AIでこれまでの殻(から)を破る新しい育児法が ―今年の私の初夢―

英国のデミス・ハサビス氏が、タンパク質の構造を予測する人工知能(AI)を開発し、昨年秋にノーベル化学賞を授賞されました。彼は、ゲームの世界でAIが人間に勝利できることを決定づけた「アルファ碁」の生みの親でもあるのです。

これまでの型にハマった「定石」にこだわらず、自由に指し手を選ぶ「アルファ碁」で学んだ若手棋士たちが、ベテラン棋士たちを打ち負かしています。社会生活においては、AIの悪用の制限といった当面解決すべき課題もありますが、これまでの殻を破る新しい発想の重要性を気づかせてくれます。

近い将来、AIによる子育ても話題になりそうです。これまでの育児書に書かれている「してははいけないこと」が、新しい育児法では高く評価される時代となり、また、画一的な教育ではなく、AIが選んだ個々の特性にあった教育で学んだ子どもたちは、自信に満ちあふれ、生き生きと楽しそうに日々を過ごし、立派に成人していく姿が見えます。

これは、今年の私の初夢です。

2025.1.15.

子ども健康コラム1月号

「アルファ碁」の開発者がノーベル化学賞

昨年秋に、タンパク質の構造を予測するAI(人工知能)「アルファフォールド」を開発し、ノーベル化学賞を授賞した英 Google DeepMind 社のデミス・ハサビス氏が、日本棋院を訪問し、「囲碁なくしてAIの世界はない」と話されたそうです。

囲碁には無限のパターンが

囲碁は、縦・横それぞれ19本の線の交点である361の点に、黒石・白石を交互に並べ、陣地の広さを競うゲームです。そのパターンは一手目が361通り、二手目で361 x 360 = 129,960通り、三手目で361 x 360 x 359 = 46,655,640通り、通常200手くらいまで打ち続けますので同じ局面が再現されることはまずありません。まさに、そのパターンは無限であり、毎回新しい棋譜が作り上げられていくのです。

囲碁AI「アルファ碁」が囲碁界に革命を

コンピューターが人間に打ち勝つことが最も難しいと考えられてきた囲碁において、2015年にヨーロッパ王者に勝利し、2017年5月には中国の天才棋士である柯潔氏に3局全勝で勝利し、人工知能が人間に勝利を収めることを決定づけたのが、デミス・ハサビス氏が開発した囲碁AI「アルファ碁」です。

「アルファ碁」の成功を受けて、囲碁界ではAI碁が選ぶ最良とする一手一手を参考にして、日々新たな打ち方の研究が進められています。特に、若手棋士たちは、従前の定石に拘らないAI碁から学び、ベテラン棋士たちを打ち負かし始めました。

昔のように型にハマった定石を覚えなくても、自由に指し手を選べるこのゲームは、過去の規範が役立たなくなってきた今の時代にマッチしたゲームと言えます。

AIのもつ未知の部分やリスクに対して

人工知能AIは、人間の神経細胞の仕組みを再現したニューラルネットワークを用いた機械学習の手法の1つである多層構造のニューラルネットワークを用いたディープラーニング(深層学習)によるとのことです。

AIは創薬や医療のほか、エネルギーや素材の開発などに広く役立つ一方、AIの活用と悪用の制限を両立させる方法については「まだ誰も良い答えを持っていない」とハサビス氏は指摘しています。

AIは、囲碁においてこれまでの殻を破る新しい発想の重要性を気づかせてくれました。AIには未知の部分や研究すべきリスクはありますが、人間叡智で、前向きに、うまく共存する術を探し求めていくことです。 2025.1.13.

Nepal Trip Video Collection

Through the photos from this trip to Nepal, combined with pictures I received from my daughter Mayuko and Dr. Yamamoto, I managed to gather nearly 100 images. Although I usually don’t take many photos, this time, I found myself pressing the shutter quite often.

