最近の世相から、思うこと三つ

若葉「名誉教授からの一言」   2013

昨年末には、中学2年生のいじめ自殺が、年が明けると、高校2年生の体罰から自殺という悲しい出来事が相次いで起こっています。自殺死に追い込まれなくても、その何十倍も、何百倍もの「いじめ」や「体罰」が全国で繰り広げられているよう思えてなりません。また、年々増加する母親による乳幼児虐待と、子どもたちの近くに位置する小児科医として、子どもたちを取り巻く社会環境が余りにも悪すぎるのを看過するわけには行きません。

その1. 問題は、親世代を含めての徳育に

いじめ事件が起こると、生徒へのアンケート調査が行われます。事実確認だけなら、先生が生徒に直接話を聞けば済むことで、なぜ生徒にレポートさせるのか悲しくなります。同じ屋根の下にいて、face-to-faceの会話ではなく、レポートでないと伝えられない、これが、毎日顔を合わせている教師と生徒のコミュニケーションでしょうか。

私が学生であった頃には、「大学の自治」ということで、キャンパス内への警察の介入には徹底的に抵抗していました。大学人としての誇りでした。しかし、常軌を逸した全共闘の暴力行為で、学園への警察の介入に対する抵抗感がなくなったようです。

医療現場も、教育現場もモンスターに怯えています。社会全体でモンスター狩りをしないと、性善説に立つ医療者や、教師は萎縮し、結果的に子どもたちを不幸にしてしまいます。親世代向けの「人のみち」の再教育が必要です。

その2. ならぬことはならぬものです

新春から綾瀬はるか主演の大河ドラマ「八重の桜」がはじまりました。第1回目を観ただけですが、私自身は日本人の心のルーツに触れた思いで、今後の社会的反響が楽しみですます。

会津藩の砲術指南の山本家に生まれた八重は、広い見識をもつ兄・覚馬を師と仰ぎ、裁縫よりも鉄砲に興味を示し、会津の人材育成の指針“什の掟”(子弟教育7カ条)「ならぬことはならぬもの」という理屈ではない強い教えのもと、会津の女として育っていきます。

明治元年に、板垣退助率いる新政府軍に対し、最新のスペンサー銃を会津・鶴ヶ城から撃つ女、その姿は「幕末のジャンヌ・ダルク」とも呼ばれています。のちに、京に出て、アメリカ帰りの夫、新島襄の妻となった八重が、男尊女卑の中、時代をリードする「ハンサムウーマン」となっていく物語です。

会津藩における藩士の子弟を教育する組織、什(じゅう)は、6歳から9歳までの児で組織されています。「什長」というリーダーが選ばれ、年長児が組の長となります。年長者を敬う心を育て、自らを律することを覚え、団体行動に慣れる為の幼年者向け躾を、「遊び」と「お話」を通じて学習します。子どもたちが子どもたち自身で学習するこの仕組みは、大変素晴らしい制度だと思います。

そこでは、7つの什の掟が、必ず毎日繰り返されます。

  1. 年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
  2. 年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
  3. 虚言を言ふ事はなりませぬ
  4. 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
  5. 弱い者をいぢめてはなりませぬ
  6. 戸外で物を食べてはなりませぬ
  7. 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです。

第七項は現代の価値観に合いませんが、その他は日本人だけでなく、人種、国籍に関係なく世界中の人々にも当てはまるものです。このような躾は、「教育」ではなく、「学習」です。それには、大人からではなく、年齢の近い年長児から自分の目で学ぶのが効果的で、社会性の芽生え始めた4〜5歳から小学校低学年期が最適です。

昨今の親をみていると、我が子に対していかにも自信無げに「しつけ」を行っているように思えます。人として許されること、許されないことは、「ならぬことはならぬもの」として、毅然とした態度で我が子に接して欲しいものです。この「ならぬことはならぬものです」は、現在、NN運動として会津若松の地域コミュニティ活動に取り入れられているそうです。

その3. 大人の世界ではコンプライアンスを

神戸大学も法人化して、半民間化したため、一般企業のように監査室や監事のポストができました。私もこれから2年間、神戸大学の監事の職に就くことになりました。

監査には、会計監査と業務監査があり、その役割を一言で言うと、大学人がお行儀よく、教育、研究に従事しているかをチェックして、学長に進言することです。要するに、コンプライアンスの大きい組織体であるよう見守る役割です。

医療の領域で用いられているコンプライアンスは、肺のコンプライアンス、服薬に対してコンプライアンスという語が用いられていますが、企業社会でいうコンプライアンスとは、「公正・適切な企業活動を通じ社会貢献を行なうこと」です。


コンプライアンスは『法令遵守』とだけでない

コンプライアンスを『法令遵守』とだけとらえるのは間違いです。法律を守るのは当然のことであり、それは最低限のレベルに違反していないだけです。これを逆手にとり法の不備をつき「法令に違反していない」と、違法ギリギリの行為をしている企業もありますが、このような行為は企業の社会的信用を失い、取り返しのつかない事態になります。

国立大学も法人化により、自立した経営が求められるようになりました。お金が絡んでくると組織ぐるみの不正が発生する可能性が生まれます。また、従前なら大学人には許されていた、一般社会からみた「非常識」は許されなくなりました。教育機関には、一般企業人よりも、より厳しいコンプライアンスが求められるようになっています。人の命をあずかる医療も同じです。

医療におけるコンプライアンス

医療におけるコンプライアンスを考えるに当たって大切なことは、患者はいつも弱者であるということです。医療者と患者は決して対等の立場にはありません。一つ一つの医療行為が、什の掟、「五、弱い者をいぢめてはなりませぬ」に当たらないか、相手の無知につけ込んでの「四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ」に当たっていないか絶えず心したいものです。

医療行為というものは、法令だけに留まらず、医療倫理に基づくところが大です。医療倫理は、地域、文化などにより多様化しており、医療技術の進歩とともに時々刻々変化しています。医療倫理は、医療技術の進歩にいつも遅れてついてきます。新しい医療技術を取り入れる場合には、倫理規定がまだ追いついていないために、違反かどうか明白にはなっていません。

「ならぬことはならぬ」の強い信念で

そこでも、結局のところ、「ならぬことはならぬ」の強い信念で医療者自身が、所属する組織が、他の規範となるべく、積極的に法令や条例以上の医療倫理・社会貢献を遵守する行動が求められます。神戸大学小児科教室がコンプライアンスの大きな、素晴らしい教育・研究・臨床の組織として、日本の、世界の規範となることを念じています。

