秋らしくなり、パワーアップです

久方ぶりにクーラーを入れずに夜を過ごすことができました。窓からは心地よい涼風が流れ込んできます。
秋のお彼岸には、道子の里の墓がある京都の相国寺に家族揃ってお参りに行きます。昨日までの真夏の暑さを忘れさせる秋晴れとそよ風、たった1日でこんなに変化するなんて。
京都の町は、噂通りの大勢の観光客、とくに外国人で溢れています。どこもいっぱいなので京都駅に戻り、伊勢丹の11階のレストラン街ならと上ってみると、ここまで外国人が並んでいます。

久方ぶりで対面での会話が楽しみです

この夏の2か月は外出を控え、いかに猛暑の中を生き延びるかで頭の中はいっぱいでした。直接お会いするのを先送りしていたので、カレンダーには今週からぎっしりと予定を書き込まれています。
新型コロナの流行で、この3年間ほど全く学会に出席する機会がありませんでした(と言うよりも、自らの病で病院のお世話になっていた)。先般、数年ぶりに出席した学会で、お若いと思っていた後輩の方が現役を退かれたと知り、ビックリしました。数少ない知己の方と対面でお会いできるのを楽しみに、身体力がもつ限り顔を出そうかと思っています。

子ども囲碁教室の手助けを

今一番の楽しみは、関西棋院の村岡プロご夫妻と一緒に子ども囲碁教室を開くことです。この6月からプロの指導碁を受けています。対局後に雑談をしている中で、彼らご夫妻が囲碁の子ども教室や国際交流など囲碁の普及活動に大変熱心なことを知り、私も少しお役に立てればと思っていたところ、我が家の一室を子ども囲碁教室に使って頂けることになりました。
永年にわたり子どもの医療福祉に関わる仕事をしてきた私です。思いもしなかったことで、再び子どもに直接関わる仕事にありつけた喜びで、胸ワクワクです。
予てから、発達障害児には囲碁が向いていると考えています。生徒の中から、チャピオンが生まれるのが夢です。  2024.9.23.

「家」にまつわる3つの話

実家と里帰り

長らく会っていない後輩のA君から一通の手紙が届きました。彼の結婚式の仲人を我々夫婦がさせて頂き、彼が両親と一緒に挨拶に来られた時の話が書かれていました。
私が彼に、「いま、どこに住んでいるのか?」と尋ねると、「実家に住んでいます。」というA君の答えに、空かさず彼の父親が、「お前の家ではなく、親の家に住まわせてもらっているのだ!」と叱責され、私も「その通り!」と同感したというのです。私もその時の情景をよく覚えています。
最近は、男の子も、女の子も何歳になっても「実家に帰る」という表現を用いていますが、かつては、他家に嫁いだ女の子が親の家に帰る場合には、「里帰り」という表現を用いていました。その名残りとして「里帰り分娩」という言葉は今でも生きており、決して「実家分娩」とは言いません。なぜだかよくわかりませんが。

男子三界に家なし

これは私の間違い。もともと仏教用語で、「女は三界に家無し」という表現が存在し、「女は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がない。」という意味で、「男子三界に家なし」という表現はどこにも載っていません。
永年にわたり単身赴任していると、定年退職し、いざ家に戻ろうとしても、もう自分の居場所がなくなっていたという哀れな男の話をよく耳にしていたので、「男子三界に家なし」とばかり思っていました。

夫婦別姓問題は自然解消する

日本で結婚をする場合、現状では夫婦別姓は認められておらず、その妥当性について未だに賛否両論です。
海外の国々では、その選択は当人の自由で、夫婦別姓を認めていないのは日本だけのようです。日本と欧米との違いは、おそらく文化的背景、農耕文化の国日本特有の家長制度の名残りのような気がします。
日本人同士で、公の場において名(ファースト・ネーム)で呼び合うことはまずありません。でも欧米人は、公式の場においても姓(ファミリーネーム)でなく、名(ファースト・ネーム)で呼び合っており、我々日本人はなかなか馴染めません。
戸籍確認では、漢字の一画一画を今でもうるさく言われますが、マイナンバー・カードを普及させようという今の時代では、姓・名がなくても、背番号「IDナンバー」で本人確認が十分できます。あとは勝手にニックネームで呼び合えばいいので、夫婦別姓問題も自然解消です。 2024.9.17.

