2014年、午年に因んで

若葉「名誉教授からの一言」 2014

昨年は、アベノミクス、オリンピック東京招致と久方ぶりに明るいニュースの多い年でした。さて、今年は午年。「午」の本来の読みは「ご」で、「杵(きね)」が原字だそうです。前半(午前)が終わり、後半(午後)が始まる位置、その交差点が正午です。草木の成長期が終わり、衰えの兆しを見せ始めた状態を表しています。

のちに、覚え易くするために動物の馬が割り当てられました。 馬は「物事が”うま”くいく」「幸運が駆け込んでくる」などといわれる縁起のいい動物です。午年生まれは、もともと楽天家で、バイオリズムの変動が激しく、運気の落ち込みを感じないひとが多いようです。

「核黄疸」が超早産児で問題に

私自身の昨年は、大変エキサイティングな1年でした。かつての研究テーマであった「核黄疸」が超早産児で問題になっており、30年以上前に開発したUBアナライザーの出番が再び巡ってきたことから、森岡一朗講師を中心に若い大学院生の横田先生、香田先生らと、飯島教授の心強いご支援も頂き、神戸UB懇話会を立ち上げ、毎月1回話し合いの機会を持つことができました。黄疸に関心をもつ関連病院の先生、加古川西の米谷先生、森沢先生、姫路日赤の五百蔵先生、こども病院の坂井先生、高槻の片山先生らも加わり、共同研究を開始することができました。

この10年間、新生児学の研究から遠ざかっていた私は、ブランクを取り戻さねばなりません。幸い、最近ではPubMedの助けを借りれば、自宅においても資料収集が可能な時代となり、時間にゆとりのある私は、一気にファイリングすることができました。その結果、我が国では黄疸への関心をもつ新生児科医が少ないために、黄疸研究が新生児医療の進歩の中で取り残されていることを知りました。

超早産児の救命率が著しく向上した中で、生存退院しても神経発達障害をもつ児がかなり多い現実。多くの施設では超早産児の黄疸管理指針がないままにケアされており、気がついたときには重症黄疸になっていた例があり、あるいは黄疸に気付かれずに新生児期を過ごし、フォローアップではじめて脳MRI所見、ABR異常、難聴などから核黄疸を強く疑わせる例が少なくありません。

いまさら私の出番ではないかも知れないとは思いつつも、若い新生児科医に再考を促さねばとの思いから、秋の日本未熟児新生児学会で講演の機会をつくってもらいました。森岡先生らと中国の広州市での国際核黄疸シンポジウムにも参加し、諸外国の黄疸研究者との旧交を暖めることもできました。

さあ、今年は午年。肉体は下り坂ではありますが、気分は楽天的に、駆け抜けていきたく思っています。

歳とともに学んだこと

歳に関係なく、「幸せ」は達成感から。

手を伸ばせば、手に入る「幸せ」、いくら手を伸ばしても無理だったのが、歳月が経てば手の届くものもある。

歳がいってから、初めて手に入れると、本当に「幸せ」を感じる。

若いうちは、せいぜいやり残すがよい。

いろんな「幸せ」の引き出しに、大切にしまっておくことだ。

2014年1月記

 

最近の世相から、思うこと三つ

若葉「名誉教授からの一言」   2013

昨年末には、中学2年生のいじめ自殺が、年が明けると、高校2年生の体罰から自殺という悲しい出来事が相次いで起こっています。自殺死に追い込まれなくても、その何十倍も、何百倍もの「いじめ」や「体罰」が全国で繰り広げられているよう思えてなりません。また、年々増加する母親による乳幼児虐待と、子どもたちの近くに位置する小児科医として、子どもたちを取り巻く社会環境が余りにも悪すぎるのを看過するわけには行きません。

その1. 問題は、親世代を含めての徳育に

いじめ事件が起こると、生徒へのアンケート調査が行われます。事実確認だけなら、先生が生徒に直接話を聞けば済むことで、なぜ生徒にレポートさせるのか悲しくなります。同じ屋根の下にいて、face-to-faceの会話ではなく、レポートでないと伝えられない、これが、毎日顔を合わせている教師と生徒のコミュニケーションでしょうか。

私が学生であった頃には、「大学の自治」ということで、キャンパス内への警察の介入には徹底的に抵抗していました。大学人としての誇りでした。しかし、常軌を逸した全共闘の暴力行為で、学園への警察の介入に対する抵抗感がなくなったようです。

医療現場も、教育現場もモンスターに怯えています。社会全体でモンスター狩りをしないと、性善説に立つ医療者や、教師は萎縮し、結果的に子どもたちを不幸にしてしまいます。親世代向けの「人のみち」の再教育が必要です。

その2. ならぬことはならぬものです

新春から綾瀬はるか主演の大河ドラマ「八重の桜」がはじまりました。第1回目を観ただけですが、私自身は日本人の心のルーツに触れた思いで、今後の社会的反響が楽しみですます。

会津藩の砲術指南の山本家に生まれた八重は、広い見識をもつ兄・覚馬を師と仰ぎ、裁縫よりも鉄砲に興味を示し、会津の人材育成の指針“什の掟”(子弟教育7カ条)「ならぬことはならぬもの」という理屈ではない強い教えのもと、会津の女として育っていきます。

明治元年に、板垣退助率いる新政府軍に対し、最新のスペンサー銃を会津・鶴ヶ城から撃つ女、その姿は「幕末のジャンヌ・ダルク」とも呼ばれています。のちに、京に出て、アメリカ帰りの夫、新島襄の妻となった八重が、男尊女卑の中、時代をリードする「ハンサムウーマン」となっていく物語です。

