子どもが新型コロナ流行の潜在的な伝染源に

Pediatric Severe Acute Respiratory Syndrome Coronavirus 2 (SARS-CoV-2): Clinical Presentation, Infectivity, and Immune Responses.

By Yonker LM、J Pediatr 2020; 227 (December): 45-52 .


論文の要旨

マサチューセッツ総合病院小児科のYonker博士らは、重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS- CoV-2)感染が疑われる、0〜22歳の子どもが緊急治療クリニックに来院するか、SARS-CoV-2感染の確認/疑いまたは小児の多臓器炎症症候群(MIS-C )の児192人を登録、解析した。うち、49人の子ども(26%)が急性SARS-CoV-2感染症と診断され、さらに18人の子ども(9%)がMIS-Cの診断基準を満たしていた。 急性SARS-CoV-2感染症49人のうち、25人の子ども(51%)だけが発熱を示した。

  • 鼻咽頭ウイルス量は、症状の最初の2日間で最も高く、子どもは重度の疾患で入院した成人よりも有意に高かった(P = .002)。
  • 年齢はウイルス量に影響を与えませんでしたが、10歳未満の子どもは年長の子どもよりもアンジオテンシン変換酵素2(ACE2)の発現が低かった(P = .004)。
  • SARS-CoV-2スパイクタンパク質の受容体結合ドメインに対する免疫グロブリンM(IgM)および免疫グロブリンG(IgG)は、重度のMIS-C(P <.001)で増加しており、体液性反応の調節不全が観察されました。

この研究は、軽度の病気や症状の欠如にもかかわらず、子どもがSARS-CoV-2パンデミックの潜在的な伝染源となり得る可能性を示している。


2020-12-30

2020年を振り返って

今年は、社会的にも、個人的にも、大変な一年でした。

新型コロナという疫病は、まるで、情報ネットワークに乗っかって、あっという間に世界中に蔓延してしまいました。第一波における緊急事態宣言で、巣篭もり生活を送っていたところ、宣言が解除された6月初めには自らの病で入院する羽目になりました。3か月余りの入院生活で、幸い病は克服できました。

その後も、新型コロナ感染者数は増え続け、私のような持病を持つ高齢者は不要不急の外出を自粛せざるを得ず、精神的に厳しい生活を余儀なくされています。

同年輩の友人とメールや電話でお互いの巣篭もり生活を慰め、励まし合い、1日も早いワクチン接種を心待ちにする日々です。天気の良い日には、できるだけ外出し、物理的距離を十分に保ちながら、サルコペニアやフレイルにならないように気をつけています。

日本の新型コロナ対策は、防疫と経済の両立という方針が取られています。11月から12月にかけての第3波に対して、首都圏以外で感染者数が増えていても、GoToトラベルは継続され、国として積極的な感染抑制対策は取らない、模様眺めのウイズコロナです。

東京都で一日の感染者数が千人を超えるまでは、経済優先で、感染抑止策を取らないのが、国の当初からの基本方針のようです。

感染者数は一旦増加し始めると、指数関数的に増えます。米国のCAやNYといった都市では、一日千人を超えてからでは有効な手立てがなくなっています。感染対策は、その見極めが勝負です。

正月明けに、収拾のつかない状態になっていないことを念ずるのみです。

年末年始だけでなく、ワクチンの接種が始まる3月までは、駄文でも書きながら、静かな日々を過ごす覚悟です。

2020年12月28日


 

子どもは赤ちゃんに興味をもつ

小学4年の孫娘によると、自分が読んだ本の中から、友達にすすめたい本を紹介する学校の授業があったそうです。読書好きの孫娘は、新型コロナ流行による休学期間中に、手当たり次第に家にある本を読んでいたようで、私が3年前に出版した「赤ちゃんの四季」を見つけ、読後感想文を提出したそうです。担任の先生の花マル入りの文を持ち帰り、私にも見せてくれました。

そこには、「赤ちゃんの大切さがよく分かりました」とか、わたしが好きなところは「赤ちゃんが母親のまねをするのがかわいい」、「命の大切さ」をとても考えさせられる本でしたと書き綴られています。

