ネパール旅行思い出の動画集

今回のネパ―ル旅行の写真が、娘のMayukoや山本先生から頂いた写真を合わせると100点近く集まりました。普段はあまり撮影することのない私も、今回はかなりシャッターを押していました。

中には興味深い動画も混じっていたので、思い切って動画アルバムに仕上げることにしました。動画の編集はかっては試みた経験はありますが、ここ数年は全く作成しておらず、その方法がわからず、黒川さん、名越さん、Tetsuの助けを借りて何とか仕上げることができました。

早速、親友の岡田訓子さんに観ていただいところ、「まるで竜宮城に入り込んだみたい。ここに長居をして楽しみに耽ってしまうとえらいことになりそうですね。」と、また「この動画は、私達にネパールに興味を持たせて、理解を深めて、仲良くなれるようにinspireしてくれるのに十分なpotentialityを持っていますよ。Good Job!」とのお褒めの評価を頂き、思い切ってアップすることにしました。

Katmanz到着からネパールの結婚式初日

再生時間:1分21秒

 

結婚式2日目及び3日目

再生時間:1分53秒

 

Tribhuvan大学病院とヒマラヤの山々

Dr. R.Pokharelが創設されたTribhuvan大学教育病院の小児外科病棟を訪問。再生時間:2分25秒、

2003年の初回訪問時のアルバム

再生時間:41秒

グルン族Gurungの獣医師に出会って

結婚式の招待者の中には、日本に留学していた方やビジネスで訪日体験があり、流暢な日本語を話される方が多数おられます。

同伴してくれている娘のMayukoは、おしゃべりな中年女性の皮膚科医Kさんと親しくなり、井戸端会議、いろんな情報を聞き出していました。

私の傍で話しかけてくる中年男性Mさんは、大変な酒豪でウィスキーを何杯も飲み続け、日本で過ごした昔話にご機嫌です。彼は沖縄で2年ほど過ごしたそうで、泡盛を現地人と飲み交わし、楽しい時間を過ごしたようです。見た目からして日本人と見間違うような顔貌、日本人にもよくあるタイプ、親しみの持てる小太りのオッサンです。

グルン族Gurungの中年男性に出会って

Mさんの友人の一人Sさんが、同じテーブルに腰掛けていました。彼は、50歳前後と思われ、非常に精悍な顔つきと柔道家のような頑強な肉体をもつ、無口な獣医師の男です。ネパール語でもあまり話しません。

私が、彼に惹かれたのは、都市のカトマンズではなく、山岳民族グルン族の出であり、容貌は日本人に大変似ているからです。グルン族、ヒマラヤ山系のひとつ、アンナプルナ連峰の南斜面に住む山岳民族です。

彼の高校生時代には、車が通れる道はなく、10km以上の山道を歩かなければ麓の町まで辿り着けず、今でも車だけでは無理だそうです。カトマンズに出るよりも、チベットの方が近いそうです。獣医師の彼は、将来故郷に戻り、ヤギの牧畜を夢見ていると目を輝かせて、言葉少なに語ります。

グルン族は勇猛な民族

昔は、羊の牧畜,トウモロコシ,シコクビエなどの農業,チベットとの交易に携わり,狩猟にもたけていました。今日では,牧畜・交易の比重は低下し,稲を栽培する農業が主要となっているようです。

グルン族は、たいへん勇猛な民族で、ネパール軍やインド軍の軍人や、イギリス軍の傭兵,ポーターなどになる者が多いのだと、彼らは誇らしげに語ってくれました。

何より興味深いのは、グルン族の容貌が日本人に大変よく似ていることから、日本人のルーツとして、もう少し調べてみたい気がします。 2024.12.21.

