渋沢栄一と「論語と算盤」

2021-5-10

渋沢栄一は、「論語」に象徴される道徳や公益性を追求しながら、「算盤」に象徴される実業やビジネスに遭遇する人生に全うしました(1840-1931)。渋沢自身は、経済発展が必要と考え、実業をもってそれを支えました。

『論語』で一生を貫くとは

宋王朝の名臣・趙普が、「「論語」の半分を使って自分が仕えている皇帝を助け、残り半分を使って自分の身を修める」を引用しながら、

「私は『論語』で一生を貫いてみせる。金銭を取り扱うことがなぜ賤しいのだ。君のように金銭を賎んでいては、国家は立ち行かない。民間より官の方が貴いとか、爵位が高いといったことは、実はそんなに尊いことではない。人間が勤めるべき尊い仕事はいたるところにある。官だけが尊いわけではない。」と渋沢は述べています。

商業道徳と信用

経済ですから、競争も当然発生しますが、そこに騙す、邪魔をする、貶めるといった悪意の競争は一切排除し、正当な競争のみに励むことが、商業道徳であるとも言っています。

欧米人から見れば、「当時の日本人は約束を守らない」と映っていたようです。その理由は、日本人は、組織の意向に忠実で、自分個人の発言を悪びれずに撤回する習性があったようです。渋沢栄一は、経済を回すには、信用を得る大切さを強調しています。

渋沢栄一曰く、

  • 方針を決める際には、まず道理にかなうかを考える。
  • 次に、その道理に従えば国や社会の利益になるかを考える。
  • そして最後に、自分のことを考える。この順番を徹底していたようです。

現代における経済至上主義と地球環境の破壊

私自身、小児科医の道を歩み始めた時には、「医は仁術なり」の時代であり、学問の自由・大学の自治は不可侵の領域でした。高度経済成長、また経済のグローバル化とともに、経済至上主義へとシフトしました。「医は算術」となり、医学研究の評価も経済的効果、費用対効果が基本尺度となりました。

私たち世代がおかしてきた重大な間違いは、自らの行動評価判定を現代にのみ向けており、未来への配慮に欠けていた点です。そのつけが地球環境の破壊です。

岡本ばら園 2021-5-3

 

2030年:全てが「加速」する世界に備える

「2030年:全てが「加速」する世界に備えよ」という非常にセンセーショナルなタイトルの本が、2020年末にニュースピックス社から出版されました。

著者のP.デイアマンデスは

XプライスCEOであり、シンギュラリティ大学の創始者です。1961年生まれ。宇宙開発企業スペースXの創設者であり、電気自動車企業テスラの共同創設者であるイーロン・マスクの盟友とも言われています。

本書の内容は、量子コンピューター、人工知能(AI)、ロボティクス、ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、材料科学、ネットワーク、センサー、3Dプリンティング、拡張現実(AR)、仮想現実(VR)、ブロックチェーンなどの最新の開発状況を紹介しながら、10年後の世界を予測しています。

すでに日本の街中でも、試験的に自動運転の電気自動車が走行する時代となっています。2030年には、空飛ぶ車やイーロンマスクが考える「ハーパーループ」。磁気浮上技術を用いて筒状の真空チューブ内で、乗客を乗せた「車両」が最大時速1,200キロで走行する高速交通ネットワークがカリフォルニアで計画されています。惑星への移住も夢の話ではなくなってきたようです。

Expotential Technology and Convergence

テクノロジーの進歩は、これまでからエクスポテンシャル(指数関数的)な成長を遂げきたのを我々は目にしてきました。いま世界では、すでに開発されたテクノロジーのコンバージェンス(統合)が進んでおり、これまでSFの世界と考えられていたことが現実となりそうです。

エクスポテンシャルなテクノロジーは、製品・サービス・市場を破壊するだけでなく、コンバージェンスが起こると、まさに「破壊的イノベーション」となり、これまでとは全く違った社会となります。医療や教育も大きく変化しています。

馬が荷車をひいてた時代から自動運転車の時代に

戦後、私が小学生の時代には、馬が荷車をひいており、道には大きな馬糞を撒き散らしていました。あと10年なんとか生き延びて、このワクワクするような夢の世界が現実の世界となっているのを見届けたいものです。自動運転車が普及し、高齢者が気兼ねなく自由に車を乗り回せる日常生活が待ち遠しものです。