会津藩における藩士の子弟を教育する組織、什(じゅう)は、6歳から9歳までの児で組織されています。「什長」というリーダーが選ばれ、年長児が組の長となります。年長者を敬う心を育て、自らを律することを覚え、団体行動に慣れる為の幼年者向け躾を、「遊び」と「お話」を通じて学習します。子どもたちが子どもたち自身で学習するこの仕組みは、大変素晴らしい制度だと思います。

そこでは、7つの什の掟が、必ず毎日繰り返されます。

  1. 年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
  2. 年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
  3. 虚言を言ふ事はなりませぬ
  4. 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
  5. 弱い者をいぢめてはなりませぬ
  6. 戸外で物を食べてはなりませぬ
  7. 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです。

第七項は現代の価値観に合いませんが、その他は日本人だけでなく、人種、国籍に関係なく世界中の人々にも当てはまるものです。このような躾は、「教育」ではなく、「学習」です。それには、大人からではなく、年齢の近い年長児から自分の目で学ぶのが効果的で、社会性の芽生え始めた4〜5歳から小学校低学年期が最適です。

昨今の親をみていると、我が子に対していかにも自信無げに「しつけ」を行っているように思えます。人として許されること、許されないことは、「ならぬことはならぬもの」として、毅然とした態度で我が子に接して欲しいものです。この「ならぬことはならぬものです」は、現在、NN運動として会津若松の地域コミュニティ活動に取り入れられているそうです。

その3. 大人の世界ではコンプライアンスを

神戸大学も法人化して、半民間化したため、一般企業のように監査室や監事のポストができました。私もこれから2年間、神戸大学の監事の職に就くことになりました。

監査には、会計監査と業務監査があり、その役割を一言で言うと、大学人がお行儀よく、教育、研究に従事しているかをチェックして、学長に進言することです。要するに、コンプライアンスの大きい組織体であるよう見守る役割です。

医療の領域で用いられているコンプライアンスは、肺のコンプライアンス、服薬に対してコンプライアンスという語が用いられていますが、企業社会でいうコンプライアンスとは、「公正・適切な企業活動を通じ社会貢献を行なうこと」です。


コンプライアンスは『法令遵守』とだけでない

コンプライアンスを『法令遵守』とだけとらえるのは間違いです。法律を守るのは当然のことであり、それは最低限のレベルに違反していないだけです。これを逆手にとり法の不備をつき「法令に違反していない」と、違法ギリギリの行為をしている企業もありますが、このような行為は企業の社会的信用を失い、取り返しのつかない事態になります。

国立大学も法人化により、自立した経営が求められるようになりました。お金が絡んでくると組織ぐるみの不正が発生する可能性が生まれます。また、従前なら大学人には許されていた、一般社会からみた「非常識」は許されなくなりました。教育機関には、一般企業人よりも、より厳しいコンプライアンスが求められるようになっています。人の命をあずかる医療も同じです。

医療におけるコンプライアンス

医療におけるコンプライアンスを考えるに当たって大切なことは、患者はいつも弱者であるということです。医療者と患者は決して対等の立場にはありません。一つ一つの医療行為が、什の掟、「五、弱い者をいぢめてはなりませぬ」に当たらないか、相手の無知につけ込んでの「四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ」に当たっていないか絶えず心したいものです。

医療行為というものは、法令だけに留まらず、医療倫理に基づくところが大です。医療倫理は、地域、文化などにより多様化しており、医療技術の進歩とともに時々刻々変化しています。医療倫理は、医療技術の進歩にいつも遅れてついてきます。新しい医療技術を取り入れる場合には、倫理規定がまだ追いついていないために、違反かどうか明白にはなっていません。

「ならぬことはならぬ」の強い信念で

そこでも、結局のところ、「ならぬことはならぬ」の強い信念で医療者自身が、所属する組織が、他の規範となるべく、積極的に法令や条例以上の医療倫理・社会貢献を遵守する行動が求められます。神戸大学小児科教室がコンプライアンスの大きな、素晴らしい教育・研究・臨床の組織として、日本の、世界の規範となることを念じています。

2013年1月記

Mac とともに、Steve Jobsへの感謝を込めて

若葉「名誉教授からの一言」2012

私が昭和39年に大学を卒業し、小児科の大学院に入学した当時は、コンピュターはおろか、電卓もなく、そろばんと計算尺で、実験データの平均値と標準偏差値をこつこつと計算していました。手垢に塗れた計算尺はいまも大切に机の引き出しの奥にしまってあります。電力不足で停電になったときには役立つかもしれません。

間もなく、医学部にも本格的な電子計算機Fortranが基礎棟に設置されることになり、当時須田勇教授の生理学教室にいた同級の森英樹君の指導を受けながら、腫れものに触るように使わせて頂きました。図体は大きいですが、その性能たるや今では5万円くらいで入手できるPCにも遥かに及ばないものでした。

1972年には」『カシオミニ』が誕生し、様相が一変しました。手のひらに乗るサイズで、価格も1万2800円まで下がり、個人でも手に入るようになりました。

Basic言語によるプログラムを自ら作成

1980年代になると、パーソナル用途向けの安価なコンピューター(いわゆるパソコン)が次々と発売され、私は、NECより発売されたPC-8001を入手しました。当時のパソコンはBASICで起動するマシンで、自分自身でBasic言語による標準偏差値の算定プログラムを作成しました。一瞬にして答が出たときの感動は今でもよく覚えています。

以来、私はパソコンの虜になり、研究データの統計計算、新生児センターのデータベースの作成、患児の発育曲線の作成等を次々と試みてきました。パソコンは、まさに日進月歩、2年もすれば骨董品同然となるために、これまでに私が個人的に買い求めた台数は20台を下らないと思います。妻に小言を言われながらも、私の趣味と実益を兼ねた最大の道楽です。

