子どもの「ことばの遅れ」

先日、「クロノス」と「カイロス」の原稿を書くときの参考資料を探していると、イタリアの政治哲学者ジョルジュ・アガンベン著、「幼児期と歴史」―経験の破壊と歴史― という1冊の本に出くわしました。タイトルに惹かれて早速注文したところ、いきなりカントやヘンゲル、ベンヤミンやハイデッカーという名前が連なっています。これは間違って注文したと後悔していると、私にも理解できそうな興味ある文章に出くわしましたので、紹介します。

「言語活動」をもつのは人間だけ

「音声」は、苦痛と快楽のしるしであり、動物たちも所有しており、音声を通じて、互いに交信し合っています。
「音声」に対して、「言語活動」は都合の良いものと都合の悪いもの、また、正しいものと正しくないものとを表明しようとする媒体なのです。これは他の動物に比べて、人間だけがもつ特有の感覚であると、アリストテレスが「命題論」の「音声と言語活動」の一節に記述しています。

言語学的活動は、遺伝学的コードに文化的伝統を付け加えたもの

「自然」は遺伝学的コードを通じて伝達される相続財産であるのに対して、「文化」は遺伝学上のものではない媒体を通じて伝達される財産であると定義されます。

この面から考えると、言語学的活動は、遺伝学的コードに文化的伝統を付け加えたものであり、二重の遺伝によると特徴づけられます。鳥類の一部では、同種の個体の歌声を聴き取る可能性を早い時期に失ってしまうと、正常な歌声の一部分しか発することができません。

ヒトの子どもも、2歳から12歳の時期に言葉が実際に発せられている現場に身をさらしていなかったら、その子は言語活動を習得する可能性が決定的な危険にさらされます。この観点からすると、ヒトは言語活動を生まれつきもった動物ではなく、それを欠いており、外部から受け取らねばならない動物なのです。
子どもの言葉の遅れについて、今一度考え直す機会となりました。 2024.5.17.

囲碁大会で優勝し、六段に昇格しました

昨年11月の秋季囲碁大会優勝に引き続き、この度の春季囲碁大会でも優勝、六段に昇格しました。私の所属するクラブは、東灘区碁楽会といい、週に2日、平日午後に区民ホールで開催され、メンバーは約30名です。定年退職されて間もない70歳代の方が大半です。最高齢の方は88歳ですが、至ってお元気で、まだお仕事もされているそうです。私は2番目です。

囲碁再開のきっかけ

いつも親しくして頂いている私とほぼ同年代で、神戸大学元工学部長の北村新三先生から、このクラブへの参加を誘われていたのですが、これまでは時間に余裕のあるときには、ゴルフに精を出していたので、延び延びになっていました。

昨年春に、道子も、私も体調を崩し、ゴルフが難しくなったので、6月からこのクラブに参加させて頂くことにしました。私は、学生時代に仲間たちとよく囲碁をしていたので、ある程度の心得があり、三段で入会させて頂きました。

この歳でよもや上達するとは思わず、暇つぶしのつもりで入会したのですが、1年足らずの間に三段から六段へと三段も昇格し、一気にクラブの中での最高位になってしまったのです。道子がなくなった昨年9月ごろから、脳の中の薄皮が剥がれ落ちたように、自分でも不思議な位に先が読めるようになり、急に強くなったのです。

80歳を過ぎても人間の脳は進化する

道子には、これまでの感謝を込めて早速優勝報告をしましたが、他人には自慢話すぎて、話し難いので黙っていました。偶々、元同僚の西尾久英先生から電話があり、話のついでにこの話を少ししたところ、高齢者に夢を与える話だから是非ブログにと背中を押され、思い切って筆をとることにしました。

マスコミでは、高齢者=認知症のような取り上げ方をしていますが、今回80歳を過ぎても人間の脳は進化し続けていることを立証できたように思います。

これまでから、欧米では研究者や指揮者の中に、結構高齢の方がおられるのは、豊かな経験・実績に基づくものとばかり思っていましたが、彼らの脳が、年齢に関係なく、日々進化し続けているからだと思うようになりました。

ここからは医学的考察

新生児学を専門にしていた私は、赤ちゃんの脳の生物学的な発達について研究を続けていました。

人間の脳細胞の数は、胎児期に最も多く、出生した瞬間から日々減少していくのです。脳の働きは、脳細胞の絶対数で決まるのではなく、脳細胞と脳細胞の神経繊維による連携、神経ネットワークによって成り立っています。ですから、脳細胞の数が減り、重要な神経ネットワークのみが残ると、脳はより効率的に機能します。

われわれ高齢者は、体力的には若者に劣りますが、不用なネットワークを削ぎ落とした高齢者の脳の働きは、決して若者に負けないのです。

高齢者よ。自信を持って生き抜きましょう。

2024.5.15.

