八十過ぎてわかったこと

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印刷して読まれるときには、A5版用紙に、文字の大きさを普通の人なら50%、高齢者は60%で印字すると、読みやすいと思います。

また、iPadで読まれるときは、原寸で。縦書きの原稿ですから、読書用無料アプリ「i文庫S」をダウンロードし、使われることをお勧めします。詳細をクリックし、縦書きを選択すると読みやすいです。


内容:

これまで、あまり年齢を意識することなく過ごしてきたのですが、80歳を過ぎたあたりから、思いもかけぬ出来事が次々と襲ってきます。

80歳を過ぎて体験すること、はじめて気付いたこと、同年代の方々には納得いただけても、後輩たちには理解不能なことがたくさんあります。

社会の先行きが不透明になっている今だからこそ、余計なお世話かもしれませんが、この3年間の出来事を冊子としてまとめてみました。

はじめに
第1章 老いを楽しく生きる
第2章 80歳での大きな試練
第3章 高齢者と新型コロナ
第4章 ポストコロナ社会への期待
第5章 社会が後戻りしないように

気になり始めた認知症

歳をとると、気になるのが認知症です。物覚えが悪くなり、特に人の名前を思い出せない時には、自分もついにボケが始まったかと不安になります。同年輩の友人との会話でも、身体的な老化症状とともに、認知症への恐れが増えてきました。

小児科医の私は、認知症は全くの専門外ですが、友人たちから相談されると、医師として余りいい加減なことも話せません。自分自身が、日本人の平均寿命を超え、周りをみていると、認知症も他人事とは思えない今日この頃です。

同年輩女性の4人に一人が認知症

まず、どの位の頻度で認知症を発症するものかと、私が懇意にしている精神科名誉教授で、認知症の権威である前田潔先生に伺いますと、65歳以上になると有病率が15%、その割合は年齢とともに増加し、私の属する80-84歳では、男が17%、女が24%ということです。90歳を超えると、男も、女も半数以上の人が認知症になっているようです。

90歳が人生の大きな節目らしい

我々の年齢層の平均余命が8年、ちょうど90歳あたりです。どうやら、90歳というのが大きな節目で、仲間の半数が生き続け、生きていても半数が認知症になる計算です。

少しは勉強をしなければと、最新の認知症特集の掲載された臨床医学雑誌を手に入れ、一夜漬けではありますが、同年輩の友人たちの不安解消に役立てばと、いくつかの話題を取り上げます。

認知症とは、一体どんな病気?

認知症は、英語でdementiaと言い、以前は痴呆と訳してました。日本神経学会の「認知症疾患治療ガイドライン2017」によりますと、「獲得した複数の認知・精神機能が、意識障害によらないで、日常生活や社会生活に支障をきたすほどに持続的に障害された状態」を認知症と定義しています。運転免許を返上した私ですが、電車・バスで不自由なく動き回れていますので、まだ発病には至っていないようです。

その原因疾患として、よく知られているのがアルツハイマー病、レビー小体型認知症といった中枢神経変性疾患、血管性認知症です。治療可能な内科疾患でも認知症が引き起こされることから、不安のある方は一人で悩まず、受診をお勧めします。

MCI(Mild Cognitive Impairment:軽度認知障害)

本人や家族から認知機能の低下の訴えはあるものの、日常生活は問題なく送ることができている状態のことをMCI(Mild Cognitive Impairment:軽度認知障害)と言うそうです。

65歳以上では、当該人口の約15%、約460万人が高齢者認知症と診断されており、MCIの該当者も13%、約400万人と推定されています。(厚労省認知症対策総合研究事業研究報告書、2012)

MCIは、認知症有病者には含まれませんが、認知機能の低下が起きており、放置すると症状が進み、認知症へと移行する可能性が高いと考えられています。年間にMCIの10%が、症状が進行し、認知症へと移行するそうです。

日常生活は問題なく送れていても、認知症予備軍と言われると、この歳になると、誰しも不安になります。妻から、「あんた、ボケてきたん違う?」と指摘され続ける自分は、「前からや!」と開き直りはしているものの、認知症予備軍そのものです。ゴルフのスコアが、大叩きが原因でよく分からなくなります。認知力よりも、体力増強の方が必要かと考えています。