Macの出現とスライド作成

学会発表の方法は、今日ではパワーポイントで作成し。カード持参が当たり前の時代となりましたが、1970年までは模造紙にマジックで書いて一枚一枚めくりながら、口演していました。70年代に入り、スライド映写機が用いられるようになり、レタリングで一文字一文字貼付けて作成しました。その後、次第に普及してきたワープロでスライド原稿の作成をしていました。

1984年に現れたのが、あの箱型の一体型パソコン、マッキントッシュです。小型ですが、値段はNECやIBMのパソコンに比べると倍以上していました。しかし、作成の容易さ、仕上がりの美しさからスライド作成には欠かせないツールとなりました。パソコンといえば、他の学部ではWindowsが主流でしたが、医学部ではMacです。恐らく学会発表の回数が多いことや、スライドにはグラフ、イラストを多く用いる必要があったためでしょう。

ファイルメーカーとJ-SUMMITS

プログラム作成の言語には、Basic言語、C言語などがあり、自分でプログラムを作成しなければパソコンを駆使できませんでした。そこに、1995年Macでしか使えないデータベースソフトであるFileMaker Pro 3.0v1をファイルメーカー社が開発しました。本ソフトは、データベース機能にすぐれており、専門的な知識がなくても、容易にプログラムを作成でき、臨床データの整理に好適なツールでした。

その後、ファイルメーカーは進化し、今では病院の診療情報システムの一翼を担うまでになっています。その先導的役割を担っているのが、我が同門の名古屋大学医療情報部長である吉田茂教授です。彼は、医療者のニーズにマッチするフレキシブルなシステム開発を目指す研究グループ、日本ユーザーメード医療IT研究会(略称J-SUMMITS)を2008年に立ち上げ、NECとか富士通の医療情報システムのホストコンピューターとリンクさせ、機能性アップを目指しています。

iPadの臨床応用にもファイルメーカー

2010年春にアップル社から発売されたiPadは、これまでのパソコンの常識を覆す一大エポックとなり、爆発的人気を呼んでいます。私自身もその虜となり、早速、阪神北こども急病センターでの看護師によるトリアージ業務にファイルメーカーで作動するiPadを導入し、医療者にも、患者にも好評を博しています。その様子は、日経メデカル電子版に大きく紹介されました。

Steve Jobsへの感謝を込めて

振り返って、私の大学生活、こども病院での生活、さらには今の阪神北こども急病センターでの生活においては多くの仲間に支えられてきました。そのつながりをより強固にしてくれたのがITではなかったかと思います。私がツールとしてのITの素晴らしさを享受できたのは、Macのお蔭だと思っています。

このたび、今日のITの進化を先導してきたSteve Jobsの訃報に接し、Macのもつ素晴らしさとともに、彼のイノベーターとしての偉大さを知ることになりました。Steve Jobsがもつ偉大さは、Macの開発者、iPadの開発者というだけでなく、彼にはイノベーターとしての強い信念、強いリーダーシップを備えもつ人物であったこと、ITの中にも強い魂、やさしい心が宿らないと、人の役に立たず、感動を与えない事を最近出版された彼の伝記から知ることになりました。

改めて、彼に感謝を捧げたいと思います。

Stay hungry, Stay foolish.

スティーブ・ジョブズが亡くなってから、スタンフォード大学の卒業式での彼のスピーチがクローズアップされています(Steve Jobs’ 2005 Stanford Commencement Address)。

この2005年スタンフォード大学の卒業式でのスピーチを締めくくる言葉、”Stay hungry, stay foolish” は、「ハングリーであれ、愚かであれ」の訳はちょっと違うようです。

Jobsは、次のようにも述べています。「当時は分からなかったが、アップルを首になったのは、自分の人生においてこれ以上望みようがないほど最高の出来事だった。成功という重荷がなくなり、もう一度ビギナーになるという軽やかさに取って代わった。物事を知らない状態に戻ったのだ。私はこうして、人生で最もクリエイティブな時期に突入した」。

成功、それも世界的な大成功を白紙に戻して、何も知らない状態からやり直す。それこそが人生で最良の展開である。これがhungryやfoolishの意味するところのようです。

情報社会へ変わり行く世界

若葉「名誉教授からの一言」2011

2010年は、情報技術の進化・普及が、日常生活の隅々までIT化が進み、いまや世界中隈なく及んでいます。この情報社会の変化について、私なりに少し整理をしてみました。

スマートフォンが主流に

iPadの出現、Windowsから再びMacへ

本年5月に初めてiPadを手にして驚嘆したのが、つい昨日のように思い出されます。その素晴らしいスペックは、これまでのPCのバージョンアップとは全く異なる革命的な出来です。私は、ここ7年ほどWindowsを使っていたが、再び昔使っていたアップル社製のマックに逆戻りすることに決意しました。

iPad, iPhone4の発売に続いて、最近、スマートフォンなど類似の機器が数々発売され、PCに比べて手軽に持ち運びできることから、携帯電話端末として標準機器になること間違いなしです。

医療分野への進出も時間の問題です。病院内だけでなく、通信機能を活用した在宅医療モニターとして役立てられ、ひいては医療構造が大きく変化するでしょう。

ウィキペディア(Wikipedia)の充実ぶり

インターネットを利用しておられる方なら、ウィキペディアのサイトにアクセスした経験をお持ちだと思います。この素晴らしいネット上での百科事典を私はしばしば活用しています。ウィキペディアは、創設されてからまだ10年を経過したに過ぎませんが、毎月3億8千万人が利用いるそうです。その数はインターネット接続環境にある全人口のほぼ3分の1に相当します。

ウィキペディアはコミュニティの産物

ウィキペディアは、商業的なウエブサイトとは異なり、ボランテアが少しずつ書き込んでいってできた、コミュニティの産物です。一つ検索すると、実に多彩な記事が載っているので、調べものをするには欠かせないサイトとなっています。課金も、広告もなしに、ここまで充実したサイトができるとは、創設者のジミー・ウエルズさんも予測していなかったのでは。ところが、最近アクセスすると、寄付受付の画面が出てくるようになりました。日常的に大変重宝させていただいているサイトでもあり、すぐに振り込ませてもらうことにしました。