 

クロノス時間とカイロス時間

「クロノス時間」とは、過去から未来へ一定速度・一定方向で機械的に流れる連続した時間であり、「カイロス時間」は一瞬や人間の主観的な時間を表す、内面的な時間を指します。カイロスも、クロノスもギリシア語で「時」を表す言葉で、ギリシャ神話の神の名前が由来です。

高齢者と時間

先日、高校時代のクラスメイトと話していると、歳を重ねると1日、否1時間があっという間に過ぎ去ることから、「クロノス時間」と「カイロス時間」が話題になりました。
私たち高齢者にとってあっという間に過ぎ去る時間の速さは、仕事・動作スピードの低下による焦りから生じる「クロノス時間」ではなく、時計の針が回る速さとは関係のない余生をいかに過ごすかという内面的な思い、「カイロス時間」を中心に考えているように思えます。

「医師の働き方改革」と「時間」

医師や教師の働き方改革が話題になっていますが、このような人間の内面に接する仕事がクロノス時間でのみ議論されており、本来はカイロス時間が問題なのです。
「からだ」も「こころ」も絶えず変化している患者さんの不安を解消し、納得して医療を受けてもらうために寄り添う時間は、有限のクロノス時間ではなく、無限のカイロス時間です。長時間労働が問題になっていますが、医師には自らのカイロス時間を備え、自らをコントロールする能力が求められます。

ゆっくりとひとの話を聞く

相手に自分の話を聞いてもらいたい時には、無限の時間を準備して望むことです。私は、職場のトラブルで「難しい話し」を相手としなければならないときには、いつも誰もいない静かな休日の朝に時間を設定していました。
自分の意見に納得してもらうには、1日かけて同じ話しを何度も繰り返す覚悟で臨み、話し相手が席を立つまでは絶対に先に席を立たないことです。今思うと、カイロス時間で対話し、相手と気持ちが通じ合えていたようです。
2024.5.14.

 

 

空海 密教のルーツとマンダラ世界

昨日、朝起きるとあまりの快晴なので、奈良博物館で行われている空海生誕1250年特別記念展を、ひとりで観に出かけました。

空海の教えは、「虚空尽き、衆生尽き、涅槃付きなば、我が願いも尽きなん。」この世の全ての物が消滅し、弘法の世界が尽きるまで、私は人々が救われることを願い続けるという意味のようです。

密教とは

衆生救済を願った空海が、人々を救うためにたどり着いたのが密教です。空海は、中国・唐にわたり、師匠の恵果(けいか)から密教の全てを受け継いだと言われています。
さて、密教というと何か神秘的で、恐ろしいと感じさせますが、空海は「密教は、奥深く文筆で表し尽くすことが難しい。そこで図や絵を使って悟らない者に開き示すのだ」と述べています。マンダラの世界として、その教を立体的な空間で表わしたもののようです。インドから中国やインドネシアへ、そして中国から日本へと   2024.5.10.

溶連菌感染症の流行に注意しましょう

ここ数年、新型コロナの流行で、みなさんマスクし、厳重な感染対策をとってきたので、夏になるとこれまで繰り返してきた子どもの感染症の流行がありませんでした。そのため、免疫力がなくなり、大流行の恐れがあります。

夏に流行しやすい感染症のひとつである溶連菌感染症は、ときに、心臓弁膜に障害などを起こすリウマチ熱や、急性糸球体腎炎につながることもあるので要注意です。

はじめの症状は、多くの夏カゼと同様に発熱(38〜39℃)と“のど”の痛みです。繰り返しかかることもあり、大人になってもかかります。咳やくしゃみなどによって近くの人に感染(飛沫感染)し、溶連菌に汚染された食品が原因のこともあります。

夏カゼの多くはウイルス感染症ですが、溶連菌感染症は細菌感染症であり、適切に抗菌薬を服用すれば、効果があります。小児科医を受診すれば、溶連菌検出用の専用キットがありますので、容易に診断できますので、早めに受診することです。

2024.5.6.  「地域子育てネットワークだより」6月号

 

台所と私

これまでの私は、道子の指示通り動くロボットのようなもので、せいぜい食器洗いの手伝いくらいでした。今は、自分自身で調理しなければ生きていけないので、毎食台所に立つようになったのです。

気になるのは、冷蔵庫・食器棚・調理器具の入った引き出しの中、ぎっしり詰まった「もの」、「もの」です。あんな状態でも、彼女には物の在り処が分かっていたようで、意見することはできませんでした。

冷凍庫の整理

先ず手をつけたのが、冷凍庫です。賞味期限に問題なくても1年以上前に仕入れたもの、いちど溶けた痕跡のあるもの、私の好みでない食材は、即刻処理できました。とりわけ、冷凍庫の詰めすぎは、熱効率から言っても不経済です。1か月も経たないうち、収納庫の半分は空になっていますが、何の不自由もなく生活できています。

