年賀状あれこれ

今年は例年に比べ私が出した年賀状の枚数も、受け取った枚数もかなり減っています。また、「本年をもって、賀状を失礼します。」というのもかなりあります。

私にとって、年賀状は滅多に顔を合わすことのない友人・知人の消息を知る大切なツールです。賀状を見ながら、遠い昔のことを思い出し、今も元気に過ごしておられる姿を思い浮かべています。

患者さんのご家族からの年賀状

毎年感動するのは、かつて勤めていた大学病院未熟児室NICUで一緒に過ごした重症新生児たちのご家族から受け取る10通足らずの年賀状です。今から50年ほど前に超未熟児や重症仮死などで生死の境にあった子どもたち、全員もうすぐ50歳、立派な成人です。

賀状を交わしている相手は、社会人として活躍しておられる方、障害者施設に入っておられる方、亡くなられた方など様々です。当時は、自ら先頭に立って診療に当たっていた時で、その児たちのこと、ご家族とお話したことを今も鮮明に覚えています。何だか父親気分なのかもしれません。

メールによる賀状交換

「本年をもって、賀状を失礼します。」の中には、これからは「メールのよる賀状交換」に切り替えるという知らせもあります。私自身も、メールなら簡単に文章が書けるので、望むところです。写真も添付できます。また、フォルダーを作っておけば、整理も簡単です。外国へ出すのも容易です。

メルアドを知っている方々には、徐々にメールでのやり取りに切り替えていこうと考えています。何にしろ、自分の手で書ける間は年賀状を続けていきたいと思っています。お付き合いをよろしく。 2025.1.7.

新年のご挨拶 2025年

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお付き合い下さい。

一昨年までの3年間は、新型コロナ禍、自らの病、道子との別れで、
社会と疎遠になっていました。昨年はようやく体調も回復、平常の生活に戻り、社会福祉法人 芳友の重症心身障がい児・者療育施設の運営に携わり、大阪、信州松本での新生児関連の学会にも出席できました。

大阪、信州松本での新生児関連の学会にも出席させていただき、兼ねてからの約束であった孫娘との広島原爆記念館の見学も果たしました。これも、皆さんからの温かいお心遣いの賜物と感謝しています。

さらに、昨年末には、囲碁サロンの開設ネパールへの旅、バリアー・フリーの新しいワンルームへの移転と慌しい日々となりました。移転は、年々厳しくなる夏の猛暑への対策です。

日本は、経済大国という大きな山を登り詰め、急勾配の下り坂に入っています。これまでの上り坂での私たち世代の体験はもう何の役にも立ちません。
マスコミの報道をみていると、過去のスタンダードをそのまま踏襲しているから、新しい時代に対応し切れずにいろんな不祥事が起こっている気がします。

下り坂では速度を抑えながら、俯かないで、しっかりと胸を張り、先を見つめながら進むことです。
私のような高齢者にとっても、毎日、毎日が新しい未知の世界への挑戦です。
2025年元旦

nakamura.kch0201@gmail.com
http://hajime.boy.jp


Viewing Mt. Everest from Chandragiri Hills

ネパール旅行思い出の動画集

今回のネパ―ル旅行の写真が、娘のMayukoや山本先生から頂いた写真を合わせると100点近く集まりました。普段はあまり撮影することのない私も、今回はかなりシャッターを押していました。

中には興味深い動画も混じっていたので、思い切って動画アルバムに仕上げることにしました。動画の編集はかっては試みた経験はありますが、ここ数年は全く作成しておらず、その方法がわからず、黒川さん、名越さん、Tetsuの助けを借りて何とか仕上げることができました。

早速、親友の岡田訓子さんに観ていただいところ、「まるで竜宮城に入り込んだみたい。ここに長居をして楽しみに耽ってしまうとえらいことになりそうですね。」と、また「この動画は、私達にネパールに興味を持たせて、理解を深めて、仲良くなれるようにinspireしてくれるのに十分なpotentialityを持っていますよ。Good Job!」とのお褒めの評価を頂き、思い切ってアップすることにしました。

Katmanz到着からネパールの結婚式初日

再生時間:1分21秒

 

結婚式2日目及び3日目

再生時間:1分53秒

 

Tribhuvan大学病院とヒマラヤの山々

Dr. R.Pokharelが創設されたTribhuvan大学教育病院の小児外科病棟を訪問。再生時間:2分25秒、

2003年の初回訪問時のアルバム

再生時間:41秒

グルン族Gurungの獣医師に出会って

結婚式の招待者の中には、日本に留学していた方やビジネスで訪日体験があり、流暢な日本語を話される方が多数おられます。

同伴してくれている娘のMayukoは、おしゃべりな中年女性の皮膚科医Kさんと親しくなり、井戸端会議、いろんな情報を聞き出していました。

私の傍で話しかけてくる中年男性Mさんは、大変な酒豪でウィスキーを何杯も飲み続け、日本で過ごした昔話にご機嫌です。彼は沖縄で2年ほど過ごしたそうで、泡盛を現地人と飲み交わし、楽しい時間を過ごしたようです。見た目からして日本人と見間違うような顔貌、日本人にもよくあるタイプ、親しみの持てる小太りのオッサンです。