Among them, there were some fascinating videos, so I decided to take the plunge and compile them into a video album. While I’ve dabbled in video editing before, I hadn’t created one in recent years and had forgotten how to do it. With help from Mr. Kurokawa, Mr. Nagoshi, and Tetsu, I somehow managed to complete it.

When I showed the completed video to my close friend, Kuniko Okada, she said, “It feels like I’ve entered the Dragon Palace (Ryugu-jo). If I linger here too long and get lost in the joy, it could be serious trouble!” She also praised the video, saying, “This video has enough potential to inspire us, spark our interest in Nepal, deepen our understanding, and help foster friendships. Good job!” Encouraged by her words, I decided to go ahead and share it.

Arrival in Kathmandu, attending the first day of the wedding       Playback time:1 minute 21 second

 

Second and third days of the wedding    Playback time:1 minute 53 second

 

Tribhuban University Hospital and Himalaya Mountains

Visit to the Pediatric Surgery Ward of Tribhuvan University Teaching Hospital, founded by Dr. R. Pokharel.     Playback time: 2 minutes 25 seconds.

Photos from my first visit to Kathmandu, spring 2003

Playback time: 41 seconds.

年賀状あれこれ

今年は例年に比べ私が出した年賀状の枚数も、受け取った枚数もかなり減っています。また、「本年をもって、賀状を失礼します。」というのもかなりあります。

私にとって、年賀状は滅多に顔を合わすことのない友人・知人の消息を知る大切なツールです。賀状を見ながら、遠い昔のことを思い出し、今も元気に過ごしておられる姿を思い浮かべています。

患者さんのご家族からの年賀状

毎年感動するのは、かつて勤めていた大学病院未熟児室NICUで一緒に過ごした重症新生児たちのご家族から受け取る10通足らずの年賀状です。今から50年ほど前に超未熟児や重症仮死などで生死の境にあった子どもたち、全員もうすぐ50歳、立派な成人です。

賀状を交わしている相手は、社会人として活躍しておられる方、障害者施設に入っておられる方、亡くなられた方など様々です。当時は、自ら先頭に立って診療に当たっていた時で、その児たちのこと、ご家族とお話したことを今も鮮明に覚えています。何だか父親気分なのかもしれません。

メールによる賀状交換

「本年をもって、賀状を失礼します。」の中には、これからは「メールのよる賀状交換」に切り替えるという知らせもあります。私自身も、メールなら簡単に文章が書けるので、望むところです。写真も添付できます。また、フォルダーを作っておけば、整理も簡単です。外国へ出すのも容易です。

メルアドを知っている方々には、徐々にメールでのやり取りに切り替えていこうと考えています。何にしろ、自分の手で書ける間は年賀状を続けていきたいと思っています。お付き合いをよろしく。 2025.1.7.

新年のご挨拶 2025年

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお付き合い下さい。

一昨年までの3年間は、新型コロナ禍、自らの病、道子との別れで、
社会と疎遠になっていました。昨年はようやく体調も回復、平常の生活に戻り、社会福祉法人 芳友の重症心身障がい児・者療育施設の運営に携わり、大阪、信州松本での新生児関連の学会にも出席できました。

大阪、信州松本での新生児関連の学会にも出席させていただき、兼ねてからの約束であった孫娘との広島原爆記念館の見学も果たしました。これも、皆さんからの温かいお心遣いの賜物と感謝しています。

さらに、昨年末には、囲碁サロンの開設ネパールへの旅、バリアー・フリーの新しいワンルームへの移転と慌しい日々となりました。移転は、年々厳しくなる夏の猛暑への対策です。

日本は、経済大国という大きな山を登り詰め、急勾配の下り坂に入っています。これまでの上り坂での私たち世代の体験はもう何の役にも立ちません。
マスコミの報道をみていると、過去のスタンダードをそのまま踏襲しているから、新しい時代に対応し切れずにいろんな不祥事が起こっている気がします。

