Let’s get along forever in space.

Countless artificial satellites dart through space.

Humanity has launched numerous artificial objects into space, such as satellites, space probes, and space stations. The first satellite ever launched was the famous Sputnik 1 in 1957. As of December 2021, there were over 12,000 registered artificial satellites, and in recent years, it is said that over 1,000 new satellites are added each year.

The International Space Station: A Joint Project of Five Countries

The International Space Station is the largest artificial satellite orbiting the Earth in low orbit. Its average altitude is about 400 km, and it takes less than 4 hours to travel from Earth to the satellite. It completes approximately 15.5 orbits around the Earth in a day and can sometimes be seen as a slow-moving point among the stars, even with the naked eye.

This inhabitable artificial satellite, the International Space Station, is a joint project involving the United States, Russia, Japan, Europe, and Canada. While conflicts between nations persist on Earth, it seems that they get along well in space.

In recent years, there has been much discussion about space stations on the Moon, and it is also desirable for cooperation to take place there.

Date: April 26, 2023.

 

震災から28年経ちました

NHKテレビでは、震災体験を風化させてはなるまいと、連日放映されています。身内に不幸のあった方には忘れられない日でしょうが、幸い家族全員が無事だった私には、すでに遠い過去の思い出となっています。

震災当日の思い出

私の記憶の中で、今でも鮮明に残っているのは、激しい揺れの中で布団を頭からかぶり、丸くなって、上下の揺れに身を任せ、「神戸に地震が来るなんてあり得ん」と自問自答していていました。

パジャマの上からセーターを手当たり次第に重ね着し、オーバーに身を包み、屋外に避難しました。しばらくすると夜が白み始め、すべて倒壊した家々の上から、六甲の山並みがどこからでも見渡せました。この地震のエネルギーなら、山が隆起するのも納得できました。

近所の人たちとの話で盛り上がる

寒空の下でしたが、近隣の人たちは皆な屋外に出、家屋の下敷きになった人々の救出、高齢者の避難所への搬送に当たっていました。一段落したところで、普段顔をあわせることのない近所の人たちとの話で盛り上がっていました。

当時、ボスニア内戦という泥沼の戦争が続いていました。地震による被害は一時的であり、戦争でなくてよかったと全壊した自宅を前に、自らを慰めていました。

防災、防衛と何かと恐ろしい話が多いですが、平穏な日々が続くことを願います。

2023.1.17.

わたしと囲碁

コロナの流行で自宅にいる時間が増え、囲碁を楽しむ機会が増えました。ケーブルテレビでは連日囲碁番組が放送されており、いつも観ています。

同年代の友人の誘いで、囲碁の市民講座に行くと、全員が高齢者で、私がちょうど真ん中くらいで、90歳を過ぎた方もおられます。

学生時代に流行っていた囲碁

私が囲碁の手ほどきを受けたのは父親からで、小学生の頃です。本気で囲碁に取り組み始めたのは学生時代です。当時は学生間で囲碁が流行っており、学生控室の碁盤には、絶えず誰かが向かっていました。放課後には三宮のガード下にある碁会所によく立ち寄っていました。代金は敗者払いなので、小遣いのないときには申告段位を下げたりしていました。

今日では、コロナを気にすることなく、パソコンで世界中の囲碁愛好者とネット対局が可能となっています。近い将来には、VR の世界で、部屋の真ん中に置かれた碁盤で相手と向かい合う姿を想像するとワクワクします。

AIが人間のトッププロ棋士に勝利

Googleの子会社、イギリスのGoogle DeepMind社が開発した「アルファ碁(AlphaGo)」
が、韓国囲碁界のトッププロ李世乭九段と対局し、AIを用いたコンピュータ囲碁が人間のトッププロ棋士に勝利したのが、2016年3月です。その後も、コンピュータ囲碁は進化し続けています。

AIが囲碁界に革命を

囲碁は、定石・手筋と言われる決まった形が尊重され、ある程度の経験を積まないと上位に入れませんでした。ところが、コンピュータ囲碁は誰もが手軽に活用・学習できることから、10代のプロトップ棋士の進出や女性プロ棋士の進出を引き起こしました。

