兵庫県立こども病院時代の記録から

2003年4月から2008年3月までの5年間、神戸市須磨区の高倉台にあったこども病院で小児医療の最前線で働けたことは、大変貴重な時間を過ごすことができました。就任後、職員間のコミュニケーションのツールとして情報誌「げんきカエル」を創刊しました。

「げんきカエル」の名称の由来は、病院建設時に出てきた岩の名前です。写真のような置物として、病院の廊下に飾ってありました。

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  • 病院長就任にあたって 2003.4.7
  • 情報交換は創造へのエネルギー  げんきカエル 創刊号 2003.10.1.
  • こども病院がもつこれからの役割     げんきカエル 2003.10.1.
  • やさしい医療を目指そう、ほほ笑みで 新年のごあいさつ    げんきカエル 第3号   2004.1.1
  • ほほ笑みの医療こそ、こどもの医療 新年のごあいさつ げんきカエル 2005.1.1
  • ご家族とともに実践する小児医療 新年のごあいさつ     げんきカエル   2006.1.1
  • 小児医療は三位一体で 新年のごあいさつ    げんきカエル  2007.1.1

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Be patient!我慢してください

若葉「名誉教授からの一言」2008

福祉よりも自己責任を求める施策が

映画「Sicco」を地でいくシーンが

小泉政権下での医療政策の過ちに端を発した医療崩壊が、地方だけでなく都市部においても混乱を巻き起こし始めた。大都市における救急患者の受け入れ拒否報道、病院を追い出された盲目の患者が公園に置き去りにされるというおぞましい出来事。昨年夏に封切られた映画「Sicco」を地でいくシーンがこの日本で起こったのです。
アメリカ型の格差社会の道を選び、福祉よりも自己責任を求める施策に国民が賛同した時点から、このような結末に至るのは当然の帰結だったとはいえ、これほどまでに急速に事態の悪化を招いてしまうとは考え及びませんでした。

現代はまさにモラル・ハザードの時代

昨年の言葉として、『偽』が選ばれたそうだが、現代はまさにモラル・ハザードの時代です。政治家の無責任な言動はともかくとして、元来国民の健康、安全に責任を持つ立場にある食品業界の事業主が国民の健康・安全を脅かす事態に対してあまりにも無知で、無責任な態度をとり続けている姿勢には唖然とします。
昨今の経済至上主義、拝金主義が日本の経済人のモラル崩壊を引き起こしたと言えます。もし、病院経営が株式会社化し、経済原理に基づいて病院経営が行われると、コストのかかる安全対策軽視の医療になること必至です。

『医師の立ち去り型サボタージュ』が話題に

『医師の立ち去り型サボタージュ』が話題になっているが、公立病院でも経営改善のための目標値を課せられるだけで、超過勤務手当ての支給は十分でない。医師たちは、一体何のために医師になったのかと自問し、我慢の限界を超えてしまったようです。
本来、医療者は、『寛容の精神』の持ち主でなければ勤まりません。寛容とは、英語でforgiveness、generosityと訳され、kindness(親切)の一種です。見返りを求めることなく、他人に何かを与えることを指しています。forbearance (辛抱、自制)という単語にも置き換えられます。

医療者は、『寛容の精神』の持ち主でなければ

我慢強く患者の病気回復に尽くすのが医療者なのである。もっとも、患者という単語も英語ではpatient、すなわち辛抱強い、我慢強いという意味がある。本来病人は、辛抱強く、我慢強くないと闘病生活に打ち勝てない。同時に患者のそばにいる医療者にもまた我慢強さが求められてきました。
ところが、我慢に欠け、感謝の気持ちにも欠け、自分の苦しみは医療者のせいであるかのように振舞う患者もいることから、医療者への負担が大きくなりすぎ、寛容の精神に満ち溢れた医師たちはもう我慢の限界に達しています。

今や、医師・患者関係だけでなく、世の中全般がぎすぎすしたものとなっています。学校教育には、生徒に寛容の精神を醸成するのではなく、競争を煽り、競争社会を礼賛する本末転倒の教育が求められています。人間は、放置すれば競争し、寛容の精神など養われるはずがありません。

宮西達也作の絵本「にゃーご」の話

小学2年生の教科書に宮西達也作の絵本「にゃーご」の話が載っています。
ねずみの学校の先生が、生徒のねずみたちに猫は恐ろしいから近づかないようにと教えていましたが、3匹の子ねずみたちは先生の話を全然聞いていませんでした。
そんな3匹の子ねずみの前に恐ろしい猫が現れました。猫の恐ろしさを聞いていないねずみたちは、親愛の情を示しながら猫に近づくと、猫も親愛の情を示し、仲良くなったという話です。
猫とねずみでもお互い寛容の心を持ち合わせていれば仲良くなれるという話ですが、その解釈には困るところもあります。学校では先生の教えることは聞かないほうが良いともとれます。言えることは、この話を教材として教えている先生こそが寛容であり、これが検定済み教科書とは文部科学省も粋な計らいをするところだと感心しています。