2013年1月記

Mac とともに、Steve Jobsへの感謝を込めて

若葉「名誉教授からの一言」2012

私が昭和39年に大学を卒業し、小児科の大学院に入学した当時は、コンピュターはおろか、電卓もなく、そろばんと計算尺で、実験データの平均値と標準偏差値をこつこつと計算していました。手垢に塗れた計算尺はいまも大切に机の引き出しの奥にしまってあります。電力不足で停電になったときには役立つかもしれません。

間もなく、医学部にも本格的な電子計算機Fortranが基礎棟に設置されることになり、当時須田勇教授の生理学教室にいた同級の森英樹君の指導を受けながら、腫れものに触るように使わせて頂きました。図体は大きいですが、その性能たるや今では5万円くらいで入手できるPCにも遥かに及ばないものでした。

1972年には」『カシオミニ』が誕生し、様相が一変しました。手のひらに乗るサイズで、価格も1万2800円まで下がり、個人でも手に入るようになりました。

Basic言語によるプログラムを自ら作成

1980年代になると、パーソナル用途向けの安価なコンピューター(いわゆるパソコン)が次々と発売され、私は、NECより発売されたPC-8001を入手しました。当時のパソコンはBASICで起動するマシンで、自分自身でBasic言語による標準偏差値の算定プログラムを作成しました。一瞬にして答が出たときの感動は今でもよく覚えています。

以来、私はパソコンの虜になり、研究データの統計計算、新生児センターのデータベースの作成、患児の発育曲線の作成等を次々と試みてきました。パソコンは、まさに日進月歩、2年もすれば骨董品同然となるために、これまでに私が個人的に買い求めた台数は20台を下らないと思います。妻に小言を言われながらも、私の趣味と実益を兼ねた最大の道楽です。

Macの出現とスライド作成

学会発表の方法は、今日ではパワーポイントで作成し。カード持参が当たり前の時代となりましたが、1970年までは模造紙にマジックで書いて一枚一枚めくりながら、口演していました。70年代に入り、スライド映写機が用いられるようになり、レタリングで一文字一文字貼付けて作成しました。その後、次第に普及してきたワープロでスライド原稿の作成をしていました。

1984年に現れたのが、あの箱型の一体型パソコン、マッキントッシュです。小型ですが、値段はNECやIBMのパソコンに比べると倍以上していました。しかし、作成の容易さ、仕上がりの美しさからスライド作成には欠かせないツールとなりました。パソコンといえば、他の学部ではWindowsが主流でしたが、医学部ではMacです。恐らく学会発表の回数が多いことや、スライドにはグラフ、イラストを多く用いる必要があったためでしょう。

ファイルメーカーとJ-SUMMITS

プログラム作成の言語には、Basic言語、C言語などがあり、自分でプログラムを作成しなければパソコンを駆使できませんでした。そこに、1995年Macでしか使えないデータベースソフトであるFileMaker Pro 3.0v1をファイルメーカー社が開発しました。本ソフトは、データベース機能にすぐれており、専門的な知識がなくても、容易にプログラムを作成でき、臨床データの整理に好適なツールでした。

その後、ファイルメーカーは進化し、今では病院の診療情報システムの一翼を担うまでになっています。その先導的役割を担っているのが、我が同門の名古屋大学医療情報部長である吉田茂教授です。彼は、医療者のニーズにマッチするフレキシブルなシステム開発を目指す研究グループ、日本ユーザーメード医療IT研究会(略称J-SUMMITS)を2008年に立ち上げ、NECとか富士通の医療情報システムのホストコンピューターとリンクさせ、機能性アップを目指しています。

iPadの臨床応用にもファイルメーカー

2010年春にアップル社から発売されたiPadは、これまでのパソコンの常識を覆す一大エポックとなり、爆発的人気を呼んでいます。私自身もその虜となり、早速、阪神北こども急病センターでの看護師によるトリアージ業務にファイルメーカーで作動するiPadを導入し、医療者にも、患者にも好評を博しています。その様子は、日経メデカル電子版に大きく紹介されました。

Steve Jobsへの感謝を込めて

振り返って、私の大学生活、こども病院での生活、さらには今の阪神北こども急病センターでの生活においては多くの仲間に支えられてきました。そのつながりをより強固にしてくれたのがITではなかったかと思います。私がツールとしてのITの素晴らしさを享受できたのは、Macのお蔭だと思っています。

このたび、今日のITの進化を先導してきたSteve Jobsの訃報に接し、Macのもつ素晴らしさとともに、彼のイノベーターとしての偉大さを知ることになりました。Steve Jobsがもつ偉大さは、Macの開発者、iPadの開発者というだけでなく、彼にはイノベーターとしての強い信念、強いリーダーシップを備えもつ人物であったこと、ITの中にも強い魂、やさしい心が宿らないと、人の役に立たず、感動を与えない事を最近出版された彼の伝記から知ることになりました。

改めて、彼に感謝を捧げたいと思います。

Stay hungry, Stay foolish.

スティーブ・ジョブズが亡くなってから、スタンフォード大学の卒業式での彼のスピーチがクローズアップされています(Steve Jobs’ 2005 Stanford Commencement Address)。

この2005年スタンフォード大学の卒業式でのスピーチを締めくくる言葉、”Stay hungry, stay foolish” は、「ハングリーであれ、愚かであれ」の訳はちょっと違うようです。

Jobsは、次のようにも述べています。「当時は分からなかったが、アップルを首になったのは、自分の人生においてこれ以上望みようがないほど最高の出来事だった。成功という重荷がなくなり、もう一度ビギナーになるという軽やかさに取って代わった。物事を知らない状態に戻ったのだ。私はこうして、人生で最もクリエイティブな時期に突入した」。

成功、それも世界的な大成功を白紙に戻して、何も知らない状態からやり直す。それこそが人生で最良の展開である。これがhungryやfoolishの意味するところのようです。

情報社会へ変わり行く世界

若葉「名誉教授からの一言」2011

2010年は、情報技術の進化・普及が、日常生活の隅々までIT化が進み、いまや世界中隈なく及んでいます。この情報社会の変化について、私なりに少し整理をしてみました。

スマートフォンが主流に

iPadの出現、Windowsから再びMacへ

本年5月に初めてiPadを手にして驚嘆したのが、つい昨日のように思い出されます。その素晴らしいスペックは、これまでのPCのバージョンアップとは全く異なる革命的な出来です。私は、ここ7年ほどWindowsを使っていたが、再び昔使っていたアップル社製のマックに逆戻りすることに決意しました。

iPad, iPhone4の発売に続いて、最近、スマートフォンなど類似の機器が数々発売され、PCに比べて手軽に持ち運びできることから、携帯電話端末として標準機器になること間違いなしです。

