80歳の壁を過ぎたら、人生で一番幸せな20年が待っている

娘が、最近、本屋さんに立ち寄ったついでに、精神科医和田秀樹さんの書かれた、「80歳の壁」という新書本を買ってきてくれた。

その帯封には、「80歳の壁を過ぎたら、人生で一番幸せな20年が待っています!」となっています。810万人「団塊の世代」に朗報!老親を持つ世代必読ともなっています。

娘は、中身をよく見ずに、80の壁を越えたところにいる私を、元気付けようと買ってきてくれたに違いありません。

読み進めていくと、高齢者の身体的、精神的苦悩への対処法、医者へのかかり方が書かれいるだけで、80歳を過ぎるとどうして一番幸せな時代だと言えるのか思って、同年輩の妻に話すと、言下に、「ぼけるからやんか!」と言われ、変に納得しました。

2022.9.15.

熱性けいれんに慌てないで

新学期が始まり、マスク着用下とは言え、対面での生活に戻りつつあり、なんだかホッとします。でも、子どもは、秋口から冬にかけて、いろんな種類のウイルスにかかり、しばしば高熱を出します。

熱性けいれんとは、38℃以上の発熱によって起こるけいれんで、生後6か月から満5歳までの子どもにみられる病気です。多くは5分以内におさまるので落ち着いて対応すれば、問題がありません。万一、けいれんが5分以上続く場合には救急車を呼んで子ども急病センターを受診してください。

熱性けいれんは自然に治り、基本的に後遺症を残さない病気です。予防接種を積極的に受けて発熱を防ぐことが、予防につながります。

熱性けいれんは、日本人の5~10%程度に起きるといわれており、子どもに多い発作性の病気です。熱のない時でも起きる発作性の病気であるてんかんとは、区別されます。
2022.9.7.

中村 肇

きかんしゃトーマス

私が、「きかんしゃトーマス」に関心を持ち始めたのは、自閉症の幼稚園児が外来にある模型を見つけ、長時間食い入るように見続けていたからです。一般的に、自閉症児は車のタイヤなど丸く、廻るものが大好きです。車の横に屈み込み、じっとタイヤを見つめています。

丹波市にある植野記念美術館で、世界中の子どもたちに愛されている「きかんしゃトーマス」の原作の出版75 周年を記念した、きかんしゃトーマス展が開催されていると知り、観に行ってきました。

日本初公開となる作品を含む約180 点以上におよぶ絵本挿絵原画、オードリー牧師による手書き原稿など、多くの貴重な作品が展示されていました。

原作者のウィルバート・オードリー牧師は幼い頃、家の近にあるトンネルから出てくる列車を眺めるのが大好きだったそうです。お父さんになったオードリー牧師は、病にかかった息子を元気づけようと、擬人化された機関車のお話を、語り聞かせます。これが「きかんしゃトーマス」の始まりです。
その後、26 冊の絵本が出版され、模型を使った実写アニメーションが放送されるなど、トーマスシリーズは大人気になりました。現在でもCG アニメが放映されています。

トーマスの物語には、擬人化された列車に、「正直さ」や「仲間への思いやり」そして「努力」の大切さといった、子どもに伝えたいメッセージが込められており、世界中の子どもから大人まで幅広い世代が共感できるものです。2022.7.21.

スズメバチに刺されないように

もうすぐ夏休みです。涼を求めて六甲山に家族で登る計画を立てておられる方も多いかと思います。山登りにおいて、最も出会う確率が高い危険な生きものがスズメバチです。スズメバチは、ハチの中でも比較的大きく、かつ攻撃的で、猛毒を持っています。

スズメバチが襲うのは

スズメバチは、木の洞や土の中、建物の軒下などに巣を作ります。中でも、土の中に巣を作るオオスズメバチは、最も危険で、絶対に近づかないことです。ハイキングコースの近くに巣を作ることが多々ありますので、注意が必要です。