下り坂では速度を抑えながら、俯かないで、しっかりと胸を張り、先を見つめながら進むことです。
私のような高齢者にとっても、毎日、毎日が新しい未知の世界への挑戦です。
2025年元旦

nakamura.kch0201@gmail.com
http://hajime.boy.jp


Viewing Mt. Everest from Chandragiri Hills

ネパール旅行思い出の動画集

今回のネパ―ル旅行の写真が、娘のMayukoや山本先生から頂いた写真を合わせると100点近く集まりました。普段はあまり撮影することのない私も、今回はかなりシャッターを押していました。

中には興味深い動画も混じっていたので、思い切って動画アルバムに仕上げることにしました。動画の編集はかっては試みた経験はありますが、ここ数年は全く作成しておらず、その方法がわからず、黒川さん、名越さん、Tetsuの助けを借りて何とか仕上げることができました。

早速、親友の岡田訓子さんに観ていただいところ、「まるで竜宮城に入り込んだみたい。ここに長居をして楽しみに耽ってしまうとえらいことになりそうですね。」と、また「この動画は、私達にネパールに興味を持たせて、理解を深めて、仲良くなれるようにinspireしてくれるのに十分なpotentialityを持っていますよ。Good Job!」とのお褒めの評価を頂き、思い切ってアップすることにしました。

Katmanz到着からネパールの結婚式初日

再生時間:1分21秒

 

結婚式2日目及び3日目

再生時間:1分53秒

 

Tribhuvan大学病院とヒマラヤの山々

Dr. R.Pokharelが創設されたTribhuvan大学教育病院の小児外科病棟を訪問。再生時間:2分25秒、

2003年の初回訪問時のアルバム

再生時間:41秒

グルン族Gurungの獣医師に出会って

結婚式の招待者の中には、日本に留学していた方やビジネスで訪日体験があり、流暢な日本語を話される方が多数おられます。

同伴してくれている娘のMayukoは、おしゃべりな中年女性の皮膚科医Kさんと親しくなり、井戸端会議、いろんな情報を聞き出していました。

私の傍で話しかけてくる中年男性Mさんは、大変な酒豪でウィスキーを何杯も飲み続け、日本で過ごした昔話にご機嫌です。彼は沖縄で2年ほど過ごしたそうで、泡盛を現地人と飲み交わし、楽しい時間を過ごしたようです。見た目からして日本人と見間違うような顔貌、日本人にもよくあるタイプ、親しみの持てる小太りのオッサンです。

グルン族Gurungの中年男性に出会って

Mさんの友人の一人Sさんが、同じテーブルに腰掛けていました。彼は、50歳前後と思われ、非常に精悍な顔つきと柔道家のような頑強な肉体をもつ、無口な獣医師の男です。ネパール語でもあまり話しません。

私が、彼に惹かれたのは、都市のカトマンズではなく、山岳民族グルン族の出であり、容貌は日本人に大変似ているからです。グルン族、ヒマラヤ山系のひとつ、アンナプルナ連峰の南斜面に住む山岳民族です。

彼の高校生時代には、車が通れる道はなく、10km以上の山道を歩かなければ麓の町まで辿り着けず、今でも車だけでは無理だそうです。カトマンズに出るよりも、チベットの方が近いそうです。獣医師の彼は、将来故郷に戻り、ヤギの牧畜を夢見ていると目を輝かせて、言葉少なに語ります。

グルン族は勇猛な民族

昔は、羊の牧畜,トウモロコシ,シコクビエなどの農業,チベットとの交易に携わり,狩猟にもたけていました。今日では,牧畜・交易の比重は低下し,稲を栽培する農業が主要となっているようです。

グルン族は、たいへん勇猛な民族で、ネパール軍やインド軍の軍人や、イギリス軍の傭兵,ポーターなどになる者が多いのだと、彼らは誇らしげに語ってくれました。

何より興味深いのは、グルン族の容貌が日本人に大変よく似ていることから、日本人のルーツとして、もう少し調べてみたい気がします。 2024.12.21.