今や、トッププロ棋士でもコンピュータ画面上に表示される「次の一手」の妥当性を信じ、学習しているようです。トッププロ棋士によるテレビ解説では、画面に表示されるAI の模範解答をベースに話される時代となっています。

人間が再びAI囲碁にリベンジ

AI囲碁も数種類開発されており、今も新しいタイプのものが開発中とのことです。人間と同じく、コンピュータ囲碁も、強気なAIや慎重なAIと個性のあるものが開発されているようです。
コンピュータ囲碁も所詮人間が造り上げたものです。

天才的な少年・少女が、AIの弱点を見抜き、再び勝利する日が来ると信じています。

2023.1.10.

湯田温泉・萩への旅

寒波の中を、山口へ2泊3日の旅に出かけてきました。
湯田温泉は豊富な湯が湧き出し、駅には足湯場があり、町中に数多くの旅館が立ち並んでいます。
リーゾナブルな国家公務員共済組合の旅館、KKR山口あさくらは、自家泉源を有し、豊富な湯量で露天風呂はとくに快適です。

萩に路線バスで向かう

今回の旅は湯治が目的で、観光の予定は立てていませんでしたが、コンシエルジュの勧めもあり、翌日の朝から松下村塾のある萩に路線バスで向かいました。連なる峠道を越え、道中雪が降り始めましたが2時間ほど要して萩に着きました。
バスで乗りわせた地元の女性の勧めで、萩・明倫学舎前で下車しました。
強風の中を二人でヨタヨタと歩いていると、まるでイシグロ・カズオの小説「忘れられた巨人」に登場してくる老夫婦そのものです。

バス停からすぐのところにある藩校明倫館跡に、日本最大級の木造校舎旧明倫小学校があり、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」を紹介するビジターセンターや「幕末ミュージアム」などがありました。

吉田松陰と松下村塾

松下村塾といえば吉田松陰が有名ですが、もともと創設したのは松陰の叔父である玉木文之進という人物が開いた長州松本村に開いた私塾です。塾名の由来は「松本村の塾」という意味だそうです。

幼いころの松陰は、彼のもとで学びました。わずか9歳で才能を認められて、藩校である明倫館の師範に就任したと言います。しかし1854年にペリーが来航した際、黒船に乗り込んでアメリカに密航しようとしたため、長州で収監され、翌年以降は実家である杉家で謹慎処分となってしまいました。その建物は松陰神社に現存しています。

その後、吉田松陰は1858年から59年に起きた「安政の大獄」で、老中首座の間部詮勝(まなべあきかつ)の暗殺を計画した罪で斬首刑になります。そのため彼が実際に塾生に教えを施していたのは2年あまりに過ぎません。

松下村塾の教育とは

長州藩の藩校である明倫館が武士しか入校できなかったのに対し、松下村塾は身分の低い足軽や中間、農民たちも学ぶことができました。そのため従来の教育機関では学ぶことのできない人々が松陰の下に集まり、そのなかから伊藤博文や山県有朋などが輩出されることになります。

いわゆる時間割は存在せず、松陰が各地で学んだ儒学や兵学・史学など多岐にわたるテーマが扱われました。授業形式も特徴的。ただ講義を聴くだけでなく塾生同士の討論が積極的に取り入れられ、時には塾生が講義をすることもあったそうです。

至誠通天

この吉田松陰が好んで用いた孟子の言葉があります。
「誠は天の道なり。誠を思うは人の道なり。至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」という言葉です。
誠に背かないようにつとめるのが人の道であり、誠を尽くせば、それに動かされないものはない、という意味です。これを4文字で簡潔に表した言葉が「至誠通天」という言葉です。
この言葉は、私自身の「座右の銘」にさせていただきました。

長州ファイブ

幕末には日本から自由に西洋に渡ることは難しく、攘夷運動を推進していた長州藩士の洋行は至難の業でした。その中で、1863年5月に命がけで5名の長州藩士が技術を学び「生きた器械」となるべく、イギリスへ密航したのです。

「長州ファイブ」と称されるこの5名は、伊藤博文、井上馨、井上勝、遠藤謹助、山尾庸三であり、井上勝、遠藤、山尾が技術官僚となります。当時は、鉄道敷設や電信架設など近代化事業を政府が直接担当しており、西洋に由来する技術の進化を官僚が担い、「明治の技術官僚」として彼らは大きな役割を果たしたのです。
山口の街の至る所に「長州ファイブ」のポスターが貼られていました。

2022.12.18.

