人工知能(AI)は莫大なエネルギーを消費しています

自宅のパソコンやスマートフォンで、いろんな情報を検索し、アクセスできるのは、人工知能(AI)のお陰です。

現在のパソコンは一瞬のうちに答えを出してきてくれます。手のひらに乗せたゲームソフトで遊んでいても、ほとんど電力を使わず、タダ同然と勘違いしていませんか?

自分の手元での電力消費は確かに僅かでしょうが、どこか遥か離れたところに置かれたサーバーでは大きな電力が使われているのです。

ビットコインは途方もないエネルギーを消費している

ビットコインなどの暗号通貨が、世界中で注目されていますが、価格設定の基本となるマイニングには複雑な数式の計算が必要であり、高い演算能力をもつコンピューター機器を必要とし、途方もないエネルギーを消費するそうです。

現在ビットコインのネットワークに使用されている電力量は、年間1,420億kWh(キロワット時)に達しており、この数値はノルウエー国全体の消費電力量を上回り、世界の電力消費量の0.65%を占めているそうです。

国内のデータセンターの消費電力も増大傾向

2018 年のデータセンターの消費電力は、国内140億kWh(キロワット時)、世界で 1,900億kWh と推定されております(資料2) 。これは、日本全体の総電力消費量1兆kWhの約1.4%に相当します。

現在の計算負荷の増大傾向が、将来にわたって継続し、現在入手可能な最新機器を用いたと仮定すると、2030年には7倍の電力が必要となります。

Google は脱炭素化で事業を運営

Googleが、全世界で使用する電力量は2017年に76億kWh  (キロワット時)にのぼり、前年から20%以上も増加しており、今後も増え続けることは確実だと言われています。

Google は 2030 年までに、地域を問わず 24 時間 365日、カーボンフリー・エネルギーで事業を運営するという社告を出していますが・・・・。

「富岳」が使う電力量は、30メガワット時

「京」の100倍の性能を目指して作られた「富岳」は、省エネ性能を競うGreen500でも9位に付けています。

「富岳」の最大消費電力量は、1時間当たり3万kwhです。4人家族が1ヵ月に使う電力量は400kwhですから、これは1所帯の約6年分(75ヵ月分)に相当します。

AIを上手に活用しよう

AIが進化すれば、電気自動車が静かに走るスマートシティーができ、最新の電子通信機器を用いて、市民生活の無駄が省かれれば、エネルギー消費の減少に直結しそうですが、あまりAIに頼りすぎると、不必要な電力消費を招きそうです。

「脱炭素社会」+「省エネ社会」の実現」へ

世界各地から、異常気候による豪雨災害、高温化による被害が伝えられてきます。地球温暖化対策として、これまでの化石燃料から再生可能エネルギーの導入拡大に向けた国際的な「脱炭素社会の実現」への取り組みが行われています。

より問題なのは、不必要な電力を消費しないことです。SNSなどを通じて、情報が世界中に飛び交っています。ジェット機で移動することを考えれば、省エネにはなっていますが、再生可能エネルギーも有限です。

2021-7-23


資料1. 地球温暖化対策推進法が5月26日に成立

「2050年までの脱炭素社会の実現」を明記した改正地球温暖化対策推進法が5月26日に成立しました。再生可能エネルギーの導入拡大に向け、自治体が「促進区域」を設ける制度を創設し、温室効果ガスの削減とともに地域活性化にもつなげるように、脱炭素目標を法律に位置付けて官民が長期的に取り組み、投資を促す狙いもあるようです。(神戸新聞2021/5/26)

資料2. 情報化社会の進展がエネルギー消費に与える影響

国立研究開発法人科学技術振興機構低炭素社会戦略センターより 令和3年2月

2018年度提案書では情報化社会の進展に伴う世界の IP トラフィック(インターネット回線網)が 2030 年に現在の30倍以上、2050 年に4,000倍に達する予想を前提として、それに伴う膨大な消費電力増加の可能性を指摘した。

本提案書では、データセンターの消費電力について、その構成機器に着目してどのような設備・機器が、どの程度消費電力の増大に寄与しているかを検討した。

また、トラフィックの増加と計算負荷が関連する業務をベース業務とし、近年比重を増しているディープラーニングなど、トラフィック量とは直接関連しないと思われる業務をAI業務とし分けて検討した。