The future is faster than you think:How converging technologies are transforming business, industries, and our lives. By Peter H. Diamandis & Steven Kotler2021-3-31フルーツフラワーパークにて


参考資料:

シンギュラリティ(Singularity)とは、

英語で「特異点」の意味で、人工知能(AI)が人類の知能を超える転換点を言い、未来予測の概念です。人工知能研究の世界的権威であるレイ・カーツワイルは、2045年に人間の脳とAIの能力が逆転するシンギュラリティに到達すると予測しています。

AR (Augmented Reality) とVR (Virtual Reality)

ARは、一般的に「拡張現実」と訳されおり、実在する風景にバーチャルの視覚情報を重ねて表示する技法で、スマホ用ゲーム「ポケモンGO」がその例です。未来にはARコンタクトレンズもできるそうです。VRは、クローズドな視界の中に、あたかも現実かのようなリアリティを高めた視覚映像を投影する「仮想現実」です。

ライドシェアとカーシェアリングとの違い

カーシェアリングが車の貸出を目的に「ドライバー」と「車」をマッチングさせるのに対して、ライドシェアではアプリ上で「ドライバー」と「同じ目的地に移動したい人」をつなぎ、相乗りでのドライブを支援するシステムです。

ドライバーと同乗者をマッチングさせるプラットフォーム企業としては、デリバリーでおなじみのUberが世界で800以上の都市に進出するなど躍進し、中国の滴滴出行(ディディ チューシン)などのライバル企業と各地でしのぎを削っています。こうした普及の背景には、スマホによる正確な需給マッチング、運転者と同乗者が相互評価するシステムへの安心感、乗車前にアプリで行き先や所要時間・料金を共有できる利便性の高さなどがあると考えられます。

日本では、一般人が自家用車を用いて有償で他人を運送することは、いわゆる「白タク」行為にあたり、海外のようにドライバーが運賃を受け取れるタイプのライドシェアは法律で禁止されているため、一部の地域を除いて認められていないのが現状です。

お彼岸に百人一首

1年半ぶりに、春のお彼岸の中日である春分の日に、家族揃ってお墓まいりに行ってきました。浄土宗では、春分・秋分の日とその前後3日間を「お彼岸」を意義付け、浄土にいるご先祖のみ霊(たま)を供養する期間とされています。

もともと「彼岸」とは、私たちのいる生死が繰り返され苦しみの多い “この岸 (此岸=しがん)” から、仏の世界である “かの岸 (彼岸=ひがん)” の極楽浄土に到ることをいいます。

孫たちと一緒に、こうして墓前で、ご先祖さまに手を合わせていると、昨年の大病を思い出し、私自身が仏として孫たちに手を合わせてもらっていたかと思うと何だか複雑な思いがします。

新型コロナの非常事態宣言で、孫たちが我が家に集まる機会が久しくなかったのですが、ようやく宣言も解除され、お墓詣りの帰りに、我が家に立ち寄ってくれました。

小学4年生の孫は、4歳上の中学生の双子姉妹に百人一首で挑戦する正月以来の念願が実現しました。私は、読み手となり、上の句を読み始めるや否や、激しくカルタを跳ねる音が響く、レベルの高い戦いです。私が一枚一枚の札への思いに耽っていると、急かされる始末です。本当に久しぶりに楽しい時間を過ごすことができました。

2021−3−21

 

新型コロナ禍での老人と若者たち

2021-2-13

第3波の新型コロナ流行は、1月7日に非常事態宣言が発令され、見事に感染が抑圧されたようです。しかし、外出自粛を求められ、その非日常的な生活に、老いにも若きにもフラストレーションが溜まっています。

65歳以上の高齢者が新型コロナ死亡者の96%を占めています。高齢者にとっての外出自粛は、自らの命を守るためですが、20代の若者は、たとえ感染しても先ず死亡に至ることはなく、自分の家族や周りの老人を守るためだけに気をつけてくれています。