医療分野への進出も時間の問題です。病院内だけでなく、通信機能を活用した在宅医療モニターとして役立てられ、ひいては医療構造が大きく変化するでしょう。

ウィキペディア(Wikipedia)の充実ぶり

インターネットを利用しておられる方なら、ウィキペディアのサイトにアクセスした経験をお持ちだと思います。この素晴らしいネット上での百科事典を私はしばしば活用しています。ウィキペディアは、創設されてからまだ10年を経過したに過ぎませんが、毎月3億8千万人が利用いるそうです。その数はインターネット接続環境にある全人口のほぼ3分の1に相当します。

ウィキペディアはコミュニティの産物

ウィキペディアは、商業的なウエブサイトとは異なり、ボランテアが少しずつ書き込んでいってできた、コミュニティの産物です。一つ検索すると、実に多彩な記事が載っているので、調べものをするには欠かせないサイトとなっています。課金も、広告もなしに、ここまで充実したサイトができるとは、創設者のジミー・ウエルズさんも予測していなかったのでは。ところが、最近アクセスすると、寄付受付の画面が出てくるようになりました。日常的に大変重宝させていただいているサイトでもあり、すぐに振り込ませてもらうことにしました。

ウィキ(Wiki)、ウィキウィキ(Wiki Wiki)とは

“Wiki”という単語を検索すると、コンピューター用語の一つで「ウェブブラウザを利用してWebサーバ上のハイパーテキスト文書を書き換えるシステムの呼び名」ということです。

ウィキウィキ(Wiki Wiki)はハワイ語で「速い、速い」を意味し、ウィキのページの作成更新の迅速なことを表しています。米国の著名なコンピューター・プログラマであるウォード・カニンガム(Ward Cunningham)氏が、ホノルル国際空港内を走るWiki Wiki シャトルバスからとって、“Wiki Wiki Web”と命名したそうです。

ウィキリークス(WikiLeaks)と情報漏洩

匿名により政府、企業、宗教などに関する機密情報を公開するウェブサイトの一つであるウィキリークス(WikiLeaks)が、世界各国の外交上の機密文書を公開し、大きな話題となっています。

このウィキリークスと、先に述べたウィキペディアとは何のつながりもないとのことです。

情報漏洩と言えば、神戸のインターネットカフェから尖閣諸島中国漁船衝突事件の映像が動画投稿サイトYouTubeに流出し、政府の情報管理能力が問われる騒動がありました。この事件の背景を見ると、情報の秘諾性を放置した状態にしておきながら、情報統制を図ろうとする時代錯誤的な為政者の感性にただ呆れるばかりです。

医療分野での情報管理

我が国の個人情報を扱う行政や医療分野は、守秘性を盾にして、ITを活用した情報ネットワーク・システムの普及を怠ってきました。実際には、情報の漏洩よりも、情報を活用できないことの方が、はるかに問題が大きいのです。

GE、日本で医療向けITサービスを「クラウド」で

米国のGE社がいよいよ我が国の医療産業に参入するという記事が、12月12日付の日経新聞の1面トップに掲載されました。グローバル企業の参入で、我が国の医療が大きく変革すること必至です。

これまで、ユーザーである各病院が、コンピュータのハードウェア、ソフトウェア、データなどを、自分自身で保有・管理していたのに対し、クラウド・コンピューティングでは「ユーザーはインターネットの向こう側からサービスを受け、サービス利用料金を払う」形になります。

クラウドでは、端末機器を設置するだけ

クラウドでは、端末機器を設置するだけで、ITサービスを受けることが可能であり、病院の規模に関わらず、医療情報システムの主流となります。医療情報の集約化が進むと、各病院の経営状態は丸裸になり、病院の差別化がより鮮明になります。経営不振の医療機関にはすかさずグローバル資本が投下され、経済至上主義的な医療への道がより加速することになるでしょう。

自らの頭脳で情報を活用する術を

目覚ましい進化を遂げつつある情報通信技術が、我々の日常生活を大きく変えましたが、守秘性を理由としてこれまで改革を怠ってきた医療分野も、いよいよ大改革が起きようとしています。

このような環境下で、よりよい医療を提供し続けるには、医師一人一人が玉石混合の情報に振り回されることなく、自らの頭脳で情報を活用する術を学ぶことです。これが、医師としてのアイデンティをもつ上で一番大切なことです。

2010年12月記

医療界にもダイバーシティー(diversity)を

若葉「名誉教授からの一言」 2010

ICTの急速な進歩は、我々のライフスタイルを大きく変化させました。これまでなかなか手に入れることできなかった情報が、だれでもが、どこででも手に入ります。かつては、医学校で学んだ医師のみが知り得た専門的な医学知識を、今では医師以外の者でも、最新の国内外の情報にいとも簡単にアクセスできるようになっています。

医学知識だけでは医師としてのIdentityを保てない

医学知識は、もはや医師の独占物ではなくなり、医学知識をもつだけでは医師としてのIdentityを保つことができなくなったのです。断片的な知識なら、素人でも医師に負けないくらいの情報を得ることができます。とりわけ、薬事情報とか、検査情報といった物質的な情報、数値化された情報は、特別な基礎知識がなくても理解するのにさほど困難はありません。

検査データを的確に評価するには

患者が手にする医学情報の大半は、疾病の一面だけを見たものであることが多く、必ずしも患者本人に当てはまるものとは限らないのです。とくに、数値化された検査データについては、誤解を生むことがしばしばあります。

検査データには、基準値が定められている。異常値を示しているからといって、患者当人にとっては、病的である可能性は高いが、100%病的である証拠とはなり得ません。多くの基準値そのものが95%の精度で線引きされており、20人に1人は当てはまらない基準値を元に判断していることを忘れてはなりません。医師は、この点をしっかりと患者に伝えねばならないのです。

医師としてのIdentityとは

ICTが進化したとはいえ、人間を対象とした医療にはデジタル処理で解決できない問題が余りにも多いのです。医師は、数値化された情報と数値化できない情報に加え、患者の社会的背景などを集約し、個々の患者の病状を判断、適した治療法の選択肢を患者に提供する事になります。これらの情報をもとに、医療におけるPDCAサイクルをいかに上手く廻せるかが医師の役割ではないでしょうか。