ウィキ(Wiki)、ウィキウィキ(Wiki Wiki)とは

“Wiki”という単語を検索すると、コンピューター用語の一つで「ウェブブラウザを利用してWebサーバ上のハイパーテキスト文書を書き換えるシステムの呼び名」ということです。

ウィキウィキ(Wiki Wiki)はハワイ語で「速い、速い」を意味し、ウィキのページの作成更新の迅速なことを表しています。米国の著名なコンピューター・プログラマであるウォード・カニンガム(Ward Cunningham)氏が、ホノルル国際空港内を走るWiki Wiki シャトルバスからとって、“Wiki Wiki Web”と命名したそうです。

ウィキリークス(WikiLeaks)と情報漏洩

匿名により政府、企業、宗教などに関する機密情報を公開するウェブサイトの一つであるウィキリークス(WikiLeaks)が、世界各国の外交上の機密文書を公開し、大きな話題となっています。

このウィキリークスと、先に述べたウィキペディアとは何のつながりもないとのことです。

情報漏洩と言えば、神戸のインターネットカフェから尖閣諸島中国漁船衝突事件の映像が動画投稿サイトYouTubeに流出し、政府の情報管理能力が問われる騒動がありました。この事件の背景を見ると、情報の秘諾性を放置した状態にしておきながら、情報統制を図ろうとする時代錯誤的な為政者の感性にただ呆れるばかりです。

医療分野での情報管理

我が国の個人情報を扱う行政や医療分野は、守秘性を盾にして、ITを活用した情報ネットワーク・システムの普及を怠ってきました。実際には、情報の漏洩よりも、情報を活用できないことの方が、はるかに問題が大きいのです。

GE、日本で医療向けITサービスを「クラウド」で

米国のGE社がいよいよ我が国の医療産業に参入するという記事が、12月12日付の日経新聞の1面トップに掲載されました。グローバル企業の参入で、我が国の医療が大きく変革すること必至です。

これまで、ユーザーである各病院が、コンピュータのハードウェア、ソフトウェア、データなどを、自分自身で保有・管理していたのに対し、クラウド・コンピューティングでは「ユーザーはインターネットの向こう側からサービスを受け、サービス利用料金を払う」形になります。

クラウドでは、端末機器を設置するだけ

クラウドでは、端末機器を設置するだけで、ITサービスを受けることが可能であり、病院の規模に関わらず、医療情報システムの主流となります。医療情報の集約化が進むと、各病院の経営状態は丸裸になり、病院の差別化がより鮮明になります。経営不振の医療機関にはすかさずグローバル資本が投下され、経済至上主義的な医療への道がより加速することになるでしょう。

自らの頭脳で情報を活用する術を

目覚ましい進化を遂げつつある情報通信技術が、我々の日常生活を大きく変えましたが、守秘性を理由としてこれまで改革を怠ってきた医療分野も、いよいよ大改革が起きようとしています。

このような環境下で、よりよい医療を提供し続けるには、医師一人一人が玉石混合の情報に振り回されることなく、自らの頭脳で情報を活用する術を学ぶことです。これが、医師としてのアイデンティをもつ上で一番大切なことです。

2010年12月記

医療界にもダイバーシティー(diversity)を

若葉「名誉教授からの一言」 2010

ICTの急速な進歩は、我々のライフスタイルを大きく変化させました。これまでなかなか手に入れることできなかった情報が、だれでもが、どこででも手に入ります。かつては、医学校で学んだ医師のみが知り得た専門的な医学知識を、今では医師以外の者でも、最新の国内外の情報にいとも簡単にアクセスできるようになっています。

医学知識だけでは医師としてのIdentityを保てない

医学知識は、もはや医師の独占物ではなくなり、医学知識をもつだけでは医師としてのIdentityを保つことができなくなったのです。断片的な知識なら、素人でも医師に負けないくらいの情報を得ることができます。とりわけ、薬事情報とか、検査情報といった物質的な情報、数値化された情報は、特別な基礎知識がなくても理解するのにさほど困難はありません。

検査データを的確に評価するには

患者が手にする医学情報の大半は、疾病の一面だけを見たものであることが多く、必ずしも患者本人に当てはまるものとは限らないのです。とくに、数値化された検査データについては、誤解を生むことがしばしばあります。

検査データには、基準値が定められている。異常値を示しているからといって、患者当人にとっては、病的である可能性は高いが、100%病的である証拠とはなり得ません。多くの基準値そのものが95%の精度で線引きされており、20人に1人は当てはまらない基準値を元に判断していることを忘れてはなりません。医師は、この点をしっかりと患者に伝えねばならないのです。

医師としてのIdentityとは

ICTが進化したとはいえ、人間を対象とした医療にはデジタル処理で解決できない問題が余りにも多いのです。医師は、数値化された情報と数値化できない情報に加え、患者の社会的背景などを集約し、個々の患者の病状を判断、適した治療法の選択肢を患者に提供する事になります。これらの情報をもとに、医療におけるPDCAサイクルをいかに上手く廻せるかが医師の役割ではないでしょうか。

医療の標準化にはご用心

医療へのICT活用を図るために、各医療分野で医療の標準化が試みられているが、アナログ思考でなければ解決できなのが医療である。中途半端な医療の標準化は、医師の思考能力、判断能力を低下させ、患者にとっても益するところはない。喜ぶのは医療に直接タッチしていない医療保険会社で、彼らが単純化した物差しとして用いるだけだ。