日本の若者たちは老人おもい

外国に目を向けると、人口1千万人の国、スウェーデンは、積極的な感染防止策をとらなかった国として注目されています。パンデミック以降の感染者数59万人、死者1万2千人が報告されています。人口当たりにして日本と比較すると、感染者数は15倍、死者数は20倍にまで上っています。1日の新規感染者数はいまだに4千人を超えているようです。それでも、スエーデンの若者たちは、混雑したショッピングモールで買い物をし、バーで互いに密接した中で過ごしているそうです。

コロナ禍では、社会的分断が顕在化し、米国をはじめ、ヨーロッパの各地、ミャンマーなど、世界各地で暴動が頻発しています。その点、日本の若者たちは、素直な、老人思いのいい人たちです。

若者に迷惑をかけない老人に

若者にひき換え、破廉恥なのは日本の老人のようです。コロナ禍でもオリンピックを開催したい、「老害」「老害」と言われたくないなどと、喚き立てているのです。老人には、もうこれが日本での最後のオリンピックになるでしょうから。

私も81歳、紛れもなく老人の部類です。妻からは、いつも「老害」「老害」と言われないようにと諭されています。出しゃ張りたくなる気持ちを抑えるのに必死です。

昔のように世の中がゆっくりと流れていたときには、年長者の経験が若者の役に立ったでしょうが、今のように移り変わりの激しい時代には、経験が役立つことはほとんどありません。孫たち世代からスマホの使い方を教えてもらい、絶えずみんなが横一線のスタートです。

老人は、みんな拘りを持って生活してきました。若者には少し面倒と感じる仕事でも、新しいツールを老人に与えるなら、きっと若者の助けになることができそうです。もっとも、瞬発力も、持続力も若者に劣りはするでしょうが・・・

今回の新型コロナのパンデミックは、人類への大きな試練ですが、迅速なワクチン開発で何とか大半の高齢者は乗り越えられそうです。とは言え、近い将来、地震や津波、風水害や熱暑・干ばつなど、次々と新たな試練が待っていそうです。

今や、平均寿命は男性81.4歳、女性87. 5歳となっています。65歳以上の高齢者人口が全人口の28%を占めており、0歳から29歳までの若年者人口よりもその数が多いのです。これからは、老人が若者に甘えておれない時代となりそうです。

 

随想集 2020

随想集 2021

新型コロナ長期戦に備えて

どうやら、人出も減る傾向になく、感染者数もますます増えていきそうな空気です。高齢者は、重症化率が高いので、不要不急の外出を控えるようにと絶えず言われ続けています。私も、天気の良い日には1時間程度の散歩だけで、ほとんど家に籠っています。

ちょうど1年前の1月20日に、硬膜外出血で入院したのを契機に、60年近く乗り続けていた車を手放すことにしました。当時は、新型コロナ流行の直前であり、車のない生活が、こんなに不自由なものとは思いもしませんでした。

昨夏には大病を患い、長期間の入院を余儀なくされましたので、あまり不自由さを感じませんでしたが、秋の訪れとともに、体力が回復し、活動を再開し、身体の衰えを防ぐためにと、せめてゴルフの打ち放し場にでも行こうと思うのですが、感染対策上できるだけ公共交通機関を使いたくありません。

正月以来、寒さもあり、私が一歩も家から出ずに、家の中をいつもウロウロしていると、家内も根をあげ始めています。岡本梅林公園の梅だよりも聞こえてきました。春の訪れが待たれます。

ワクチンも、どうやら3月末には高齢者が接種できそうです。今年は、コロナの網目をかいくぐりながら、少しずつ活動をはじめようと思っています。 2021-1-20

私のお正月2021

元旦の朝、目を覚まし、寝室のカーテンを開けると、年末からの寒波で薄っすらと雪を被った六甲山頂が、新年の朝日に映えて美しく輝き、市中が新型コロナ禍にあるのが信じられない、素晴らしい眺めでした。

山頂に聳える電波塔が、何か観音像のように見え、思わず手を合わせ、1日も早いワクチン接種、新型コロナ終息を祈願しました。

年末年始はお静かにという国や県の求めに応じて、例年なら近郊のホテルに家族が集い、賑やかに過ごす正月ですが、夫婦二人きりでの静かな正月も新鮮でした。半世紀以上にわたり寄り添えたことに感謝し、互いの健康を願い、雑煮を頂きました。