スズメバチが攻撃してくるのは、自分たちの巣を守るためで、何もしなければ襲ってくることはありません。つい手で払ってしまったり、あるいは気づかずに巣に近づいてしまった場合など、ハチを警戒させてしまったときは、姿勢を低くして、ゆっくりとその場を離れてください。決してそれ以上ハチを刺激しないようにしてください。

ただし、一度でも刺されてしまうと、毒液の匂いによって他のハチまで攻撃的になり、集団で攻撃してくる危険性が高くなります。その時は、走ってでも速やかにその場から離れることです。

スズメバチに刺されてしまったときは

まず刺された場所から離れ、水で傷口を洗い流しましょう。手で毒液を搾り出すようにすれば、毒を薄める効果が期待できます。口で吸い出さないように。

もし、刺された後に全身の震えや発疹、吐き気、嘔吐、めまいなど、アナフィラキシー・ショックの症状が出たときは非常に危険です。これらの症状は刺されてから30~60分以内に出ることが大半です。症状が出たときは、一刻も早く救助を要請しましょう。

ハチ毒によるアレルギー反応

スズメバチによる死亡は、毒の直接作用によるものは極めて稀で、ほとんどがハチ毒によるアレルギー反応(アナフィラキシー・ショック)によるとされています。その危険性は、子どもよりもお父さんの方が大です。
死亡例は50歳以上で、若年者の死亡例は全くみられないと言われています。その理由として、若年者は刺された累積回数が少なく、アレルギー抗体の産生が不十分で、免疫反応が起こり難いため、アナフィラキシー・ショックに至りにくいと推測されています。
2022.7.20.

参考:神戸市HP、「六甲山に登る皆さまへ」という、登山者への注意事項の一つとして、スズメバチへの対処方法等が詳しく記載されています。

マスク越しでも、よく笑う赤ちゃん

マスク姿が日常化した今日この頃です。マスクを外した顔を知らない赤ちゃんがどのように発達するかと、案ずる向きもあります。

昼前の電車で、ベビーカーに乗せられ、ぐずって泣き出した6ヶ月前後の赤ちゃんに出会いました。お母さんは、泣き止まそうと、手を握ったり、振ったりしますが、泣きやみません。ベビーカーに備え付けのおもちゃを握らせようとしますが、はね除けてしまいます。

私がじっと、赤ちゃんを見つめていたところ、偶々赤ちゃんと目が合いました。母親の視界から外れた位置にいる私は、少し大げさにマスク越しに目だけで話しかけると、赤ちゃんは私に興味を持ち始めました。

もうしめしめです。目で大げさに笑い掛けると、赤ちゃんも反応して笑い返してきます。気付かぬお母さんは、相変わらず赤ちゃんの後方からあやし続けており、赤ちゃんがなぜ泣き止んだか分かっていません。

私は、エレベーターで赤ちゃんに出会うと、お母さんの背後から語り合うのが昔から大好きです。至近距離ですからよく反応してくれます。家内からは、今に訴えられると注意されるのですが、止められません。

今回わかったのは、マスク越しでも、目だけで十分に赤ちゃんとコミュニケーションがとれることです。

お母さん方、赤ちゃんには、マスク越しであっても、正面から、しっかり目を見て、語りかけて下さい。
2022.7.14.

窓を閉ざした電車

私は、JRで摂津本山駅から三宮駅に向こう折には、いつも浜側の座席に腰を下ろし、四季折々に変化する六甲の山並みを見るのが大好きです。

今でも思い出すのは、フランス留学から帰国した50年前です。パリから、スイスを経て、イタリアまで車で旅をした時のアルプス越えの光景は印象的でした。でも、帰国後、JRで朝、大学への勤務に向かう途中の、六甲の山々の緑は、アルプス以上に素晴らしく思え、神戸に住んでいる幸せを感じました。

久しぶりに、JRに乗って三宮に出かけるときです。通勤時間帯を過ぎ、空席の目立つ電車でしたが、室内は薄暗く、何か異様でした。いつものように浜側の座席に腰を下ろし、外を眺めようとしたところ、どの窓もブラインドで閉ざされており、何も見えません。浜側のブラインドが下ろされているのは納得できますが、山側は納得がいきません。

見ると、その前に座っているのは若者たちで、終始俯いてスマホの画面に見入っています。彼らには見慣れた車窓の風景よりも、スマホの方が興味深く、背面から照らしつける光は画面を見難くするだけのようです。

車窓の風景を楽しめず、まるでトンネルの中を走る電車に乗っているような、落ち着かぬ時間でした。
2022.7.14.