対面の会話で高揚感がいっぱいに

私、7月末に腹部大動脈瘤破裂で緊急手術を受け、九死に一生を得て、また戻ってきました。

毎日顔を合わせる妻や娘は、最近見違えるように元気になったと言ってくれますが、1か月あまりに及ぶ入院生活で、かなり痩せ、足腰の筋肉が落ちました。顔が一回り小さくなった自分を見ると、人前に顔を晒すのが恥ずかしい思いです。

つい先日、いまの私の唯一の出務先、神戸市北区「しあわせの村」にある障害児者向の医療福祉センター「にこにこ」の事務長から、月一度の定例会議への出席案内を頂き、多少不安でしたが快諾しました。

何しろ、家族・医療関係者以外の人と、対面で話をするのは、丸2か月ぶりです。目覚まし時計を合わせ、朝早くから目が覚め、高揚した気分で家を出ました。

会議に出席すると、いま伝えておかねばという思いが勝ち過ぎたのだと思いますが、これまでになく多弁になりました。自宅に戻って我に帰ると、何を話したのか思い出せない部分があります。

きっと仲間のスタッフも呆れていたと思います。私自身は、まだ術後せん妄状態か?と不安になります。

酷暑も過ぎ、心地よい秋風が頬を撫ぜてくれます。幸い新型コロナの流行も下火となってきました。メールでのやりとりだけだった友人とも、久方ぶりの対面での会話が楽しめそうです。

たとえマスク越しであっても、赤ちゃんだけでなく、目と目のコンタクトの大切さを改めて実感しました。

2022.10.1.

秋のお彼岸に墓参り

秋のお彼岸は、秋分の日を中日として前後3日間、計7日間がお彼岸です。中日は過ぎましたが、今日は朝から風もなく、雲ひとつない快晴です。
私にとって退院後初の車での外出となりますが、娘家族に連れてもらい、今年もお墓まいりに行くことができました。我が家の墓は、尼崎市の如来院というお寺にあります。

お彼岸にお墓参りするのは

お彼岸に墓参りするのは日本独自の風習で、仏教のルーツであるインドや中国にお彼岸という行事はないそうです。
ご先祖があの世にとどまり、お盆やお彼岸の時期になると、この世にやってくるというのは、お釈迦様本来の教えではなく、仏教が伝わる以前から存在していた、わが国古来の先祖崇拝信仰の名残りのようです。

彼岸(ひがん)と此岸(しがん)の交流の場がお墓

春分の日と秋分の日には、太陽が真東から上り真西へと沈む、この時期に先祖供養をすることで、ご先祖さまの冥福を祈るとともに、自らもいつか迷いのない彼岸に到達できるよう願い、お墓が、彼岸(あの世)と此岸(この世)、すなわちご先祖と私たちとが交流できる場となったようです。

ほんの1か月前には、ほとんど彼岸に渡りかけていました。今こうして、先祖の墓前で孫娘と並んで手を合わせている自分に何とも言えない感じでした。これからも、何が起こるか予測がつきませんが、しばらくは、此岸で精一杯生きたいと思います。
2022.9.25.

 

ようやく秋の訪れ

長らく外出していませんでしたが、ようやく朝晩が涼しくなり、近くにある公園まで朝早く出かけるのを、このところ日課にしています。

公園のベンチには、私のような高齢者だけでなく、中年の人たちも腰を下ろし、リハビリに努めておられます。特段、会話するわけではありませんが、仲間のいるほうが落ち着きます。

朝は、空気が澄んでいるので、六甲の山並み、山頂付近もくっきりと見え、体調がすぐれなくても、清々しい気分になります。

今年生まれたと思われる子スズメたち十数羽が、群れになって、樹々から地面に飛び降りたり、飛び上がったり、忙しそうに動き回っています。

地面を見下ろすと、アリたちが、一匹一匹、思い想いの方向に向かって、蛇行しながら動き回っています。何を目標にしながら動いているのか全く見当がつきません。

彼らは、匂いセンサーに反応して動てると思いますが、余りにも別々の方向に向かっているので、考え込んでしまいます。

数年前に、病を患った際にも自分が同じ行動を取っていたことを思い出し、思わず吹き出してしまいました。もう少し離れたところにある公園まで足を延ばすのが、次の目標です。
2022.9.18.