 

ヒマラヤの山々

私の寝室には、大学退官直後の2003年に、留学生、Dr. Pokharelさんからの招きで道子とネパールに行った時に買い求めたヒマヤラ連峰の写真を、壁に貼り付けています。
これまで、この写真の存在にすら気付かない日々を過ごしていましたが、最近は就寝前には必ず見るようになっています。この雄大な山並みが私を包み込んでくれる気がしはじめたからです。

連日の猛暑が続く中で、私の最大の関心事は来夏をいかに乗り切るかです。万年雪を抱くヒマラヤ連峰を眺めながら、カトマンズにいるDr. Pokharelさんのことを思い出し、久方ぶりにメールしました。

Pokharelさんからのメール

彼は、1980年代に神戸にやってきたネパールからの留学生で、カトマンズ大学の小児外科の教授になっています。すぐに、お悔やみのメールが届きました。その中には、
“・・・・・, and life is going on some early and some late, one day everybody should leave this world, but where? We don’t even know we have to leave the world one day.”
と書かれており、敬虔なヒンズー教徒である彼のこの表現に大変興味を感じました。

ネパールへの誘い

数日後もう一通のメールが届きました。
今度は、現在米国のJohn Hopkins Medical collegeに留学中の長男Dr. Shashwatさんがこの12月に結婚式を挙げるので、カトマンズに来ないかという誘いのメールです。

前回の旅でみたヒマヤラの山々、お釈迦さんが生まれたルンビニの町を思い出しながら、自分があの山の向こうから生まれ、また戻っていくような気がいつもしています。生身の眼で、もう一度確かめたい思いが高まってきます。早速、祝福の文と娘の同行が叶えば是非行きたい旨の返事をしました。  2024.9.16.

追記:

Sanatana:あるヒンズー教徒の死生観について

彼が書きよこした死生観について、次のような記載がありました。この思想は、6000年前からあったヒンズー教のSanatana: ( Sanatana = since ancient unknown peroids)という古典的な考えによるもので、その後現れた新興宗教である仏教・キリスト教・イスラム教もヒンズー教にならい、同じ考え方になったと言うのです。反論したい気もするのですが、何分にも私の無知なるが故に鵜呑みにせざるを得ず、悔しい思いです。

 

「誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ」

アメリカの教育者ドロシー・ロー・ノルトは、1999年出版の育児書「子どもが育つ魔法の言葉」として、
• 分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
• 誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
• とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
• 子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
• 親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
などを取り上げています。

「誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ」

最近、私自身が囲碁を学んでいます。囲碁の先生から、たまに「いまの一手は素晴らしい」と誉められると、舞い上がってしまいます。とくに、自分が考え抜いた末の一手であるとなおさらです。自分がワンランク上達した気分になります。
子育てにおいても、学校教育においても、友達づきあいでも、タイミングよく、自然に相手を褒めることです。囲碁仲間の米寿(88歳)の友も、誉め言葉に照れながら腕を上げています。舞い上がるのは、子どもだけではないのです。

2024.9.13. 地域子育てネットワーク連載原稿

 

近所付き合いもできています

スーパーに行く途中、建物の陰で信号待ちしているときに偶々出会った同年代のマダムとの話です。

一緒に信号を渡り、本通りをゆっくりと歩んでいると、甲南本通りの店主の消息を尋ねもしないのに、次々と教えてくれます。最後に、自分は昔ここで「本屋」をしていたが、今は店舗を閉め、娘と2階に一緒に住んでいると聞かされ、ビックリです。

それまで並んで歩いていたので。相手の顔を全く見ていませんでした。「本屋さん」と聞き、改めて見直すと、確かにあの時のマダムです。大変キュートな美人だったので今でも彼女の存在はよく覚えています。その旨を話した時の、彼女の照れる仕草が今でも結構可愛いのです。20年以上前の話かと呟くと、50年以上前だと訂正されました。

井戸端会議にも加わる

日中の猛暑は続いていますが、太陽が西に傾くのが早くなり、5時になると通りには日陰ができています。

スーパーで買った大きな袋をぶら下げて歩いていると、庭木に打ち水をしている近所のマダムHさんと立ち話です。どこからともなくFさんも加わってきます。まさに、井戸端会議です。道子から近隣の情報は聞かされていましたが、これまで出会っても目で挨拶するぐらいで、話すことのなかった人達です。

みなさん私と同年代で、永年同じところに住んでいると、結構いろんなところで繋がりがあるのです。話がエンドレスなので、買ってきたアイスキャンデーが心配になり、ほどほどに中座させてもらいました。

この1年間で、炊事・洗濯は元より、近所付き合いもできるようになりました。  2024.9.12.