エッセイ集「赤ちゃんの四季」は、兵庫県予防医学協会の季刊誌「明日の健康」に2000年から20年近く連載しているコラムを1冊にまとめて出版したものです。私は、新生児医療を専門にした小児科医なので、近年の脳科学の進歩により明らかになってきた赤ちゃんの脳の特徴や興味深い行動、母と子の関係性などを中心に、四季折々の子どもの話題を取り上げてきました。

育児の話をするときには、「五感」や「共感」を司る脳に良い刺激を与える大切さを強調してきました。とりわけ、AI・ロボットが進化した近未来社会では、幼少期に体験する「五感」と「共感」こそが、人間らしさの原点と言い続けています。

小学生の孫娘が「赤ちゃん」に関心を寄せたことは感激でした。昔は、兄や姉が学校から帰宅すると、赤ちゃんを背負って遊ぶ姿をよく見かけましたが、少子社会の今では赤ちゃんに直に触れる機会がほとんどありません。

学校の授業として保育園を訪れ、赤ちゃんに触れ、赤ちゃんのもつ不思議さ・可愛らしさを小さい時から体験し続けることが、人間らしさを持続する社会には不可欠です。

2020-12-25

2020年はいろんなことがありました

新型コロナの流行も、5月末の非常事態宣言解除でホッとした途端、思わぬ大病、白血病に罹ってしまいました。しかも急性前骨髄球性白血病です。

私が小児科に入局し、最初に受け持った患者さんがこの病名で、入院後あっという間にDICを引き起こし、亡くなられたのを、病名を告げられた途端に思い出しました。

主治医からの説明で、急性前骨髄球性白血病M3型で、ビタミンA誘導体が奏功するタイプのものだろうという話を聞かされ、その日の夕方から、ベサノイドというオールトランスレチノイン酸(ビタミンA誘導体)を内服することになりました。この主治医の迅速な診断と治療の開始で、幸運にもDIC状態を無事脱出できました。

服用開始後1週間ごろより効果が現れはじめ、DIC状態を徐々に脱し、2週後には、末梢血に幼若細胞が見当たらなくなり、血小板数も白血球数も増加しはじめました。骨髄細胞を用いたPCR検査の結果から、 t(15; 17)転座が検出され、分子遺伝学的にもM3型と確定されました。

ビタミンA誘導体の内服で血液所見が改善

ビタミンA誘導体は、白血病細胞に対して分化誘導作用があり、 t(15; 17)転座が検出された細胞には,効果的で完全寛解が期待できるとのことでした。

服用開始後3週間を過ぎた頃より、ビタミンA誘導体はビタミン剤の仲間とは言え、結構副作用が強く、胃部不快感と全身倦怠感が現れ、食欲も低下してきましたが、多少の副作用は我慢しなければと、必死にのみ続けました。後半の1週間は自宅に戻り、服用を続けました。末梢血には幼若細胞がなくなり、血小板数、白血球数、赤血球数も正常化しました。

ビタミンA誘導体で血液学的には寛解を得たのですが、再発防止には他の抗がん剤との併用が望ましいとのことでした。通常の抗がん剤は高齢者には厳しすぎるとのことで、比較的副作用の少ないヒ素剤、亜ヒ酸(トリセノックス)での強化療法(地固め療法)を勧められました。

亜ヒ酸(トリセノックス)での強化療法(地固め療法

ヒ素についてネットで調べたところ、「急性前骨髄球性白血病(M3)に対して、オールトランスレチノイン酸と抗がん剤治療を行うことにより、高い寛解率と長期生存が得られるようになりました (本邦のデータ で寛解率95%、4年全生存割合84%)。再発後も80%程度の患者さんで再寛解が得られるようになりました。」 との記載を見つけました。

