碁盤切り

これは、いま上映している映画の題名です。私が参加している囲碁クラブのメンバーたちの間で話題になっていたので、日曜朝なら空いているだろうと、私も神戸国際会館のシアターまで観に行きました。
ところが、結構予約で埋まっており、開演前には多くの中年の女性客が続々と入ってきます。世間には囲碁ファンがこんなに多いのかと驚いていました。

しばらくして、気づいたのはこの映画、主演草彅剛が、冤罪をかけられ復讐に燃える武士に挑んだ時代劇です。囲碁ファンではなく、草彅ファンの集いだったのです。

筋書きは冤罪事件に巻き込まれ、藩を追われ、下町長屋で浪人生活をしながら、復讐のチャンスを窺うよくある筋書きです。同じ時代劇を見るなら、隣のシアターで上映していた池波正太郎の「鬼平犯科帳」の方が私には面白そうです。

ワンカットだけ、セリフもありませんでしたが、日本囲碁界のトップ棋士、井山裕の風格ある指先が光っていました。

2024.5.26.

 

囲碁の他流試合に臨み・学ぶ

高校時代のクラスメイトであり、神戸大学工学部出身の森岡宏次くんの紹介で、神戸大学学友会の中にあるKUC囲碁クラブに入会することにしました。彼とは互先の良きライバルです。

昨日、春季KUC囲碁大会が中央区であり、早速参加させて頂きました。試合形式は本格的で、タイマーが備えられ、持ち時間40分、時間切れで敗者になります。総勢15名が二つのグループに分かれ、私は上位者グループで1日に4試合し、2勝2敗のまあまあの成績でした。同じグループには、元県代表として全国大会に出場していた囲碁アマチュア界では有名なMさんもおられます。

Mさんにアマチュア囲碁界の話を聞く

大会後の懇親会で、相席したMさんから大変興味深いアマチュア囲碁の話をお聞きすることができました。私より9歳年下のMさんは、兵庫県下での囲碁普及活動やアマチュア囲碁大会開催のお世話をなさっています。

と同時に、プロの女流初段クラスならほぼ対等に勝負できるという彼自身が、どのように囲碁に取り組んでいるかについても話を聞くことができました。彼も、AI を活用したYouTubeで毎日学習しているそうです。

アマチュア囲碁界の移り変わり

私がいつも参加している東灘区の碁楽会も、この神戸大学同窓会の囲碁クラブも、そのメンバーの大半は70歳以上の方ばかりで、60歳代の方はほとんどおられません。どちらも例会が平日の昼間であることが関係しているとばかりと私は思っていましたが、もっと大きな要因があるとMさんは言います。

60歳代が就職したころ(昭和55年ごろ)までは、職場には碁盤が置いてあり、仕事の合間にあちらこちらから石音が聞こえてきました。夕5時を過ぎるた医局では、当直医もビールを飲んでおり、カンファレンスか宴会か、わからないようにたむろしていました。
次第に、職場のコンプライアンスの問題が厳しくなるに従い、職場から碁盤が消え、囲碁人口も減っていったようです。

いまは、家庭においてネットで、AI相手に囲碁対局できる時代です。プロ棋士たちは活用していますが、まだ高額で一般のアマチュアには負担が多すぎます。
でも、近い将来、飛躍的に普及し、世界中の囲碁ファンがAI相手に囲碁を学び、各地で大会が催されることが期待されます。 2024.5.24.

KUC囲碁クラブの会長岡村二郎氏が撮影されたタカ目のハチクマ(全長59cm、翼間1.3m)。2年前に五島列島福江島で撮影されたそうです。大空を舞って、俯瞰するさまが素晴らしい。

私の休日の過ごしかた

今日は、朝から盟友の龍助くんと、神戸市で開催されている世界パラ陸上大会の応援に出かけました。地下鉄総合公園駅からユニバー会場まで歩いていると、多くは日本人の子ども連れですが、いろんな国の方々もおられ、さすが国際大会という雰囲気に包まれています。

会場内に入って空を見上げると、あやしい空模様になってきましたので、銀傘のある中段より上のわずかに残っていた席に並んで座ることができました。トラックでは、義足をつけた選手の100m走や車椅子での800m走があり、そのスピードには驚かされます。時折、日本選手が出場すると会場からの声援が一段と高まります。

