梢血には幼若細胞がなくなり、血小板数、白血球数、赤血球数も正常化しました。

ビタミンA誘導体で血液学的には寛解を得たのですが、再発防止には他の抗がん剤との併用が望ましいとのことでした。通常の抗がん剤は高齢者には厳しすぎるとのことで、比較的副作用の少ないヒ素剤、亜ヒ酸(トリセノックス)での強化療法(地固め療法)を勧められました。

亜ヒ酸(トリセノックス)での強化療法(地固め療法

ヒ素についてネットで調べたところ、「急性前骨髄球性白血病(M3)に対して、オールトランスレチノイン酸と抗がん剤治療を行うことにより、高い寛解率と長期生存が得られるようになりました (本邦のデータ で寛解率95%、4年全生存割合84%)。再発後も80%程度の患者さんで再寛解が得られるようになりました。」 との記載を見つけました。

亜ヒ酸の機序としては、カスパーゼの活性化によるアポトーシスの誘導と関連しているようです。今から20年前の話になりますが、分化誘導に関する研究が盛んで、私たちも新生児低酸素性虚血脳障害における神経細胞の保護目的で新生児・未熟児での神経細胞の分化誘導を研究テーマにしていました。カスパーゼが、神経軸索の刈り込みなどに関連するとのことで、研究していたことを懐かしく思い出しました。

どうやら、カロチノイドも、亜ヒ酸も、M3細胞の分化誘導が鍵のようです。

ヒ素で思い出すこと

ヒ素といえば、森永ヒ素ミルク中毒事件と和歌山のカレーライスへのヒ素混入事件が思い出されます。

森永ヒ素ミルク中毒事件は、ヒ素の混入した粉ミルクを飲用した乳幼児に多数の死者・中毒患者が出た事件で、1955年6月頃から主に西日本を中心として起きました。当時の厚生省の発表では、ヒ素の摂取による中毒症状(神経障害、臓器障害など)が、1万人以上の乳児に起こり、100名以上の乳幼児が死亡しています。

私自身が小児科に入局した昭和40年には、関連のカルテが大切に保管されていたのをよく記憶していますが、私自身がヒ素中毒の患者さんを診察したことはありません。今もなお、その時の後障害に苦しめられている方がたくさんおられます。

いよいよ地固め療法開始へ

「亜ヒ酸は,毒でもあるが、薬でもある」と覚悟を決めて治療をお願いすることにしました。

日本で用いられている標準的なプロトコールに基づいて治療が開始されました。週5日、5週間で計25回の亜ヒ酸(商品名:トリセノックス)の点滴静注投与が1クールで、これを2回行う予定です。

薬の能書を見ると、そのトップには、真っ赤な文字の「警告」が20行にわたり書かれており、一つ間違うと死に直結する注意事項や、副作用が小さな文字でぎっしりと2ページにわたり書き込まれています。中でも、QT間隔の延長が要注意とのことで、投与前には毎回心電図でチェックを受けました。

最初の2週間は、ほぼ予定通り、治療が進められましたが、3週目ごろより、全身倦怠感と胃腸障害、食欲も低下し始めましたが、クレアチニンや肝機能のマーカー酵素の変化は見られませんでした。

主治医からは、心電図、血液検査で異常がないうちはプロトコール通りの治療を勧められました。多少の副作用が見られるぐらいでないと抗がん剤の効果も現れないだろうと辛抱していました。

次第に耐え難くなり、体調の変化を訴え、また、QT間隔も次第に延長し始め、閾値とされる500msecに近づく日もあったので、次第に投与間隔が開くようになり、何とか、1回目のクールが終了しました。

第2クールの開始早々に

血液検査も、心電図も異常がなかったために、予定通り第2クールが始まりました。2回目のトリセノックス点滴終了後も特段変わりはなかったのですが、その夜から全身倦怠感、腹部不快感と手足の指先のしびれ感・知覚異常、テレビを観ていると左眼がチカチカし、すぐに疲れ、左耳にも痛みが現れ始め、日を追うごとに症状が強まっていきました。

これまでに経験したことのないような倦怠感が襲ってきました。これは、てっきり亜ヒ酸の副作用に違いないと、翌日、主治医に、もう私の体力は限界で、亜ヒ酸療法には耐えられない旨、お伝えしました。

実のところ、私自身はこの地固め療法にはあまり積極的ではなかったのです。医師の立場からは、より完全な寛解を目指しておられることは私も十分に理解できたので、折り合いを見つけて治療を続けてきたのですが、今回の私の様子から、これ以上の治療継続は無理と判断していただきました。

早速、退院の日取りも決まりました。左鎖骨下に埋め込まれていたポートも除去され、治療からの解放感で、全身倦怠感、腹部不快感は多少楽になった気がしていました。

退院前日の夜に、妻と娘が、主治医から病状経過の説明を受けるために病室に来てくれていました。そこへ、主治医が、検査データを携えて、良い知らせがありますと病室に来られました。今回のPCR検査の結果が届き、「完全寛解です。」と告げられました。

家族はみんな喜んでくれましが、私は嬉しいというよりも、ホッとした気持ちでした。これで、大手を振って、退院できることになりました。

思わぬ災厄が待ち受けていた

抗がん剤ヒ素療法から解放されて退院しました。猛暑はすでに峠を越えてはいましたが、まだ日中は30℃以上の暑さが続いていました。

退院前日から、左頭部から顔面にかけての疼痛、顔面の発疹が現れ、ヘルペスと診断されました。ヒ素の副作用とばかり思い込んでいた全身倦怠感、胃腸障害、味覚異常、食欲不振は、どうやら、ヘルペスウイルスの影響だったようです。ヘルペス罹患により、私の身体の免疫力低下が実証され、程よくヒ素療法を終えることができました。

カロチノイドと亜ヒ酸は、白血病細胞だけでなく、私の全身細胞をも分化誘導し、アポトシース作用を与え、私の古びた老化細胞をも除去してくれたようです。腎機能は回復し、髪の毛や体毛に黒いものが増えた気がします。記憶力もアップした感じです。若返ったと、調子に乗り過ぎて、アクセルを踏みすぎると、必要な細胞までアポトーシスを起こしかねません。要注意です。

医療は本当に難しい

 近年の医療は、診療ガイドラインが策定され、標準化が進められてきました。一定の診断基準を満たせば、プロトコルに沿った治療が画一的に進められています。副作用の強い抗がん剤の使用において、各種検査所見に異常が出なければ、個々の患者の訴えはなかなか理解され難いことが、今回の経験からよくわかりました。

私ですら上手く病人の気持ちを表現することが難しいのに、新生児や小児たちは、日々の医療者の行いをどのように感じ、受け入れているのでしょうか。

「最小の介入こそ、最高の医療」という、未熟児医療の原点を思い起こしました。

みなさんのお陰です

彼岸の一歩手前まで行っていた私ですが、現代医療のお陰で、また現世に戻ってくることができました。

的確で、素早い診断と治療を施して下さった医療スタッフの皆さんに心から感謝しています。挫けけそうになる私を、絶えず見守り、勇気付けてくれた妻や家族、新型コロナ流行で直にお会いできませんでしたがメールで励ましの便りをくれた友人・同僚の皆さん、ありがとうございました。

一日、一日を大切に、これからも生き続けたいと思っています。

令和2年12月

「若葉」名誉会長の一言