各地でみられる医療崩壊、医療経営の破たん

各地で医療崩壊、医療経営の破たんが取りざたされ、その原因として挙げられるのが医師数の不足であるが、もっと重大な問題である管理者の経営責任が看過されている。医学の進歩、患者のニーズと大きく乖離した病院医療の提供体制、とくに公立病院の医療提供体制は、旧態依然としたもので、まったく手つかずのままである。

夕張市やJALが経営破たんし、会社更生法の適用を受ける時代である。国民の生活基盤を担う事業というだけで、親方日の丸で安穏とした経営は最早許されないのである。

公立病院経営はその典型で、「患者さんのため」、「市民のため」と、野放図な経営であることを知りながら、抜本的な改革を行わずにきているのである。医療内容ではなく、空きベッド対策や職員対策として入院患者をコントロールする稼働率重視の愚、医療資源の無駄遣いを排除し、入院しなければ治療のできない患者だけに絞っても経営が成り立つ医療制度にすべきであろう。

我々医師自身が、地域における医療ニーズを適正に把握し、財政基盤を明確にした経営を行っている病院での勤務でなければ、納得いく医療を提供できないという毅然とした姿勢で臨まねば、地域医療はますます崩壊し、我々医師にも、患者にも不幸な結果を招くことになる。

医療界にもダイバーシティー(diversity)を

ICTの進歩により企業のグローバル化が急速に進み、日本企業の多くが海外に進出しています。各企業では、グローバル化に対応するための企業戦略として、「ダイバシィティー」の概念が取り入れています。「ダイバシィティー」とは、多様性、相違点のことであるが、企業では、人種・国籍・性・年齢を問わずに人材を活用することを意味しており、こうすることで、ビジネス環境の変化に柔軟に、迅速に対応しようとするものです。医療環境の変化に柔軟、迅速に対応できる体制を整えるには、「ダイバシィティー」の概念を導入することです。

医療マネージメントの学習を

これまでの医師中心の病院運営から、各種コメデカルスタッフを活用したサービス産業としての医療への変革が必至であり、医療者自らの意識改革が不可欠です。

これからの医師は、医療に携わる多職種の一つとしての医療技術の提供者であり得ても、これまでのように医師であるというだけで、多職種のカナメとしての役割を担う立場を保ち続けるのは難しいでしょう。

激動する世の中で、小児科医として、医師として、自分の役割が何であるかを今一度考えてください。

2010年1月記

 

 

コンビニ医療こそ、小児医療の原点

若葉「名誉教授からの一言」2009

だれでも、いつでも受診できる小児医療サービス

最近、コンビニ受診が小児救急医療の破綻の原因であるかのごとくマスコミが囃し立てので、厚生労働大臣までもが悪乗りして、我が国の医療費抑制政策による医療制度の崩壊を棚に上げにし、問題をすり替えようとしている節さえ見られます。

コンビニ受診が恰も小児医療の破綻の原因のように言われていますが、だれでも、いつでも受診できる小児医療サービスこそが、親子にとっての最高の安心であり、幸せであり、我々小児科医が目指すところです。

私は、この4月から阪神北こども急病センターの運営に携わっていますが、夜間、真夜中に、親がわが子を抱いてわざわざ連れてくる場合には、必ずそれなりの理由を持ち合わせておられるのです。

不用意な医療者の一言

センターでトラブルになるのは、「どうしてこんな真夜中に、これ位の熱でわざわざ連れてくるのですか?子どもが可哀そうですよ」という、不用意な医療者の一言です。心配性の親なら、38℃前後の熱でも初めての発熱なら不安に陥ります。動顛し、連れてきた親に対して、真夜中にお説教するよりも、一刻も早く安心して頂くことです。お説教を聞きに来たのではないと怒られるのも尤もです。

身近な所に相談相手がいない現代社会

子どもは発熱していてもぎりぎりまで走り回っていますが、流石に39℃を越えると顔面は紅潮し、脈拍も速く、呼吸数も増え、ぐったりとします。いつも発熱患者を診ている小児科医でさえ、夜中に発熱したわが子をみると、最悪の事態を想定し、もしや髄膜炎ではないかと不安に陥り、慌てて来院してきます。ふつうの親は、育児書でいくら発熱の対処法を学習していても、否、知識があればある程、心配は尽きなくなります。三世代家族や身近な所に相談相手がおられると、多くの不安は解消されるでしょうが、現代社会ではそうはいきません。

ER型ではない子どもの救急は

いま、阪神北では時間外診療だけでなく、電話相談#8000サービスを並行して行っており、ベテラン看護師が電話応対しています。これまでなら来院していたと思われる患者の約三分の一は受診することなく、「不安であれば、いつでも診ますよ」の電話での一言で、自宅で様子をみることに納得されます。電話相談サービスは、不必要な受診を控え、外来の混雑を緩和するだけでなく、親の不安を解消する上で有効に機能しています。

時間外小児救急は、ER型の救急医療とは本質的に異なります。ほとんどの患者・家族はいますぐに生命にかかわると考えて受診して来られるわけではありません。放置して重病化するのを少しでも防ぎたいという思いで来られます。入院を必要とされる患者さんは100人中ほんの2〜3人です。如何に安心してもらうかが当センターの使命です。

急病センターの役割はトリアージ

最初に応対するトリアージ看護師がキー・パーソンです。患者は、その看護師の態度一つで、安心したり、不安になったりします。呼ばれて診察室に入った途端に目の会った医師の反応で、もう大半の患者は来院した目的を達成します。言葉は要りません。センターの役割は、「トリアージ」です。

入院を必要とする患者はサッサと二次病院へ転送、明日まで自宅で観察しても問題なさそうなら、翌日かかりつけ医への受診を勧め、万が一帰宅後変化があればいつでも再受診するよう指示するだけです。

センターの性格上、一人の患者にあまりに念入りな説明は、スロー診察となり、次々と訪れて来る患者の診療に差し支えます。迅速に診察してもらわないと困るのです。トリアージこそがこの初期急病センターの役割であることを、医療者も、患者もよく弁えることです。

