私にとっての最初で・最後(?)の大型台風が、昭和25年(1950)9月3日の日曜日昼に阪神地域を直撃したジェーン台風です。当時、私は尼崎市の阪神南にある寺町通りに住んでおり、小学5年の秋のことです。
ジェーン台風
高知県室戸岬の東方を通過した台風は、紀伊水道を北上し、阪神間を直撃しました。当時はまだテレビ放送がない時代で、刻々と迫り来る台風の様子をラジオで聴きながら、家族揃って昼ごはんを食べていた時です。
次第に強まる風雨により、締め切った木製の雨戸は外方にしなり、飛んでいきそうになっており、家ごと吹き飛ばされないかと不安に怯えていたのを今でも記憶しています。幸い、日曜日であったので父親が家に居り、その側で息を潜めて座っていました。
台風の眼の中に
しばらくすると、突然嵐が過ぎ去り、静寂が訪れました。空を見上げると、澄み切った青空です。
この静寂がしばらく続き、もう台風は通り過ぎたのかとホッとしたところへ、今度は西からの風雨が荒々しく再び襲いかかってきました。
後になって、これが台風の眼の中にいたということだと知りました。(記録によると最大瞬間風速44mだったそうです。)
台風が過ぎ去ると、高潮が
台風が北方に過ぎ去り、吹き返しの暴風雨の音がおさまりホッとしたところで、小窓から外を覗くと、寺町通りがまるで小川のようになり、水が流れているのです。あっという間に筋向いの家々の軒の庇まで水かさが増しているのです。この時初めて高潮という言葉を知ったように思います。我が家も床上30cmの浸水でした。高潮による浸水被害は、おおむね阪神国道以南が浸水し、小田地区では東海道線にまで浸水線が及んでいたそうです。私が記憶しているのは、その後、学校が1週間休校になったこと、畳干しを手伝った?こと位です。
二百十日(にひゃくとうか)は厄日
最近はあまり言われませんが、立春から二百十日目の日。例年9月1日頃(今年は閏年の関係でずれて8月31日)です。この時期になると、台風の襲来や荒天が続くことが多く、稲が花をつける時期にあたることから農家にとっての厄日だったようです。私にとって忘れられない9月3日です。 2024.9.1.