認知症の方やご家族を支援する神戸モデル

神戸市では、認知症の方やご家族を支援する仕組み、認知症患者の早期発見のための診断助成制度と事故救済制度を組み合わせた「神戸モデル」を2019 年1月より開始しています。

神戸市としては、認知機能検診を無料で実施することにより、早期発見し、認知症患者として登録してもらう方が、トラブルを未然に防ぎ、社会的メリットが大きいようです。

高齢発症の認知症は進行が緩やか

ご安心ください。認知症の有病率は、80代後半になると40~50%となりますが、高齢発症の認知症は進行が緩やかで、記憶障害が出ても、それ以上には進まない方も結構おられるとの前田名誉教授の言葉を頼りに、歳を重ねていきたいと思っています。

2022.6.25.

武器ではなく、心と脳を使った生き方を

今のウクライナを見ていると、何か100年前にタイムスリップした感じです。鬼畜米英と騒わぎ、大東亞戦争に突入した昔の日本が思い出されます。

人種の多様性が問題視される時代となり、これまでの白人優位の時代もそろそろ終わり、一方通行でない折り合いのつけ方が問われる新しい時代入ったようなきがします。これも、自然の流れでしょう。その中で、G7とか、クアッドとか、既得権益をもつ欧米諸国に、最近の日本はうまく利用されている気がしないでもありません。

赤穂岬の公園で出会った青年

先般、赤穂岬の灯台近くにある「かんぽの宿赤穂」に、夫婦で久方ぶりに出かけました。午後のひととき、散歩に出ると、灯台の周りにある広場で、テントを張っている一人の二十歳すぎと思える好青年と出会いました。今夜はここで仲間と一緒に花見をするのだと、目を輝かせて応えてくれました。

宿に戻り、部屋の窓を覗くと、先ほどのテントが見え、テントを支えるロープには、「日の丸の旗」と「旭日旗」が掲げられていました。旭日旗は、普段街中で目にするのは、右翼団体の街宣車くらいです。何となく違和感を覚え、夜になると大騒ぎをするのではと案じていました。

私の予想に反し、音楽が聞こえてくることもなく、数人の男性青年たちが、静かにテントの周りで食事をし、一晩静かに過ごし、翌朝いつの間にか立ち去っていました。

あの澄み切った青年の瞳をみていると、鹿児島の知覧特攻平和会館に展示されていた若い特攻隊員たちの知的で、澄み切った瞳の写真を思い出しました。恐らく、人並み以上に愛国心に溢れた若者です。

日本が、ウクライナや80年前の日本に後戻りしないことを願うばかりです。愛国心に満ちた若者を戦場に送ることがないように。

2022.6.14.

老いを楽しく生きるには 1.身体を動かすこと

海洋冒険家の堀江謙一さん、83歳が、米サンフランシスコを出航、69日間の単独無寄港太平洋横断を終え、新西宮ヨットハーバーに6月4日に無事帰港されました。彼の勇気と決断に拍手喝采です。

体力的な衰えのある中で達成されたこの偉業は、培われたスキルと強い精神力が原動力のように、一つ歳下の私には思えます。同世代のものの中には、自分もやってみたいと思っている連中がいるに違いありませんが、いくら精神力があっても、スキルがないと難しいでしょう。

私は、いま月に数回ゴルフに行くのを楽しみにしています。70歳を過ぎ、平日でもプレーできる時間的余裕が得られた時からゴルフを始めました。当時は、まだ十分な体力に恵まれていたので、何とかアベレージ・ゴルファーとして楽しめました。

ところが、昨年までの2年間は新型コロナ禍と入院生活が重なり、体重は10kg以上減り、筋力が低下しました。幸いゴルフにはさほどの体力を求められませんので、年齢に関係なく楽んでいます。

先日、神戸高校時代の同級生のゴルフの集まり、「さんさん会」に参加しました。私の組の3人は、いずれも彼岸の手前まで最近往ってきた仲間です。歳がいくと、歯目マラをはじめ、身体の随所に異変がおこります。でも、ゴルフで身体を動かしていると、全てを忘れてしまいます。同世代の連中と程々にプレーし、歓談する時間が至福のときです。

私の先輩は、正月明けの寒風の中でゴルフに行き、明朝ベッドで亡くなっていたそうです。私は、ピンピンコロリというほどに元気溌剌ではありませんが、これからも精一杯身体を使って生きたく思っています。
2022.6.10.