私も、龍助くんも、特段陸上競技に関心が高いわけではなく、会場の掲示板に映し出される文字が小さすぎて、どの国選手か、なんの競技かよくわかりません。アナウンスに集中していると、どうやら北欧・東ヨーロッパ・西アジア圏の国々が多い感じがしました。座席にも、当日競技のない外国選手や応援の人たちが結構混じっており、国際色を感じさせます。

入場して1時間を過ぎた頃より、生憎の雨。足元から段々冷えてきて、二人ともトイレに行きたくなりました。階段の上り下りが大変な上、指定席ではないので一旦席を離れるともう元に戻れません。冷えた身体を温めるために、熱いうどんかラーメンを食べようと三宮に戻ることにしました。

ふたりでよく行く三宮高架下にある碁会所近くの飲食街でなら、食べられるだろうと歩いていると、昔懐かしい「眠眠」を見つけました。定番の餃子と味噌ラーメンを食べ、碁を一局して帰宅しました。

夕食には、冷凍保存しているイワシのすり身のフリットと野菜たっぷりのミネストローネとイタリア風料理としました。イワシは私の最高の好物です。イワシのすり身を毎回作るのは大変なので、最近は一皿4匹入り150円を二皿買い、細かく刻んだにんにくとしょうがをたっぷり入れ、4分割して冷凍保存しています。

にんにくを刻んだり、すりおろしたりするときに発生する成分「アリシン」が強力な抗菌・殺菌効果があるので、傷みやすいイワシの保存には必ず加えるようにしています。2024.5.19. 

子どもの「ことばの遅れ」

先日、「クロノス」と「カイロス」の原稿を書くときの参考資料を探していると、イタリアの政治哲学者ジョルジュ・アガンベン著、「幼児期と歴史」―経験の破壊と歴史― という1冊の本に出くわしました。タイトルに惹かれて早速注文したところ、いきなりカントやヘンゲル、ベンヤミンやハイデッカーという名前が連なっています。これは間違って注文したと後悔していると、私にも理解できそうな興味ある文章に出くわしましたので、紹介します。

「言語活動」をもつのは人間だけ

「音声」は、苦痛と快楽のしるしであり、動物たちも所有しており、音声を通じて、互いに交信し合っています。
「音声」に対して、「言語活動」は都合の良いものと都合の悪いもの、また、正しいものと正しくないものとを表明しようとする媒体なのです。これは他の動物に比べて、人間だけがもつ特有の感覚であると、アリストテレスが「命題論」の「音声と言語活動」の一節に記述しています。

言語学的活動は、遺伝学的コードに文化的伝統を付け加えたもの

「自然」は遺伝学的コードを通じて伝達される相続財産であるのに対して、「文化」は遺伝学上のものではない媒体を通じて伝達される財産であると定義されます。

この面から考えると、言語学的活動は、遺伝学的コードに文化的伝統を付け加えたものであり、二重の遺伝によると特徴づけられます。鳥類の一部では、同種の個体の歌声を聴き取る可能性を早い時期に失ってしまうと、正常な歌声の一部分しか発することができません。

ヒトの子どもも、2歳から12歳の時期に言葉が実際に発せられている現場に身をさらしていなかったら、その子は言語活動を習得する可能性が決定的な危険にさらされます。この観点からすると、ヒトは言語活動を生まれつきもった動物ではなく、それを欠いており、外部から受け取らねばならない動物なのです。
子どもの言葉の遅れについて、今一度考え直す機会となりました。 2024.5.17.

囲碁大会で優勝し、六段に昇格しました

昨年11月の秋季囲碁大会優勝に引き続き、この度の春季囲碁大会でも優勝、六段に昇格しました。私の所属するクラブは、東灘区碁楽会といい、週に2日、平日午後に区民ホールで開催され、メンバーは約30名です。定年退職されて間もない70歳代の方が大半です。最高齢の方は88歳ですが、至ってお元気で、まだお仕事もされているそうです。私は2番目です。

囲碁再開のきっかけ

いつも親しくして頂いている私とほぼ同年代で、神戸大学元工学部長の北村新三先生から、このクラブへの参加を誘われていたのですが、これまでは時間に余裕のあるときには、ゴルフに精を出していたので、延び延びになっていました。

昨年春に、道子も、私も体調を崩し、ゴルフが難しくなったので、6月からこのクラブに参加させて頂くことにしました。私は、学生時代に仲間たちとよく囲碁をしていたので、ある程度の心得があり、三段で入会させて頂きました。

