昔懐かしい1冊の本から

本棚の整理をしていると、昔懐かしい1冊の本、「医学教育の原理と進め方」を見つけました。

たいへん型苦しいタイトルの本で、店頭に横積みされていても、今ならまず手に取ることのなさそうな本です。

文部省の富士研修所で

昭和64年1月に就任した新米教授の私は、文部省の富士研修所での医学教育セミナーに参加する命を受けました。丸一週間、朝から晩まで缶詰めです。夜抜け出そうにも、富士山麓の一面闇の世界です。

全国の医学部から教育担当者40名ほどが受講し、小児科教授は私だけ、顔見知りの方は一人もいません。当初は、学生の合コンのように、互いの親睦を深める意図で他愛ないゲームをさせられます。画用紙に似顔絵を描かされました。昨日まで大学で偉そうな顔をしていた連中がまるで子ども扱いです。日常生活とは大きなギャップです。

大学に戻れば、山ほど仕事があります。受講者からはブーイングです。でも、チューター連中は慣れたものです。我々が、次第に慣れてくると、グループ分けされ、毎日いろんな課題を与えられます。

ここで、「医学教育の原理」が現れます。問題解決型の思考法です。

一般目標(GIO)と行動目標(SBO)

当時の私にとっては全く耳新しいことばです。

一般目標(General Institutional Objective, GIO)とは、学習者が何をできるようになるかを総括的に記述したもので、教員と学生の両者への一般的なオリエンテーションとなるものです。例えば、「尿路感染症患者の診断と治療ができるようになるために、この疾患の微生物学的特性を理解する。」

行動目標(Specific Behavioral Objectives, SBOs)とは、個々の一般目標を達成するには、どのようなことができるようなればよいかを、具体的な行動の言葉で書き表したものです。

今日では、大学教育の中で問題解決型の思考法、GIO、SBOは当たり前になっていると思いますが、それまでの医学教育では個々の教授が思い思いに一方的に講義していました。

セミナーでは、連日新しい、大きな課題が与えられ、数班に分かれて意見を出し合い、GIO、SBOを適切に立案するのが目的でした。いつの間にかチューターの思い通りに動いていました。

何にでも役立つPDCAサイクル

この問題解決型の思考法の基本になっているのがPDCAサイクルです。何ごとも評価があって次のステップへ、新しい目標設定が始まるのです。

この考え方は、ビジネス分野から始まったようですが、教育分野、研究分野においても大いに役立ちます。

囲碁においても同じです。いくら優れたプランを立てて盤に向かっても、相手の応対でその妥当性を評価しながら、ACTION(改善)を起こさないと勝利に結びつきません。

私の脳にこのときに叩き込まれたPDCAの思考回路は、何ごとをするのにも絶えず役立っています。

CHECK(評価)が欠けると悲劇を招く

最近のビジネスでは、時代の流れが早すぎて、いちいちCHECK(評価)して次のステップに進んでいると時代遅れになると、あまりPDCAを守らなくなっているようです。

トヨタ自動車のカイゼン・プログラムは世界的に有名で、米国の経営者が名古屋を訪れ、学んでいました。でも、あのトヨタが品質管理面での不正を行う時代になったのです。私にとって大きなショックです。

これは、トヨタだけの問題ではなく、名のある大企業や私にとって身近な医学分野にも、当人たちが意識していなところで及んでいるのではないかと内心危惧しています。

あまり目先のことばかり考えて、足元をしっかりと見つめてないととんでもない悲劇を招きそうです。  2024.9.7.