今年のキーワードは寛容、みなさんBe patient. 我慢してください。
2008年1月記

教育基本法改定と大学 – 60年安保世代が思うこと –

若葉「名誉教授からの一言」  2007

教育基本法の改定とは

いま教育が初等教育から大学教育まで多くの問題を抱えているがゆえに、安倍内閣では教育基本法を一刻も早く改正しようとする動きに結びつき、あっという間に法案が成立してしまった。恥ずかしながら、私自身は教育基本法案が上程されるまで、現行法も新しい法案もじっくりと読んでいませんでした。

中身のない改革のための改革か

HPを検索し、読んでみたがよくわからない。朝日新聞に「国家主義の傾向懸念」という見出しで掲載されていた立花隆氏の論文を読むと、なおさら問題点が判然としなくなりました。

問題点が何かと問われても明解に人に説明することができない。どうやら、改革ばやりの昨今の風潮である中身のない改革のための改革、何か変化させねばという焦りからくるナンセンスな改革主義の一つと考えれば納得がいくのですが。

今の教育が抱えている諸問題は、決して教育基本法に問題があるわけではなく、改定したところで解決する問題ではなさそうです。

私の学んだ戦後教育と今の教育

私は、1940年2月生まれであり、敗戦翌年の1946年4月に小学校入学という戦後教育の一回生です。教育基本法が施行されたのが1947年ということだから、絶えず手探りの中で教育を受けてきたことになります。

従来法の第一条(教育の目的)、第二条(教育の方針)をみると、極めて当たり前のことが書かれており、何の違和感もありません。とりわけ、第二条の教育方針に書かれている「学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。」は、我々の世代にとって過去の国粋主義に決別し、新しい生き方を指し示すものでした。

「大学の自治」は守らねばならないもの

私が学生時代、否、ごく最近まで、「大学の自治」は守らねばならないものと、時の政権に対峙して、大学人は闘っていました。ところが、バブル崩壊後の低迷する経済の中で、日本のとる道は「科学による経済立国」しかないという経済界の認識が支配的となり、経済至上主義が大学運営にまで及ぶところとなりました。

文部科学省が、研究費という札束で、大学の教育・研究を支配する体制を作り上げていったのです。国立大学が法人化した今、「大学の自治」という言葉は完全に死語となり、大学人がそれを話題にすることもなくなりました。それどころか、研究費獲得額レースに狂奔する大学人の姿をみていると、これから一体どんな人材が大学から輩出されていくのか杞憂しています。

大学運営が経済至上主義でいいのか

かつては、教育者や医者は、清貧をもって尊し、金銭を口にするのは賎しいこととされていました。今は経済抜きでの大学運営・病院運営は考えられない時代となっています。教育・研究の評価、医療の評価において経営を第一義とする現状をみていると、目先の利に走る分野が優先され、非採算性部門の切捨てが当然のごとく進められています。米国流の競争社会、格差社会をモデルとして、この現状を容認するならば、それまでですが、日本がもつ古来からの美学はもはやそこにはありません。

新しい教育基本法案第七条には、

新しい教育基本法案第七条には、「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」という新しい条文が新設されています。言い換えれば、企業のニーズに応える研究・人材育成が大学の使命となったのです。時の政権に利し、富を生み出す可能性のある研究は重要視されるが、哲学などの人文科学系の研究は軽んぜられる。

しかし、その2には、「大学については、自主性、自律性その他の大学における教育および研究の特性が尊重されなければならない。」と記されています。その実現には、これから大学人がどのような姿勢をとるかによるのです。

本音ばかりでは世が荒む

安倍内閣になるや否や、核武装の是非を口にする時代となりました。非核三原則を国是とした私の世代の人間には考えられないことです。昔から、核保有を是とする輩もいましたが、決して表立って口にすることはありませんでした。

本音と建前

これまでの政治家は本音と建前を上手に使い分けて世を治めていたが、昨今の政治家の言動を見ていると、本音で話し、何が悪いかと開き直る。一見明快でマスコミ受けするが、内容は軽薄で、極めて短絡的なものの考え方しかできなくなっています。

私自身を振り返ってみると、戦後派として建前よりも本音で生きてきた方ですが、あれほどまでに建前を無視することはできません。世の中本音ばかりが横行すると、人間関係は刺々しい、殺伐とした社会となります。建前があるからこそ、人間として奥行きが出、伝統、文化が伝承されていく気がします。

今こそ、小児科医が

「聖域なき改革」を旗印に小泉内閣がスタートして以来、教育、医療の分野への経済原理の持ち込みが一気に加速し、教育、医療を荒廃させました。経済利益のためには人を使い捨てにする企業、リストラ、格差社会と、社会的弱者を生み出しました。

子どもの自殺・いじめを、学校教育の問題と捉える向きもありますが、本音でしか生きられなくなった大人の競争社会の様相をメデアで毎日みていると、子どもたちの純な心に刺々しい楔が打ち込まれていくのです。

教育基本法を変えたところで、決して子どもの自殺、いじめは減らない。子どもは宝、子どもは未来と、念仏を唱えてみたところで、今の大人の生き様をみていると、決して自分たちが大切にされているという実感はないでしょう。

育児支援といっても、育児をする親の環境が優先し、育児される子どもの環境に配慮したものでしょうか?