この歳でよもや上達するとは思わず、暇つぶしのつもりで入会したのですが、1年足らずの間に三段から六段へと三段も昇格し、一気にクラブの中での最高位になってしまったのです。道子がなくなった昨年9月ごろから、脳の中の薄皮が剥がれ落ちたように、自分でも不思議な位に先が読めるようになり、急に強くなったのです。

80歳を過ぎても人間の脳は進化する

道子には、これまでの感謝を込めて早速優勝報告をしましたが、他人には自慢話すぎて、話し難いので黙っていました。偶々、元同僚の西尾久英先生から電話があり、話のついでにこの話を少ししたところ、高齢者に夢を与える話だから是非ブログにと背中を押され、思い切って筆をとることにしました。

マスコミでは、高齢者=認知症のような取り上げ方をしていますが、今回80歳を過ぎても人間の脳は進化し続けていることを立証できたように思います。

これまでから、欧米では研究者や指揮者の中に、結構高齢の方がおられるのは、豊かな経験・実績に基づくものとばかり思っていましたが、彼らの脳が、年齢に関係なく、日々進化し続けているからだと思うようになりました。

ここからは医学的考察

新生児学を専門にしていた私は、赤ちゃんの脳の生物学的な発達について研究を続けていました。

人間の脳細胞の数は、胎児期に最も多く、出生した瞬間から日々減少していくのです。脳の働きは、脳細胞の絶対数で決まるのではなく、脳細胞と脳細胞の神経繊維による連携、神経ネットワークによって成り立っています。ですから、脳細胞の数が減り、重要な神経ネットワークのみが残ると、脳はより効率的に機能します。

われわれ高齢者は、体力的には若者に劣りますが、不用なネットワークを削ぎ落とした高齢者の脳の働きは、決して若者に負けないのです。

高齢者よ。自信を持って生き抜きましょう。

2024.5.15.

 

クロノス時間とカイロス時間

「クロノス時間」とは、過去から未来へ一定速度・一定方向で機械的に流れる連続した時間であり、「カイロス時間」は一瞬や人間の主観的な時間を表す、内面的な時間を指します。カイロスも、クロノスもギリシア語で「時」を表す言葉で、ギリシャ神話の神の名前が由来です。

高齢者と時間

先日、高校時代のクラスメイトと話していると、歳を重ねると1日、否1時間があっという間に過ぎ去ることから、「クロノス時間」と「カイロス時間」が話題になりました。
私たち高齢者にとってあっという間に過ぎ去る時間の速さは、仕事・動作スピードの低下による焦りから生じる「クロノス時間」ではなく、時計の針が回る速さとは関係のない余生をいかに過ごすかという内面的な思い、「カイロス時間」を中心に考えているように思えます。

「医師の働き方改革」と「時間」

医師や教師の働き方改革が話題になっていますが、このような人間の内面に接する仕事がクロノス時間でのみ議論されており、本来はカイロス時間が問題なのです。
「からだ」も「こころ」も絶えず変化している患者さんの不安を解消し、納得して医療を受けてもらうために寄り添う時間は、有限のクロノス時間ではなく、無限のカイロス時間です。長時間労働が問題になっていますが、医師には自らのカイロス時間を備え、自らをコントロールする能力が求められます。

ゆっくりとひとの話を聞く

相手に自分の話を聞いてもらいたい時には、無限の時間を準備して望むことです。私は、職場のトラブルで「難しい話し」を相手としなければならないときには、いつも誰もいない静かな休日の朝に時間を設定していました。
自分の意見に納得してもらうには、1日かけて同じ話しを何度も繰り返す覚悟で臨み、話し相手が席を立つまでは絶対に先に席を立たないことです。今思うと、カイロス時間で対話し、相手と気持ちが通じ合えていたようです。
2024.5.14.

 

 

空海 密教のルーツとマンダラ世界

昨日、朝起きるとあまりの快晴なので、奈良博物館で行われている空海生誕1250年特別記念展を、ひとりで観に出かけました。

空海の教えは、「虚空尽き、衆生尽き、涅槃付きなば、我が願いも尽きなん。」この世の全ての物が消滅し、弘法の世界が尽きるまで、私は人々が救われることを願い続けるという意味のようです。

密教とは

衆生救済を願った空海が、人々を救うためにたどり着いたのが密教です。空海は、中国・唐にわたり、師匠の恵果(けいか)から密教の全てを受け継いだと言われています。
さて、密教というと何か神秘的で、恐ろしいと感じさせますが、空海は「密教は、奥深く文筆で表し尽くすことが難しい。そこで図や絵を使って悟らない者に開き示すのだ」と述べています。マンダラの世界として、その教を立体的な空間で表わしたもののようです。インドから中国やインドネシアへ、そして中国から日本へと   2024.5.10.