医療の標準化にはご用心

医療へのICT活用を図るために、各医療分野で医療の標準化が試みられているが、アナログ思考でなければ解決できなのが医療である。中途半端な医療の標準化は、医師の思考能力、判断能力を低下させ、患者にとっても益するところはない。喜ぶのは医療に直接タッチしていない医療保険会社で、彼らが単純化した物差しとして用いるだけだ。

各地でみられる医療崩壊、医療経営の破たん

各地で医療崩壊、医療経営の破たんが取りざたされ、その原因として挙げられるのが医師数の不足であるが、もっと重大な問題である管理者の経営責任が看過されている。医学の進歩、患者のニーズと大きく乖離した病院医療の提供体制、とくに公立病院の医療提供体制は、旧態依然としたもので、まったく手つかずのままである。

夕張市やJALが経営破たんし、会社更生法の適用を受ける時代である。国民の生活基盤を担う事業というだけで、親方日の丸で安穏とした経営は最早許されないのである。

公立病院経営はその典型で、「患者さんのため」、「市民のため」と、野放図な経営であることを知りながら、抜本的な改革を行わずにきているのである。医療内容ではなく、空きベッド対策や職員対策として入院患者をコントロールする稼働率重視の愚、医療資源の無駄遣いを排除し、入院しなければ治療のできない患者だけに絞っても経営が成り立つ医療制度にすべきであろう。

我々医師自身が、地域における医療ニーズを適正に把握し、財政基盤を明確にした経営を行っている病院での勤務でなければ、納得いく医療を提供できないという毅然とした姿勢で臨まねば、地域医療はますます崩壊し、我々医師にも、患者にも不幸な結果を招くことになる。

医療界にもダイバーシティー(diversity)を

ICTの進歩により企業のグローバル化が急速に進み、日本企業の多くが海外に進出しています。各企業では、グローバル化に対応するための企業戦略として、「ダイバシィティー」の概念が取り入れています。「ダイバシィティー」とは、多様性、相違点のことであるが、企業では、人種・国籍・性・年齢を問わずに人材を活用することを意味しており、こうすることで、ビジネス環境の変化に柔軟に、迅速に対応しようとするものです。医療環境の変化に柔軟、迅速に対応できる体制を整えるには、「ダイバシィティー」の概念を導入することです。

医療マネージメントの学習を

これまでの医師中心の病院運営から、各種コメデカルスタッフを活用したサービス産業としての医療への変革が必至であり、医療者自らの意識改革が不可欠です。

これからの医師は、医療に携わる多職種の一つとしての医療技術の提供者であり得ても、これまでのように医師であるというだけで、多職種のカナメとしての役割を担う立場を保ち続けるのは難しいでしょう。

激動する世の中で、小児科医として、医師として、自分の役割が何であるかを今一度考えてください。

2010年1月記

 

 

コンビニ医療こそ、小児医療の原点

若葉「名誉教授からの一言」2009

だれでも、いつでも受診できる小児医療サービス

最近、コンビニ受診が小児救急医療の破綻の原因であるかのごとくマスコミが囃し立てので、厚生労働大臣までもが悪乗りして、我が国の医療費抑制政策による医療制度の崩壊を棚に上げにし、問題をすり替えようとしている節さえ見られます。

コンビニ受診が恰も小児医療の破綻の原因のように言われていますが、だれでも、いつでも受診できる小児医療サービスこそが、親子にとっての最高の安心であり、幸せであり、我々小児科医が目指すところです。

私は、この4月から阪神北こども急病センターの運営に携わっていますが、夜間、真夜中に、親がわが子を抱いてわざわざ連れてくる場合には、必ずそれなりの理由を持ち合わせておられるのです。

不用意な医療者の一言

センターでトラブルになるのは、「どうしてこんな真夜中に、これ位の熱でわざわざ連れてくるのですか?子どもが可哀そうですよ」という、不用意な医療者の一言です。心配性の親なら、38℃前後の熱でも初めての発熱なら不安に陥ります。動顛し、連れてきた親に対して、真夜中にお説教するよりも、一刻も早く安心して頂くことです。お説教を聞きに来たのではないと怒られるのも尤もです。

身近な所に相談相手がいない現代社会

子どもは発熱していてもぎりぎりまで走り回っていますが、流石に39℃を越えると顔面は紅潮し、脈拍も速く、呼吸数も増え、ぐったりとします。いつも発熱患者を診ている小児科医でさえ、夜中に発熱したわが子をみると、最悪の事態を想定し、もしや髄膜炎ではないかと不安に陥り、慌てて来院してきます。ふつうの親は、育児書でいくら発熱の対処法を学習していても、否、知識があればある程、心配は尽きなくなります。三世代家族や身近な所に相談相手がおられると、多くの不安は解消されるでしょうが、現代社会ではそうはいきません。

ER型ではない子どもの救急は

いま、阪神北では時間外診療だけでなく、電話相談#8000サービスを並行して行っており、ベテラン看護師が電話応対しています。これまでなら来院していたと思われる患者の約三分の一は受診することなく、「不安であれば、いつでも診ますよ」の電話での一言で、自宅で様子をみることに納得されます。電話相談サービスは、不必要な受診を控え、外来の混雑を緩和するだけでなく、親の不安を解消する上で有効に機能しています。

時間外小児救急は、ER型の救急医療とは本質的に異なります。ほとんどの患者・家族はいますぐに生命にかかわると考えて受診して来られるわけではありません。放置して重病化するのを少しでも防ぎたいという思いで来られます。入院を必要とされる患者さんは100人中ほんの2〜3人です。如何に安心してもらうかが当センターの使命です。

急病センターの役割はトリアージ

最初に応対するトリアージ看護師がキー・パーソンです。患者は、その看護師の態度一つで、安心したり、不安になったりします。呼ばれて診察室に入った途端に目の会った医師の反応で、もう大半の患者は来院した目的を達成します。言葉は要りません。センターの役割は、「トリアージ」です。

入院を必要とする患者はサッサと二次病院へ転送、明日まで自宅で観察しても問題なさそうなら、翌日かかりつけ医への受診を勧め、万が一帰宅後変化があればいつでも再受診するよう指示するだけです。

センターの性格上、一人の患者にあまりに念入りな説明は、スロー診察となり、次々と訪れて来る患者の診療に差し支えます。迅速に診察してもらわないと困るのです。トリアージこそがこの初期急病センターの役割であることを、医療者も、患者もよく弁えることです。