沢野ひとしさんの「台所の哲学」に学ぶ

最近届いた某社の広報誌に、沢野ひとしさんの「台所の哲学:キッチンの春の大掃除」というエッセイが載っており、その中に、食べ物には賞味期限があるが、食べ物を作る道具の捨て時の難しさが述べられています。

不用だと思っても、妻や子供が、「待って、それは捨てないで」と言えば、それを押し切ると大変なことになります。対策としては、春から初夏の、水もぬるみ、陽も柔らかく、鳥もさえずり出すこの時期が「台所の片づけ」の大きなチャンスだと言うのです。

今朝は、青空が澄みわたり、朝日が燦々と輝いています。しかも、「燃えないゴミの回収日」。前から気になっている私にとっては不用のなべや包丁、使用法の分からぬ調理器具類を手当たり次第にビニール袋に詰め込み、運び出しました。清々しい気分で朝のコーヒーを口にしています。

料理は化学実験のようなもの

台所で洗いものをしていると、何だか大学院生時代の研究室生活が思い出されます。当時、ピペット・ビーカーなどのディスポの製品はなく、ほとんどがガラス器具で、器具の洗浄にかなりの時間を費やしていました。洗ったものを電灯に翳して、汚れが残っていないか確認しながら、作業を進めていた思い出が蘇ってきました。食洗器など使わなくても、手洗い方が美しく、かつ効率的にできます。

料理も、化学実験も、わずかな配合の違いで、全く違うものが出来上がります。料理の難しさは、化学実験に比べて、配合比率が大雑把であることです。

魚の煮付けのレシピをみると、醤油:大さじ2、みりん:大さじ2、砂糖:大さじ1。これに酒、水に混ぜて、生姜、長ねぎなどの野菜を適量という記載だけです。大さじ1杯といわれても、すり切りか、少し山盛りか迷います。肝心の酒、水の量はというとあまりはっきりしません。道子に尋ねると、そんなの関係ない、濃すぎたら水を加えればよいというのでした。なるほど道理です。酸性水とアルカリ水で、pHを調整するのと同じか。。

料理では、小皿にとってよく味見されていますが、私にとってあの行為は苦手です。どうも口に含むことができません。目と鼻をフル回転させて味付けをするだけです。2024.5.2.

 

私の好物のランチ

今日は、午後から碁楽会の集まりがあります。急いで昼食をとるときの私の定番は、小餅を御茶漬のりに浸して食べることにしています。

年中トースターの傍らには、「サトウの切り餅」を常備しています。最近学習したのは、永谷園の「御茶漬のり」に、「味付けのり」一袋分を幾重にも折りたたんで加えると、全体に真っ黒になりますが、ノリの香りが漂ってきます。昔は、お正月前にならないと手に入らなかったのが、今では真空パックしたものが売られており、年中口にすることができ、好都合ます。

もちの横に置かれているのは、伊予柑です。これまで、道子がいつも「ムッキーくん」で手際よく薄皮も剥いてくれたので、私は食べるだけでした。最近、スーパーの店頭に、並べてあるのを見て、私も挑戦することにしました。当初の何個分かは原型を留めぬ細切れになってしまいましたが、今ではかなり上達しました。こんなことを自分でするなんて夢にも思っていませんでした。でも、砂糖を少しふりかけ、冷やしておくと結構美味しいですよ。  2024.4.27.

歴史的に見た日本の人口から

日本の人口は、歴史的にみて一時的な停滞期こそあれ、弥生時代より絶えず増加し続けてきました。今日のような人口減少社会のモデルはないのです。

これまでの人口の頭打ちの背景をみると、平安時代の300年余りは、農民一人ごとに耕地を割り当てた戸籍・班田収授制の崩壊や、西日本を心とした干ばつ被害・疫病等の影響が考えられています。
江戸時代前期(17 世紀)においては、人口の急増がみられましたが、江戸時代後期(18世紀以降)、享保の改革で知られる徳川吉宗の時代には倹約令がしかれ、大飢饉があり、江戸時代末期まで人口増加が停滞しています。

私たち現代人は、明治維新より続いてきた人口急増と相俟った繁栄の歴史に終止符を打ち、新しい未知の世界に足を踏み入れようとしています。
私が、今の若者であるなら、旧来の価値観に全くとらわれない、新しいライフスタイルを求めて、国内外を問わず旅し続けている気がします。

資料:縄田康光氏: 歴史的に見た日本の人口と家族より

科学の難しさ

映画「オッペンハイマー」を観て

話題のアメリカ映画「オッペンハイマー」がこの3月末から一般上映され、早速観に行きました。平日の午後だったので客の大半は後期高齢者、ごく稀に若者が混じっています。この映画は、原子爆弾の開発に成功したことで「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材に描いた、180分にわたる長編のストリーです。大抵は、途中で居眠りをする私が観続けられたので、よほど退屈しない内容だったようです。