亜ヒ酸の機序としては、カスパーゼの活性化によるアポトーシスの誘導と関連しているようです。今から20年前の話になりますが、分化誘導に関する研究が盛んで、私たちも新生児低酸素性虚血脳障害における神経細胞の保護目的で新生児・未熟児での神経細胞の分化誘導を研究テーマにしていました。カスパーゼが、神経軸索の刈り込みなどに関連するとのことで、研究していたことを懐かしく思い出しました。

どうやら、カロチノイドも、亜ヒ酸も、M3細胞の分化誘導が鍵のようです。

ヒ素で思い出すこと

ヒ素といえば、森永ヒ素ミルク中毒事件と和歌山のカレーライスへのヒ素混入事件が思い出されます。

森永ヒ素ミルク中毒事件は、ヒ素の混入した粉ミルクを飲用した乳幼児に多数の死者・中毒患者が出た事件で、1955年6月頃から主に西日本を中心として起きました。当時の厚生省の発表では、ヒ素の摂取による中毒症状(神経障害、臓器障害など)が、1万人以上の乳児に起こり、100名以上の乳幼児が死亡しています。

私自身が小児科に入局した昭和40年には、関連のカルテが大切に保管されていたのをよく記憶していますが、私自身がヒ素中毒の患者さんを診察したことはありません。今もなお、その時の後障害に苦しめられている方がたくさんおられます。

いよいよ地固め療法開始へ

「亜ヒ酸は,毒でもあるが、薬でもある」と覚悟を決めて治療をお願いすることにしました。

日本で用いられている標準的なプロトコールに基づいて治療が開始されました。週5日、5週間で計25回の亜ヒ酸(商品名:トリセノックス)の点滴静注投与が1クールで、これを2回行う予定です。

薬の能書を見ると、そのトップには、真っ赤な文字の「警告」が20行にわたり書かれており、一つ間違うと死に直結する注意事項や、副作用が小さな文字でぎっしりと2ページにわたり書き込まれています。中でも、QT間隔の延長が要注意とのことで、投与前には毎回心電図でチェックを受けました。

最初の2週間は、ほぼ予定通り、治療が進められましたが、3週目ごろより、全身倦怠感と胃腸障害、食欲も低下し始めましたが、クレアチニンや肝機能のマーカー酵素の変化は見られませんでした。

主治医からは、心電図、血液検査で異常がないうちはプロトコール通りの治療を勧められました。多少の副作用が見られるぐらいでないと抗がん剤の効果も現れないだろうと辛抱していました。

次第に耐え難くなり、体調の変化を訴え、また、QT間隔も次第に延長し始め、閾値とされる500msecに近づく日もあったので、次第に投与間隔が開くようになり、何とか、1回目のクールが終了しました。

第2クールの開始早々に

血液検査も、心電図も異常がなかったために、予定通り第2クールが始まりました。2回目のトリセノックス点滴終了後も特段変わりはなかったのですが、その夜から全身倦怠感、腹部不快感と手足の指先のしびれ感・知覚異常、テレビを観ていると左眼がチカチカし、すぐに疲れ、左耳にも痛みが現れ始め、日を追うごとに症状が強まっていきました。

これまでに経験したことのないような倦怠感が襲ってきました。これは、てっきり亜ヒ酸の副作用に違いないと、翌日、主治医に、もう私の体力は限界で、亜ヒ酸療法には耐えられない旨、お伝えしました。

実のところ、私自身はこの地固め療法にはあまり積極的ではなかったのです。医師の立場からは、より完全な寛解を目指しておられることは私も十分に理解できたので、折り合いを見つけて治療を続けてきたのですが、今回の私の様子から、これ以上の治療継続は無理と判断していただきました。

早速、退院の日取りも決まりました。左鎖骨下に埋め込まれていたポートも除去され、治療からの解放感で、全身倦怠感、腹部不快感は多少楽になった気がしていました。

退院前日の夜に、妻と娘が、主治医から病状経過の説明を受けるために病室に来てくれていました。そこへ、主治医が、検査データを携えて、良い知らせがありますと病室に来られました。今回のPCR検査の結果が届き、「完全寛解です。」と告げられました。