おいで、アラスカ2

この本は、アンナ・ウオルツ作、野坂悦子訳、フレーベル館2017年刊行の小学校高学年向きのお話です。12歳の少女パーケルと13歳の少年スフェンが主人公の物語で、ふたりをつなぐものとして、一頭のてんかん発作に対応できる介助犬ゴールデンレトリバー、アラスカが登場します。

てんかんという病をもつ少年スフェンは、「いつ、なにが、起こるかわからない」という不安な毎日を送っています。また、少女パーケルには、注意欠陥多動障害(ADHD)の3兄弟がいます。

パーケルも、スフェンも、これらの病気のために、同級生からのいじめにあい、満足に学校に行くことができません。子どもたちの学校生活を送る上での困難さが、赤裸々に描写されています。ところが、ある事件を機会に、友人たちとの溝が埋まります。

新型コロナ、戦争と不安定な社会に生きる少年・少女たちが、未来に向けて力強く歩み出すには、彼ら自身による「きっかけ」が大切です。

2022.7.13.

八十過ぎてわかったこと

PDF版(縦書き)をダウンロードして、読んでください。

印刷して読まれるときには、A5版用紙に、文字の大きさを普通の人なら50%、高齢者は60%で印字すると、読みやすいと思います。

また、iPadで読まれるときは、原寸で。縦書きの原稿ですから、読書用無料アプリ「i文庫S」をダウンロードし、使われることをお勧めします。詳細をクリックし、縦書きを選択すると読みやすいです。


内容:

これまで、あまり年齢を意識することなく過ごしてきたのですが、80歳を過ぎたあたりから、思いもかけぬ出来事が次々と襲ってきます。

80歳を過ぎて体験すること、はじめて気付いたこと、同年代の方々には納得いただけても、後輩たちには理解不能なことがたくさんあります。

社会の先行きが不透明になっている今だからこそ、余計なお世話かもしれませんが、この3年間の出来事を冊子としてまとめてみました。

はじめに
第1章 老いを楽しく生きる
第2章 80歳での大きな試練
第3章 高齢者と新型コロナ
第4章 ポストコロナ社会への期待
第5章 社会が後戻りしないように

気になり始めた認知症

歳をとると、気になるのが認知症です。物覚えが悪くなり、特に人の名前を思い出せない時には、自分もついにボケが始まったかと不安になります。同年輩の友人との会話でも、身体的な老化症状とともに、認知症への恐れが増えてきました。

小児科医の私は、認知症は全くの専門外ですが、友人たちから相談されると、医師として余りいい加減なことも話せません。自分自身が、日本人の平均寿命を超え、周りをみていると、認知症も他人事とは思えない今日この頃です。

同年輩女性の4人に一人が認知症

まず、どの位の頻度で認知症を発症するものかと、私が懇意にしている精神科名誉教授で、認知症の権威である前田潔先生に伺いますと、65歳以上になると有病率が15%、その割合は年齢とともに増加し、私の属する80-84歳では、男が17%、女が24%ということです。90歳を超えると、男も、女も半数以上の人が認知症になっているようです。

90歳が人生の大きな節目らしい

我々の年齢層の平均余命が8年、ちょうど90歳あたりです。どうやら、90歳というのが大きな節目で、仲間の半数が生き続け、生きていても半数が認知症になる計算です。

少しは勉強をしなければと、最新の認知症特集の掲載された臨床医学雑誌を手に入れ、一夜漬けではありますが、同年輩の友人たちの不安解消に役立てばと、いくつかの話題を取り上げます。

認知症とは、一体どんな病気?