育児のみならず、ビジネス中心に動き出した教育・医療も同じです。そこには教育を受ける学生の視点、医療を要する患者の視点が欠けています。子どもも、医療を要する患者も、ともに社会的弱者です。

この社会的弱者と日々接する我々小児科医こそが、ビジネス中心で切り捨てられていく弱者の立場に立って、彼らの権利を守るために活動せねばならない。

私の研究回顧録 中村 肇

神戸大学最前線研究・教育・産学官民連携情報誌 2006.5

役立ったパリ大学留学

大阪万博が開催された1970年春からフランス政府給費留学生としてパリ大学医学部Port Royal病院新生児研究センターのMinkowski教授のもとに留学する機会を得ました。欧米の文献からある程度の知識はあったものの、日本では見たことがなかった人工呼吸器十数台が並ぶ新生児室に案内されて、医療内容のあまりの差にカルチャー・ショックを受けました。
パリ大学には2年半の留学で、核黄疸(新生児の黄疸による脳障害)予知に関する研究に従事していましたが、センターには世界中から高名な研究者が集い、激しく討論する姿に刺激を受けました。そこで得た多くの研究者との面識が、その後の私の研究生活に大いに役立ちました。

高度経済成長と新生児医療

高度経済成長を遂げた日本ではありましたが、帰国当時の日本の医学レベルは欧米に比べてなお5~10年の遅れがありました。しかし、1975年頃から近代科学文明の成果であるME機器、石油製品による医療器材が新生児医学領域に波及してきました。あっという間にわが国の新生児死亡率は欧米レベルに達し、追い越し、5年後の1980年には世界一の水準を達成しました。
新生児学が小児科学の一分野として認知され、新生児医療という言葉が広く知られるようになったのもこの頃からです。

UB AnalyzerとFDA認可

私自身は、新生児黄疸の研究を続け、核黄疸予知のための方法を開発し、臨床応用を目指していました。1985年の米国小児科学会で、私たちがArrows社と共同開発したUB Analyzerが核黄疸予知のために有用であることを発表したところ、Audrey K. Brown教授をはじめとする米国の黄疸を専門とする学者たちから高い評価を受け、FDAの認可も得られました。追って、わが国でも厚生省の承認認可が得られ、広く臨床応用されるようになりました。爾来、私たちの定めた光線療法、交換輸血療法基準が普及し、核黄疸による脳障害が全くといってよいほど見られなくなりました。

阪神淡路大震災を経験して

教授就任した1989年は、まさにバブル絶頂期。発展した新生児医療により千グラム未満で出生した超低出生体重児でも半数以上が助かるようになりました。
ところが、必死に救命した超未熟児が家庭にかえるや否や虐待をうけ死亡するという痛ましい光景に接するようになりました。
さらに、1995年1月17日の阪神淡路大震災では,被災地にある大学小児科として「子どものこころのケア」についての調査活動,家族支援活動を行うことにより,医療のあり方を見直す良い機会となりました。

これからの医療は、「治す」から「癒し」へ

二十世紀最後の四半世紀は,医学研究でも,医療でも,絶えず「もの」中心の科学至上主義の時代でした。多くの「もの」を手中にした我々は今,「人間の幸せとはなにか」を問い直す時代となっています。
二十一世紀の医療では、疾病を「治す」から、「癒し」へと、新しい医学のパラダイムを求めて研究を進めていきたいものです。

神戸大学名誉教授
兵庫県立こども病院院長
1940年尼崎市生まれ、1964年神戸医科大学卒。1989年神戸大学医学部小児科学教授、2000年10月~2002年9月附属病院長、2003年3月退官。
2001年兵庫県科学賞受賞。著書に、新生児学(メディカ出版、共著)、小児保健学(日本小児医事出版、監修)、小児の成長障害(永井書店、監修)など。

「人」を軽視する経済至上主義

若葉「名誉教授からの一言」 2006

何もかもが経済性が第一

何もかもを経済性で評価する最近の世の中の動きを見ていると、あと10年もしないうちにどんな世界になるのだろうかと不安になります。聖域なき改革ということで、大学教育までもが経営効率の対象とされ、富を生み出す研究か否かが科学研究費の配分対象となっている現実は、余りにも短絡的で、人間的な知性の後退としか言いようがありません。

大学病院は、大学運営での貴重な収入源として位置づけられ、医学教育は採算性のないことから軽視されています。公立病院も同じで、採算性のある診療科には人員が配置され、診療収入につながる医療機器は優先的に購入されます。採算性が重視されるあまり、医療の質を維持するのに必要な投資は後回しにされ勝ちです。