戦争で苦しむのはいつも国民

毎日、テレビに映し出されてくるウクライナの惨状には目を覆いたくなります。

昨日は、昭和20年3月17日の神戸大空襲から77年ということで、犠牲になった人たちを追悼する慰霊祭が神戸市で行われました。昭和20年2月~8月にかけてのアメリカ軍の空襲により、神戸では8千人以上が亡くなり、中でも、3月17日の大空襲では神戸の市街地全域が一夜にして廃墟と化し、ウクライナの比ではありませんでした。当時5歳であった私の脳には、真っ赤に染まった神戸の夜空が今でも焼きついています。

欲しがりません勝つまでは

 戦時中の有名な標語に、「欲しがりません、勝つまでは」というのがありました。これは、1942年(昭和17年)に大政翼賛会と新聞社が「国民決意の標語」を募集した「大東亜戦争一周年記念」の企画で、国民学校5年の少女の作だそうです。

男性たちは戦場に駆り出され、残された女性たちは「もんぺ」を穿き、竹槍を手にし、バケツリレーと銃後を守るべく、一致団結していました。今のウクライナでは手製の火炎瓶を作成し、通りには土のうを積むという話を聞かされると、80年前の日本人と何ら変わらない感じです。

政治家や軍幹部のメンツの陰で、犠牲となり、悲惨な日々を送るのは市民たちです。

地勢学的にみたウクライナ

これまで、ウクライナという国名を知っているだけで、実はよく知りませんでした。東欧諸国の中でも、最も東に位置し、地勢的にウクライナは日本と全く違うことを今回知りました。

東にロシア、西にポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、モルドバ、北にベラルーシと隣接していて、南には黒海を挟んでトルコが位置しています。ウクライナ人には、多人種の血が混じっており、ウクライナ女性には美人が多いそうです。
国土面積は約60万平方キロメートルと日本の2倍。人口は約4,400万人と日本の3分の1です。国土の大半が肥沃な平原・高原地帯に覆われており、小麦、トウモロコシなどは世界有数の輸出国です。
身軽な動きと複雑な跳躍を含み、早いテンポで演技されるコサックダンスは、ロシア舞踊とばかり思っていましたが、ウクライナ・コサックの踊りに由来するウクライナの伝統舞踊の一つだそうです。

今回の戦争がなぜウクライナで起こったのか、その必然性が納得いきました。ここは、世界の潮流、東西対立の渦が最もできやすい地域のようです。アメリカと政治的に対立する国ロシアにとっては、国境を接する国、同じ東スラブ系民族の兄弟国であるウクライナが、アメリカ軍の支援を求めて軍備を拡大するのは自国にとって大いなる脅威と感じ、その芽を早く積みたいというのが狙いだったのでしょう。

何があっても戦争に巻き込まない、巻き込まれない

四方を海で囲まれた島国日本は、他国と直接国境を接しておらず、ヨーロッパの国々と比べると、地上の楽園のような気がします。でも、変に欲を出すと、大東亜戦争のようなことになるのです。

戦争で得をするのは、死の商人と呼ばれる武器商人、軍需資本家だけです。戦争に勝っても負けても、犠牲となるのはいつも市民です。一度、戦が始まると、あとは憎しみの連鎖です。為政者は何があっても戦争に巻き込まない、巻き込まれないように振舞って頂きたいと念じます。

経済的制裁も戦争と同じです。経済的弱者への虐待です。困窮するのは市民です。制裁という言葉を聞くだけで、子どもへの虐待と同じで、小児科医として心が痛みます。

世界中には、いろんな主義・主張の人たちが住んでいます。周りの国々とうまく接するには、互いにレスペクトし、ほどほどが一番のような気がします。

2022/3/18

「草枕」の冒頭の一節

文豪夏目漱石の1906年の作品「草枕」の冒頭の一節が、突然思い出されました。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向う三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はない。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう。

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするだけに尊い。 ・・・・・・

「草枕」は、100年以上も前の日露戦争直後の作品です。 2022/3/7掲載

春の訪れ(3)

我が家の近くには、2本の川が流れています。住吉川と天上川です。いずれも500メートルくらいのところにあり、春の陽気に誘われて、散歩に出かけました。住吉川にかかる橋の上から、川面に眼をやると、1羽の白鷺が餌を啄ばんでいます。長年、この地に住んでいますが、これまでゆっくりと川面に眼を向けることもなかったせいか、このような光景を目にすることはありませんでした。