初期救急に特化した広域こども急病センター

病院での小児初期救急医療は無理

私はかねてから、病院小児科が地域の初期救急医療を担うことには反対でした。

病院小児科が一次・二次をまとめて面倒をみることは、一見合理的であるように思えますが、10人程度の小児科医スタッフですべてを引き受けるのは土台不可能なことです。一次も、二次もどちらも中途半端になり、病院小児科医師の疲弊を招くだけです。喜んでいるのは安い人件費でよく働く小児科医を抱えた院長だけです。

阪神北広域こども急病センターは、病院とも、医師会からも独立した公益財団法人として、平成20年4月に3市1町(人口約70万人)と兵庫県が中心となり開設されました。初期救急に特化した広域の急病センターであるからこそ、小児科医としての「働き甲斐のある職場」、「安心して働ける医療環境」が保障されると考え、その使命が明確なことから人材確保も可能と考え、私はその理事長を引き受けました。

小遣い稼ぎのための医療者集団ではない

小遣い稼ぎのために働く医療者集団には絶対にしたくありませんでした。夜間、時間外だけという変則的な勤務体系の中ですから、当然それに見合う手当が前提となります。と同時に、上に掲げた「医療者としての働き甲斐」です。当センターでは、決して小児科医が主役ではありません。看護師、コメディカル、事務職が連携し、絶えず相談をしながら運営しています。

とりわけ、看護師は、電話相談サービスに始まり、来院時のトリアージとその役割は大変です。幸い優秀なリーダー看護師が10名揃いましたので、山崎センター長の指導を受けながら、お互いの力量を高めるべく絶えずミーティングを重ね、よりスムーズな患者サービスを目指してくれています。

小児救急医療は、小児科医だけで解決できる問題ではない

医療崩壊が日本各地で生じ、とくに小児救急医療体制の不備が叫ばれています。都市部よりも郡部における医師不足がより深刻です。その解決への第一歩は、地域における小児の救急医療へのニーズが何かを明確に知ることです。

小児救急医療は、小児科医だけで解決できる問題ではないのです。地域の他科医師、看護師、保健師といった医療関係者、育児支援グループの方々が、普段から情報交換をし、協力体制が組めていることが不可欠です。小児科医の役割はその仕組みづくりです。何もかもを小児科医がする必要はないのです。

時間外に入院を必要とする患者が一体どの位いるかをシミュレーションします。その全部を地域内で解決する必要はないのです。万が一に備えて、他地域と協力した搬送体制、専門医への相談体制をしっかりと創り上げておけば、住民は安心です。

ユビキタスなコンビニ医療

だれでも、いつでも、どこでも受診できるユビキタスなコンビニ医療。これこそが、住民の小児医療へのニーズです。その実現のために知恵を絞るのが地域の小児科医の役割です。あなた一人で解決しようとするから途方に暮れるのです。小児科医に何もかも背負わせるから破綻するのです。どんなにタフな、どんなに腕の良い医師がいても、医師だけでは地域医療を支えることはできないのです。工夫をしてください。

It is not the strongest of the species that survive, nor the most intelligent, but the ones most responsive to change. (生き残るのは最強の種ではない。最も高い知能を有している種でもない。変化に最も敏感に反応する種である。)Charles R. Darwin

2008年12月記

兵庫県立こども病院時代の記録から

2003年4月から2008年3月までの5年間、神戸市須磨区の高倉台にあったこども病院で小児医療の最前線で働けたことは、大変貴重な時間を過ごすことができました。就任後、職員間のコミュニケーションのツールとして情報誌「げんきカエル」を創刊しました。

「げんきカエル」の名称の由来は、病院建設時に出てきた岩の名前です。写真のような置物として、病院の廊下に飾ってありました。

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  • 病院長就任にあたって 2003.4.7
  • 情報交換は創造へのエネルギー  げんきカエル 創刊号 2003.10.1.
  • こども病院がもつこれからの役割     げんきカエル 2003.10.1.
  • やさしい医療を目指そう、ほほ笑みで 新年のごあいさつ    げんきカエル 第3号   2004.1.1
  • ほほ笑みの医療こそ、こどもの医療 新年のごあいさつ げんきカエル 2005.1.1
  • ご家族とともに実践する小児医療 新年のごあいさつ     げんきカエル   2006.1.1
  • 小児医療は三位一体で 新年のごあいさつ    げんきカエル  2007.1.1

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Be patient!我慢してください

若葉「名誉教授からの一言」2008

福祉よりも自己責任を求める施策が

映画「Sicco」を地でいくシーンが

小泉政権下での医療政策の過ちに端を発した医療崩壊が、地方だけでなく都市部においても混乱を巻き起こし始めた。大都市における救急患者の受け入れ拒否報道、病院を追い出された盲目の患者が公園に置き去りにされるというおぞましい出来事。昨年夏に封切られた映画「Sicco」を地でいくシーンがこの日本で起こったのです。
アメリカ型の格差社会の道を選び、福祉よりも自己責任を求める施策に国民が賛同した時点から、このような結末に至るのは当然の帰結だったとはいえ、これほどまでに急速に事態の悪化を招いてしまうとは考え及びませんでした。

現代はまさにモラル・ハザードの時代

昨年の言葉として、『偽』が選ばれたそうだが、現代はまさにモラル・ハザードの時代です。政治家の無責任な言動はともかくとして、元来国民の健康、安全に責任を持つ立場にある食品業界の事業主が国民の健康・安全を脅かす事態に対してあまりにも無知で、無責任な態度をとり続けている姿勢には唖然とします。
昨今の経済至上主義、拝金主義が日本の経済人のモラル崩壊を引き起こしたと言えます。もし、病院経営が株式会社化し、経済原理に基づいて病院経営が行われると、コストのかかる安全対策軽視の医療になること必至です。

