「書く」ということ

若葉「名誉教授からの一言」 2017

年老いての研究活動

2003年3月に退官し、間もなく14年になります。数多くの異物が入ったサイボーグのような身体ですが、元気に、多忙な日々を過ごしています。ここ数年、森岡一朗教授の率いる神戸大学の新生児グループに加えていただき、40歳近く歳の離れた若手ドクターと黄疸研究を再開しています。「その歳で今さら」と思われそうですが、当の本人は大学に顔を出すのを楽しみにしています。

昨年4月からは、阪神北広域こども急病センターに加え、神戸市北区のしあわせの村にある重心児施設「にこにこハウス医療福祉センター」の河崎洋子施設長をはじめとする4人の小児科女医軍団からの甘い誘いがあり、人生最後の仕事と気負い、嬉々として週1回出かけています。

全く本を読まなかった少年が

小さい頃の私は、野球ばかりして、ほとんど家の中におらず、全く本を読まない少年でした。算数は得意だったのですが、国語はとても苦手でした。大学時代も研究は好きでしたが、なかなか論文に仕上げる能力に欠けていました。しかし、文章を書かずにおれない大学生活が長かった所為で、先輩の先生がたのご指導もあり、いつの間にか筆をとるのが億劫でなくなり、また速く書けるようになりました。

エッセイを書き始めたきっかけは

私の書いた原稿の中で最も自慢の力作は、神緑会誌に寄稿した「私の臨死体験」です。1999年に狭心症発作でPTCA治療を受けた時の話です。この一文はかなり多くの方々の目に止まり、私が書いたどの論文よりも反響が大きいものでした。これが自信となり、エッセイを書くのが苦しみでなく、楽しみになりました。

二つの連載が励みに

兵庫県予防協会の季刊誌に連載の「赤ちゃんの季節」は、第1回が2001年秋で、16年を経過した今も続いています。また、こども病院時代に始まった毎月発行の「兵庫県地域子育ネットワークだより」のコラムにも、毎月寄稿しています。

ここまで続けられるのは、読者の方々からの暖かいお褒めと励ましの言葉です。何よりも私を勇気づけてくれたのは、脱稿前の妻の厳しい査読にありました。これらのエッセイは、時々の私の思いを凝縮した、日記帳ならぬ、月記帳のようなもので、折々の出来事を振り返ってみるのが今では楽しみの一つです。

平成29年2月記