認知症2025年問題にどう取り組む?

内閣府の統計によると、2025年の日本では、65歳以上の高齢者人口が3,600万人、全人口の約29% に達し、認知症の患者数も730万人に増加するそうです。
認知症による社会的・経済的な負担が増大し、様々な分野に負担を与えると予想されます。 総裁選では争点になっていませんが、認知症2025年問題は深刻です。

 

 

早や道子の一周忌を迎えました

早いもので、道子の一周忌を迎えました、昨日、尼崎市にある如来院で息子・娘、孫たちで法要を行い、道子の妹たちや私の妹も元気な顔を見せてくれました。
去年の今頃は、これからの1年、自分が生き続けられるか不安でした。この8月にはカウント・ファイブのダウンをしましたが、何とか猛暑を乗り越えることができました。

囲碁が心の癒しになりました

腹部手術の関係で昨年からゴルフをできなったところへ、神戸大学時代からの友人である工学部の北村先生の誘いを受け、地元東灘区の囲碁同好会に加えていただきました。
囲碁をするだけでなく、メンバーたちはいろんなキャリアの持ち主で、話題が多岐にわたり、あっという間に時間が過ぎ、心の癒しになっています。
私の碁は、我流のものだったので、今春から本格的な囲碁を目指し、関西棋院九段の村岡茂行プロの指導を週に一度受けています。

次の1年への目標を決めました

この9月は、私にとって何か新年度を迎える気分です。これからの1年、自分ひとりが囲碁を楽しむだけでなく、囲碁を通じて、少しでも人の役に立てるよう努めたいと思っています。

村岡プロは、奥さまの美香さんもプロ五段で、囲碁普及のための活動、子ども囲碁教室や国際交流に夫婦揃って熱心に取り組まれています。
私も現役時代には、小児科医として子どもとの付き合いは本職で、また数多くの海外からの留学生と一緒に研究活動をしたキャリアがあります。

もし、少しでも私がお役に立てることができれば、最後のご奉公かと考えています。いろんなアイデアが脳内を駆け巡ります。身体に気をつけながら、人に迷惑をかけないように、新たな目標に向けて歩み始めます。2024.9.9.

一力遼九段が世界選手権で優勝のニュースが

世界のトップ棋士が参加する囲碁の国際大会の一つ「応氏杯世界選手権」で、一力遼九段(27)が優勝したというNHK ニュースが流れてきました。日本の代表選手がメジャーな国際大会を制するのは19年ぶりの快挙です。
将棋界に押され気味の日本囲碁界の起死回生につながることを願っています。

昔懐かしい1冊の本から

本棚の整理をしていると、昔懐かしい1冊の本、「医学教育の原理と進め方」を見つけました。

たいへん型苦しいタイトルの本で、店頭に横積みされていても、今ならまず手に取ることのなさそうな本です。

文部省の富士研修所で

昭和64年1月に就任した新米教授の私は、文部省の富士研修所での医学教育セミナーに参加する命を受けました。丸一週間、朝から晩まで缶詰めです。夜抜け出そうにも、富士山麓の一面闇の世界です。

全国の医学部から教育担当者40名ほどが受講し、小児科教授は私だけ、顔見知りの方は一人もいません。当初は、学生の合コンのように、互いの親睦を深める意図で他愛ないゲームをさせられます。画用紙に似顔絵を描かされました。昨日まで大学で偉そうな顔をしていた連中がまるで子ども扱いです。日常生活とは大きなギャップです。

大学に戻れば、山ほど仕事があります。受講者からはブーイングです。でも、チューター連中は慣れたものです。我々が、次第に慣れてくると、グループ分けされ、毎日いろんな課題を与えられます。

ここで、「医学教育の原理」が現れます。問題解決型の思考法です。

一般目標(GIO)と行動目標(SBO)

当時の私にとっては全く耳新しいことばです。

一般目標(General Institutional Objective, GIO)とは、学習者が何をできるようになるかを総括的に記述したもので、教員と学生の両者への一般的なオリエンテーションとなるものです。例えば、「尿路感染症患者の診断と治療ができるようになるために、この疾患の微生物学的特性を理解する。」