映像作品「グルン We are Gurung」

グルン族をネットで検索したところ、映画「グルン」の公式サイトがヒットした。グルン族の7年間を追った森野継偉監督の映像作品「グルン We are Gurung」で、ヒマラヤの奥深くで生活するグルン族の伝統や慣習の間で揺れる少女の葛藤を描いた作品です。 https://youtu.be/Zeks1m9j4Uk

監督のコメントして、日本の人々は、自分のことだけでも精一杯日々を生きているけれど、ふと立ち止まると知らない国の知らない人たちも精一杯生きているのです。日々の中で一杯一杯になる時もあるけど、そんなときに物差しがいくつかあるとどこか心の拠り所ができるのではと。

ヒマラヤの山々を拝む

私は、2003年3月のネパール訪問に次いで、今回は2度目です。

ネパールは、南および西方はインド、北はチベット(中華人民共和国西蔵自治区)、東はブータンに接する内陸の国、面積14.7万平方キロメートル(北海道の約1.8倍)、人口3,054万人 (2022年 世銀)の国です。

日本とネパールのつながり

日本に在留するネパール人の数は2023年末時点で、17.6万人で、2000年には4千人程度だったため、この20年間で40倍以上に急増しています。現在では日本における外国人居住者数で6番目に多い国籍です。

私が住んでいる東灘区でも、ネパール人と思しき留学生を通りで結構見かけます。また、ネパール料理店もあります。

天空の都市カトマンズ

ネパールの首都「カトマンズ」は、別名「栄光の都」や「天空都市」とも呼ばれるネパール最大の都市です。カトマンズは、ヒマラヤ登山の玄関口としても知られ、ヒマラヤ山脈へのトレッキングや数々の絶景を目にするため、また、世界遺産にも指定されている歴史的建造物めぐりや宗教施設、異文化体験を求めて世界中から観光客が絶えませんが、日本人観光客は限られているようです。

発展途上の首都カトマンズ

はじめてカトマンズを訪れた20年前には、街の目抜通りを牛たちが悠々と歩いていました。どの自動車も決してクラクションを鳴らすことなく、牛が通り過ぎると静かに待っていたのです。

でも、今は牛の姿を見なくなりましたが、どの通りも自動車、自動二輪でいっぱい、クラクションの音が一日中鳴り響いています。自動車専用道もありますが、なかなか追いつかないようです。舗装はされていますが、砂埃が立ち込めています。

高度経済成長が続いていた1950年〜60年代の日本と同じです。偶に大阪に出向いた時に見た光景が思い出されます。武庫川を超えた途端に空が青色から灰色に変わります。帰ると白いワイシャツの襟が黒ずんでいたのです。

10年後のカトマンズの空が澄み渡り、街中からでもヒマラヤの山々が鮮明に見えることを願っています。

ケーブルカーで標高2,200mまで登る

今回のネパール訪問は、結婚式への出席が主目的だったので、時間的にも、カトマンズ市内観光の余裕はありませんでしたが、前回訪れたNagarkotにだけは、もう一度登り、ヒマラヤの山々を眺めたく思っていました。

ところが、もっと近くのカトマンズ市の東方の山、Chandragiriに登っても、ヒマラヤ山脈がよく見えるとポカレル氏に勧められ、Nagarkotではなく、Chandragiriに変更しました。6人乗りのゴンドラ・システムのケーブルカーが2016年に開業し、麓のThankot から2,200mまで9分間で登れるのです。

ヒマラヤの山々を拝む

ケーブルカーを降りると、ヒマラヤの山々が眼前に迫ります。手前の灰色に覆われた部分がカトマンズ市街地です。その向こうに7,000m級の山々が連なっているのです。私の左手人差し指先のあたりが、8,848mの世界最高の山Everestです。

ベンチに腰掛け、これらの山々を眺めていると、身も心も吸い込まれ、研ぎ澄まされていく気がします。 2024.12.18.