来年の熱中症対策への妙案

朝起き、六甲山を見上げると、澄み切った青空に山頂の展望台がくっきりと近づいて見えます。
このところ、私の頭の中はあるのは、来年の熱中症対策をいかにするかです。同世代の友人に電話し、お互いに情報交換し、慰めあったり、励ましあったりしています。その中で上がってきたアイデアを整理してみると、

来年の熱中症対策をいかにするか

基本的には、暑さの最も厳しい7月下旬から8月中旬のお盆過ぎまでの1ヶ月間をいかに乗り切るかです。

第1案。北海道の遠軽町にあるリゾートホテル「マウレ山荘」

旅行好きの情報通の友人山崎君が教えてくれたのが北海道・遠軽町の丸瀬布の森の中に佇むリゾートホテル。アクセスは札幌からJR石北本線で3時間。アルカリ性単純泉の温泉が湧き出ています。

「心地よい風と木漏れ日の中で、ゆったりとくつろぐ贅沢なひとときを 過ごしてみませんか。」がキャッチコピー。でも、ここで1ヶ月間独りで過ごすのは、かなり無理がある気がします。

第2案。札幌中心街のホテル

1ヶ月間退屈せずに過ごすには、近隣に囲碁クラブがある場所なら問題ないことに気づきました。それなら、大都会の方が良かろうと、札幌市内の囲碁クラブをチェックしたところ、すすきの駅近くにあることがわかりました。
すすきの駅界隈なら、手頃なホテルが数多くあり、食事に困りません。有力な候補地です。

第3案 ワルシャワ

1ヶ月ぶりに、囲碁クラブ「方円」で関西棋院プロの村岡茂行九段の指導碁を受けてきました。

村岡茂行プロは大変な国際派で、今夏は2週間余り、フランス南部の町、トゥールーズで行われた「ヨーロッパ碁コングレス」に、奥さんの美香プロとがアマチュアの日本人の囲碁ファンを引率して、出席されました。

ヨーロッパ各地から多数の囲碁ファンが集まり、出席者は数百名に及び、2週間にわたって賑やかに対局されたそうです。

ワルシャワでの囲碁国際大会への出席

その大会が、来年はポーランドのワルシャワで開催されるそうです。開催時期も7月末から8月中旬まで、ちょうど私が探し求めていた避暑地として最適です。
ワルシャワの8月の最高気温は22〜23℃くらい、日本の春の気温です。
ここでなら、2週間退屈せずに過ごせそうです。来年への大きな目標ができました。
フィンランド航空では、2025年度のスケヂュールでは関空からヘルシンキまでの直行便が週5便就航するようです。久しぶりの海外旅行、体力づくりに励まなくては。
娘には、しっかり保険をかけていくようにと強く言われています。
もうひとつの難題は、ロシアとウクライナの和平です。これも解決していそうです。

2024.9.5.

ひとの役に立てたみたい

このところの猛暑で、周りの方々に迷惑を掛けてばかりでしたが、やっとひとの役に立てたみたいです。

自信をなくした米寿のIさん

久方ぶりに囲碁の例会に出席したところ、仲良しの米寿を過ぎた実業家のIさんが、「このところ負けてばかりでひとつも勝てん。もうワシはボケてきたみたい。」という弱気の言葉を吐いているのを耳にし、驚きました。

彼の囲碁の腕前は初段ですが、私より歩くのが早く、話題が豊富で、いつも羨ましく、目標にしていました。彼とは、結構馬が合い、彼のマンションで世間話をしながら囲碁を指しています。でも、この暑さで1ヶ月あまり遠ざかっていました。

暑さも一段落した日曜日の昼下がり

彼の元気なさが気になっていました。台風も収まり、暑さも一段落した日曜日昼に、彼に電話すると、大変喜んで迎え入れてくれました。

勝敗は度外視して、多少のコメントを挟みながら、いつものように政治・経済の話をしながら3時間あまり一緒に過ごしました。最後の一局では、彼がいつもの力を発揮し、彼の勝利となりました。

自信が勝利を呼び込む

翌日の囲碁の例会で、「2連勝した。」という彼の歓喜の声が部屋中に響き渡りました。

彼も嬉しかったに違いありませんが、私も同様に喜びを噛み締めていました。私が特段のことをしたわけでなく、彼が弱気の虫を追い払い、元の大胆さを取り戻してくれたことが勝因だったに違いありません。2024.9.3.