溶連菌感染症の流行に注意しましょう

ここ数年、新型コロナの流行で、みなさんマスクし、厳重な感染対策をとってきたので、夏になるとこれまで繰り返してきた子どもの感染症の流行がありませんでした。そのため、免疫力がなくなり、大流行の恐れがあります。

夏に流行しやすい感染症のひとつである溶連菌感染症は、ときに、心臓弁膜に障害などを起こすリウマチ熱や、急性糸球体腎炎につながることもあるので要注意です。

はじめの症状は、多くの夏カゼと同様に発熱(38〜39℃)と“のど”の痛みです。繰り返しかかることもあり、大人になってもかかります。咳やくしゃみなどによって近くの人に感染(飛沫感染)し、溶連菌に汚染された食品が原因のこともあります。

夏カゼの多くはウイルス感染症ですが、溶連菌感染症は細菌感染症であり、適切に抗菌薬を服用すれば、効果があります。小児科医を受診すれば、溶連菌検出用の専用キットがありますので、容易に診断できますので、早めに受診することです。

2024.5.6.  「地域子育てネットワークだより」6月号

 

台所と私

これまでの私は、道子の指示通り動くロボットのようなもので、せいぜい食器洗いの手伝いくらいでした。今は、自分自身で調理しなければ生きていけないので、毎食台所に立つようになったのです。

気になるのは、冷蔵庫・食器棚・調理器具の入った引き出しの中、ぎっしり詰まった「もの」、「もの」です。あんな状態でも、彼女には物の在り処が分かっていたようで、意見することはできませんでした。

冷凍庫の整理

先ず手をつけたのが、冷凍庫です。賞味期限に問題なくても1年以上前に仕入れたもの、いちど溶けた痕跡のあるもの、私の好みでない食材は、即刻処理できました。とりわけ、冷凍庫の詰めすぎは、熱効率から言っても不経済です。1か月も経たないうち、収納庫の半分は空になっていますが、何の不自由もなく生活できています。

沢野ひとしさんの「台所の哲学」に学ぶ

最近届いた某社の広報誌に、沢野ひとしさんの「台所の哲学:キッチンの春の大掃除」というエッセイが載っており、その中に、食べ物には賞味期限があるが、食べ物を作る道具の捨て時の難しさが述べられています。

不用だと思っても、妻や子供が、「待って、それは捨てないで」と言えば、それを押し切ると大変なことになります。対策としては、春から初夏の、水もぬるみ、陽も柔らかく、鳥もさえずり出すこの時期が「台所の片づけ」の大きなチャンスだと言うのです。

今朝は、青空が澄みわたり、朝日が燦々と輝いています。しかも、「燃えないゴミの回収日」。前から気になっている私にとっては不用のなべや包丁、使用法の分からぬ調理器具類を手当たり次第にビニール袋に詰め込み、運び出しました。清々しい気分で朝のコーヒーを口にしています。

料理は化学実験のようなもの

台所で洗いものをしていると、何だか大学院生時代の研究室生活が思い出されます。当時、ピペット・ビーカーなどのディスポの製品はなく、ほとんどがガラス器具で、器具の洗浄にかなりの時間を費やしていました。洗ったものを電灯に翳して、汚れが残っていないか確認しながら、作業を進めていた思い出が蘇ってきました。食洗器など使わなくても、手洗い方が美しく、かつ効率的にできます。

料理も、化学実験も、わずかな配合の違いで、全く違うものが出来上がります。料理の難しさは、化学実験に比べて、配合比率が大雑把であることです。

魚の煮付けのレシピをみると、醤油:大さじ2、みりん:大さじ2、砂糖:大さじ1。これに酒、水に混ぜて、生姜、長ねぎなどの野菜を適量という記載だけです。大さじ1杯といわれても、すり切りか、少し山盛りか迷います。肝心の酒、水の量はというとあまりはっきりしません。道子に尋ねると、そんなの関係ない、濃すぎたら水を加えればよいというのでした。なるほど道理です。酸性水とアルカリ水で、pHを調整するのと同じか。。

料理では、小皿にとってよく味見されていますが、私にとってあの行為は苦手です。どうも口に含むことができません。目と鼻をフル回転させて味付けをするだけです。2024.5.2.