さらに、昨日は、我が家から東に1キロのところにある神戸市の東部療育センターに西尾先生、岡田先生を訪ねて行った帰りです。途中に流れている天上川の橋の上から、ある老夫婦が河を覗き込んでいます。このところの日照り続きで、水の流れはほとんどなく、飛来してきたコンビニのビニール袋が一面に散乱いています。

よく眼を凝らすと、雌のカモが2羽、足首までしか流れのない川底で、ビニールぶくろに付着する残飯でも焦っているのか、周りの人間に気を止める様子は全くありません。2、3年前までは、この辺りにはいつもイノシシの家族がのんびりと生活していたのですが、駆除され、今では全く見かけることがなくなりました。

人間社会では、地球温暖化、新型コロナ、戦争・制裁と騒々しい世の中になっていますが、鳥たちが我々の身近に寄ってきて生活するさまを見ていると、なんだかホッとした気持ちになります。

2022/3/11

「草枕」冒頭の一節

昨日から、有馬のかんぽの宿に湯治に来ています。泊り客は年寄りばかり、実にのんびりします。湯上がりに、びん牛乳をラッパ飲みしながら、10分間100円のマッサージチェアに横たわっていると、至福を感じます。

いまだに戦争するなんてと思いつつ、児童虐待と同じで、これも人間の性でしょうか。そっと後ろから振り上げた拳を掴んでくれる人がいれば、大事に至らないでしょうに。周囲の人間は、制裁、制裁と煽り立てるだけで、本気で和平を望んでいるとは思えません。

文豪夏目漱石の1906年の作品「草枕」の冒頭の一節が、突然思い出されました。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向う三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はない。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう。

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするだけに尊い。・・・・・・・

この小説が書かれた1906年といえば、日露戦争の直後です。1904年(明治37)2月より翌1905年9月まで、日本とロシアは朝鮮と南満州の支配をめぐって戦いました。日本は20万の死傷者を出し、戦費15億円(今の数兆円に相当)を費やしたそうです。

2022/3/7  明日は結婚58周年

春の訪れ(2)

3月に入ると、日中は随分と暖かい日差しに誘われて、衰え気味の筋力を少しでも回復させようと、身体を動かすようにしています。
半年振りに、垂水ゴルフに行ってきました。途中にある池には、毎年冬にやってくるマガモの夫婦が気持ちよさそうに水面に浮かんでいました。 

雌に比べ、雄のマガモは、優美な色合いをしています。雌の嘴は黒っぽく、ふちがオレンジ色で、全体に茶色い羽をしています。雄の頭は緑色。光に当たるといろんな色に輝いて見えます。首に白い線が入っているのも特徴の一つです。

間もなく、春の訪れとともに、彼らは遠く、東北地方や北海道、シベリアまでこれから飛んでいくのです。今、ロシアが戦争を引き起こしているとも知らずに。

2022/3/3

春の訪れ

陽気に誘われて、毎年、春の訪れを実感させてくれるのが、岡本梅林公園です。
日曜日の午後に、コロナ禍の中ですが、多くの方が見物に来ておられました。

桜と梅と桃の3つの花は、すべてバラ科の植物。いずれもバラの仲間であることから見た目がとてもよく似ています。
お花見や入学・卒業を象徴する花として親しまれている「桜」、松や竹と並んで縁起が良い花とされる「梅」、桃の節句とも呼ばれるひな祭りに飾る習慣がある「桃」。
梅だけは、一足先にこの時期に咲くので、最も春を感じさせてくれます。
私は、桜よりも梅の方が好きです。いかにも冬の寒さに耐え抜いてきた感のあるゴツゴツとしているが力強く伸びた枝、そのひと節にひとつの花だけを整然と咲かせています。

2022.2.27.

のんびりと梅見をしているときに、ウクライナではロシアとの戦闘が繰り広げられています。同じスラブ民族であるのにと思いますが、兄弟喧嘩のようなもので、近過ぎてかえって憎しみにが増幅するのかもしれません。

西側諸国も、ロシアに経済的制裁を科していますが、一方で武器弾薬を供与し、戦争を煽っているようでもあります。頭を冷やして、1日も早く戦闘が停止されることを望みます。