ジェーン台風の襲来

私にとっての最初で・最後(?)の大型台風が、昭和25年(1950)9月3日の日曜日昼に阪神地域を直撃したジェーン台風です。当時、私は尼崎市の阪神南にある寺町通りに住んでおり、小学5年の秋のことです。

ジェーン台風

高知県室戸岬の東方を通過した台風は、紀伊水道を北上し、阪神間を直撃しました。当時はまだテレビ放送がない時代で、刻々と迫り来る台風の様子をラジオで聴きながら、家族揃って昼ごはんを食べていた時です。
次第に強まる風雨により、締め切った木製の雨戸は外方にしなり、飛んでいきそうになっており、家ごと吹き飛ばされないかと不安に怯えていたのを今でも記憶しています。幸い、日曜日であったので父親が家に居り、その側で息を潜めて座っていました。

台風の眼の中に

しばらくすると、突然嵐が過ぎ去り、静寂が訪れました。空を見上げると、澄み切った青空です。
この静寂がしばらく続き、もう台風は通り過ぎたのかとホッとしたところへ、今度は西からの風雨が荒々しく再び襲いかかってきました。
後になって、これが台風の眼の中にいたということだと知りました。(記録によると最大瞬間風速44mだったそうです。)

台風が過ぎ去ると、高潮が

台風が北方に過ぎ去り、吹き返しの暴風雨の音がおさまりホッとしたところで、小窓から外を覗くと、寺町通りがまるで小川のようになり、水が流れているのです。あっという間に筋向いの家々の軒の庇まで水かさが増しているのです。この時初めて高潮という言葉を知ったように思います。我が家も床上30cmの浸水でした。高潮による浸水被害は、おおむね阪神国道以南が浸水し、小田地区では東海道線にまで浸水線が及んでいたそうです。私が記憶しているのは、その後、学校が1週間休校になったこと、畳干しを手伝った?こと位です。

二百十日(にひゃくとうか)は厄日

最近はあまり言われませんが、立春から二百十日目の日。例年9月1日頃(今年は閏年の関係でずれて8月31日)です。この時期になると、台風の襲来や荒天が続くことが多く、稲が花をつける時期にあたることから農家にとっての厄日だったようです。私にとって忘れられない9月3日です。  2024.9.1.

 

永い御無沙汰で、ご心配をかけました。

1ヶ月間の長い夏休みを貰っていました。

実は、私はどうも暑さに弱い体質のようで、毎年夏になると、体調を崩し、入院する羽目になります。今夏も折からの猛暑で、突然目をまわし、手足のしびれ、まさに熱中症のサインです。

今回はまだ意識明瞭だったので、透子に電話し、急遽救急外来に連れて行ってもらい、無理を言って入院させて頂きました。翌日には、立ちくらみはなくなりましたが、元々あった貧血が進んでいたことがわかり、1週間余り居させてもらいました。

その後も、猛暑が続いていたので、自宅での独居生活に不安を覚え、昨年道子と一緒にお世話になっていた老人ホームを思い出し、そこのショートステイでさらに1週間過ごし、お盆も過ぎ、暑さも峠を越えたようなので、先週末に自宅に戻ってきました。

齢がいくと、体温感覚が麻痺する

一日中クーラーが効いた部屋にいると、身体が冷えすぎるのです。我が家では、各部屋には温度計を設置しているので視覚的には適正に室温を26〜27℃に設定しているのですが、部屋でじっと動かない生活をしていると同じ温度設定でも暑く感じたり、寒く感じたりします。身体をよく動かしていると、気づかないことです。

今は知恵がつき、セーターを1枚絶えず横に置いて、部屋の温度を低く感じても、その脱着での調節が一番合理的なことに気づきました。

それにしても、この猛暑、何とかならないものか困ったものです。大統領選でも、総裁選でも、一言ぐらい触れてもいいのでは。     2024.8.30.

