Attending a Wedding Ceremony in Nepal

On December 3, I departed Kansai Airport with my daughter, Mayuko. After spending two nights in Bangkok, we finally arrived in Kathmandu, Nepal. There is a time difference of 3 hours and 15 minutes. I was able to attend the wedding ceremony of the son of my close Nepali friend, Professor Pokharel. After an 8-day trip, I safely returned to chilly Japan on the morning of December 10.

Nepali weddings are held over three days.

The first day is hosted by the groom’s side, the second day by the bride’s side, and the third day is the main event hosted jointly by both families.

Each family has over 100 members, and including acquaintances like us, there were over 500 attendees, making it a truly grand celebration. From Japan, there were six participants: Professor Hideki Yamamoto and his wife from AMDA Japan, who contributed to the establishment of a children’s hospital in Nepal, and two members of Mr. Pokharel’s host family from his time studying in Japan.

On the first day, the ceremony was held at the Pokharel residence and was attended only by the groom’s side. Around the numerous gifts from the bride’s side, children joyfully danced, and everyone ate heartily and enjoyed lively conversations.

The second day was hosted by the bride’s side and took place at a hotel. In the garden, a band played Nepali folk music, while various rituals continued endlessly from morning to night. One particularly interesting ritual involved washing the bride’s feet, where relatives took turns sprinkling water over her feet. It seemed to symbolize the bride leaving her parental home and moving into her husband’s household.

The third-day ceremony took place in the evening in a hotel garden, attended by many guests. Later in the evening, a banquet was held in a large hall with round tables, similar to Japanese weddings. However, unlike Japanese receptions where speeches are made on stage with a microphone, here everything was conducted face-to-face in a more personal manner, which made the event quite lengthy. Despite being the main ceremony, the groom and bride had already been introduced earlier, making the atmosphere relaxed and lively.

This tradition of celebrating weddings with such large gatherings shows that the family system is still deeply rooted in Nepali society. That said, the bride and groom, both studying in the United States, were set to return there just two days after the wedding. In 10 years, Nepali wedding customs might change significantly.

December 11, 2024

ネパールの結婚式に参列して

12月3日に、娘のMayukoと関空を発ち、バンコクで2泊、ようやくネパールのカトマンズに辿り着きました。時差が3時間15分あります。ネパールの親友ポカレルさんのご子息の結婚式に何とか参加できました。8日間の旅、10日朝、無事寒い日本に帰国しました。

ネパールの結婚式は、3日間にわたり行われます。第1日目は花婿側の招待、第2日目は花嫁側の招待、第3日目がメインで、両家の主催です。いずれの御家族も100名以上おられ、それ以外にも我々のような知人を合わせると500名以上に及ぶ実に盛大なものです。日本からの参加者は、ネパールの子ども病院設立に尽力されたAMDA Japanの山本秀樹先生夫妻、ポカレル先生の日本留学中のホストファミリーお二人の計6名でした。

第1日目には、ポカレル邸で行われ、花嫁側からのプレゼントを前に、花婿側のみの集まりです。子どもたちは楽しそうに踊りに興じています。皆さんよく食べ、賑やかによく話します。

第2日目は、花嫁側の招き、ホテルで行われ、庭園では音楽隊がネパール民謡を奏でる中で、朝から夜までいろんな儀式が延々と続きます。興味深かったのは、花嫁が足を洗う儀式、親族の方々が次々と花嫁の足に水を振りかけます。生家を離れ、婚家先に移る証のようです。

 


第3日目の儀式は、数多くの参列者のもと、夕方からホテルの庭園で、夜には日本と同じような大ホールの円卓形式です。日本の披露宴と違うのは、壇上でマイクで話すのでなく、終始個々に対面で行われます。だから長時間かかるのです。

本番とは言え、すでに花婿、花嫁の顔見せも行われており、かなりリラックスした賑やかな雰囲気です。

これだけ多くの人に祝福され、結婚式を挙げる風習は、今もネパールでは家族制度が強く残っている証です。とは言え、米国留学中の花嫁・花婿は、式の2日後には米国に戻るそうです。10年後には、ネパールの結婚の儀式もかなり変わっているかもしれません。2024.12.11.