Attending a Wedding Ceremony in Nepal

On December 3, I departed Kansai Airport with my daughter, Mayuko. After spending two nights in Bangkok, we finally arrived in Kathmandu, Nepal. There is a time difference of 3 hours and 15 minutes. I was able to attend the wedding ceremony of the son of my close Nepali friend, Professor Pokharel. After an 8-day trip, I safely returned to chilly Japan on the morning of December 10.

Nepali weddings are held over three days.

The first day is hosted by the groom’s side, the second day by the bride’s side, and the third day is the main event hosted jointly by both families.

Each family has over 100 members, and including acquaintances like us, there were over 500 attendees, making it a truly grand celebration. From Japan, there were six participants: Professor Hideki Yamamoto and his wife from AMDA Japan, who contributed to the establishment of a children’s hospital in Nepal, and two members of Mr. Pokharel’s host family from his time studying in Japan.

On the first day, the ceremony was held at the Pokharel residence and was attended only by the groom’s side. Around the numerous gifts from the bride’s side, children joyfully danced, and everyone ate heartily and enjoyed lively conversations.

The second day was hosted by the bride’s side and took place at a hotel. In the garden, a band played Nepali folk music, while various rituals continued endlessly from morning to night. One particularly interesting ritual involved washing the bride’s feet, where relatives took turns sprinkling water over her feet. It seemed to symbolize the bride leaving her parental home and moving into her husband’s household.

The third-day ceremony took place in the evening in a hotel garden, attended by many guests. Later in the evening, a banquet was held in a large hall with round tables, similar to Japanese weddings. However, unlike Japanese receptions where speeches are made on stage with a microphone, here everything was conducted face-to-face in a more personal manner, which made the event quite lengthy. Despite being the main ceremony, the groom and bride had already been introduced earlier, making the atmosphere relaxed and lively.

This tradition of celebrating weddings with such large gatherings shows that the family system is still deeply rooted in Nepali society. That said, the bride and groom, both studying in the United States, were set to return there just two days after the wedding. In 10 years, Nepali wedding customs might change significantly.

December 11, 2024

ネパールの結婚式に参列して

12月3日に、娘のMayukoと関空を発ち、バンコクで2泊、ようやくネパールのカトマンズに辿り着きました。時差が3時間15分あります。ネパールの親友ポカレルさんのご子息の結婚式に何とか参加できました。8日間の旅、10日朝、無事寒い日本に帰国しました。

ネパールの結婚式は、3日間にわたり行われます。第1日目は花婿側の招待、第2日目は花嫁側の招待、第3日目がメインで、両家の主催です。いずれの御家族も100名以上おられ、それ以外にも我々のような知人を合わせると500名以上に及ぶ実に盛大なものです。日本からの参加者は、ネパールの子ども病院設立に尽力されたAMDA Japanの山本秀樹先生夫妻、ポカレル先生の日本留学中のホストファミリーお二人の計6名でした。

第1日目には、ポカレル邸で行われ、花嫁側からのプレゼントを前に、花婿側のみの集まりです。子どもたちは楽しそうに踊りに興じています。皆さんよく食べ、賑やかによく話します。

第2日目は、花嫁側の招き、ホテルで行われ、庭園では音楽隊がネパール民謡を奏でる中で、朝から夜までいろんな儀式が延々と続きます。興味深かったのは、花嫁が足を洗う儀式、親族の方々が次々と花嫁の足に水を振りかけます。生家を離れ、婚家先に移る証のようです。

 


第3日目の儀式は、数多くの参列者のもと、夕方からホテルの庭園で、夜には日本と同じような大ホールの円卓形式です。日本の披露宴と違うのは、壇上でマイクで話すのでなく、終始個々に対面で行われます。だから長時間かかるのです。

本番とは言え、すでに花婿、花嫁の顔見せも行われており、かなりリラックスした賑やかな雰囲気です。

これだけ多くの人に祝福され、結婚式を挙げる風習は、今もネパールでは家族制度が強く残っている証です。とは言え、米国留学中の花嫁・花婿は、式の2日後には米国に戻るそうです。10年後には、ネパールの結婚の儀式もかなり変わっているかもしれません。2024.12.11.