小児科は不採算部門であることから、民間病院は手を引き、公立病院を中心に展開されています。その公立病院ですら小児科を閉鎖するところが増えており、採算性を重視すれば当然の帰結と言えます。

持続可能な医療制度を

わが国は、国民皆保険のもと、誰もが安心して医療を受けることができる医療制度を実現し、世界最長の平均寿命や保健医療水準を達成しました。しかし、急速に進む少子高齢化のために現行の国民皆保険を堅持し、将来にわたり医療制度を持続可能なものとするには、その構造改革が喫緊の課題となっています。

科学技術による経済至上主義をとるわが国の政策は、医療も例外ではなく、医学研究に求めるのは経済活性のための新薬の開発であり、GDPとの対比で国民医療費はさらに抑制され、医療の本質である「安心・信頼」は後回しとなっています。

小児科、産科における医師不足

今回の医療制度改革大綱では小児科、産科における医師不足、へき地における医師不足が取り上げられているが、その対策として医学部入学定員の地域枠の拡大や奨学制度が挙げられるのみで、どうもその本質の部分が忘れ去られている気がします。

私が心配するのは、構造的な欠陥による病院赤字の責任を医師に押し付けるいまの病院経営に嫌気がさして、若手医師の指導をお願いしたい優秀な中堅医師層が病院から去ろうとしています。これら中堅医師の役割を、病院診療収入の多寡で評価するのではなく、若手医師をはじめとする医療従事者の指導や地域医療への貢献度などで評価を行い、それを待遇面に反映させ、彼らのモチベーションが高まることを期待したいのです。

全国の自治体病院の半数近くが消滅する

全国の自治体病院の半数近くが消滅するのは時間の問題です。その理由は、医師不足と言われていますが、実際は医師の数不足ではなく、医師として働きやすい環境を提供するに十分な予算的裏づけがなされていないのです。

かっては、医師としての技術を獲得するのにかなりの経験年数を必要とし、恵まれない環境であっても我慢できました。しかし、科学技術が進歩したために、医師個人としての力量を発揮できる「技」が少なくなり、また情報革命で経験年数のもつ意味が少なくなっています。

病院経営で経済効率を追求する姿勢を続けるなら、卒後研修での大学離れに続いて、病院でも不採算医療分野から医師がいなくなる可能性が十分考えられます。産科が労務環境を良くするために医療の集約化を図ろうとしたところ、気がつくと肝心の基幹病院からも医師がいなくなっていたのがいい例です。小手先の数合わせでは問題解決にはなりません。

医療は、「もの」ではなく、「ひと」で

医療は、「もの」ではなく、「ひと」で支えられています。それも、医師・看護師・コメディカルなど多くの職種からなる労働集約型の典型です。医療の質を維持するには、各医療従事者に対する教育・研修が不可欠です。それには指導者育成が不可欠であり、いまの医療制度改革に最も欠けている点です。

「ものづくり」から「ひとづくり」への転換が行われない限りは、決して住みやすい社会はできません。「労働集約型の医療」こそが、新しいタイプの二十一世紀型産業構造であると考えます。

2006年1月記

大学生活を懐かしむ

若葉「名誉教授からの一言」 2004

ひたすら時代を駆け抜けてきた

30有余年にわたり神戸大学とともに過ごしてきましたが、時代時代でのさまざまな思い出がつい昨日のように感じられます。昨年3月に盛大に退官祝賀パーティーを催していただき、また大学生活の思い出を話す機会を与えていただき、この四半世紀の世の中の移り変わりの速さに改めて自分自身が驚いた次第です。「科学技術の進歩」という大きなうねりの中に自らの身を置き、ただひたすら時代を駆け抜けてきたような気がします。この間、いくつかの大きな時代の節目に出会うことができました。

インターン闘争、大学紛争

先ず、昭和30年代後半から始まったインターン闘争、大学紛争です。今振り返ると、我が国だけでなく、世界中で同じような学園紛争が勃発していました。とくに、私が留学していたパリ大学での学生運動は極めて凄まじいもので、それが世界各地に飛び火したものです。

猛烈な勢いで物質文明化が進む中、資本主義体制による「かね」と「もの」が人間を支配し、人間性の喪失を予感した若者たちが、その将来への不安を案じて行動に移ったものと思います。昭和40年代も半ばになると、物質文明化の勢いは止まるところを知らず、日常生活の至るところで老いも若きも物質的な豊かさを享受するようになったのです。

医療分野にも新しい波が

医療分野にこの新しい波が訪れるのは、一般社会から遅れること5年〜10年してからです。モニターやレスピレーターなどME機器が開発され、我々の手元に届き、近代医療の原型ができたのは昭和50年代に入ってからです。今日でこそ医療産業という言葉が生まれ、産業界の医療分野への進出がみられますが、当時は、薬業界を除きコスト・ベネフィットの面から一般産業界からは相手にされず、医療機器の開発にも消極的でした。