その結果、2018 年のデータセンターの消費電力は国内14TWh、世界が 190TWh と推定された。さらに、現在の計算負荷の増大傾向が将来にわたって継続し、現在入手可能な最新機器を用いたと仮定したときの(将来の技術進歩は織り込まない)消費電力は、国内が 90 TWh(2030)、12,000 TWh (2050)、世界が3,000 TWh (2030)、500,000 TWh (2050)と推定された。    データセンター消費電力の50%をサーバが、25~30%を電源と冷却系が、次いでストレージが10%程度を占める。特にサーバは将来的にはデータセンター消費電力の60 ~ 80%を占めると推定され、この消費電力の低減が最も重要である。消費電力低減効果が大きいデバイスは CPU、GPUであり、消費電力性能(Gflops /W)として2030年に現在の3~10倍程度、2050年には1,000 倍程度が目標となる。またメモリ、電源、ストレージも 2030年に1/10、2050年に1/1,000 程度への消費電力低減が目標となる。

資料3. Google は脱炭素化で事業を運営

Googleが、全世界で使用する電力量は2017年に76億kWh(キロワット時)にのぼり、前年から20%以上も増加しています。今後も増え続けることは確実です。

気候変動の抑制が求められる中で、電力使用量の増加を可能な限り抑えるとともに、CO2(二酸化炭素)を排出しない自然エネルギーの電力に切り替えることが、Google の事業を持続可能なものにするうえで重要な取り組みになっています。 (自然エネルギー団 Renewable Energy Institute, 2019)

Google は 2030 年までに電力供給を完全に脱炭素化し、地域を問わず 24 時間 365日、カーボンフリー・エネルギーで事業を運営するという新たな道を切り開こうとしているという記事も出しています。(Google 社HPより、https://sustainability.google/intl/ja/progress/energy/)

資料4. ビットコインは途方もないエネルギーを消費している

ビットコインなどの暗号通貨が、世界中で注目されていますが、価格設定の基本となるマイニングには複雑な数式の計算が必要であり、高い演算能力をもつコンピューター機器を必要とし、途方もないエネルギーを消費するそうです。

現在ビットコインのネットワークに使用されている電力量は、年間142テラワットアワー(TWh)であり、この数値はノルウエー国全体の消費電力量を上回り、世界の電力消費量の0.65%を占めています。(Forbes Japan, テクノロジー 2021/05/12より)

資料5. 「富岳」が使う電力量は、30メガワット時

「京」の100倍の性能を目指して作られた「富岳」は、省エネ性能を競うGreen500でも9位に付けています。

「富岳」の最大消費電力量は、1時間で30メガワット時です。4人家族が1ヵ月に使う電力量は400キロワット時ですから、これは約6年分(75ヵ月分)に相当します。

富岳と同じ技術で一段上のエクサ・スケールのスパコンを作るとすれば、その消費電力は200メガ・ワットが必要です。

ちなみに1メガ・ワットの電力消費量をお金に換算すると年間に約1億円になるそうです。つまり200メガワットのスパコンは年間に約200億円の電気料金を必要とします。


 

いよいよ明日からオリンピック

2021-7-22

日本では、いよいよ明日から東京オリンピックが始まります。
東京の新型コロナ感染者がオリンピックに合わせたように日々増加しており、今や、政府は何ら打つ手がなく、放置したままです。

なぜ、このような事態になったのか?

これまで、日本では欧米に比べて桁違いに感染者数、死亡数が少なかったのは、日本人のもつ感染症に対するガードの固さ、周囲への気配りなど、感染症対策に真面目に取り組んできたおかげです。
元々欧米人と東洋人とは異文化の人種です。辛抱強く耐えるのが日本人の特性です。

オリンピックを開催すれば、人流が増加し、感染者数が増えるのは自明のことです。国際社会に対してしっかりと「ノー」と言えなかった日本政府の責任は重大です。

オリンピックは黒船来襲のようなもの

江戸時代末期の黒船来襲時には、尊皇攘夷の若き志士たちが立ち向かい、日本国を守ってくました。
今回は、復興五輪として新生日本を世界に発信するはずのものが、腰砕けの中で、IOCの意見に押し切られた感が拭えません。彼らは、ワクチンという武器を引さげて、島国日本に攻め込んできたようなものです。国産ワクチンを持たず、接種率が上がらなかった日本の悲しさです。