元日の夜は、ZOOMによる家族新年会です。4家族の集まりで、最初はどうなるかと心配でしたが、流石に孫たちはWeb会議に慣れており、巧みなカメラワークと会話で盛り上がり、最後には息子家族がバイオリン・ギターのおうち演奏を披露してくれました。アンコールには、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団のNew Year Concertと同じように、ヨハン・シュトラウスの「ラデツキー行進曲」で締め括られました。

何もかもが、新しいスタイルのお正月です。感染終息の暁には、これまで経験したことのない新しいスタイルの生活、素晴らしい世界が開けるのが楽しみです。

2021-1-3


 

ポストコロナ社会への期待  ー デジタルで共生社会がー

ポストコロナ社会は、テレワークとデジタル化というだけで、一体どんな社会が待ち受けているのか、多くの人はよくイメージできずにおられるのではないでしょうか?

人間の仕事が、AIの活用やロボットに奪われるのではないかという不安、あらゆる個人情報が国や企業に一括管理され、個人の守秘性がなくなるのではという不安感をお持ちの方も少なくないと思います。

オードリー・タンさん曰く、デジタル空間は無限の可能性を持つ

新型コロナ流行当初にデジタルを活用し、マスク在庫状況をはじめ感染状況の可視化で、流行を最小限に抑えた、台湾のデジタル担当閣僚オードリー・タン氏の卓越した能力の報道に驚かれた方は多いと思います。

LGBTである彼女は、16歳で女性となりました。学校は中学までしか行かず、独学でプログラマーとしての実力をつけ、19歳で渡米し、アップル社においてSiri開発の立役者となりました。タン女史は1981年生まれ。ミレニアル世代のトップランナーです。

ミレニアル世代が新しい時代をリードする

ミレニアル世代とは、1980年から1995年の間に生まれた世代と定義され、2020年に25歳から40歳を迎えた世代です。

この世代がこうして括られるのは、その成長がデジタルの台頭とともにあったためです。インターネット環境の整備が飛躍的に進んだ時代に育ち、情報リテラシーに優れ、インターネットでの情報検索やSNSを利用したコミュニケーションを自然に使いこなす、ITに極めて高い親和性を持つ世代です。この生まれながらにして、デジタル化という激動の中で育った彼らだからこそ、新しい時代を先導するエネルギーがあるように私には思えます。

Diversity & inclusion(多様性を取り込んだ社会)とConviviality(自立共生社会)

最近出版されたタン女史の自伝によると、デジタル技術を活用すれば、この2020年を境にどのような社会が待ち受けているのか、彼女には明確にイメージできているように思えます。そのキーワードは、Diversity & inclusion(多様性を取り込んだ社会)とConviviality(自立共生社会)です。彼女が目指している「自立共生社会」は、一地域、一国だけでなく、地球全体での共生社会です。

彼女自身がLGBTであることからも、新型コロナ流行後の世界に求められているのが、Diversity & inclusionとConvivialityであるという主張は容易に納得できます。Diversityも、 Inclusionも、経済界でよく用いられている単語です。Diversityは、国籍や性別、学歴を問わない多様な人材活用に、Inclusion(インクルージョン)は、元々フランス語で、直訳すると包含、包括という意味です。ビジネスに当てはめると企業内すべての従業員が仕事に参画する機会を持ち、それぞれの経験や能力、考え方が認められ、活かされる状態を言います。

「共生(ともいき)」は元々仏教用語

「共生(ともいき)」ということばは、元々仏教用語にあったようで、日本人には馴染みの単語です。「共生」とは、「共に生きる」ということですから、直訳すれば「自然と共に生きる」、「地域と共に生きる」ということになります。

つまり、「人間は天地自然の恵みの中で生き生かされているのだから、それをよくわきまえて、むやみやたらな開発はしないで、自然を大切にし、自然のサイクルに合った生き方をしましょう」。また、「人は一人で生きているのではない。家族をはじめとして、隣近所、町や村の中で多くの人々と係わりながら生きているのだから、その関係を大切に、助け合いながら生きましょう」ということになります。