国立大学法人化への危機感

いま再び、国立大学では法人化問題をはじめ大きな変動期に入っています。私もこの3月まで大学にいましたから、大いなる危機感をもっています。本来改革というのは、内部矛盾を感じた組織構成員から湧き出す声が発端になるものです。

しかし、現状は逆です。トップダウン的に予算削減のために、大学経営の効率化のみが全面に押し出され、教官定員の削減が一番の大きなターゲットになっているからです。大学人は、大学の今後あるべき姿について語る前に、自らの立場をいかに保つかが問題と受け取っているようでなりません。

経済至上主義政策下で、私が一番危惧するのは、お金を稼げる教官が優れた教官であるという価値観が大学内にも蔓延しないかということです。このような非常事態に直面しているのに、不思議なことに若い教官層から何の反応もないことです。

文部科学省による大学評価の不透明な基準

法人化発足後に、最も変わる点は文部科学省による大学評価が行われ、予算配分に反映させるということです。評価というのは定まった価値観のもとで行われるなら、極めて有効な手段でありますが、大学の評価で問題となるのは、一体何を評価の基準にするのかという不透明性です。企業では、いかに効率よく収益性を高めるかであり、そのゴールは極めてはっきりしています。医療では、不採算だからといってすぐに排除するわけにはいかず、一般企業に比べると難しく面はありますが、効率性の高い医療を実践する上で評価システムの導入は必要なことだと考えます。

でも、大学での研究・教育にも経済的効率を持ち込もうとする今の動きには、大いなる危険性を孕んでいわざるを得ません。研究も、教育も短期間で結果が出ないからです。旧来の価値観にとらわれない、実績のない若い研究者の新しい発想での研究計画が、果たして評価されるのでしょうか?

お金になる研究とお金にならない研究を上手に使い分け

先ず無理です。生きる道はひとつ。現状では、お金になる研究とお金にならない研究を上手に使い分けることしかありません。時代のニーズに適合した経済の発展に寄与するテーマを選び、研究費を獲得し、すぐに評価の得られそうにない本当にしたい研究は、余力ですることです。

大学生活には大きなふたつの楽しみ

私にとって大学生活の楽しみは、ふたつありました。ひとつは、絶えず新しい仲間と仕事ができたこと。また、毎年新しい顔触れの学生に出会えたことです。医局員よりも学生の方が遥かに時代を鋭敏に感じ取っており、思いも寄らない意見を度々聞かせてくれました。もう一つの楽しみは、過去の規範にとらわれず、新しいことへ挑戦を保障された生活であったことです。

4つの「C」

私はいつも4つの「C」を座右の銘として大学生活を送ってきました。すなわち、Chance, Challenge, Change, Createです。

経営学の分野でよく使われるマネジメントの原則にPDCAサイクルがあります。計画(PLAN)→実施(DO)→評価(CHECK)→見直し(ACTION)の繰り返しがビジネスには不可欠です。医療でも、研究でも、教育でも、実務でも基本的なものの考え方は同じであることを実感します。

Chanceは、至るところに転がっています。でも、Chanceは四次元の存在です。限られた空間の、限られた時間に現れます。絶えず注意力を集中していないと捕まえることができません。他人に教えられるものではなく、自分自身の五感で捕まえるのです。

マニュアルは絶えずリニューアル化を

医療技術水準が一定レベルに達し、またIT技術の導入により医療のマニュアル化が進んでいます。医師は、でき上がったマニュアルを「使う」のではなく、自分自身で「作る」気持ちが大切です。

新しいマニュアルが完成したその日から、マニュアルのリニューアル化に向けての行動が開始します。人を相手とする医療には絶対的に正しいいうものはありませんので、マニュアルには必ず矛盾が潜んでいます。マニュアルを決して鵜呑みにすることなく、絶えず批判的な眼で活用する習慣を身に付けて頂きたく思います。

最後に

変革の時代であるが故に、大学からの新しいエネルギーに満ちた改革が期待されています。過去の規範にとらわれない新しい発想で、新しい時代をリードして下さい。

少子高齢社会にあって、ますます子ども一人一人の生命を守ることが、子どもたちのQOLを高めることが大切となっています。子どものQOLとは、子どもたちにいかに「生き甲斐を」、「夢を」与えるかです。これは、小児科医だけで解決する問題ではありませんが、子どもたちに最も近い位置にいる我々が率先して取り組んでいきたいものです。

退官に当たって

「若葉」巻頭言 2003

昭和64年1月に松尾保教授の後を受けて教授に就任して以来、教室同門の皆様方の絶大な御支援により、なんとか職務を全うし、松尾雅文教授にバトンタッチすることができました。