初期救急に特化した広域こども急病センター

病院での小児初期救急医療は無理

私はかねてから、病院小児科が地域の初期救急医療を担うことには反対でした。

病院小児科が一次・二次をまとめて面倒をみることは、一見合理的であるように思えますが、10人程度の小児科医スタッフですべてを引き受けるのは土台不可能なことです。一次も、二次もどちらも中途半端になり、病院小児科医師の疲弊を招くだけです。喜んでいるのは安い人件費でよく働く小児科医を抱えた院長だけです。

阪神北広域こども急病センターは、病院とも、医師会からも独立した公益財団法人として、平成20年4月に3市1町(人口約70万人)と兵庫県が中心となり開設されました。初期救急に特化した広域の急病センターであるからこそ、小児科医としての「働き甲斐のある職場」、「安心して働ける医療環境」が保障されると考え、その使命が明確なことから人材確保も可能と考え、私はその理事長を引き受けました。

小遣い稼ぎのための医療者集団ではない

小遣い稼ぎのために働く医療者集団には絶対にしたくありませんでした。夜間、時間外だけという変則的な勤務体系の中ですから、当然それに見合う手当が前提となります。と同時に、上に掲げた「医療者としての働き甲斐」です。当センターでは、決して小児科医が主役ではありません。看護師、コメディカル、事務職が連携し、絶えず相談をしながら運営しています。

とりわけ、看護師は、電話相談サービスに始まり、来院時のトリアージとその役割は大変です。幸い優秀なリーダー看護師が10名揃いましたので、山崎センター長の指導を受けながら、お互いの力量を高めるべく絶えずミーティングを重ね、よりスムーズな患者サービスを目指してくれています。

小児救急医療は、小児科医だけで解決できる問題ではない

医療崩壊が日本各地で生じ、とくに小児救急医療体制の不備が叫ばれています。都市部よりも郡部における医師不足がより深刻です。その解決への第一歩は、地域における小児の救急医療へのニーズが何かを明確に知ることです。

小児救急医療は、小児科医だけで解決できる問題ではないのです。地域の他科医師、看護師、保健師といった医療関係者、育児支援グループの方々が、普段から情報交換をし、協力体制が組めていることが不可欠です。小児科医の役割はその仕組みづくりです。何もかもを小児科医がする必要はないのです。

時間外に入院を必要とする患者が一体どの位いるかをシミュレーションします。その全部を地域内で解決する必要はないのです。万が一に備えて、他地域と協力した搬送体制、専門医への相談体制をしっかりと創り上げておけば、住民は安心です。

ユビキタスなコンビニ医療

だれでも、いつでも、どこでも受診できるユビキタスなコンビニ医療。これこそが、住民の小児医療へのニーズです。その実現のために知恵を絞るのが地域の小児科医の役割です。あなた一人で解決しようとするから途方に暮れるのです。小児科医に何もかも背負わせるから破綻するのです。どんなにタフな、どんなに腕の良い医師がいても、医師だけでは地域医療を支えることはできないのです。工夫をしてください。

It is not the strongest of the species that survive, nor the most intelligent, but the ones most responsive to change. (生き残るのは最強の種ではない。最も高い知能を有している種でもない。変化に最も敏感に反応する種である。)Charles R. Darwin

2008年12月記

Be patient!我慢してください

若葉「名誉教授からの一言」2008

福祉よりも自己責任を求める施策が

映画「Sicco」を地でいくシーンが

小泉政権下での医療政策の過ちに端を発した医療崩壊が、地方だけでなく都市部においても混乱を巻き起こし始めた。大都市における救急患者の受け入れ拒否報道、病院を追い出された盲目の患者が公園に置き去りにされるというおぞましい出来事。昨年夏に封切られた映画「Sicco」を地でいくシーンがこの日本で起こったのです。
アメリカ型の格差社会の道を選び、福祉よりも自己責任を求める施策に国民が賛同した時点から、このような結末に至るのは当然の帰結だったとはいえ、これほどまでに急速に事態の悪化を招いてしまうとは考え及びませんでした。

現代はまさにモラル・ハザードの時代

昨年の言葉として、『偽』が選ばれたそうだが、現代はまさにモラル・ハザードの時代です。政治家の無責任な言動はともかくとして、元来国民の健康、安全に責任を持つ立場にある食品業界の事業主が国民の健康・安全を脅かす事態に対してあまりにも無知で、無責任な態度をとり続けている姿勢には唖然とします。
昨今の経済至上主義、拝金主義が日本の経済人のモラル崩壊を引き起こしたと言えます。もし、病院経営が株式会社化し、経済原理に基づいて病院経営が行われると、コストのかかる安全対策軽視の医療になること必至です。

『医師の立ち去り型サボタージュ』が話題に

『医師の立ち去り型サボタージュ』が話題になっているが、公立病院でも経営改善のための目標値を課せられるだけで、超過勤務手当ての支給は十分でない。医師たちは、一体何のために医師になったのかと自問し、我慢の限界を超えてしまったようです。
本来、医療者は、『寛容の精神』の持ち主でなければ勤まりません。寛容とは、英語でforgiveness、generosityと訳され、kindness(親切)の一種です。見返りを求めることなく、他人に何かを与えることを指しています。forbearance (辛抱、自制)という単語にも置き換えられます。

医療者は、『寛容の精神』の持ち主でなければ

我慢強く患者の病気回復に尽くすのが医療者なのである。もっとも、患者という単語も英語ではpatient、すなわち辛抱強い、我慢強いという意味がある。本来病人は、辛抱強く、我慢強くないと闘病生活に打ち勝てない。同時に患者のそばにいる医療者にもまた我慢強さが求められてきました。
ところが、我慢に欠け、感謝の気持ちにも欠け、自分の苦しみは医療者のせいであるかのように振舞う患者もいることから、医療者への負担が大きくなりすぎ、寛容の精神に満ち溢れた医師たちはもう我慢の限界に達しています。

今や、医師・患者関係だけでなく、世の中全般がぎすぎすしたものとなっています。学校教育には、生徒に寛容の精神を醸成するのではなく、競争を煽り、競争社会を礼賛する本末転倒の教育が求められています。人間は、放置すれば競争し、寛容の精神など養われるはずがありません。

宮西達也作の絵本「にゃーご」の話

小学2年生の教科書に宮西達也作の絵本「にゃーご」の話が載っています。
ねずみの学校の先生が、生徒のねずみたちに猫は恐ろしいから近づかないようにと教えていましたが、3匹の子ねずみたちは先生の話を全然聞いていませんでした。
そんな3匹の子ねずみの前に恐ろしい猫が現れました。猫の恐ろしさを聞いていないねずみたちは、親愛の情を示しながら猫に近づくと、猫も親愛の情を示し、仲良くなったという話です。
猫とねずみでもお互い寛容の心を持ち合わせていれば仲良くなれるという話ですが、その解釈には困るところもあります。学校では先生の教えることは聞かないほうが良いともとれます。言えることは、この話を教材として教えている先生こそが寛容であり、これが検定済み教科書とは文部科学省も粋な計らいをするところだと感心しています。