グルン族Gurungの中年男性に出会って

Mさんの友人の一人Sさんが、同じテーブルに腰掛けていました。彼は、50歳前後と思われ、非常に精悍な顔つきと柔道家のような頑強な肉体をもつ、無口な獣医師の男です。ネパール語でもあまり話しません。

私が、彼に惹かれたのは、都市のカトマンズではなく、山岳民族グルン族の出であり、容貌は日本人に大変似ているからです。グルン族、ヒマラヤ山系のひとつ、アンナプルナ連峰の南斜面に住む山岳民族です。

彼の高校生時代には、車が通れる道はなく、10km以上の山道を歩かなければ麓の町まで辿り着けず、今でも車だけでは無理だそうです。カトマンズに出るよりも、チベットの方が近いそうです。獣医師の彼は、将来故郷に戻り、ヤギの牧畜を夢見ていると目を輝かせて、言葉少なに語ります。

グルン族は勇猛な民族

昔は、羊の牧畜,トウモロコシ,シコクビエなどの農業,チベットとの交易に携わり,狩猟にもたけていました。今日では,牧畜・交易の比重は低下し,稲を栽培する農業が主要となっているようです。

グルン族は、たいへん勇猛な民族で、ネパール軍やインド軍の軍人や、イギリス軍の傭兵,ポーターなどになる者が多いのだと、彼らは誇らしげに語ってくれました。

何より興味深いのは、グルン族の容貌が日本人に大変よく似ていることから、日本人のルーツとして、もう少し調べてみたい気がします。 2024.12.21.

映像作品「グルン We are Gurung」

グルン族をネットで検索したところ、映画「グルン」の公式サイトがヒットした。グルン族の7年間を追った森野継偉監督の映像作品「グルン We are Gurung」で、ヒマラヤの奥深くで生活するグルン族の伝統や慣習の間で揺れる少女の葛藤を描いた作品です。 https://youtu.be/Zeks1m9j4Uk

監督のコメントして、日本の人々は、自分のことだけでも精一杯日々を生きているけれど、ふと立ち止まると知らない国の知らない人たちも精一杯生きているのです。日々の中で一杯一杯になる時もあるけど、そんなときに物差しがいくつかあるとどこか心の拠り所ができるのではと。

ヒマラヤの山々を拝む

私は、2003年3月のネパール訪問に次いで、今回は2度目です。

ネパールは、南および西方はインド、北はチベット(中華人民共和国西蔵自治区)、東はブータンに接する内陸の国、面積14.7万平方キロメートル(北海道の約1.8倍)、人口3,054万人 (2022年 世銀)の国です。

日本とネパールのつながり

日本に在留するネパール人の数は2023年末時点で、17.6万人で、2000年には4千人程度だったため、この20年間で40倍以上に急増しています。現在では日本における外国人居住者数で6番目に多い国籍です。

私が住んでいる東灘区でも、ネパール人と思しき留学生を通りで結構見かけます。また、ネパール料理店もあります。

天空の都市カトマンズ

ネパールの首都「カトマンズ」は、別名「栄光の都」や「天空都市」とも呼ばれるネパール最大の都市です。カトマンズは、ヒマラヤ登山の玄関口としても知られ、ヒマラヤ山脈へのトレッキングや数々の絶景を目にするため、また、世界遺産にも指定されている歴史的建造物めぐりや宗教施設、異文化体験を求めて世界中から観光客が絶えませんが、日本人観光客は限られているようです。

発展途上の首都カトマンズ

はじめてカトマンズを訪れた20年前には、街の目抜通りを牛たちが悠々と歩いていました。どの自動車も決してクラクションを鳴らすことなく、牛が通り過ぎると静かに待っていたのです。

でも、今は牛の姿を見なくなりましたが、どの通りも自動車、自動二輪でいっぱい、クラクションの音が一日中鳴り響いています。自動車専用道もありますが、なかなか追いつかないようです。舗装はされていますが、砂埃が立ち込めています。

高度経済成長が続いていた1950年〜60年代の日本と同じです。偶に大阪に出向いた時に見た光景が思い出されます。武庫川を超えた途端に空が青色から灰色に変わります。帰ると白いワイシャツの襟が黒ずんでいたのです。

10年後のカトマンズの空が澄み渡り、街中からでもヒマラヤの山々が鮮明に見えることを願っています。

ケーブルカーで標高2,200mまで登る

今回のネパール訪問は、結婚式への出席が主目的だったので、時間的にも、カトマンズ市内観光の余裕はありませんでしたが、前回訪れたNagarkotにだけは、もう一度登り、ヒマラヤの山々を眺めたく思っていました。