私が就任したのはちょうどバブル経済が崩壊しはじめた時でしたが、まだまだ経済繁栄を謳歌していた時代でした。その後のバブル崩壊、阪神淡路大震災、少子高齢社会への突入により、我が国の経済基盤は揺らぎ、あらゆる分野で構造改革が求められるようになりました。

国立大学法人化への移行

大学にもその波が押し寄せ、国立大学法人化への移行により大学自身が経済性を重視した運営を求められるようになってきています。研究分野でも、日本の経済活性化に繋がる研究が重宝され、大学教官の評価は、獲得した研究費額の多寡により決められるという、即物主義、拝金主義のアメリカ的発想で、大学を支配しようとする体制へと向かいつつあるのを危惧しております。

いま、米国の一国大国支配体制への批判が強まりつつあります。イラク戦争でその構図がハッキリとしたようにみえます。世界には、極めて多数の人種・文化が存在しています。日本だけでなく、世界が大きく変貌する中で、我々も、日本がもつ固有の文化を大切にした社会づくりを目指す必要があり、その先頭に立つのが大学だと思います。ぜひ一度、立ち止まって、大学の存在意義を見直して下さい。

医療への期待が、‘治す’だけでなく、‘癒す’に

私達が直接関わりあいをもつ医療、とくに小児医療は、乳児死亡率の著しい低下、少子化により、この四半世紀に大きく変貌しました。社会の医療への期待が、‘治す’だけでなく、‘癒す’に移ってきています。一旦生を受けると、多くの人が天寿を全うできる時代になり、たとえ疾病のためにハンでキャップを背負っても、豊かな社会生活が保障される必要があります。小児医療のゴールは、退院ではなく、退院後の生活のフォローを含めたものとなりました。

小児救急は地域社会全体で

近年、小児救急が大きな社会問題になっており、小児科医師不足がその原因の全てのように言われていますが、もう少し巨視的にその問題点を見出す必要があります。

救急医療と言うと、すぐに救命医療と同義語としてとらえられますが、小児救急には当てはまりません。急病センターを訪れる子どもたちの多くが、母親の育児不安に基づくものであることは周知のことです。

小児救急に小児科医としてかかわり合うのは、なにも急病センターに出務することではなく、もっと地域での子育て支援ネットワークにかかわりをもち、日常からの啓蒙活動、組織づくりに努めることです。

「子育ては社会で」という意識を住民に植え付け、地域に子育て支援チームがあれば、そのメンバーが、不安をもつお母さん方の相談にのることができます。夜間の急な子どもの変化にも、近隣の相談員が参加して、お母さん方に対応できるようになります。

これだけ情報技術の進化した社会ですから、ネットワークに乗っている親子は問題ありませんが、ネットワークの網の目から外れた親子にこそ支援が必要になっています。

小児科医は地域子育て支援ネットワークとかかわりを

男女共同参画社会への移行に伴い、育児は「親・家族と子ども」という閉ざされた関係から、「子育ては社会で」という時代になりました。各地で子育て支援ネットワークづくりが活発に行われており、われわれ小児科医の役割としては、疾病の治療だけではなく、地域子育て支援ネットワークのアドバイザーとして、コミュニティーのリーダーとしての役割が期待されています。

この混迷の二十一世紀で心豊かな社会生活を送るためには、小児科医が率先して他の職種と連係し、子どもたちが心豊かに育っていける環境づくりを目指したいと考えます。

 

神戸大学小児科教授退官に当たって

 私が、松尾保教授の後任として神戸大学医学部小児科学教室教授に就任したのは、1989年1月でした。爾来13年間、大学のスタッフ、多くの同門の先生、また全国の学会関連の先生方に支えられて、無事退官を迎えることができました。

就任当時のスタッフは、助教授が村上龍助君、講師が松尾雅文君と吉川徳茂君が,その後,助教授として松尾雅文君、吉川徳茂君、上谷良行君のお世話になりました。また,医局長には,松尾雅文君、上谷良行君,高田哲君,米谷昌彦君にお願いし,教室運営にご尽力を頂きました。

私が就任したときは,ちょうど分子生物学の研究成果が臨床医学に応用され始めたときでした。松尾雅文講師(現教授)がPCRを用いて,先天性疾患の中でも頻度の高い進行性筋ジストロフィー症の遺伝子診断を行い,次々と遺伝子異常の仕組みを明らかにし,あっという間にこの道の第一人者になりました。血液腫瘍の治療に,骨髄移植を導入したのもこの頃で,村上龍助助教授がリーダーとなり新しい移植チームを築いてくれました。講師の吉川徳茂君は小児腎臓病の研究で数々の業績を挙げており,我が国のこの分野における若きリーダーとして活躍していました。上谷良行君は新生児臨床医学のリーダーとして多くの業績を挙げてくれました。彼らをはじめ多くの教室関係者が,小児科学における先端医療の臨床,研究のそれぞれの分野で活躍していていることは,我々の大きな誇りです。