今年のキーワードは寛容、みなさんBe patient. 我慢してください。
2008年1月記

教育基本法改定と大学 – 60年安保世代が思うこと –

若葉「名誉教授からの一言」  2007

教育基本法の改定とは

いま教育が初等教育から大学教育まで多くの問題を抱えているがゆえに、安倍内閣では教育基本法を一刻も早く改正しようとする動きに結びつき、あっという間に法案が成立してしまった。恥ずかしながら、私自身は教育基本法案が上程されるまで、現行法も新しい法案もじっくりと読んでいませんでした。

中身のない改革のための改革か

HPを検索し、読んでみたがよくわからない。朝日新聞に「国家主義の傾向懸念」という見出しで掲載されていた立花隆氏の論文を読むと、なおさら問題点が判然としなくなりました。

問題点が何かと問われても明解に人に説明することができない。どうやら、改革ばやりの昨今の風潮である中身のない改革のための改革、何か変化させねばという焦りからくるナンセンスな改革主義の一つと考えれば納得がいくのですが。

今の教育が抱えている諸問題は、決して教育基本法に問題があるわけではなく、改定したところで解決する問題ではなさそうです。

私の学んだ戦後教育と今の教育

私は、1940年2月生まれであり、敗戦翌年の1946年4月に小学校入学という戦後教育の一回生です。教育基本法が施行されたのが1947年ということだから、絶えず手探りの中で教育を受けてきたことになります。

従来法の第一条(教育の目的)、第二条(教育の方針)をみると、極めて当たり前のことが書かれており、何の違和感もありません。とりわけ、第二条の教育方針に書かれている「学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。」は、我々の世代にとって過去の国粋主義に決別し、新しい生き方を指し示すものでした。

「大学の自治」は守らねばならないもの

私が学生時代、否、ごく最近まで、「大学の自治」は守らねばならないものと、時の政権に対峙して、大学人は闘っていました。ところが、バブル崩壊後の低迷する経済の中で、日本のとる道は「科学による経済立国」しかないという経済界の認識が支配的となり、経済至上主義が大学運営にまで及ぶところとなりました。

文部科学省が、研究費という札束で、大学の教育・研究を支配する体制を作り上げていったのです。国立大学が法人化した今、「大学の自治」という言葉は完全に死語となり、大学人がそれを話題にすることもなくなりました。それどころか、研究費獲得額レースに狂奔する大学人の姿をみていると、これから一体どんな人材が大学から輩出されていくのか杞憂しています。

大学運営が経済至上主義でいいのか

かつては、教育者や医者は、清貧をもって尊し、金銭を口にするのは賎しいこととされていました。今は経済抜きでの大学運営・病院運営は考えられない時代となっています。教育・研究の評価、医療の評価において経営を第一義とする現状をみていると、目先の利に走る分野が優先され、非採算性部門の切捨てが当然のごとく進められています。米国流の競争社会、格差社会をモデルとして、この現状を容認するならば、それまでですが、日本がもつ古来からの美学はもはやそこにはありません。

新しい教育基本法案第七条には、

新しい教育基本法案第七条には、「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」という新しい条文が新設されています。言い換えれば、企業のニーズに応える研究・人材育成が大学の使命となったのです。時の政権に利し、富を生み出す可能性のある研究は重要視されるが、哲学などの人文科学系の研究は軽んぜられる。

しかし、その2には、「大学については、自主性、自律性その他の大学における教育および研究の特性が尊重されなければならない。」と記されています。その実現には、これから大学人がどのような姿勢をとるかによるのです。

本音ばかりでは世が荒む

安倍内閣になるや否や、核武装の是非を口にする時代となりました。非核三原則を国是とした私の世代の人間には考えられないことです。昔から、核保有を是とする輩もいましたが、決して表立って口にすることはありませんでした。

本音と建前

これまでの政治家は本音と建前を上手に使い分けて世を治めていたが、昨今の政治家の言動を見ていると、本音で話し、何が悪いかと開き直る。一見明快でマスコミ受けするが、内容は軽薄で、極めて短絡的なものの考え方しかできなくなっています。

私自身を振り返ってみると、戦後派として建前よりも本音で生きてきた方ですが、あれほどまでに建前を無視することはできません。世の中本音ばかりが横行すると、人間関係は刺々しい、殺伐とした社会となります。建前があるからこそ、人間として奥行きが出、伝統、文化が伝承されていく気がします。

今こそ、小児科医が

「聖域なき改革」を旗印に小泉内閣がスタートして以来、教育、医療の分野への経済原理の持ち込みが一気に加速し、教育、医療を荒廃させました。経済利益のためには人を使い捨てにする企業、リストラ、格差社会と、社会的弱者を生み出しました。

子どもの自殺・いじめを、学校教育の問題と捉える向きもありますが、本音でしか生きられなくなった大人の競争社会の様相をメデアで毎日みていると、子どもたちの純な心に刺々しい楔が打ち込まれていくのです。

教育基本法を変えたところで、決して子どもの自殺、いじめは減らない。子どもは宝、子どもは未来と、念仏を唱えてみたところで、今の大人の生き様をみていると、決して自分たちが大切にされているという実感はないでしょう。

育児支援といっても、育児をする親の環境が優先し、育児される子どもの環境に配慮したものでしょうか?