 

80歳の壁を過ぎたら、人生で一番幸せな20年が待っている

娘が、最近、本屋さんに立ち寄ったついでに、精神科医和田秀樹さんの書かれた、「80歳の壁」という新書本を買ってきてくれた。

その帯封には、「80歳の壁を過ぎたら、人生で一番幸せな20年が待っています!」となっています。810万人「団塊の世代」に朗報!老親を持つ世代必読ともなっています。

娘は、中身をよく見ずに、80の壁を越えたところにいる私を、元気付けようと買ってきてくれたに違いありません。

読み進めていくと、高齢者の身体的、精神的苦悩への対処法、医者へのかかり方が書かれいるだけで、80歳を過ぎるとどうして一番幸せな時代だと言えるのか思って、同年輩の妻に話すと、言下に、「ぼけるからやんか!」と言われ、変に納得しました。

2022.9.15.

マスク越しでも、よく笑う赤ちゃん

マスク姿が日常化した今日この頃です。マスクを外した顔を知らない赤ちゃんがどのように発達するかと、案ずる向きもあります。

昼前の電車で、ベビーカーに乗せられ、ぐずって泣き出した6ヶ月前後の赤ちゃんに出会いました。お母さんは、泣き止まそうと、手を握ったり、振ったりしますが、泣きやみません。ベビーカーに備え付けのおもちゃを握らせようとしますが、はね除けてしまいます。

私がじっと、赤ちゃんを見つめていたところ、偶々赤ちゃんと目が合いました。母親の視界から外れた位置にいる私は、少し大げさにマスク越しに目だけで話しかけると、赤ちゃんは私に興味を持ち始めました。

もうしめしめです。目で大げさに笑い掛けると、赤ちゃんも反応して笑い返してきます。気付かぬお母さんは、相変わらず赤ちゃんの後方からあやし続けており、赤ちゃんがなぜ泣き止んだか分かっていません。

私は、エレベーターで赤ちゃんに出会うと、お母さんの背後から語り合うのが昔から大好きです。至近距離ですからよく反応してくれます。家内からは、今に訴えられると注意されるのですが、止められません。

今回わかったのは、マスク越しでも、目だけで十分に赤ちゃんとコミュニケーションがとれることです。

お母さん方、赤ちゃんには、マスク越しであっても、正面から、しっかり目を見て、語りかけて下さい。
2022.7.14.

窓を閉ざした電車

私は、JRで摂津本山駅から三宮駅に向こう折には、いつも浜側の座席に腰を下ろし、四季折々に変化する六甲の山並みを見るのが大好きです。

今でも思い出すのは、フランス留学から帰国した50年前です。パリから、スイスを経て、イタリアまで車で旅をした時のアルプス越えの光景は印象的でした。でも、帰国後、JRで朝、大学への勤務に向かう途中の、六甲の山々の緑は、アルプス以上に素晴らしく思え、神戸に住んでいる幸せを感じました。

久しぶりに、JRに乗って三宮に出かけるときです。通勤時間帯を過ぎ、空席の目立つ電車でしたが、室内は薄暗く、何か異様でした。いつものように浜側の座席に腰を下ろし、外を眺めようとしたところ、どの窓もブラインドで閉ざされており、何も見えません。浜側のブラインドが下ろされているのは納得できますが、山側は納得がいきません。

見ると、その前に座っているのは若者たちで、終始俯いてスマホの画面に見入っています。彼らには見慣れた車窓の風景よりも、スマホの方が興味深く、背面から照らしつける光は画面を見難くするだけのようです。

車窓の風景を楽しめず、まるでトンネルの中を走る電車に乗っているような、落ち着かぬ時間でした。
2022.7.14.