私が専門とする新生児医療では、松尾雅文講師のあとを受けて,上谷良行君,高田 哲君,常石秀市君,米谷昌彦君,横山直樹君が病棟主任として,臨床研究の指導をしてくれました。新生児学は,小児科学の中でも最も社会との接点の多い分野で,患者背景には社会経済的要因が大きく関わっています。我々が必死に救命した超未熟児が家庭にかえるや否や虐待をうけ死亡するという痛ましい光景に接することがありました。科学技術の進歩により、新生児医療は大きく発展し、1,000グラム未満の超低出生体重児でも半数以上が助かるようになった一方で、このような悲劇的な事態が引き起こされている現実を知るところとなりました。

教授就任当時から,我が国が近い将来に少子高齢化社会を迎えることはわかってはいましたが、世はまさにバブル絶頂期、繁栄を謳歌し、子どもの問題について今日のように顧みられることはありませんでした。こころを病む子どもたちは増え,小児科医志望者が少なく,我々小児科医にとって暗黒時代を迎えるところとなりました。早々に、稲垣由子女史、高岸由香女史を中心に、小児科外来に「子どものこころの問題」を扱う行動発達心理外来を開設し、親と子どものこころとからだの問題について診療できる体制を整えました。1995年1月17日の阪神淡路大震災では,被災地の中心にある大学小児科として,「子どものこころのケア」についての調査活動,家族支援活動を行い,その記録を刊行,国内・外に発信しました。この悲劇的な事態のなかで,我々は自らの医療のあり方を見直す良い機会となりました。

二十世紀は,医療でも,研究でも,我々は絶えず眼にできる「もの」中心の科学至上主義の時代でしたが,多くの「もの」を手中にした我々は今,「人間の幸せとはなにか」を問い直す時代となりました。本年4月から,これからの時代のニーズに応えるべく附属病院に「親と子の心療部」が開設されることになったことは時宜を得たものと喜んでいます。新生児集中治療室もリニューアルし,出生から成育までの一貫した治療が展開され,子どもたちの幸せが追及されることを期待しています。

最後に,本業績集刊行に当たり,多大なご努力を頂いた米谷昌彦助教授をはじめとする教室員各位,資料収集にご尽力頂いた浜渕嘉子さん,三里真由美さん,高寺良子さん,柄谷るいさん,またその編纂に当たり多大なご協力を賜ったサンプラネット岸さんに心より感謝申し上げます。

平成15年3月    記念業績集序文から

星に魅せられて

地震は、あのたった数十秒の揺れで、幼い頃から慣れ親しんできた六甲山 を、不動のものと考えていたあの山を持ち上げました。でも、あの揺れを体 験すると、山々の起源を十分イメージできます。

阪神淡路大地震が教えてくれたもの
地震は、それまで生物学にしか関心をもっていなかった私に、自然の偉大さ、凄さを教えてくれました。星に、私が興味を強く持ちはじめたのは、あ の阪神淡路大震災がきっかけです。震災により家々の灯は消え、寒空に一段 と輝きを増した星々が崩落したわが街を照らし出していました。
星たちは、宇宙に漂う星間ガスからつくられ、一生を終えてまた星間ガス へと戻っていきます。夜空に輝く星にも、人間と同じような一生があり、生 まれ、成長し、老い、死んでいきます。星をじっと見つめていると、あの突 然の大災害も、森羅万象のひとつとして、妙に身近に感じられます。

地球の起源と「神戸隕石」
地球の起源は 46 億年前、生物の起源となると 4 億年、人類の歴史となると せいぜい数百万年にしか過ぎません。広い宇宙には、何千億という銀河が存 在し、今では 100 億光年以上の彼方にある銀河をカメラに写しだすことも可 能です。昨年 11 月には、しし座流星群の天体ショーが繰り広げられました。
1999 年 9 月 26 日に神戸市北区に落下した「神戸隕石」は、太陽系の生成当時 の物質のまま、変質を受けていない「炭素質コンドライト」という極めて珍 しい種類の隕石であることも判明しています。科学技術の進歩により、宇宙 のしくみに関する情報が急速に増えています。

美しい地球をいつまでも
医学は、遺伝子技術、ナノ技術とどんどんミクロの世界につき進んでいま す。その技術により、クローン人間も誕生しかねない世の中です。私たちは、 自分たちの豊かさ、利便性を追及し、欲しいものは何でも手に入れることが できるようになりました。しかし、人類が生きながらえるには、いま生きて いるものを中心としたこれまでの考えから、これから生まれ来る次世代に少 しでも美しい地球を残すという考えにいま切り替えねばなりません。

神戸大学医学部附属病院院長 中村 肇
日本医事新報 銷夏特集「緑陰随筆」2002年8月

小児科医不足が深刻に

若葉「巻頭言」2002.6.15.