育児のみならず、ビジネス中心に動き出した教育・医療も同じです。そこには教育を受ける学生の視点、医療を要する患者の視点が欠けています。子どもも、医療を要する患者も、ともに社会的弱者です。

この社会的弱者と日々接する我々小児科医こそが、ビジネス中心で切り捨てられていく弱者の立場に立って、彼らの権利を守るために活動せねばならない。

「人」を軽視する経済至上主義

若葉「名誉教授からの一言」 2006

何もかもが経済性が第一

何もかもを経済性で評価する最近の世の中の動きを見ていると、あと10年もしないうちにどんな世界になるのだろうかと不安になります。聖域なき改革ということで、大学教育までもが経営効率の対象とされ、富を生み出す研究か否かが科学研究費の配分対象となっている現実は、余りにも短絡的で、人間的な知性の後退としか言いようがありません。

大学病院は、大学運営での貴重な収入源として位置づけられ、医学教育は採算性のないことから軽視されています。公立病院も同じで、採算性のある診療科には人員が配置され、診療収入につながる医療機器は優先的に購入されます。採算性が重視されるあまり、医療の質を維持するのに必要な投資は後回しにされ勝ちです。

小児科は不採算部門であることから、民間病院は手を引き、公立病院を中心に展開されています。その公立病院ですら小児科を閉鎖するところが増えており、採算性を重視すれば当然の帰結と言えます。

持続可能な医療制度を

わが国は、国民皆保険のもと、誰もが安心して医療を受けることができる医療制度を実現し、世界最長の平均寿命や保健医療水準を達成しました。しかし、急速に進む少子高齢化のために現行の国民皆保険を堅持し、将来にわたり医療制度を持続可能なものとするには、その構造改革が喫緊の課題となっています。

科学技術による経済至上主義をとるわが国の政策は、医療も例外ではなく、医学研究に求めるのは経済活性のための新薬の開発であり、GDPとの対比で国民医療費はさらに抑制され、医療の本質である「安心・信頼」は後回しとなっています。

小児科、産科における医師不足

今回の医療制度改革大綱では小児科、産科における医師不足、へき地における医師不足が取り上げられているが、その対策として医学部入学定員の地域枠の拡大や奨学制度が挙げられるのみで、どうもその本質の部分が忘れ去られている気がします。

私が心配するのは、構造的な欠陥による病院赤字の責任を医師に押し付けるいまの病院経営に嫌気がさして、若手医師の指導をお願いしたい優秀な中堅医師層が病院から去ろうとしています。これら中堅医師の役割を、病院診療収入の多寡で評価するのではなく、若手医師をはじめとする医療従事者の指導や地域医療への貢献度などで評価を行い、それを待遇面に反映させ、彼らのモチベーションが高まることを期待したいのです。

全国の自治体病院の半数近くが消滅する

全国の自治体病院の半数近くが消滅するのは時間の問題です。その理由は、医師不足と言われていますが、実際は医師の数不足ではなく、医師として働きやすい環境を提供するに十分な予算的裏づけがなされていないのです。

かっては、医師としての技術を獲得するのにかなりの経験年数を必要とし、恵まれない環境であっても我慢できました。しかし、科学技術が進歩したために、医師個人としての力量を発揮できる「技」が少なくなり、また情報革命で経験年数のもつ意味が少なくなっています。

病院経営で経済効率を追求する姿勢を続けるなら、卒後研修での大学離れに続いて、病院でも不採算医療分野から医師がいなくなる可能性が十分考えられます。産科が労務環境を良くするために医療の集約化を図ろうとしたところ、気がつくと肝心の基幹病院からも医師がいなくなっていたのがいい例です。小手先の数合わせでは問題解決にはなりません。

医療は、「もの」ではなく、「ひと」で

医療は、「もの」ではなく、「ひと」で支えられています。それも、医師・看護師・コメディカルなど多くの職種からなる労働集約型の典型です。医療の質を維持するには、各医療従事者に対する教育・研修が不可欠です。それには指導者育成が不可欠であり、いまの医療制度改革に最も欠けている点です。

「ものづくり」から「ひとづくり」への転換が行われない限りは、決して住みやすい社会はできません。「労働集約型の医療」こそが、新しいタイプの二十一世紀型産業構造であると考えます。

2006年1月記

大学生活を懐かしむ

若葉「名誉教授からの一言」 2004

ひたすら時代を駆け抜けてきた

30有余年にわたり神戸大学とともに過ごしてきましたが、時代時代でのさまざまな思い出がつい昨日のように感じられます。昨年3月に盛大に退官祝賀パーティーを催していただき、また大学生活の思い出を話す機会を与えていただき、この四半世紀の世の中の移り変わりの速さに改めて自分自身が驚いた次第です。「科学技術の進歩」という大きなうねりの中に自らの身を置き、ただひたすら時代を駆け抜けてきたような気がします。この間、いくつかの大きな時代の節目に出会うことができました。

インターン闘争、大学紛争

先ず、昭和30年代後半から始まったインターン闘争、大学紛争です。今振り返ると、我が国だけでなく、世界中で同じような学園紛争が勃発していました。とくに、私が留学していたパリ大学での学生運動は極めて凄まじいもので、それが世界各地に飛び火したものです。

猛烈な勢いで物質文明化が進む中、資本主義体制による「かね」と「もの」が人間を支配し、人間性の喪失を予感した若者たちが、その将来への不安を案じて行動に移ったものと思います。昭和40年代も半ばになると、物質文明化の勢いは止まるところを知らず、日常生活の至るところで老いも若きも物質的な豊かさを享受するようになったのです。

医療分野にも新しい波が

医療分野にこの新しい波が訪れるのは、一般社会から遅れること5年〜10年してからです。モニターやレスピレーターなどME機器が開発され、我々の手元に届き、近代医療の原型ができたのは昭和50年代に入ってからです。今日でこそ医療産業という言葉が生まれ、産業界の医療分野への進出がみられますが、当時は、薬業界を除きコスト・ベネフィットの面から一般産業界からは相手にされず、医療機器の開発にも消極的でした。

国立大学法人化への危機感

いま再び、国立大学では法人化問題をはじめ大きな変動期に入っています。私もこの3月まで大学にいましたから、大いなる危機感をもっています。本来改革というのは、内部矛盾を感じた組織構成員から湧き出す声が発端になるものです。

しかし、現状は逆です。トップダウン的に予算削減のために、大学経営の効率化のみが全面に押し出され、教官定員の削減が一番の大きなターゲットになっているからです。大学人は、大学の今後あるべき姿について語る前に、自らの立場をいかに保つかが問題と受け取っているようでなりません。

経済至上主義政策下で、私が一番危惧するのは、お金を稼げる教官が優れた教官であるという価値観が大学内にも蔓延しないかということです。このような非常事態に直面しているのに、不思議なことに若い教官層から何の反応もないことです。

文部科学省による大学評価の不透明な基準

法人化発足後に、最も変わる点は文部科学省による大学評価が行われ、予算配分に反映させるということです。評価というのは定まった価値観のもとで行われるなら、極めて有効な手段でありますが、大学の評価で問題となるのは、一体何を評価の基準にするのかという不透明性です。企業では、いかに効率よく収益性を高めるかであり、そのゴールは極めてはっきりしています。医療では、不採算だからといってすぐに排除するわけにはいかず、一般企業に比べると難しく面はありますが、効率性の高い医療を実践する上で評価システムの導入は必要なことだと考えます。

でも、大学での研究・教育にも経済的効率を持ち込もうとする今の動きには、大いなる危険性を孕んでいわざるを得ません。研究も、教育も短期間で結果が出ないからです。旧来の価値観にとらわれない、実績のない若い研究者の新しい発想での研究計画が、果たして評価されるのでしょうか?