高齢者の多くがワクチン接種済みですから、以前のように死亡者は増えないでしょうが、中年〜若年層の重症者が増加しているのが問題で、大きな傷が残りそうです。

今回の日本のオリンピックへの対応を見ていると、ずるずると太平洋戦争に巻き込まれた日本、気がつけば国土が焦土化していたという最悪のパターンにならないこと念ずるだけです。

第2章 医学部学生時代 激動の1960年代

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第1話 医学部学生時代
第2話 小児科に入局した頃 1965年
第3話 大学紛争の渦中で 1960年代後半

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第1話 医学部学生時代

私は、1958年に神戸医科大学の医学進学課程のある姫路工業大学に入学しました。

2回生の時には、日米安保反対の提灯デモが、姫路城の周りで連日繰り返されており、同級生数名と文化人団体の中に紛れて参加したことがあります。

1960年4月から、湊川神社の北にある神戸医科大学で医学を学び始めました。

医学部の授業は他学部とは違い、どの科目も実習時間が長く、1年生の時には1年間近く解剖実習を受けたように思います。実習に出席しなければ、単位が取れないので、慌ただしい4年間が夢のように過ぎました。

60年安保闘争とインターン制度廃止運動

1959年から1960年にかけて、日米安保条約の改定を巡って、学生の反対運動が全国的に広がったのが、60年安保闘争です。

6月15日には、全学連が、国会構内になだれ込むなど警官隊と激しく衝突し、学生・警官双方の重軽傷者は数百人にのぼりました。この衝突で東大生、樺美智子さんが死亡されました。

彼女は、私の中高ともに2年先輩であり、高校時代は自治会の役員もしておられ、われわれの憧れのマドンナでした。

当時は、学生運動が盛んで、私自身も、日米安保反対運動で米国領事館へのデモに参加し、学部3年になった頃にはインターン制度無用論が湧き上がり、しばしば集会を開いていました。

結局、われわれの学年は従前通りにインターンを済ませたのち、医師国家試験を受験しましたが、数年後には、激しいインターン・ボイコット運動の末、廃止されました。

卒業式の1週間前に、医学進学課程からのクラスメートの道子と結婚しました。披露宴はクラス会のようなものでした。

金婚式どころか、もうすぐ60年になります。道子が大きなお腹で、仰向けに寝て国家試験の勉強をしていたのが思い出されます。

無医村でのボランティア活動

課外活動で一番記憶に残っているのは、社医研でのボランティア活動です。毎年、夏休みには、兵庫県北部の鳥取県との境にある湯村温泉から、渓谷沿いに10数キロ登った人里離れた山深いところに、岸田地区という無医村がありました。

今から思えば卒後2、3年目の先輩医師をリーダーに、医学部学生や看護学生が10数名参加した、合宿生活です。

検診といっても、血液検査はまだ一般的でなく、尿検査、検便虫卵検査と血圧測定くらいだったと思います。

冬は雪深いところで、この地区は但馬牛の畜産農家が多く、大きな親牛が飼われていました。普段は訪れる人もないため、私たちは大変歓迎されていました。

国民皆保険、厚生省と日本医師会の抗争

国民全員が何らかの公的医療保険制度に加入する国民皆保険がスタートしたのが1961年4月です。世界的に見て日本が自慢できる国民皆保険制度は、日本医師会と厚生省(現厚生労働省)の激しい抗争の末にできたものです。

日本医師会は、国民皆保険の実施を前にして、診療報酬の引き上げや制限診療(保険診療で認められる診療行為の範囲を事前に決めること)の撤廃を強く主張、自らの主張を通すため、保険診療のボイコットに相当する「保険医総辞退」や、都心での集会を行っていました。

当時の日本医師会は、医師の団体ではありますが、国民の健康・医療を守る責任のすべては医師にあるという強い使命感を持っていたように思います。

ポリオの流行と生ワクチン

ポリオウイルスは、脊髄の運動神経細胞への親和性が高く、子どもの身体に重大な障害やマヒを起こす疾患で、その後遺症を持ち続けている方は、今日でもたくさんおられます。

学生時代にポリクリ実習で内科の病棟に行くと、ポリオウイルスが原因で呼吸筋が麻痺し、自立呼吸ができなくなり、「鉄の肺 (陰圧式人工呼吸器)」の助けで、生活されている患者さんがおられました。