いよいよネパール旅行へ

あの猛暑がつい先日のような気がしますが、もうすぐ12月です。街ではクリスマスの飾り付けと、月日はいつもの年と同じように経っているのです。

カトマンズのTribhuvan大学の小児外科教授であるDr Rameshwar Pokharel先生の息子さん、現在米国のJohn Hopkins Medical collegeに留学中のDr. Shashwatさんの結婚式に招かれ、長女Mayukoと一緒に12月3日から8日間の予定で出かけます。

はじめに話があったのは9月の初め、まだ猛暑の中でした。海外旅行に耐えられるか不安でしたが、Mayukoが一緒に行きたいと言ってくれたので快諾し、ダメ元でチケットを予約しました。何とか行けそうでホッとしています。

これまで、海外旅行といっても、特段興奮することもなく、妻Michikoが買い揃えてくれていた下着類を出発前夜にトランクに詰めるだけでしたが、何から何まで自分でしなくてはなりません。気候の変わり目でもあり、大変です。ところが、早く準備しすぎて、むしろ手持ち無沙汰になっています。

カトマンズの気温は今の神戸と大差ないようですが、ヒマラヤ山脈が見渡せるNagarkotという海抜2,100mの山地に行ってみたいと思うので、厚手の暖かい肌着、毛糸の帽子・手袋と防寒具が必要と言われています。

Mayukoは大変です。結婚式用のドレス、サリーを購入し、早速試着して見せてくれました。サリーはフリーサイズなので、太めの彼女でも平気です。太めの方がよく似合うと言われ満更でもなさそうです。  2024.11.30.

大切なのは品性、品格

最近、兵庫県知事の言動について、兵庫県民としてどう考えているのかと友人から意見されます。兵庫県民として情けない気持ちでいっぱいと答えるしかありません。

ハラスメントの真偽の程はわかりませんが、内部からの告発があるようでは統治能力に欠けているとしか言いようがありません。

今回の知事選では、近年の日和見的なマスコミ報道に愛想をつかし、SNSが威力を発揮したのでしょう。それをうまく活用した者が勝利したようです。

国家の品格

今の世の中、法的に問題がなければ、何でも許されるところに問題があるように思います。世の中、大切なのは品性、品格です。

少なくとも社会の指導者たるものは、その範たるべきです。政策以前の問題です。国の政治家も一緒です。法の隙間をすり抜けようとする態度には目を覆いたくなります。日本も、アメリカと同じかと思うと情けない。

2005年に新潮社から出版された文庫本、数学者藤原正彦氏の「国家の品格」を思い出しました。当時の日本には、世界の趨勢である経済至上主義に取りつかれ、国立大学も法人化され、大学にまでその波が押し寄せていました。

日本人は、欧米の論理に身を売って、法律違反すれすれの行為を、卑怯とも、下品とも思わなくなってしまったと述べています。

孤高の日本でありたい

少子高齢化がより加速する日本。過去の良き時代の思い、欧米に追随すべく経済至上主義を続けている間は、今の混迷はより一層加速するように思います。

日本人はこの世界の趨勢に対し、孤高の日本として敢然と闘いを挑むべきです。私の願いはただ一つ、日本が戦争に巻き込まれないことです。

2024.11.28.

太陽フレアが頻発している

今朝、テレビを見ていると、今後1年は、「太陽フレア」が頻発し、通信障害を引き起こす可能性が高いと話題になっていました。早速、詳細を知りたいとネットで検索すると、「宇宙天気予報」というサイトの存在を知りました。国立研究開発法人情報通信研究機構が毎日配信しているものです。

「宇宙天気予報」サイトをみると

因みに、本日11月23日の「概況・予報」では、

  • 太陽活動は活発でした。引き続き今後1日間、太陽活動は活発な状態が予想されます。
  • 地磁気活動は静穏でした。引き続き今後数日間、地磁気活動は静穏な状態が予想されます。
  • 電離圏は乱れた状態でした。引き続き今後1日間、電離圏は乱れると予想されます。
  • 21日19時25分UTに発生したプロトン現象は、22日18時45分UTに終了しました。

米航空宇宙局(NASA)の10月15日の発表では、太陽が、活動を活発化させる「極大期」に入った。今後1年は、太陽表面の爆発現象「太陽フレア」が頻発し、通信障害が起きたり、広い範囲でオーロラが観測できたりする可能性がある。となっています。

地球温暖化と相まって、心配の種がまた一つ増えました。2024.11.23.