「共生」が、障害者支援や環境問題に対する政策の枕詞に

日本政府は、障害者支援や環境問題に対する政策の枕詞として、「共生」という言葉をこのところ多用しています。2020年東京オリンピック・パラリンピックを契機として、障害の有無等にかかわらず、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合う「心のバリアフリー」を推進し、障害のある人等の活躍の機会を増やし、共生社会の実現を目指しています。 文部科学省は、平成24年7月より共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進に取り組み始めています。

「共生社会」とは、これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者等のマイナリティーが、積極的に参加・貢献できる社会です。それは、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会です。

Conviviality(自立共生社会)とは

Conviviality(自立共生社会)という言葉が用いられるようになったのは、イヴァン・イリッチ著の「Convivialityのための道具」という本に由来するようです。本書が出版された1973年は、今日と同じように産業社会における人間性の喪失が大きな社会的不安を招いていた時代です。

Conviviality(コンヴィヴィアリティ)は、日本語では「自立共生」と訳されていますが、行き過ぎた産業主義社会が、人々を単なるサービスの消費者にしてしまったことを問題として指摘し、自立共生な社会のあり方を描いています。

日々の暮らしの中で人は学び、病気に苦しむ人がいれば手を差し伸べ、家族を失えば親族で弔っていた人間の暮らしが、産業化と分業化・専門化によって、教育は学校が、医療は病院や医療者が、弔いは葬儀屋が提供するサービスになり、人々の手から人間らしい振る舞いの機会を奪ってしまったのでは?と、イリッチは問いかけています。

半世紀前にも今と同じような社会現象が

この書が刊行されたのが1973年ですから、我が国においても戦後の高度経済成長により貧富の格差が拡大し、まさに産業中心主義に世の中が大きく変化している時代でした。先行きの不透明感から、全国に大学紛争の嵐が拡がった時代です。

その後、「個々人の尊厳をベースにした真の自立共生社会はユートピアの世界である」と、私たちの世代の者は大学紛争後ずっと思い続けていました。だが、デジタルは無限の資源だと言われると、それも決して実現不可能な課題ではなさそうな気もしてきます。

デジタル民主主義と「自立共生社会」

いま、米国で行われている大統領選挙の報道を見ていると、何だか滑稽です!

デジタル民主主義の根幹は、「政府と国民が双方向的に議論できるようにしよう」ということです。オードリー・タンさんは、「国民の意見が伝わりにくい」とされる間接民主主義の弱点を、インターネットなどの力により誰もが政治参加しやすい環境に変えていこうとしているのです。

彼女がすでに取り組み、実現しているのが台湾での選挙制度です。より民主的な選挙を行うために、有権者一人1票ではなく、99票のカードが与えられ、有権者は複数の候補者に配分して投票できるそうです。さらに、4年に一度の選挙ではなく、デジタルを活用すれば毎日でも国民投票が可能だと言います。

多くの国が採用している間接選挙制度の根底からの見直しが必要な時代になっているようです。民主主義国家と言いながら、所得格差が拡大し、社会の分断が進んでいます。 日本が一億総中流の国であるというのは今や完全な幻想で、その貧困率は世界的に見ても高いものです。2020年7月17日に厚生労働省が発表した「2019年 国民生活基礎調査」の結果から、2018年(平成30年)の子どもの貧困率(17歳以下)は13.5%、約7人に1人の子どもが貧困状態にあり、日本も社会的格差が大きいことを示しています。

小児保健従事者は子どもの声を代弁しよう

ラジオやテレビといったメディアでは、情報の流れは一方通行です。パソコンやインターネットの登場で、SNSを通じて誰もが自分が言いたいことを発信できるようになりました。メディアは、SNSでの炎上、誹謗・中傷といったネガティブな面を取り上げ、子どもたちの積極的な活用に向けた意見が少なすぎるように思えます。

日常的に子どもたちに寄り添っている小児保健従事者は、子どもに関する情報を共有するだけでなく、子どもから発信される多様な意見を代弁し、政府の施策に反映されるような社会にしたいものです。

ポストコロナでは、デジタル化による選挙制度改革を推し進め、多様な民意が政府の施策に反映され、自立共生社会へ向かうことを期待しています。


2020/12/18