第二次世界大戦でナチスドイツ、日本の降伏を決断させた原爆の優位性をアメリカ人は高く評価し、時のルーズベルト大統領から彼は顕彰されています。広島・長崎への原爆投下のシーンは映し出されず、核兵器廃絶とは程遠い内容です。

しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けたオッペンハイマーは、第二次世界大戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対する立場をとりました。オッペンハイマーの科学者としての、栄光と挫折、苦悩と葛藤が描かれています。

戦時中の日本国も、満州のハルビン市近郊に関東軍防疫給水部本部、通称「731部隊」が拠点を構え、表向きには兵士の感染症予防や安全な給水システムに関する研究を行うとしていましたが、秘密裏に非人道的な人体実験を繰り返し、実戦での使用を目指した生物兵器の開発を試みていたようです。

科学者の研究が、戦時下においては予期せぬ方向に利用され、人類に甚大な不幸をもたらすことを、科学者自身がよく弁えておくことが大切です。

医学・医療における科学的事実

この数十年間に、医学・医療の進歩は、社会的生活の向上と相まって日本人の乳児死亡率を低下、平均寿命を延長させています。このところ、私自身が患者として医療の恩恵を被る機会が増え、自らの医療者としての過去の行いに多くの反省点があることに気付きました。

数年前に、私自身が前骨髄球性白血病にかかった折、自分が研修生の頃に担当した同病の6歳男児のことを思い出しました。彼は入院生活に馴染めず、骨髄穿刺では暴れ回り、点滴チューブを自ら抜去、入院後数日でDICによって死亡しました。嫌がる彼を、必死で押さえつけ、加療したことを今でも忘れられません。子どもの医療では、その大半は、本人の意思抜きで、医療者と親の意見で物事が決められ、大人では耐え難いプロトコールの選択が小児では行なわれ勝ちです。気をつけたいものです。

私のような高齢者にとっては、5年生存率も気になりますが、限られた寿命の中で、日々のQOLの方がもっと大切です。医師は、論文を引用して5年生存率を恰も「科学的事実が絶対的に真」の如く患者に説明しますが、大抵の臨床医学論文は一定の条件下で行われており、大半が統計処理された結果です。参考にはなりますが、患者当人に当てはまるとは限らないのです。

一旦入院すると、連日のように繰り返される検査、検査。これだけ医療が進化した中で、ここまで検査しなければ病気の様子が把握できないのだろうかという疑問も湧いてきます。AIを活用して病状把握すれば、患者は、痛み・不快を伴う検査からもっと解放され、入院期間をもっと短縮できる気がします。

2024年4月

寝る前に唱える二つの呪文

4年前に大病をした頃から、毎晩、就寝前に二つの呪文を唱えるのが習慣となっています。一つは「Aaー」、「Yeー」、「Wuー」、「Beー」、もうひとつは「般若心経」です。

「Aaー」、「Yeー」、「Wuー」、「Beー」

歳を重ねると、どうも滑舌が悪くなります。周りの人は気づかなくても、話している当人にはかなりのプレシャーです。滑舌が悪くなったのは、老化とともに顎の噛み合わせが狂ってきたことが、原因と考えるに至りました。

掛かり付けの歯科医の勧めもあり、できるだけ大きく口を開け、「Aaー」、「Yeー」、「Wuー」、「Beー」を毎晩4回唱えるようにしています。大きく口を開ける効用としては、唾液の分泌もよくなるようです。道子の生前中は気色悪がるので控えめにしていましたが、今は精一杯声を出しています。

もうひとつは「般若心経」

「般若心経」は、唐代の中国の訳経僧、玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典のひとつです。『西遊記』の三蔵法師は、玄奘三蔵がモデルと言われています。

私は、以前から般若心経に興味をもっており、いろんな解説書を読むのですが、結局のところ、何を言っているのかよくわからない。でも、何か惹かれるものがありました。

以前から手に入れていた般若心経の本を、大病を機に再び本棚から取り出し、読み始めました。書かれている意味はよく理解できませんが、以前にも増して心が安らぐ気がします。それまで覚えることのできなかった、たった262文字の漢字の羅列を、丸暗記の苦手な私が記憶できるようになりました。

爾来、就寝前に般若心経を唱えるのが習慣となっています。意味もわからず唱えているので、一度詰まると、どうしてもその先が出てこず、情けなくなります。
2024.3.25.

比較的読みやすい参考資料:
瀬戸内寂聴:般若心経 生きるとは、中央公論新社、2005
新井満:自由訳般若心経、朝日新聞社、2006