ポリオは、世界中で流行しており、日本でも、1960年には、北海道を中心に5,000名以上の患者が発生する大流行があり、大きな社会問題となっていました。

日本では、注射用のソークワクチンの国内生産が追い付かず、輸入も不十分だったため、深刻なワクチン不足が発生し、各地でワクチンの奪い合い騒動が起きました。

国民の声に後押しされて、厚生省は、1961年にソ連から生ポリオワクチンを緊急輸入し、一斉に投与することにより、流行は急速に終息したという歴史があります。

60年後のいま再び、新型コロナ流行対策でも、諸外国に比べてワクチン接種での対応の遅れがみられるのは日本人の性癖でしょうか。 トップへ

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第2話 小児科に入局した頃 1965年

なぜ、小児科医を目指したか

私は、小児科医院を開業していた母親に育てられ、叔父と従兄も小児科医だったので、小さい頃から小児科医は人の役に立つ、やりがいのある仕事と感じていました。

中学生の頃には、多くの友人たちは、医師の家系にある私が「小児科医」になるものと決めつけており、私もその気になっていたようです。

学生時代のポリクリ(臨床実習)では、小児病棟が日当たりの良い最上階に位置していたこともありますが、他の病棟では見られない明るい光がいつも差し込んでいるように感じました。

病める子たちに接している看護師さんをはじめとするスタッフの立ち居振る舞いがそうさせていたのでしょう。

私が神戸医科大学を卒業したのが昭和39年(1964年)で、東京オリンピックの年です。1年間の神戸医大附属病院でのインターンを済ませ、医師国家試験にも合格し、医局から特段の勧誘を受けることもなく、当然のように平田美穂教授の小児科の門を叩いていました。

初顔合わせでは、何と大学の同級生が6名も集まっていました。 

いろんな伝染病が流行っていた

私が入局した1965年当時は、毎年、冬には麻疹が大流行しており、初めて麻疹患者の口内を診たときの粘膜の異様な発赤、コップリック班は、あまりにも教科書通りで印象的でした。

我が国では、1966年にKL法(不活化ワクチンと生ワクチンの併用)による麻しんワクチン接種が開始されました。

当時の生ワクチンは、副反応が強く、その反応を軽減する目的で不活化ワクチンとの併用で実施されていましたが、異型麻疹等の問題がありました。

1969年からは新たに開発された高度弱毒生ワクチンに切り替えられました。

つぎつぎと各種感染症に対するワクチンが開発され、入局年度が1年違うだけで、感染症に対する臨床体験がかなり異なっています。

下痢・脱水で乳幼児が死亡

夏には、法定伝染病の赤痢や腸チフス(サルモネラ症)の流行もありました。毎年流行するのは特定の地域の病院で、大学から交代で応援出張に駆けつけていました。

秋も終わりに近づくと、乳幼児で激しい下痢を伴う冬季白色便下痢症,白痢が毎年流行していました。

コレラ便に似た米のとぎ汁様の白っぽい下痢便を出すので、小児仮性コレラとも呼ばれ、激しい脱水を伴い、救急室で死亡する例もありました。その後、その原因がロタウイルスによる下痢症と判明しました。

入局当時は、輸液といえば、大腿四頭筋に太い針を挿入し、泣き叫ぶ子を押さえつけながら、「大量皮下注射」するのが主流でした。その後、静脈切開や手作りの留置針で試行錯誤しながら、静脈確保を試みるようになりました。

これらの感染症は、1970年代に入ると、あっという間に見られなくなりました。井戸水が水道水になり、下水道の整備が進んだからです。 トップへ

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第3話 大学紛争の渦中で 1960年代後半 

1960年代後半には、学生によるベトナム戦争への反戦運動が、フランスを発端に世界中で展開されており、大学以外でも市民によるさまざまな反体制運動で盛り上がっていました。

こうした時代にあって、東京大学では1968年1月末に大学本部のある安田講堂を学生が占拠し、警察機動隊が本郷キャンパスに突入するという大学紛争となり、全国の大学に飛び火しました。

医学部にはインターン制度廃止を訴える全国医学生連合(医学連、のちに青医連)があり、さらには無給医制度という時代遅れの体制が残っていたことが紛争の火種となりました。