ところが、もっと近くのカトマンズ市の東方の山、Chandragiriに登っても、ヒマラヤ山脈がよく見えるとポカレル氏に勧められ、Nagarkotではなく、Chandragiriに変更しました。6人乗りのゴンドラ・システムのケーブルカーが2016年に開業し、麓のThankot から2,200mまで9分間で登れるのです。

ヒマラヤの山々を拝む

ケーブルカーを降りると、ヒマラヤの山々が眼前に迫ります。手前の灰色に覆われた部分がカトマンズ市街地です。その向こうに7,000m級の山々が連なっているのです。私の左手人差し指先のあたりが、8,848mの世界最高の山Everestです。

ベンチに腰掛け、これらの山々を眺めていると、身も心も吸い込まれ、研ぎ澄まされていく気がします。 2024.12.18.

Attending a Wedding Ceremony in Nepal

On December 3, I departed Kansai Airport with my daughter, Mayuko. After spending two nights in Bangkok, we finally arrived in Kathmandu, Nepal. There is a time difference of 3 hours and 15 minutes. I was able to attend the wedding ceremony of the son of my close Nepali friend, Professor Pokharel. After an 8-day trip, I safely returned to chilly Japan on the morning of December 10.

Nepali weddings are held over three days.

The first day is hosted by the groom’s side, the second day by the bride’s side, and the third day is the main event hosted jointly by both families.

Each family has over 100 members, and including acquaintances like us, there were over 500 attendees, making it a truly grand celebration. From Japan, there were six participants: Professor Hideki Yamamoto and his wife from AMDA Japan, who contributed to the establishment of a children’s hospital in Nepal, and two members of Mr. Pokharel’s host family from his time studying in Japan.

On the first day, the ceremony was held at the Pokharel residence and was attended only by the groom’s side. Around the numerous gifts from the bride’s side, children joyfully danced, and everyone ate heartily and enjoyed lively conversations.

The second day was hosted by the bride’s side and took place at a hotel. In the garden, a band played Nepali folk music, while various rituals continued endlessly from morning to night. One particularly interesting ritual involved washing the bride’s feet, where relatives took turns sprinkling water over her feet. It seemed to symbolize the bride leaving her parental home and moving into her husband’s household.

The third-day ceremony took place in the evening in a hotel garden, attended by many guests. Later in the evening, a banquet was held in a large hall with round tables, similar to Japanese weddings. However, unlike Japanese receptions where speeches are made on stage with a microphone, here everything was conducted face-to-face in a more personal manner, which made the event quite lengthy. Despite being the main ceremony, the groom and bride had already been introduced earlier, making the atmosphere relaxed and lively.

This tradition of celebrating weddings with such large gatherings shows that the family system is still deeply rooted in Nepali society. That said, the bride and groom, both studying in the United States, were set to return there just two days after the wedding. In 10 years, Nepali wedding customs might change significantly.

December 11, 2024

ネパールの結婚式に参列して

12月3日に、娘のMayukoと関空を発ち、バンコクで2泊、ようやくネパールのカトマンズに辿り着きました。時差が3時間15分あります。ネパールの親友ポカレルさんのご子息の結婚式に何とか参加できました。8日間の旅、10日朝、無事寒い日本に帰国しました。

ネパールの結婚式は、3日間にわたり行われます。第1日目は花婿側の招待、第2日目は花嫁側の招待、第3日目がメインで、両家の主催です。いずれの御家族も100名以上おられ、それ以外にも我々のような知人を合わせると500名以上に及ぶ実に盛大なものです。日本からの参加者は、ネパールの子ども病院設立に尽力されたAMDA Japanの山本秀樹先生夫妻、ポカレル先生の日本留学中のホストファミリーお二人の計6名でした。

第1日目には、ポカレル邸で行われ、花嫁側からのプレゼントを前に、花婿側のみの集まりです。子どもたちは楽しそうに踊りに興じています。皆さんよく食べ、賑やかによく話します。

第2日目は、花嫁側の招き、ホテルで行われ、庭園では音楽隊がネパール民謡を奏でる中で、朝から夜までいろんな儀式が延々と続きます。興味深かったのは、花嫁が足を洗う儀式、親族の方々が次々と花嫁の足に水を振りかけます。生家を離れ、婚家先に移る証のようです。

 


第3日目の儀式は、数多くの参列者のもと、夕方からホテルの庭園で、夜には日本と同じような大ホールの円卓形式です。日本の披露宴と違うのは、壇上でマイクで話すのでなく、終始個々に対面で行われます。だから長時間かかるのです。

本番とは言え、すでに花婿、花嫁の顔見せも行われており、かなりリラックスした賑やかな雰囲気です。

これだけ多くの人に祝福され、結婚式を挙げる風習は、今もネパールでは家族制度が強く残っている証です。とは言え、米国留学中の花嫁・花婿は、式の2日後には米国に戻るそうです。10年後には、ネパールの結婚の儀式もかなり変わっているかもしれません。2024.12.11.