 

パリ五輪開会式を録画で鑑賞

実況中継は真夜中だったので、NHKプラスの録画で観ました。私にとっては、懐かしいパリの光景が次々と映し出せされ、気がつけば3時間も画面に釘付けになっていました。

フランス文化の力を感じる

その演出をみていると、フランス人にしかできない何かを感じます。これが文化の力なのでしょう。フランス人のこころには、フランス革命当時のスローガン、「自由・平等・博愛(仏語でLiberté, Égalité, Fraternité)」の精神が、今日でも根強く残っている感じがします。

Fraternitéは、最近では「友愛」と訳されています。その語源が兄弟(frère) であることは、フランス革命で立ち上がった市民は身分や出自を超え皆兄弟である、という考えからきています。

クーベルタン男爵の唱えたオリンピック精神

第1回大会はアテネですが、第2回は1900年にフランス万博の付属競技会として今回と同じパリで開催されました。

今回の演出をみていると、近代オリンピックの父と呼ばれるフランスの教育者ピエール・ド・クーベルタン男爵の唱えたオリンピック精神、「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」という理念が随所に出ています。

その幕切れにおいて、セリーヌ・ディオンさんが歌唱したシャンソン「愛の讃歌」も、これまでとは違った感動です。ただ一つ残念なのは、パラリンピックと融合されなかったことです。車いすの方が聖火ランナーとして参加されてはいましたが、もう一息です。2024.7.27.

まだご覧でない方は、ぜひNHKプラスで観て下さい。

 

こんな神戸に住みたい

もうすぐパリ五輪が始まります。テレビの画面に映し出されるパリの街は私が訪れた1970年当時と全く変わりません。その美しさの理由の一つが建物の高さが揃っており、街中には高層ビルが一切ないことです。そびえ立つのはエッフェル塔だけです。

フランス留学から3年ぶりに残暑厳しい8月に帰国した時です。緑に包まれた六甲の山並みを見上げ、思わず「神戸は、世界一素晴らしい街」と叫んでしまいました。今日まで70年近く、一度も神戸を離れることなく住み続けていることに幸せを感じます。

若者が描く未来の神戸

最近届いた神戸市広報紙の表紙に、「あつまれ!あなたが描く未来の神戸」という大判のカラー写真とともに、神戸大学の学生たちの声として「SF映画みたいなまちになっている!?」、「若者も楽しめるまちに」、「まちなかにも自然がいっぱい」などと書き込まれていました。

自然・六甲の緑と溶け合う街づくり

先日、久方ぶりに大阪に出かけました。大阪駅界隈の高層ビル群に圧倒されます。そのビルには人間が住んでいる住居があると知り、驚きです。高価なので子育て世代はあまり住んでいないと思いますが、子育てには苦労するだろうなと思わざるを得ません。

私が描く未来の神戸は、自然、六甲の緑と溶け合う街づくりです。どこからでもすぐに六甲山頂が見えるように、ビルの高さ制限をして下さい。限られた土地面積に多くの人が集中すると、必然的に自然破壊が起こります。

新しいスマートな街づくりを

神戸市では、2035年に向けて総合基本計画を策定中とのことで、三宮ウオーターフロントの再整備・駅前リノベーション・神戸空港の再整備などを挙げ、広く意見を求めているとのことです。

多くの都市は、産業振興のために「ものづくり」から観光・インバウンドに向かっています。世の中は、さらに本格的なITC中心の社会へと変化しています。

明治以来、神戸の街は、港を中心にして栄えてきました。お陰で、今でも世界中のいろんな情報が居ながらにして入ってきます。神戸市はこれまでの国際的な知名度を生かして、世界中からICT関連の多様な人材が集まるスマートな街づくりを期待します。2024.7.25.