お金になる研究とお金にならない研究を上手に使い分け

先ず無理です。生きる道はひとつ。現状では、お金になる研究とお金にならない研究を上手に使い分けることしかありません。時代のニーズに適合した経済の発展に寄与するテーマを選び、研究費を獲得し、すぐに評価の得られそうにない本当にしたい研究は、余力ですることです。

大学生活には大きなふたつの楽しみ

私にとって大学生活の楽しみは、ふたつありました。ひとつは、絶えず新しい仲間と仕事ができたこと。また、毎年新しい顔触れの学生に出会えたことです。医局員よりも学生の方が遥かに時代を鋭敏に感じ取っており、思いも寄らない意見を度々聞かせてくれました。もう一つの楽しみは、過去の規範にとらわれず、新しいことへ挑戦を保障された生活であったことです。

4つの「C」

私はいつも4つの「C」を座右の銘として大学生活を送ってきました。すなわち、Chance, Challenge, Change, Createです。

経営学の分野でよく使われるマネジメントの原則にPDCAサイクルがあります。計画(PLAN)→実施(DO)→評価(CHECK)→見直し(ACTION)の繰り返しがビジネスには不可欠です。医療でも、研究でも、教育でも、実務でも基本的なものの考え方は同じであることを実感します。

Chanceは、至るところに転がっています。でも、Chanceは四次元の存在です。限られた空間の、限られた時間に現れます。絶えず注意力を集中していないと捕まえることができません。他人に教えられるものではなく、自分自身の五感で捕まえるのです。

マニュアルは絶えずリニューアル化を

医療技術水準が一定レベルに達し、またIT技術の導入により医療のマニュアル化が進んでいます。医師は、でき上がったマニュアルを「使う」のではなく、自分自身で「作る」気持ちが大切です。

新しいマニュアルが完成したその日から、マニュアルのリニューアル化に向けての行動が開始します。人を相手とする医療には絶対的に正しいいうものはありませんので、マニュアルには必ず矛盾が潜んでいます。マニュアルを決して鵜呑みにすることなく、絶えず批判的な眼で活用する習慣を身に付けて頂きたく思います。

最後に

変革の時代であるが故に、大学からの新しいエネルギーに満ちた改革が期待されています。過去の規範にとらわれない新しい発想で、新しい時代をリードして下さい。

少子高齢社会にあって、ますます子ども一人一人の生命を守ることが、子どもたちのQOLを高めることが大切となっています。子どものQOLとは、子どもたちにいかに「生き甲斐を」、「夢を」与えるかです。これは、小児科医だけで解決する問題ではありませんが、子どもたちに最も近い位置にいる我々が率先して取り組んでいきたいものです。

退官に当たって

「若葉」巻頭言 2003

昭和64年1月に松尾保教授の後を受けて教授に就任して以来、教室同門の皆様方の絶大な御支援により、なんとか職務を全うし、松尾雅文教授にバトンタッチすることができました。

私が就任したのはちょうどバブル経済が崩壊しはじめた時でしたが、まだまだ経済繁栄を謳歌していた時代でした。その後のバブル崩壊、阪神淡路大震災、少子高齢社会への突入により、我が国の経済基盤は揺らぎ、あらゆる分野で構造改革が求められるようになりました。

国立大学法人化への移行

大学にもその波が押し寄せ、国立大学法人化への移行により大学自身が経済性を重視した運営を求められるようになってきています。研究分野でも、日本の経済活性化に繋がる研究が重宝され、大学教官の評価は、獲得した研究費額の多寡により決められるという、即物主義、拝金主義のアメリカ的発想で、大学を支配しようとする体制へと向かいつつあるのを危惧しております。

いま、米国の一国大国支配体制への批判が強まりつつあります。イラク戦争でその構図がハッキリとしたようにみえます。世界には、極めて多数の人種・文化が存在しています。日本だけでなく、世界が大きく変貌する中で、我々も、日本がもつ固有の文化を大切にした社会づくりを目指す必要があり、その先頭に立つのが大学だと思います。ぜひ一度、立ち止まって、大学の存在意義を見直して下さい。

医療への期待が、‘治す’だけでなく、‘癒す’に

私達が直接関わりあいをもつ医療、とくに小児医療は、乳児死亡率の著しい低下、少子化により、この四半世紀に大きく変貌しました。社会の医療への期待が、‘治す’だけでなく、‘癒す’に移ってきています。一旦生を受けると、多くの人が天寿を全うできる時代になり、たとえ疾病のためにハンでキャップを背負っても、豊かな社会生活が保障される必要があります。小児医療のゴールは、退院ではなく、退院後の生活のフォローを含めたものとなりました。

小児救急は地域社会全体で

近年、小児救急が大きな社会問題になっており、小児科医師不足がその原因の全てのように言われていますが、もう少し巨視的にその問題点を見出す必要があります。

救急医療と言うと、すぐに救命医療と同義語としてとらえられますが、小児救急には当てはまりません。急病センターを訪れる子どもたちの多くが、母親の育児不安に基づくものであることは周知のことです。

小児救急に小児科医としてかかわり合うのは、なにも急病センターに出務することではなく、もっと地域での子育て支援ネットワークにかかわりをもち、日常からの啓蒙活動、組織づくりに努めることです。

「子育ては社会で」という意識を住民に植え付け、地域に子育て支援チームがあれば、そのメンバーが、不安をもつお母さん方の相談にのることができます。夜間の急な子どもの変化にも、近隣の相談員が参加して、お母さん方に対応できるようになります。

これだけ情報技術の進化した社会ですから、ネットワークに乗っている親子は問題ありませんが、ネットワークの網の目から外れた親子にこそ支援が必要になっています。

小児科医は地域子育て支援ネットワークとかかわりを

男女共同参画社会への移行に伴い、育児は「親・家族と子ども」という閉ざされた関係から、「子育ては社会で」という時代になりました。各地で子育て支援ネットワークづくりが活発に行われており、われわれ小児科医の役割としては、疾病の治療だけではなく、地域子育て支援ネットワークのアドバイザーとして、コミュニティーのリーダーとしての役割が期待されています。

この混迷の二十一世紀で心豊かな社会生活を送るためには、小児科医が率先して他の職種と連係し、子どもたちが心豊かに育っていける環境づくりを目指したいと考えます。