21世紀は、9.11のニューヨーク・テロ、世界貿易センタービル倒壊という極めて衝撃的な幕開けとなりました。国内では、一段と膨大化した国債発行残高、不景気風は収まらず、完全失業率は5.0%と10年ぶりの高い数値となっています。これらは国民への福祉の縮減という形で跳ね返り、これまでの我が国の高い医療水準を支えてきた医療制度も改変の憂き目にあり、医療者としては不安材料が一杯です。

小児科医師不足が深刻に

しかし、我々小児科医にとっては、小児科医不足のために医療費削減以前の難問が山積みです。夜間の小児救急医療・新生児医療に従事する医師不足は深刻で、大学医局にいる医員や大学院生が、兵庫県下の小児二次救急医療機関に東奔西走し、「二次救急医療機関の輪番制」の実態は「医員・大学院生の若手医師グループ内の輪番制」に他ならないのが実態です。

先般の関西医大での研修医の過労死が労災認定されたという報道を他山の石とせず、我々としても若手小児科医師の健康管理に十分な配慮をするよう努めているところです。幸い、平成13年度は23名というかってない新入局者を迎えることができました。このような窮状を理解し、意気に燃えて小児科医を志願してくれた若者たちが、バーンアウトしないように、夢と希望に満ちて、納得のいく医療に携われるような環境を作り出さねばなりません。

小児救急のニーズに応えるには

現在、われわれの同門会員は500名、日本小児科学会兵庫県地方会会員が650名います。うち、病院勤務の小児科医は、それぞれ197名、262名です。うち、8割近くの医師が神戸市内の医療機関に勤務しています。このように限られた人数の、しかも偏在している人材で、社会が求めている小児救急のニーズに応えるにはどうすればよいか?

答は簡単です。「病院には小児科を設置しなければならない」という固定観念を棄て去ることです。昔と違い今日では、ひとたび患者を入院させると、当然のことながら365日、24時間の観察を必要とし、患児のそばには誰か小児科医が必ずいなければなりません。「不十分な体制で医療を行っていた」としても、万が一予期せぬ事態が発生したならば、必ずや注意義務違反として主治医はその責任を追及されます。また、病院当局も「不十分な体制で医療を提供した」としてその責任は免れません。最低でも1チーム5〜6人の医師がいなければ、過労のために安全な医療を提供することが不可能なことは自明です。医療過誤の多くが、医療者の過労によるものであることはよく知られた事実です。無理は禁物です。被害者に対する弁明には当然のことながらなり得ません。医師の自己責任になります。患者も、医師も双方が被害者です。

小児医療機関の地域化・統合化を

我々は、医療の移り変わりを理解しなければなりません。少子化が進み、最近では出生数は120万近くまで減少しています。最も多かったときに比べると60%近くです。また、医学・医療の進歩により入院を必要とする重症例は激減しています。従って、個々の病院における小児のための入院ベッド数は余っているのが実情です。旧態依然とした病院小児科の存続は、有り余る小児科勤務医師がいるならともかく、その蓋然性をなくしています。小児医療機関の地域化・統合化を進め、拠点病院でのみ入院患者を扱う体制づくりが必要です。

幸い、兵庫県当局も昨年来、小児救急(災害)医療システムの整備に関する基本方針策定委員会を立ち上げ、本格的に取り組む姿勢を示してくれています。要するに、小児救急の問題を解決するには、小児科医が働きやすい環境づくりを如何に進めるかです。

小児の救急医療は、救急救命医療とは性格を異にする

今日の小児救急医療は、これまでの救急救命医療とは性格を異にするものとなってきています。少子化であるがゆえに軽微な症状でも受診を希望されるケースが増えています。地域における急病診療所で一次小児救急体制を確立することが急務です。大都会では小児科医のみの出務体制も可能でしょうが、地方では小児科医以外をも含めた出務体制でなければ不可能です。いすれにしろ、早急に医療圏の規模と出務可能な人的資源の算定を行い、より合理的な体制づくりをしなければなりません。

2001年3月から新病棟での診療を開始

神戸大学医学部附属病院は、去る3月から新病棟での診療を開始し、「最新の医療とやさしい環境をあなたに」をスローがンにしています。来年1月からは新しい医療情報システムの導入も決まり、カルテの電子化を目指し、現在鋭意準備中です。IT社会に突入し、否応なしに情報開示を求められます。医療全体のIT化を如何に進めるかが、当面の最大の課題です。小児の救急医療もITを活用すれば、もっともっと効率のよい医療を提供できる気がします。

相次いで全国規模の学会が神戸で

昨年12月の「第7回日本子ども虐待防止研究会」を神戸で開催して以来、全国規模の学会が相次いでいます。6月には「第16回小児救急医学会」、7月には「第38回日本新生児学会」、10月には「第49回日本小児保健学会」、11月には「第45回日本先天代謝異常学会」と目白押しです。これらの学会主催を通じて、子どもたちの幸せにつながるよう努めたく思っています。全国から多くの小児科医をお迎えするに当たっては同門の先生方には改めてご協力のほどをお願い申し上げる次第です。