家族はみんな喜んでくれましが、私は嬉しいというよりも、ホッとした気持ちでした。これで、大手を振って、退院できることになりました。

思わぬ災厄が待ち受けていた

抗がん剤ヒ素療法から解放されて退院しました。猛暑はすでに峠を越えてはいましたが、まだ日中は30℃以上の暑さが続いていました。

退院前日から、左頭部から顔面にかけての疼痛、顔面の発疹が現れ、ヘルペスと診断されました。ヒ素の副作用とばかり思い込んでいた全身倦怠感、胃腸障害、味覚異常、食欲不振は、どうやら、ヘルペスウイルスの影響だったようです。ヘルペス罹患により、私の身体の免疫力低下が実証され、程よくヒ素療法を終えることができました。

カロチノイドと亜ヒ酸は、白血病細胞だけでなく、私の全身細胞をも分化誘導し、アポトシース作用を与え、私の古びた老化細胞をも除去してくれたようです。腎機能は回復し、髪の毛や体毛に黒いものが増えた気がします。記憶力もアップした感じです。若返ったと、調子に乗り過ぎて、アクセルを踏みすぎると、必要な細胞までアポトーシスを起こしかねません。要注意です。

医療は本当に難しい

 近年の医療は、診療ガイドラインが策定され、標準化が進められてきました。一定の診断基準を満たせば、プロトコルに沿った治療が画一的に進められています。副作用の強い抗がん剤の使用において、各種検査所見に異常が出なければ、個々の患者の訴えはなかなか理解され難いことが、今回の経験からよくわかりました。

私ですら上手く病人の気持ちを表現することが難しいのに、新生児や小児たちは、日々の医療者の行いをどのように感じ、受け入れているのでしょうか。

「最小の介入こそ、最高の医療」という、未熟児医療の原点を思い起こしました。

みなさんのお陰です

彼岸の一歩手前まで行っていた私ですが、現代医療のお陰で、また現世に戻ってくることができました。

的確で、素早い診断と治療を施して下さった医療スタッフの皆さんに心から感謝しています。挫けけそうになる私を、絶えず見守り、勇気付けてくれた妻や家族、新型コロナ流行で直にお会いできませんでしたがメールで励ましの便りをくれた友人・同僚の皆さん、ありがとうございました。

一日、一日を大切に、これからも生き続けたいと思っています。

令和2年12月

「若葉」名誉会長の一言


 

ポストコロナ社会への期待  ー デジタルで共生社会がー

ポストコロナ社会は、テレワークとデジタル化というだけで、一体どんな社会が待ち受けているのか、多くの人はよくイメージできずにおられるのではないでしょうか?

人間の仕事が、AIの活用やロボットに奪われるのではないかという不安、あらゆる個人情報が国や企業に一括管理され、個人の守秘性がなくなるのではという不安感をお持ちの方も少なくないと思います。

オードリー・タンさん曰く、デジタル空間は無限の可能性を持つ

新型コロナ流行当初にデジタルを活用し、マスク在庫状況をはじめ感染状況の可視化で、流行を最小限に抑えた、台湾のデジタル担当閣僚オードリー・タン氏の卓越した能力の報道に驚かれた方は多いと思います。

LGBTである彼女は、16歳で女性となりました。学校は中学までしか行かず、独学でプログラマーとしての実力をつけ、19歳で渡米し、アップル社においてSiri開発の立役者となりました。タン女史は1981年生まれ。ミレニアル世代のトップランナーです。

ミレニアル世代が新しい時代をリードする

ミレニアル世代とは、1980年から1995年の間に生まれた世代と定義され、2020年に25歳から40歳を迎えた世代です。

この世代がこうして括られるのは、その成長がデジタルの台頭とともにあったためです。インターネット環境の整備が飛躍的に進んだ時代に育ち、情報リテラシーに優れ、インターネットでの情報検索やSNSを利用したコミュニケーションを自然に使いこなす、ITに極めて高い親和性を持つ世代です。この生まれながらにして、デジタル化という激動の中で育った彼らだからこそ、新しい時代を先導するエネルギーがあるように私には思えます。