人類はあと何年間生き続けるか

国内においては官庁や一流企業の過去の不正、災害を、国外では紛争、格差問題を連日マスコミは報道しています。かつては、10年計画、長期計画がしばしば話題になっていましたが、最近は一寸先は闇と、政治家もマスコミも将来展望を語りません。

ChatGPTに問いかける

自らの余命は片手で十分ですが、十代の若者にとってはまだ人生の大半が残されています。機会があれば、彼らに将来への夢を問いかけるのですが全く相手にされません。

ならばと、生成AIであるChatGPTに問いかけてみました。その答えは、人類がどれくらい生き続けるかは非常に複雑な問題であり、さまざまな要因に依存します。以下に、人類の将来に関するいくつかの重要な視点を紹介します。ということで、1)科学技術の進歩、2)環境問題、3)社会的・政治的安定、4)宇宙移住といった4つの要因を挙げてくれました。

私が思いつかなかった宇宙移住には、「一部の科学者や専門家は、火星やその他の惑星への移住が人類の長期的な存続に寄与すると考えています。宇宙技術の進歩により、人類が地球外で生活できるようになる可能性があります。」と述べられていました。

とは言え、私の問いである「人類はあと何年間生き続けますか?」に対しては、「一部の専門家は、現在のトレンドが続く場合、人類は少なく・・・」で言葉に詰まり、通信が停止しました。

人間の未来はエイリアン?

映画「エイリアン」(原題: Alien)は、リドリー・スコット監督、ダン・オバノン脚本の1979年のSFホラー映画。商業用宇宙タグ「ノストロモ号」の乗組員が、船内に解き放たれた攻撃的で致命的な地球外生命体である「エイリアン」に遭遇する様子を描いています。

SF映画での人間の姿かたちは現代人と同じですが、さらに一段と人類が進化し、宇宙に飛び出す人間は、いまの生物体とは似ても似つかぬ姿かたちになっている気が私にはします。
いらぬ妄想に取り憑かれているよりも、自分の行く末である来世を考えている方がより現実的と言われそうです。 2024.7.19.

 

久方ぶりの学会参加で若返る

新型コロナの流行以来、多くの学会でWEBでの開催が中心となっており、最初はもの珍しさもあり覗いてみましたが、何かインパクトに欠け、遠ざかっていました。第60回日本周産期新生児医学会が大阪で開催されたのを機に、以前から親しくしていた会長の和田和子先生からの直接のお誘いもあり、久方ぶりに参加させて頂きました。

自分が現役のような錯覚に

旧知の方々にお会いすると、まだ自分が現役のような錯覚に陥ります。会長講演では、この学会の60年に及ぶ歴史を短時間の中にうまくまとめ上げられ、大変懐かしく拝聴しました。1965年の第3回からメンバーであった私には、その折々のいろんな思い出が蘇ってきます。なかでも、我が国の高度経済成長の波に乗り、国民生活の向上・医療技術の進歩が相まって、1985年に新生児死亡率が世界一の水準を達成したときの感動は、私たち世代の大きな宝物です。

聞くところによりますと、少子化のトレンドが続く中で新生児科の専門医数はこの20年で倍増しているようです。これからは、国内・国外の壁のない新生児医療体制を考え、牽引する新しい人材育成が必要な感じがします。  2024.07.17.

厚生労働省人口動態統計 2022

出生数 新生児死亡数 新生児死亡率
1965 1,823,697 21,260 11.7
1985 1,431,577 4,910 3.4
2005 1,062,530 1,510 1.4
2022 770,747 609 0.8

手足口病になったら保育園は出席停止になる?

毎年夏に流行する手足口病は、生後6か月〜5歳頃の子どもがかかりやすいウイルス性の感染症です。原因は、コクサッキーAウイルス、エンテロウイルス71など複数のウイルスで、感染力が高く、シーズン中に繰り返しかかることもあります。

主な症状として、口腔粘膜と手足の末端に水ぶくれができ、発熱やのどの痛みを伴います。ワクチンはまだ開発されておらず、有効な治療法はありません。まれに、無菌性髄膜炎や脳炎を合併し、けいれんや意識障害が生じることもありますが、多くの場合、3〜7日の自然経過で治癒します。

手足口病は、人目につきやすいところに水ぶくれができるので、他人もすぐに気づきますが、滅多に重症化しないので、厚生労働省ガイドラインでは保育園の出席停止の対象にはなっていません。熱が下がり、痛みが引いて食事がとれるようになってきたら、登園を再開しても問題ありません。

地域子育てネットワークだより寄稿   24.7.14.