いよいよネパール旅行へ

あの猛暑がつい先日のような気がしますが、もうすぐ12月です。街ではクリスマスの飾り付けと、月日はいつもの年と同じように経っているのです。

カトマンズのTribhuvan大学の小児外科教授であるDr Rameshwar Pokharel先生の息子さん、現在米国のJohn Hopkins Medical collegeに留学中のDr. Shashwatさんの結婚式に招かれ、長女Mayukoと一緒に12月3日から8日間の予定で出かけます。

はじめに話があったのは9月の初め、まだ猛暑の中でした。海外旅行に耐えられるか不安でしたが、Mayukoが一緒に行きたいと言ってくれたので快諾し、ダメ元でチケットを予約しました。何とか行けそうでホッとしています。

これまで、海外旅行といっても、特段興奮することもなく、妻Michikoが買い揃えてくれていた下着類を出発前夜にトランクに詰めるだけでしたが、何から何まで自分でしなくてはなりません。気候の変わり目でもあり、大変です。ところが、早く準備しすぎて、むしろ手持ち無沙汰になっています。

カトマンズの気温は今の神戸と大差ないようですが、ヒマラヤ山脈が見渡せるNagarkotという海抜2,100mの山地に行ってみたいと思うので、厚手の暖かい肌着、毛糸の帽子・手袋と防寒具が必要と言われています。

Mayukoは大変です。結婚式用のドレス、サリーを購入し、早速試着して見せてくれました。サリーはフリーサイズなので、太めの彼女でも平気です。太めの方がよく似合うと言われ満更でもなさそうです。  2024.11.30.

大切なのは品性、品格

最近、兵庫県知事の言動について、兵庫県民としてどう考えているのかと友人から意見されます。兵庫県民として情けない気持ちでいっぱいと答えるしかありません。

ハラスメントの真偽の程はわかりませんが、内部からの告発があるようでは統治能力に欠けているとしか言いようがありません。

今回の知事選では、近年の日和見的なマスコミ報道に愛想をつかし、SNSが威力を発揮したのでしょう。それをうまく活用した者が勝利したようです。

国家の品格

今の世の中、法的に問題がなければ、何でも許されるところに問題があるように思います。世の中、大切なのは品性、品格です。

少なくとも社会の指導者たるものは、その範たるべきです。政策以前の問題です。国の政治家も一緒です。法の隙間をすり抜けようとする態度には目を覆いたくなります。日本も、アメリカと同じかと思うと情けない。

2005年に新潮社から出版された文庫本、数学者藤原正彦氏の「国家の品格」を思い出しました。当時の日本には、世界の趨勢である経済至上主義に取りつかれ、国立大学も法人化され、大学にまでその波が押し寄せていました。

日本人は、欧米の論理に身を売って、法律違反すれすれの行為を、卑怯とも、下品とも思わなくなってしまったと述べています。

孤高の日本でありたい

少子高齢化がより加速する日本。過去の良き時代の思い、欧米に追随すべく経済至上主義を続けている間は、今の混迷はより一層加速するように思います。

日本人はこの世界の趨勢に対し、孤高の日本として敢然と闘いを挑むべきです。私の願いはただ一つ、日本が戦争に巻き込まれないことです。

2024.11.28.

太陽フレアが頻発している

今朝、テレビを見ていると、今後1年は、「太陽フレア」が頻発し、通信障害を引き起こす可能性が高いと話題になっていました。早速、詳細を知りたいとネットで検索すると、「宇宙天気予報」というサイトの存在を知りました。国立研究開発法人情報通信研究機構が毎日配信しているものです。

「宇宙天気予報」サイトをみると

因みに、本日11月23日の「概況・予報」では、

  • 太陽活動は活発でした。引き続き今後1日間、太陽活動は活発な状態が予想されます。
  • 地磁気活動は静穏でした。引き続き今後数日間、地磁気活動は静穏な状態が予想されます。
  • 電離圏は乱れた状態でした。引き続き今後1日間、電離圏は乱れると予想されます。
  • 21日19時25分UTに発生したプロトン現象は、22日18時45分UTに終了しました。

米航空宇宙局(NASA)の10月15日の発表では、太陽が、活動を活発化させる「極大期」に入った。今後1年は、太陽表面の爆発現象「太陽フレア」が頻発し、通信障害が起きたり、広い範囲でオーロラが観測できたりする可能性がある。となっています。

地球温暖化と相まって、心配の種がまた一つ増えました。2024.11.23.