行動目標(Specific Behavioral Objectives, SBOs)とは、個々の一般目標を達成するには、どのようなことができるようなればよいかを、具体的な行動の言葉で書き表したものです。

今日では、大学教育の中で問題解決型の思考法、GIO、SBOは当たり前になっていると思いますが、それまでの医学教育では個々の教授が思い思いに一方的に講義していました。

セミナーでは、連日新しい、大きな課題が与えられ、数班に分かれて意見を出し合い、GIO、SBOを適切に立案するのが目的でした。いつの間にかチューターの思い通りに動いていました。

何にでも役立つPDCAサイクル

この問題解決型の思考法の基本になっているのがPDCAサイクルです。何ごとも評価があって次のステップへ、新しい目標設定が始まるのです。

この考え方は、ビジネス分野から始まったようですが、教育分野、研究分野においても大いに役立ちます。

囲碁においても同じです。いくら優れたプランを立てて盤に向かっても、相手の応対でその妥当性を評価しながら、ACTION(改善)を起こさないと勝利に結びつきません。

私の脳にこのときに叩き込まれたPDCAの思考回路は、何ごとをするのにも絶えず役立っています。

CHECK(評価)が欠けると悲劇を招く

最近のビジネスでは、時代の流れが早すぎて、いちいちCHECK(評価)して次のステップに進んでいると時代遅れになると、あまりPDCAを守らなくなっているようです。

トヨタ自動車のカイゼン・プログラムは世界的に有名で、米国の経営者が名古屋を訪れ、学んでいました。でも、あのトヨタが品質管理面での不正を行う時代になったのです。私にとって大きなショックです。

これは、トヨタだけの問題ではなく、名のある大企業や私にとって身近な医学分野にも、当人たちが意識していなところで及んでいるのではないかと内心危惧しています。

あまり目先のことばかり考えて、足元をしっかりと見つめてないととんでもない悲劇を招きそうです。  2024.9.7.

来年の熱中症対策への妙案

朝起き、六甲山を見上げると、澄み切った青空に山頂の展望台がくっきりと近づいて見えます。
このところ、私の頭の中はあるのは、来年の熱中症対策をいかにするかです。同世代の友人に電話し、お互いに情報交換し、慰めあったり、励ましあったりしています。その中で上がってきたアイデアを整理してみると、

来年の熱中症対策をいかにするか

基本的には、暑さの最も厳しい7月下旬から8月中旬のお盆過ぎまでの1ヶ月間をいかに乗り切るかです。

第1案。北海道の遠軽町にあるリゾートホテル「マウレ山荘」

旅行好きの情報通の友人山崎君が教えてくれたのが北海道・遠軽町の丸瀬布の森の中に佇むリゾートホテル。アクセスは札幌からJR石北本線で3時間。アルカリ性単純泉の温泉が湧き出ています。

「心地よい風と木漏れ日の中で、ゆったりとくつろぐ贅沢なひとときを 過ごしてみませんか。」がキャッチコピー。でも、ここで1ヶ月間独りで過ごすのは、かなり無理がある気がします。

第2案。札幌中心街のホテル

1ヶ月間退屈せずに過ごすには、近隣に囲碁クラブがある場所なら問題ないことに気づきました。それなら、大都会の方が良かろうと、札幌市内の囲碁クラブをチェックしたところ、すすきの駅近くにあることがわかりました。
すすきの駅界隈なら、手頃なホテルが数多くあり、食事に困りません。有力な候補地です。

第3案 ワルシャワ

1ヶ月ぶりに、囲碁クラブ「方円」で関西棋院プロの村岡茂行九段の指導碁を受けてきました。

村岡茂行プロは大変な国際派で、今夏は2週間余り、フランス南部の町、トゥールーズで行われた「ヨーロッパ碁コングレス」に、奥さんの美香プロとがアマチュアの日本人の囲碁ファンを引率して、出席されました。

ヨーロッパ各地から多数の囲碁ファンが集まり、出席者は数百名に及び、2週間にわたって賑やかに対局されたそうです。

ワルシャワでの囲碁国際大会への出席

その大会が、来年はポーランドのワルシャワで開催されるそうです。開催時期も7月末から8月中旬まで、ちょうど私が探し求めていた避暑地として最適です。
ワルシャワの8月の最高気温は22〜23℃くらい、日本の春の気温です。
ここでなら、2週間退屈せずに過ごせそうです。来年への大きな目標ができました。
フィンランド航空では、2025年度のスケヂュールでは関空からヘルシンキまでの直行便が週5便就航するようです。久しぶりの海外旅行、体力づくりに励まなくては。
娘には、しっかり保険をかけていくようにと強く言われています。
もうひとつの難題は、ロシアとウクライナの和平です。これも解決していそうです。

2024.9.5.