『医師の立ち去り型サボタージュ』が話題に

『医師の立ち去り型サボタージュ』が話題になっているが、公立病院でも経営改善のための目標値を課せられるだけで、超過勤務手当ての支給は十分でない。医師たちは、一体何のために医師になったのかと自問し、我慢の限界を超えてしまったようです。
本来、医療者は、『寛容の精神』の持ち主でなければ勤まりません。寛容とは、英語でforgiveness、generosityと訳され、kindness(親切)の一種です。見返りを求めることなく、他人に何かを与えることを指しています。forbearance (辛抱、自制)という単語にも置き換えられます。

医療者は、『寛容の精神』の持ち主でなければ

我慢強く患者の病気回復に尽くすのが医療者なのである。もっとも、患者という単語も英語ではpatient、すなわち辛抱強い、我慢強いという意味がある。本来病人は、辛抱強く、我慢強くないと闘病生活に打ち勝てない。同時に患者のそばにいる医療者にもまた我慢強さが求められてきました。
ところが、我慢に欠け、感謝の気持ちにも欠け、自分の苦しみは医療者のせいであるかのように振舞う患者もいることから、医療者への負担が大きくなりすぎ、寛容の精神に満ち溢れた医師たちはもう我慢の限界に達しています。

今や、医師・患者関係だけでなく、世の中全般がぎすぎすしたものとなっています。学校教育には、生徒に寛容の精神を醸成するのではなく、競争を煽り、競争社会を礼賛する本末転倒の教育が求められています。人間は、放置すれば競争し、寛容の精神など養われるはずがありません。

宮西達也作の絵本「にゃーご」の話

小学2年生の教科書に宮西達也作の絵本「にゃーご」の話が載っています。
ねずみの学校の先生が、生徒のねずみたちに猫は恐ろしいから近づかないようにと教えていましたが、3匹の子ねずみたちは先生の話を全然聞いていませんでした。
そんな3匹の子ねずみの前に恐ろしい猫が現れました。猫の恐ろしさを聞いていないねずみたちは、親愛の情を示しながら猫に近づくと、猫も親愛の情を示し、仲良くなったという話です。
猫とねずみでもお互い寛容の心を持ち合わせていれば仲良くなれるという話ですが、その解釈には困るところもあります。学校では先生の教えることは聞かないほうが良いともとれます。言えることは、この話を教材として教えている先生こそが寛容であり、これが検定済み教科書とは文部科学省も粋な計らいをするところだと感心しています。

今年のキーワードは寛容、みなさんBe patient. 我慢してください。
2008年1月記

教育基本法改定と大学 – 60年安保世代が思うこと –

若葉「名誉教授からの一言」  2007

教育基本法の改定とは

いま教育が初等教育から大学教育まで多くの問題を抱えているがゆえに、安倍内閣では教育基本法を一刻も早く改正しようとする動きに結びつき、あっという間に法案が成立してしまった。恥ずかしながら、私自身は教育基本法案が上程されるまで、現行法も新しい法案もじっくりと読んでいませんでした。

中身のない改革のための改革か

HPを検索し、読んでみたがよくわからない。朝日新聞に「国家主義の傾向懸念」という見出しで掲載されていた立花隆氏の論文を読むと、なおさら問題点が判然としなくなりました。

問題点が何かと問われても明解に人に説明することができない。どうやら、改革ばやりの昨今の風潮である中身のない改革のための改革、何か変化させねばという焦りからくるナンセンスな改革主義の一つと考えれば納得がいくのですが。

今の教育が抱えている諸問題は、決して教育基本法に問題があるわけではなく、改定したところで解決する問題ではなさそうです。

私の学んだ戦後教育と今の教育

私は、1940年2月生まれであり、敗戦翌年の1946年4月に小学校入学という戦後教育の一回生です。教育基本法が施行されたのが1947年ということだから、絶えず手探りの中で教育を受けてきたことになります。

従来法の第一条(教育の目的)、第二条(教育の方針)をみると、極めて当たり前のことが書かれており、何の違和感もありません。とりわけ、第二条の教育方針に書かれている「学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。」は、我々の世代にとって過去の国粋主義に決別し、新しい生き方を指し示すものでした。

「大学の自治」は守らねばならないもの

私が学生時代、否、ごく最近まで、「大学の自治」は守らねばならないものと、時の政権に対峙して、大学人は闘っていました。ところが、バブル崩壊後の低迷する経済の中で、日本のとる道は「科学による経済立国」しかないという経済界の認識が支配的となり、経済至上主義が大学運営にまで及ぶところとなりました。

文部科学省が、研究費という札束で、大学の教育・研究を支配する体制を作り上げていったのです。国立大学が法人化した今、「大学の自治」という言葉は完全に死語となり、大学人がそれを話題にすることもなくなりました。それどころか、研究費獲得額レースに狂奔する大学人の姿をみていると、これから一体どんな人材が大学から輩出されていくのか杞憂しています。

大学運営が経済至上主義でいいのか

かつては、教育者や医者は、清貧をもって尊し、金銭を口にするのは賎しいこととされていました。今は経済抜きでの大学運営・病院運営は考えられない時代となっています。教育・研究の評価、医療の評価において経営を第一義とする現状をみていると、目先の利に走る分野が優先され、非採算性部門の切捨てが当然のごとく進められています。米国流の競争社会、格差社会をモデルとして、この現状を容認するならば、それまでですが、日本がもつ古来からの美学はもはやそこにはありません。

新しい教育基本法案第七条には、

新しい教育基本法案第七条には、「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」という新しい条文が新設されています。言い換えれば、企業のニーズに応える研究・人材育成が大学の使命となったのです。時の政権に利し、富を生み出す可能性のある研究は重要視されるが、哲学などの人文科学系の研究は軽んぜられる。