Diversity & inclusion(多様性を取り込んだ社会)とConviviality(自立共生社会)

最近出版されたタン女史の自伝によると、デジタル技術を活用すれば、この2020年を境にどのような社会が待ち受けているのか、彼女には明確にイメージできているように思えます。そのキーワードは、Diversity & inclusion(多様性を取り込んだ社会)とConviviality(自立共生社会)です。彼女が目指している「自立共生社会」は、一地域、一国だけでなく、地球全体での共生社会です。

彼女自身がLGBTであることからも、新型コロナ流行後の世界に求められているのが、Diversity & inclusionとConvivialityであるという主張は容易に納得できます。Diversityも、 Inclusionも、経済界でよく用いられている単語です。Diversityは、国籍や性別、学歴を問わない多様な人材活用に、Inclusion(インクルージョン)は、元々フランス語で、直訳すると包含、包括という意味です。ビジネスに当てはめると企業内すべての従業員が仕事に参画する機会を持ち、それぞれの経験や能力、考え方が認められ、活かされる状態を言います。

「共生(ともいき)」は元々仏教用語

「共生(ともいき)」ということばは、元々仏教用語にあったようで、日本人には馴染みの単語です。「共生」とは、「共に生きる」ということですから、直訳すれば「自然と共に生きる」、「地域と共に生きる」ということになります。

つまり、「人間は天地自然の恵みの中で生き生かされているのだから、それをよくわきまえて、むやみやたらな開発はしないで、自然を大切にし、自然のサイクルに合った生き方をしましょう」。また、「人は一人で生きているのではない。家族をはじめとして、隣近所、町や村の中で多くの人々と係わりながら生きているのだから、その関係を大切に、助け合いながら生きましょう」ということになります。

「共生」が、障害者支援や環境問題に対する政策の枕詞に

日本政府は、障害者支援や環境問題に対する政策の枕詞として、「共生」という言葉をこのところ多用しています。2020年東京オリンピック・パラリンピックを契機として、障害の有無等にかかわらず、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合う「心のバリアフリー」を推進し、障害のある人等の活躍の機会を増やし、共生社会の実現を目指しています。 文部科学省は、平成24年7月より共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進に取り組み始めています。

「共生社会」とは、これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者等のマイナリティーが、積極的に参加・貢献できる社会です。それは、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会です。

Conviviality(自立共生社会)とは

Conviviality(自立共生社会)という言葉が用いられるようになったのは、イヴァン・イリッチ著の「Convivialityのための道具」という本に由来するようです。本書が出版された1973年は、今日と同じように産業社会における人間性の喪失が大きな社会的不安を招いていた時代です。

Conviviality(コンヴィヴィアリティ)は、日本語では「自立共生」と訳されていますが、行き過ぎた産業主義社会が、人々を単なるサービスの消費者にしてしまったことを問題として指摘し、自立共生な社会のあり方を描いています。

日々の暮らしの中で人は学び、病気に苦しむ人がいれば手を差し伸べ、家族を失えば親族で弔っていた人間の暮らしが、産業化と分業化・専門化によって、教育は学校が、医療は病院や医療者が、弔いは葬儀屋が提供するサービスになり、人々の手から人間らしい振る舞いの機会を奪ってしまったのでは?と、イリッチは問いかけています。

半世紀前にも今と同じような社会現象が

この書が刊行されたのが1973年ですから、我が国においても戦後の高度経済成長により貧富の格差が拡大し、まさに産業中心主義に世の中が大きく変化している時代でした。先行きの不透明感から、全国に大学紛争の嵐が拡がった時代です。

その後、「個々人の尊厳をベースにした真の自立共生社会はユートピアの世界である」と、私たちの世代の者は大学紛争後ずっと思い続けていました。だが、デジタルは無限の資源だと言われると、それも決して実現不可能な課題ではなさそうな気もしてきます。

デジタル民主主義と「自立共生社会」

いま、米国で行われている大統領選挙の報道を見ていると、何だか滑稽です!