ひとの役に立てたみたい

このところの猛暑で、周りの方々に迷惑を掛けてばかりでしたが、やっとひとの役に立てたみたいです。

自信をなくした米寿のIさん

久方ぶりに囲碁の例会に出席したところ、仲良しの米寿を過ぎた実業家のIさんが、「このところ負けてばかりでひとつも勝てん。もうワシはボケてきたみたい。」という弱気の言葉を吐いているのを耳にし、驚きました。

彼の囲碁の腕前は初段ですが、私より歩くのが早く、話題が豊富で、いつも羨ましく、目標にしていました。彼とは、結構馬が合い、彼のマンションで世間話をしながら囲碁を指しています。でも、この暑さで1ヶ月あまり遠ざかっていました。

暑さも一段落した日曜日の昼下がり

彼の元気なさが気になっていました。台風も収まり、暑さも一段落した日曜日昼に、彼に電話すると、大変喜んで迎え入れてくれました。

勝敗は度外視して、多少のコメントを挟みながら、いつものように政治・経済の話をしながら3時間あまり一緒に過ごしました。最後の一局では、彼がいつもの力を発揮し、彼の勝利となりました。

自信が勝利を呼び込む

翌日の囲碁の例会で、「2連勝した。」という彼の歓喜の声が部屋中に響き渡りました。

彼も嬉しかったに違いありませんが、私も同様に喜びを噛み締めていました。私が特段のことをしたわけでなく、彼が弱気の虫を追い払い、元の大胆さを取り戻してくれたことが勝因だったに違いありません。2024.9.3.

ジェーン台風の襲来

私にとっての最初で・最後(?)の大型台風が、昭和25年(1950)9月3日の日曜日昼に阪神地域を直撃したジェーン台風です。当時、私は尼崎市の阪神南にある寺町通りに住んでおり、小学5年の秋のことです。

ジェーン台風

高知県室戸岬の東方を通過した台風は、紀伊水道を北上し、阪神間を直撃しました。当時はまだテレビ放送がない時代で、刻々と迫り来る台風の様子をラジオで聴きながら、家族揃って昼ごはんを食べていた時です。
次第に強まる風雨により、締め切った木製の雨戸は外方にしなり、飛んでいきそうになっており、家ごと吹き飛ばされないかと不安に怯えていたのを今でも記憶しています。幸い、日曜日であったので父親が家に居り、その側で息を潜めて座っていました。

台風の眼の中に

しばらくすると、突然嵐が過ぎ去り、静寂が訪れました。空を見上げると、澄み切った青空です。
この静寂がしばらく続き、もう台風は通り過ぎたのかとホッとしたところへ、今度は西からの風雨が荒々しく再び襲いかかってきました。
後になって、これが台風の眼の中にいたということだと知りました。(記録によると最大瞬間風速44mだったそうです。)

台風が過ぎ去ると、高潮が

台風が北方に過ぎ去り、吹き返しの暴風雨の音がおさまりホッとしたところで、小窓から外を覗くと、寺町通りがまるで小川のようになり、水が流れているのです。あっという間に筋向いの家々の軒の庇まで水かさが増しているのです。この時初めて高潮という言葉を知ったように思います。我が家も床上30cmの浸水でした。高潮による浸水被害は、おおむね阪神国道以南が浸水し、小田地区では東海道線にまで浸水線が及んでいたそうです。私が記憶しているのは、その後、学校が1週間休校になったこと、畳干しを手伝った?こと位です。

二百十日(にひゃくとうか)は厄日

最近はあまり言われませんが、立春から二百十日目の日。例年9月1日頃(今年は閏年の関係でずれて8月31日)です。この時期になると、台風の襲来や荒天が続くことが多く、稲が花をつける時期にあたることから農家にとっての厄日だったようです。私にとって忘れられない9月3日です。  2024.9.1.