しかし、その2には、「大学については、自主性、自律性その他の大学における教育および研究の特性が尊重されなければならない。」と記されています。その実現には、これから大学人がどのような姿勢をとるかによるのです。

本音ばかりでは世が荒む

安倍内閣になるや否や、核武装の是非を口にする時代となりました。非核三原則を国是とした私の世代の人間には考えられないことです。昔から、核保有を是とする輩もいましたが、決して表立って口にすることはありませんでした。

本音と建前

これまでの政治家は本音と建前を上手に使い分けて世を治めていたが、昨今の政治家の言動を見ていると、本音で話し、何が悪いかと開き直る。一見明快でマスコミ受けするが、内容は軽薄で、極めて短絡的なものの考え方しかできなくなっています。

私自身を振り返ってみると、戦後派として建前よりも本音で生きてきた方ですが、あれほどまでに建前を無視することはできません。世の中本音ばかりが横行すると、人間関係は刺々しい、殺伐とした社会となります。建前があるからこそ、人間として奥行きが出、伝統、文化が伝承されていく気がします。

今こそ、小児科医が

「聖域なき改革」を旗印に小泉内閣がスタートして以来、教育、医療の分野への経済原理の持ち込みが一気に加速し、教育、医療を荒廃させました。経済利益のためには人を使い捨てにする企業、リストラ、格差社会と、社会的弱者を生み出しました。

子どもの自殺・いじめを、学校教育の問題と捉える向きもありますが、本音でしか生きられなくなった大人の競争社会の様相をメデアで毎日みていると、子どもたちの純な心に刺々しい楔が打ち込まれていくのです。

教育基本法を変えたところで、決して子どもの自殺、いじめは減らない。子どもは宝、子どもは未来と、念仏を唱えてみたところで、今の大人の生き様をみていると、決して自分たちが大切にされているという実感はないでしょう。

育児支援といっても、育児をする親の環境が優先し、育児される子どもの環境に配慮したものでしょうか?

育児のみならず、ビジネス中心に動き出した教育・医療も同じです。そこには教育を受ける学生の視点、医療を要する患者の視点が欠けています。子どもも、医療を要する患者も、ともに社会的弱者です。

この社会的弱者と日々接する我々小児科医こそが、ビジネス中心で切り捨てられていく弱者の立場に立って、彼らの権利を守るために活動せねばならない。

私の研究回顧録 中村 肇

神戸大学最前線研究・教育・産学官民連携情報誌 2006.5

役立ったパリ大学留学

大阪万博が開催された1970年春からフランス政府給費留学生としてパリ大学医学部Port Royal病院新生児研究センターのMinkowski教授のもとに留学する機会を得ました。欧米の文献からある程度の知識はあったものの、日本では見たことがなかった人工呼吸器十数台が並ぶ新生児室に案内されて、医療内容のあまりの差にカルチャー・ショックを受けました。
パリ大学には2年半の留学で、核黄疸(新生児の黄疸による脳障害)予知に関する研究に従事していましたが、センターには世界中から高名な研究者が集い、激しく討論する姿に刺激を受けました。そこで得た多くの研究者との面識が、その後の私の研究生活に大いに役立ちました。

高度経済成長と新生児医療

高度経済成長を遂げた日本ではありましたが、帰国当時の日本の医学レベルは欧米に比べてなお5~10年の遅れがありました。しかし、1975年頃から近代科学文明の成果であるME機器、石油製品による医療器材が新生児医学領域に波及してきました。あっという間にわが国の新生児死亡率は欧米レベルに達し、追い越し、5年後の1980年には世界一の水準を達成しました。
新生児学が小児科学の一分野として認知され、新生児医療という言葉が広く知られるようになったのもこの頃からです。

UB AnalyzerとFDA認可

私自身は、新生児黄疸の研究を続け、核黄疸予知のための方法を開発し、臨床応用を目指していました。1985年の米国小児科学会で、私たちがArrows社と共同開発したUB Analyzerが核黄疸予知のために有用であることを発表したところ、Audrey K. Brown教授をはじめとする米国の黄疸を専門とする学者たちから高い評価を受け、FDAの認可も得られました。追って、わが国でも厚生省の承認認可が得られ、広く臨床応用されるようになりました。爾来、私たちの定めた光線療法、交換輸血療法基準が普及し、核黄疸による脳障害が全くといってよいほど見られなくなりました。

阪神淡路大震災を経験して

教授就任した1989年は、まさにバブル絶頂期。発展した新生児医療により千グラム未満で出生した超低出生体重児でも半数以上が助かるようになりました。
ところが、必死に救命した超未熟児が家庭にかえるや否や虐待をうけ死亡するという痛ましい光景に接するようになりました。
さらに、1995年1月17日の阪神淡路大震災では,被災地にある大学小児科として「子どものこころのケア」についての調査活動,家族支援活動を行うことにより,医療のあり方を見直す良い機会となりました。

これからの医療は、「治す」から「癒し」へ

二十世紀最後の四半世紀は,医学研究でも,医療でも,絶えず「もの」中心の科学至上主義の時代でした。多くの「もの」を手中にした我々は今,「人間の幸せとはなにか」を問い直す時代となっています。
二十一世紀の医療では、疾病を「治す」から、「癒し」へと、新しい医学のパラダイムを求めて研究を進めていきたいものです。

神戸大学名誉教授
兵庫県立こども病院院長
1940年尼崎市生まれ、1964年神戸医科大学卒。1989年神戸大学医学部小児科学教授、2000年10月~2002年9月附属病院長、2003年3月退官。
2001年兵庫県科学賞受賞。著書に、新生児学(メディカ出版、共著)、小児保健学(日本小児医事出版、監修)、小児の成長障害(永井書店、監修)など。