どうも馴染めないSNS

このたびの兵庫県知事選挙では、SNSが大いに活用されたそうですが、と同時にSNSによる個人への脅迫まがいの行為も多く見られたようです。

もともと政治の世界というのは、二律背反の世界です。二律背反とは、互いに矛盾する2つの命題や推論が、同じだけの合理性や妥当性を持っており、自己矛盾の中にあるのです。当然、敵も多く、激しい争いになるのです。

幸い、私自身は医療・医学の分野にいましたので、そのような争いごとに関係なく、これまで過ごすことができました。

私とブログ

私がブログを始めたのは、2020年2月に傘寿をむかえた時、新型コロナが流行し、家から出る機会が減り、友人や後輩と話す機会が減った頃からです。週に1回、ブログに近況をアップし、彼らとコミュニケーションを保ちたかったからです。今では、ブログを通じて、私の安否確認に使ってもらっています。内容は、私からの一方通行で、炎上するような内容のものではなく、多くが高齢者の戯言です。

私のブログをフォローしてくれているのは、団塊世代ではなく、団塊世代ジュニアの後輩たちであることに気づきました。団塊世代には高齢者問題はもう関心が薄まっており、より深刻化する2040年問題の中心となる団塊世代ジュニアの方が、私のブログにより関心を示してくれているようです。

ブログは、自分自身の心のアルバムみたいなものです。マイクロチップに記録し、仏壇の引き出しに入れておくと、後世まで残せる私のタイムカプセルでもあります。 2024.11.22.

どうする2040年問題を

2040年問題とは、

日本の2040年には、1970年代前半生まれの「団塊ジュニア」世代が65歳以上となり、その高齢者人口の占める割合は37.8%、3千9百万人に達するとともに、人口は1億1千8百万人へと減少することで起こりうる社会問題の総称です。

2020年には2.08人の若者で1人の高齢者を支える今の時代から、2040年には1.58人の若者で1人の高齢者を支える時代へとこれまでに人類が経験したことがない事態を招くことが必至です。この度の衆議院議員の選挙においては目先のことばかりのやり取りで、人口減少・高齢社会への考えを示す具体的な意見は全く出ていません。AIやロボットで現状よりも暮らしやすい生活が待っているとは思えません。

Google AIがまとめた具体的な課題と対策

2040年問題の具体的な課題には、労働力不足、社会保障費の増大、 インフラや公共施設の老朽化が挙げられており、その対応策としては、
• 企業では、シニアや女性が長く働ける人事制度の見直しや、DXの推進、働きやすい環境の整備。
• 医療福祉の現場では、ロボットやAIなどのICTの実用化や、介護施設等におけるシニア人材の活用。
• 厚生労働省では、健康寿命の延伸、医療福祉サービスの改革、高齢者における多様な就労・社会参加のための対応策
などが示されています。

2040年を過ぎても高齢社会が

予測では、2070年になっても明治維新の頃よりも人口は3倍近くいるのです。しかも高齢者の占める割合はその後も高いままです。250年以上戦乱のなかった江戸時代のライフ・スタイルを思い出し、生き方のモデルを探すのも一方でしょう。

私が考える高齢者が住みやすい町とは、林立する高層ビル群ではなく、自然と共生する社会です。自然災害の比較的少ない町で、自らの手で作った食物で自立した、のんびりと生活できるのが一番の幸せ者でしょう。

団塊ジュニア世代のみなさん、まだ体力が残っている間にその下準備をしておくことをお勧めします。2024.11.17.

初冠雪の穂高連峰を眼下に眺めて

信州松本で開催される学会、日本新生児成育医学会に出席するために、乗り換えのない神戸空港から松本空港までの空路を選びました。

昨夜からの急な冷え込みで、空は秋晴れ。機窓からの眺めは抜群、左に穂高連峰の初冠雪、遠くに槍ヶ岳まで見えます。右には同じく初冠雪の富士山が。真下に御嶽山が見えると機は降下し始め、あっという間の1時間足らずの空の旅でした。

私が初めて松本を訪れたのは、大学に入学した昭和33年の夏休みです。高校時代の友人米谷くんと美ヶ原を歩いたのを懐かしく思い出します。今では、山まで足を伸ばす体力はありませんが、色づき始めた木々を眺めながら、松本城・松本市美術館を訪れました。道中、昔懐かしの銭湯があります。山から降りてきて、銭湯で汗を流し、さっぱりとした身体で、夜行列車に乗り、神戸まで帰った思い出が蘇ります。

美術館では、松本出身の書家上條信山記念展示室があり、その中に、「天高気晴」という作品を見つけました。「秋の空が高く、すっきりと晴れ渡って、空気がすがすがしい」、まさに今日のような日だったのでしょう。2024.11.7.