「ゲバラの日記」と「都市の論理」

1960年代は、科学技術の進歩により、いずれの国も大きな経済的発展を遂げ、物質的には豊かな社会にはなりましたが、格差社会が露わになったのが、世界中を巻き込んだ学生運動の背景にあったようです。

当時の学生運動家によく読まれていた本が、カストロとともに、キューバ革命の立役者の一人であったチェ・ゲバラの「ゲバラの日記」と羽仁五郎の「都市の論理」です。

「都市の論理」では、社会改革を実現するには、まずこれまでの家族関係そのものの否定が不可欠だとの主張されていました。

「小児科無給医会」を結成

全国の医学部では、学生を中心に、若手医師をも巻き込んで、研修医制度を巡って教授会と対立し、無期限ストライキなど、学生と大学との対立状態が続きました。

私たちの小児科医局でも、全国的な動きに呼応して、39年卒と40年卒を中心に「小児科無給医会」を結成し、「無給医制度の廃止」と「学問と研究の自由の保証」を旗印に、当時の教授平田美穂先生を中心とした「小児科教官会議」と対峙していました。

全国的な大学紛争は、その後も数年続きましたが、昨日まで同じ釜の飯を食っていた先輩、後輩の気まずい対立は、長くは続きませんでした。

当初、私は先頭に立って医局解体を叫んでいた一人でしたが、もう30歳近くなり、妻や3人の子どもがいる身、徹底的に改革を目指して踏ん張るだけの意欲を持ち合わせていないことに気づきました。

40年卒の根岸先生が同門会誌に松尾保名誉教授への追悼文に触れられているように、我々に直接研究指導を行って下さった松尾保先生をはじめ、多くの先輩の先生を困らせ、申し訳なく思っています。

大学を離れることに

私自身は、大学医局内に居り場がなくなり、新しくできた明舞団地の病院に一人勤務することになりました。連日100名以上の患者が押し寄せてきましたが、人手のなくなった大学医局に応援を頼むこともできず、黙々と働いた日々でした。

ある日、大学の助教授をしていた従兄から、「おまえは米国領事館へのデモに参加していたから、アメリカ留学は無理だろう。フランスのパリ大学はどうか?」という助言がありました。

かねてより、外国留学を夢見ていましたので、早速フランス語の勉強を始めました。三宮にあるフランス語教室に通い、ラジオ・テレビのフランス語講座を聴き、何とか年末に行われる「フランス政府給費留学生」試験に合格し、翌年4月に渡仏することになりました。   トップへ

コロナ下での熱中症の気づきと対処

倦怠感がある・頭がふらつく・発熱や頭痛など、熱中症の症状の多くが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の症状と共通しています。リンク元のアンカーテキスト

熱中症の初期には、「頭痛」や「めまい」、「だるさ」、「吐き気」など、ありふれた症状がみられます。熱中症による脱水で特に影響を受けやすいのが、脳・消化器・筋肉です。いずれの臓器も、機能の維持には、多くの水分が必要なのです。

体調不良の原因が、高温や高湿度にあると疑えば、涼しい場所に移動し、十分な水分摂取を行うなど、正しい熱中症対策を行ってください。これらの対策を行っても症状が改善しない場合には、原因が熱中症か、COVID-19かの判別は難しく、専門機関を受診するようにしてください。

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熱中症を招く脱水は、実は免疫力の低下にもつながります。とくにwithコロナの今、ウイルス感染リスクを高める危険性もあり、熱中症対策が感染予防対策につながることも知っておきましょう。

2021/07/16

八〇歳を過ぎると、時の流れが加速

八〇歳を過ぎると、時の流れが加速した気がします。

むかし、ある会合で恩師の眼科学の井街名誉教授と同席させて頂きました。井街先生が80歳過ぎ、私は教授になりたての50歳前後のことだったと思います。

「最近は時間が経つのが早い、あっという間に1年が過ぎ去っていく」と、現役教授仲間で話し会っていると、突然に「君たちは1年かもしれないが、私には1分が早くなった」と話されていたのを思い出します。

昨今は、情報科学技術の進化により、世の中が加速度的に変化しているといわれますが、今の自分の周りで見られる変化の速さが、万人共通か、年齢的なものかよくわかりません。

