これまでの私は、道子の指示通り動くロボットのようなもので、せいぜい食器洗いの手伝いくらいでした。今は、自分自身で調理しなければ生きていけないので、毎食台所に立つようになったのです。
気になるのは、冷蔵庫・食器棚・調理器具の入った引き出しの中、ぎっしり詰まった「もの」、「もの」です。あんな状態でも、彼女には物の在り処が分かっていたようで、意見することはできませんでした。
冷凍庫の整理
先ず手をつけたのが、冷凍庫です。賞味期限に問題なくても1年以上前に仕入れたもの、いちど溶けた痕跡のあるもの、私の好みでない食材は、即刻処理できました。とりわけ、冷凍庫の詰めすぎは、熱効率から言っても不経済です。1か月も経たないうち、収納庫の半分は空になっていますが、何の不自由もなく生活できています。
沢野ひとしさんの「台所の哲学」に学ぶ
最近届いた某社の広報誌に、沢野ひとしさんの「台所の哲学:キッチンの春の大掃除」というエッセイが載っており、その中に、食べ物には賞味期限があるが、食べ物を作る道具の捨て時の難しさが述べられています。
不用だと思っても、妻や子供が、「待って、それは捨てないで」と言えば、それを押し切ると大変なことになります。対策としては、春から初夏の、水もぬるみ、陽も柔らかく、鳥もさえずり出すこの時期が「台所の片づけ」の大きなチャンスだと言うのです。
今朝は、青空が澄みわたり、朝日が燦々と輝いています。しかも、「燃えないゴミの回収日」。前から気になっている私にとっては不用のなべや包丁、使用法の分からぬ調理器具類を手当たり次第にビニール袋に詰め込み、運び出しました。清々しい気分で朝のコーヒーを口にしています。
料理は化学実験のようなもの
台所で洗いものをしていると、何だか大学院生時代の研究室生活が思い出されます。当時、ピペット・ビーカーなどのディスポの製品はなく、ほとんどがガラス器具で、器具の洗浄にかなりの時間を費やしていました。洗ったものを電灯に翳して、汚れが残っていないか確認しながら、作業を進めていた思い出が蘇ってきました。食洗器など使わなくても、手洗い方が美しく、かつ効率的にできます。
料理も、化学実験も、わずかな配合の違いで、全く違うものが出来上がります。料理の難しさは、化学実験に比べて、配合比率が大雑把であることです。
魚の煮付けのレシピをみると、醤油:大さじ2、みりん:大さじ2、砂糖:大さじ1。これに酒、水に混ぜて、生姜、長ねぎなどの野菜を適量という記載だけです。大さじ1杯といわれても、すり切りか、少し山盛りか迷います。肝心の酒、水の量はというとあまりはっきりしません。道子に尋ねると、そんなの関係ない、濃すぎたら水を加えればよいというのでした。なるほど道理です。酸性水とアルカリ水で、pHを調整するのと同じか。。
料理では、小皿にとってよく味見されていますが、私にとってあの行為は苦手です。どうも口に含むことができません。目と鼻をフル回転させて味付けをするだけです。2024.5.2.