世界早産児デーに合わせてライトアップした松本城の写真

日本新生児成育医学会中村友彦会長からのプレゼント

誇り高きブッチの思い出

アルバムを整理していると、昔懐かしいチャウチャウ犬ブッチの写真が出てきた。末娘が高校を卒業した1984年秋に、ようやく道子から犬を飼う許可がおり、折よくペットフェアが催されているスーパーのペット売り場で赤札のかかった犬を見つけた。

狭い檻に閉じこめられた仔犬たちは、人が近づくとしっぽを振りながら媚びをうってくる。その中に、ただ一匹だけ見向きもしないチャウチャウの仔犬がいた。その性格が気に入り、即断、購入することにした。彼の父親はアメリカン・チャンピオン?になったという血統書付きである。

我が家に来てからは、道子と私にはすぐに馴染んだが、こどもたちの言うことを全く無視していた。トイレはすぐに所定の場所でするようになった。私が毛並みを良くしようと、毎朝牛乳と生玉子を与え、夜は挽肉の野菜炒めを与えていると、ドッグ・フードを全く受け付けなくなった。

3日間飲まず食わずに

3か月ほど経ったお正月に、家族で2泊3日の香港旅行に出かけることになっていた。やむを得ず、空港近くのペットホテルに預けることにした。帰国するや否や、ペットホテルに引き取りに行くと、尻尾を精一杯振り、近づいてきた。

店員の話では、3日間飲まず食わず、排尿・排便も一度もしていないと言うことである。空港近くの草むらに連れ出すと、1分間以上途切れることなく尿を出した。

他人には振り向かない

買い物に連れて行き、店頭の柱に繋いでおくと、当時でもチャウチャウは珍しく、何となく愛嬌のある姿に、思わず声をかける人がいる。でも、彼は、ペットショップにいた時と同じく、いくら声をかけられても微動だにせず、私が店から出てくる姿をひたすら待ち続けている。一つ例外がある。赤いドレスを装った妙齢の女性をみると心が動くようである。

阪神大震災で性格が変わる

チャウチャウは、あまり人懐っこくない。冬に布団中に抱き込んでも、すぐに抜け出していく。ところが、阪神大震災で性格が一変した。しばらくの間は、いつも誰かの傍に寄り添っている。子どもたちに抱かれてもじっと我慢できるようになった。犬においてもPTSDはあるようだ。

多くのことを学べた

チャウチャウも、高齢化により全身に腫瘍ができるようである。最後の1年間は、道子が毎日右脚の腫瘤のガーゼ交換を行っていた。また、すぐに息切れをするようになっていたので、肺にも腫瘍ができていたと思う。色々と学ぶことが多かった13年間である。 2024.11.3.

いよいよ断捨離に取り組まねば

断捨離を、単なる片付け論と認識している方も多いと思いますが、ヨガの思想が元になっているため、単なる片付けとは異なるようです。断捨離のそれぞれの文字には、断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)の意味があります。

      • 断行(だんぎょう):入ってくる不要な物を断つ
      • 捨行(しゃぎょう):家にずっとある不要な物を捨てる
      • 離行(りぎょう):物への執着心をなくす

この歳になると、死ねば諸共、灰に来すに違いないと、わざわざ断捨離を考える必要性がありませんでした。今夏の猛暑がトラウマになり、手狭な高齢者向けのワンルームへの引越しを衝動的に決意してしまい、何を残しておくべきか途方に暮れています。

書類・アルバムはデジタル保存で

幸いなことに、今の時代は本や文書類は電子媒体に保存可能であり、1枚のSDカードで十分過ぎます。もう本箱は入りません。2008年以後の写真の多くは、Macの写真フォルダーに保存されていますので、全く問題ありません。それ以前の写真は、デジタル保存しているものは限られています。

整理をしていると、これまで存在すら忘れていた私の母のアルバムまで埃まみれで残っていました。母の結婚前の昭和初期の貴重な写真です。道子と私の幼少時のアルバムもあります。全てを灰にするのも忍び難く、取り敢えず、ページごとにスキャンし、アルバムの現物保存については検討中です。

幸いなことに、道子と結婚後の写真は、息子・娘たちが金婚式のお祝いにアルバムを編纂してプレゼントしてくれたものがありますので大助かりです。後は、各部屋に飾っていた孫たちの写真や現役時代の仲間との額縁入りの思い出の写真だけです。最小限の枚数に絞り、こつこつと暇を見つけてするしかありません。

これらの写真も、SDカードに入れておけば、デジタル・フォトフレームに次々と映し出されます。置き場所を取らず、永遠に?記録と残っていくものと期待しています。  2024.10.28.