80歳を過ぎると、いろんな所作が緩慢になり、また持久力も落ちたことを自覚します。ある事をやり遂げるには、若い頃に比べると、数倍の時間を要します。

何もできてないのに、一日が経ってしまう。この事実が、高齢者にとっては、時間が加速度的に過ぎ去っていく感じにさせているようです。

もし、高齢者が、時間を大切にしようと考え、焦って仕事をするならば、時計の針が回るスピードを遅らせても、きっと身体のあちらこちらが悲鳴をあげて、時計の針は止まってしまうでしょう。

2021.07.15

老人のつぶやき 目次

2021

加齢と相対性理論 2021.8.16 new
人生の時間軸 2021.8.9 new
きょう広島原爆の日 投下から76年     08.06    new
いよいよ明日からオリンピック     07.22    new
八〇歳を過ぎると、時の流れが加速       07.15    new
高齢者にやさしい日本の若者たち  07.06   new
ワクチン接種でホッと一息    06.29
渋沢栄一と「論語と算盤」 05.10
2030年:全てが「加速」する世界に備え 3.31
お彼岸に百人一首 03.29
私がみた奇妙な夢の話 02.18
新型コロナ禍での老人と若者たち02.13
新型コロナ長期戦に備えて 01.21
私のお正月2021 01.01

2020

「不要不急」と言われると・・・ 10.31

ストレス解消には「五感」、とくに嗅覚で

五感とは、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚の5つの感覚のことです。

子どもの心と身体を健やかに保つには、「五感」によい刺激を与え、日々のストレスを解消することです。

新型コロナによる長期の外出制限、マスクの着用や友達との距離をおいた生活は、大人以上に子どもへの大きなストレスになっています。

マスクは、人の表情を隠すだけでなく、人や自然の匂いも感じさせ難くしています。

土・樹木・風といった自然の匂いは、匂いと呼んでいいのか分からないほど空気に溶け込んで、季節の変化を香りで感じさせてくれます。森の中には、木々の発散する香りの成分「フィトンチッド」があふれており、清々しい爽快感をわれわれに与えます。

夏休みには、近くの樹々の生い茂る公園や、山に入り、周りに他人のいないことを確かめて、そっとマスクを外し、深呼吸し、親子で身も心もリフレッシュしてください。

2021/7/14    子どもの健康コラム

高齢者にやさしい日本の若者たち

首都圏では新型コロナの感染者数が微増しており、蔓延防止措置がオリンピック後まで延長されるようです。今のワクチン接種率では、我が兵庫県も、遠からず感染者数の増加に転じることでしょう。

賢明な日本国民は、政府の日和見的な政策に期待をかけずに、日々発表される感染者の数を見て、さっさと行動に移しているようです。お陰で、日本は、世界的に見て感染者数も、死亡者数ももっとも低いグループに入っています。

福祉大国スウェーデンの失政

スウェーデンは、新型コロナ拡大後、他の欧州諸国のように厳格な都市封鎖を行いませんでした。レストランや小売店は営業を続け、学校も閉鎖しなかった結果、人口約1千万人の同国で、死者は約1万4千人に上り、人口当たりにすると日本の12倍になります。感染者数も18倍と桁違いに多い数字です。

私自身にとって、スエーデンは高福祉国家の理想のモデルであり、また医学研究の面でも、世界をリードする国家であると考えていました。ところが、この度のコロナ対策では、集団免疫を目指すとの政策が打ち出されました。

新型コロナ拡大後も、他の欧州諸国のように厳格な都市封鎖を行わず、レストランや小売店は営業を続け、若者たちがレストランでビールのジョッキーを傾けながら歓談している画像には驚きました。

高い死亡率の原因は、当然重症化しやすい高齢者であり、あれだけの死亡者数に達したということは、医療現場で『命の選別』があったにちがいありません。

一番我慢をし続けている日本の若者たち

かつての福祉国家スエーデンは、経済成長とともに、民営化が進み、格差社会に変貌してしまったことが、今回のような結果に結びついたのでしょう。

日本のまん延防止に最も貢献しているのは若者世代です。家庭内にウイルスを持ち込まないように、我慢し続けてきたのが、日本の若者たちです。

私のような高齢者が今こうしていられるのは、老人を大切にする日本の文化、それを体現している若者たちへの感謝の気持ちでいっぱいです。

2021-7-6