デジタル民主主義の根幹は、「政府と国民が双方向的に議論できるようにしよう」ということです。オードリー・タンさんは、「国民の意見が伝わりにくい」とされる間接民主主義の弱点を、インターネットなどの力により誰もが政治参加しやすい環境に変えていこうとしているのです。

彼女がすでに取り組み、実現しているのが台湾での選挙制度です。より民主的な選挙を行うために、有権者一人1票ではなく、99票のカードが与えられ、有権者は複数の候補者に配分して投票できるそうです。さらに、4年に一度の選挙ではなく、デジタルを活用すれば毎日でも国民投票が可能だと言います。

多くの国が採用している間接選挙制度の根底からの見直しが必要な時代になっているようです。民主主義国家と言いながら、所得格差が拡大し、社会の分断が進んでいます。 日本が一億総中流の国であるというのは今や完全な幻想で、その貧困率は世界的に見ても高いものです。2020年7月17日に厚生労働省が発表した「2019年 国民生活基礎調査」の結果から、2018年(平成30年)の子どもの貧困率(17歳以下)は13.5%、約7人に1人の子どもが貧困状態にあり、日本も社会的格差が大きいことを示しています。

小児保健従事者は子どもの声を代弁しよう

ラジオやテレビといったメディアでは、情報の流れは一方通行です。パソコンやインターネットの登場で、SNSを通じて誰もが自分が言いたいことを発信できるようになりました。メディアは、SNSでの炎上、誹謗・中傷といったネガティブな面を取り上げ、子どもたちの積極的な活用に向けた意見が少なすぎるように思えます。

日常的に子どもたちに寄り添っている小児保健従事者は、子どもに関する情報を共有するだけでなく、子どもから発信される多様な意見を代弁し、政府の施策に反映されるような社会にしたいものです。

ポストコロナでは、デジタル化による選挙制度改革を推し進め、多様な民意が政府の施策に反映され、自立共生社会へ向かうことを期待しています。


2020/12/18

病気の赤ちゃんの写真(動画)を スマホで撮るコツ

赤ちゃんの夜間の熱発や身体の異常に備えて

電話相談・遠隔医療には、赤ちゃんの表情・動作や皮膚の発疹などの写真・動画があると、診断に大いに役立ちます。

  • 簡単スマホ撮影のための 6 つのヒント
  • おすすめ撮影のご紹介
  • 市販のリングライトの使用
以下は、カメラマンP氏の指導による上手な赤ちゃんのスマホ撮影法です。

簡単スマホ撮影のための 6 つのヒント

① できるだけ明るいところで撮影します。昼間は、陽のよく当たる窓側で、夜間は、洗面台の前がおすすめです。

② グリッド線を設定して、写真の構図を決めやすくしておく。グリッドとは、タテとヨコを三分割する線を表示させる機能のこと。線上や交点上に赤ちゃんを重ねると見やすい構図になります。

③ 顔にピントを合わせる。撮影時に一度子どもの顔を画面でタップしておくと、カメラに自動で顔認識などを検出する機能があり、ピントが合います。

④ 光源をできるだけ赤ちゃんの顔の高さに近づける。光源が赤ちゃんの顔の高さに近いと顔に余計な影が出にくくなり、表情や肌の色がわかりやすくなります。また、光源が近いとシャッター速度が上がり、手ぶれしにくいです。

⑤ “抱っこ+インカメラ(自撮り方向)”は、撮影者の影が赤ちゃんの顔にかかりにくいです。

⑥ 背景に光源(照明器具やテレビ画面など)が映らない位置で撮影することです。


昼間の明るい時に、インカメラ(自撮り方向)で撮影

赤ちゃんを片手で抱っこして、窓側からの日差しが 当たるようにスマホのインカメラ(自撮り方向)で 撮影


洗面台の前で、インカメラ(自撮り方向)で撮影


洗面台の棚にスマホを置いて、インカメラ(自撮り方向)で撮影

LINEビデオなどの動画を撮るときなどに、両手で赤ちゃんを支えられるので安心です


市販のリングライトなどを使用して