認知症は、英語でdementiaと言い、以前は痴呆と訳してました。日本神経学会の「認知症疾患治療ガイドライン2017」によりますと、「獲得した複数の認知・精神機能が、意識障害によらないで、日常生活や社会生活に支障をきたすほどに持続的に障害された状態」を認知症と定義しています。運転免許を返上した私ですが、電車・バスで不自由なく動き回れていますので、まだ発病には至っていないようです。

その原因疾患として、よく知られているのがアルツハイマー病、レビー小体型認知症といった中枢神経変性疾患、血管性認知症です。治療可能な内科疾患でも認知症が引き起こされることから、不安のある方は一人で悩まず、受診をお勧めします。

MCI(Mild Cognitive Impairment:軽度認知障害)

本人や家族から認知機能の低下の訴えはあるものの、日常生活は問題なく送ることができている状態のことをMCI(Mild Cognitive Impairment:軽度認知障害)と言うそうです。

65歳以上では、当該人口の約15%、約460万人が高齢者認知症と診断されており、MCIの該当者も13%、約400万人と推定されています。(厚労省認知症対策総合研究事業研究報告書、2012)

MCIは、認知症有病者には含まれませんが、認知機能の低下が起きており、放置すると症状が進み、認知症へと移行する可能性が高いと考えられています。年間にMCIの10%が、症状が進行し、認知症へと移行するそうです。

日常生活は問題なく送れていても、認知症予備軍と言われると、この歳になると、誰しも不安になります。妻から、「あんた、ボケてきたん違う?」と指摘され続ける自分は、「前からや!」と開き直りはしているものの、認知症予備軍そのものです。ゴルフのスコアが、大叩きが原因でよく分からなくなります。認知力よりも、体力増強の方が必要かと考えています。

認知症の方やご家族を支援する神戸モデル

神戸市では、認知症の方やご家族を支援する仕組み、認知症患者の早期発見のための診断助成制度と事故救済制度を組み合わせた「神戸モデル」を2019 年1月より開始しています。

神戸市としては、認知機能検診を無料で実施することにより、早期発見し、認知症患者として登録してもらう方が、トラブルを未然に防ぎ、社会的メリットが大きいようです。

高齢発症の認知症は進行が緩やか

ご安心ください。認知症の有病率は、80代後半になると40~50%となりますが、高齢発症の認知症は進行が緩やかで、記憶障害が出ても、それ以上には進まない方も結構おられるとの前田名誉教授の言葉を頼りに、歳を重ねていきたいと思っています。

2022.6.25.

太平洋戦争末期の神戸市街の惨状 従兄の記述より

中村和成著 わが母校誕生のころ;本学の神話時代

本文は、私の従兄で、神戸医科大学の第1回卒業生の中村和成が、医学部の同窓会、「神緑会学術誌」に書き遺した「わが母校誕生のころ : 本学の神話時代 (2)」の引用です。

ここには、昭和20年の2月から3月にかけての神戸大空襲の様子が細やかに、1926年生まれの彼にしか書けない神戸市街の惨状が生々しく記述されています。

神戸医大は、神戸駅の北側、湊川神社の更に北の高台に建っています。隣の大倉山には高射砲台がありました。ほとんど敵機に命中することがなかったそうです。私が高校生になった時にも、その台座は残っており、その周囲は永らく家を失った被災者の住み家となっていました。

和茂兄さんとは、父・母が、兄弟・姉妹というダブル従兄弟で、小学生の頃からよく可愛がってくれていました。中学生ごろから夏休みには、することがないので、彼のいる解剖学の研究室によくついて行きました。帰り道、三宮の生田筋にあるロシア料理店「バラライカ」で、食べさせてくれたピロシキとボルシチスープの味は今でもよく覚えています。

私が同じ神戸医大に進み、フランス留学したのも彼のお陰です。私は、13歳から63歳まで、じつに50年間お世話になった学舎です。

2022.6.15.