映像作品「グルン We are Gurung」

グルン族をネットで検索したところ、映画「グルン」の公式サイトがヒットした。グルン族の7年間を追った森野継偉監督の映像作品「グルン We are Gurung」で、ヒマラヤの奥深くで生活するグルン族の伝統や慣習の間で揺れる少女の葛藤を描いた作品です。 https://youtu.be/Zeks1m9j4Uk

監督のコメントして、日本の人々は、自分のことだけでも精一杯日々を生きているけれど、ふと立ち止まると知らない国の知らない人たちも精一杯生きているのです。日々の中で一杯一杯になる時もあるけど、そんなときに物差しがいくつかあるとどこか心の拠り所ができるのではと。

ヒマラヤの山々を拝む

私は、2003年3月のネパール訪問に次いで、今回は2度目です。

ネパールは、南および西方はインド、北はチベット(中華人民共和国西蔵自治区)、東はブータンに接する内陸の国、面積14.7万平方キロメートル(北海道の約1.8倍)、人口3,054万人 (2022年 世銀)の国です。

日本とネパールのつながり

日本に在留するネパール人の数は2023年末時点で、17.6万人で、2000年には4千人程度だったため、この20年間で40倍以上に急増しています。現在では日本における外国人居住者数で6番目に多い国籍です。

私が住んでいる東灘区でも、ネパール人と思しき留学生を通りで結構見かけます。また、ネパール料理店もあります。

天空の都市カトマンズ

ネパールの首都「カトマンズ」は、別名「栄光の都」や「天空都市」とも呼ばれるネパール最大の都市です。カトマンズは、ヒマラヤ登山の玄関口としても知られ、ヒマラヤ山脈へのトレッキングや数々の絶景を目にするため、また、世界遺産にも指定されている歴史的建造物めぐりや宗教施設、異文化体験を求めて世界中から観光客が絶えませんが、日本人観光客は限られているようです。

発展途上の首都カトマンズ

はじめてカトマンズを訪れた20年前には、街の目抜通りを牛たちが悠々と歩いていました。どの自動車も決してクラクションを鳴らすことなく、牛が通り過ぎると静かに待っていたのです。

でも、今は牛の姿を見なくなりましたが、どの通りも自動車、自動二輪でいっぱい、クラクションの音が一日中鳴り響いています。自動車専用道もありますが、なかなか追いつかないようです。舗装はされていますが、砂埃が立ち込めています。

高度経済成長が続いていた1950年〜60年代の日本と同じです。偶に大阪に出向いた時に見た光景が思い出されます。武庫川を超えた途端に空が青色から灰色に変わります。帰ると白いワイシャツの襟が黒ずんでいたのです。

10年後のカトマンズの空が澄み渡り、街中からでもヒマラヤの山々が鮮明に見えることを願っています。

ケーブルカーで標高2,200mまで登る

今回のネパール訪問は、結婚式への出席が主目的だったので、時間的にも、カトマンズ市内観光の余裕はありませんでしたが、前回訪れたNagarkotにだけは、もう一度登り、ヒマラヤの山々を眺めたく思っていました。

ところが、もっと近くのカトマンズ市の東方の山、Chandragiriに登っても、ヒマラヤ山脈がよく見えるとポカレル氏に勧められ、Nagarkotではなく、Chandragiriに変更しました。6人乗りのゴンドラ・システムのケーブルカーが2016年に開業し、麓のThankot から2,200mまで9分間で登れるのです。

ヒマラヤの山々を拝む

ケーブルカーを降りると、ヒマラヤの山々が眼前に迫ります。手前の灰色に覆われた部分がカトマンズ市街地です。その向こうに7,000m級の山々が連なっているのです。私の左手人差し指先のあたりが、8,848mの世界最高の山Everestです。

ベンチに腰掛け、これらの山々を眺めていると、身も心も吸い込まれ、研ぎ澄まされていく気がします。 2024.12.18.

Attending a Wedding Ceremony in Nepal

On December 3, I departed Kansai Airport with my daughter, Mayuko. After spending two nights in Bangkok, we finally arrived in Kathmandu, Nepal. There is a time difference of 3 hours and 15 minutes. I was able to attend the wedding ceremony of the son of my close Nepali friend, Professor Pokharel. After an 8-day trip, I safely returned to chilly Japan on the morning of December 10.

Nepali weddings are held over three days.

The first day is hosted by the groom’s side, the second day by the bride’s side, and the third day is the main event hosted jointly by both families.

Each family has over 100 members, and including acquaintances like us, there were over 500 attendees, making it a truly grand celebration. From Japan, there were six participants: Professor Hideki Yamamoto and his wife from AMDA Japan, who contributed to the establishment of a children’s hospital in Nepal, and two members of Mr. Pokharel’s host family from his time studying in Japan.

On the first day, the ceremony was held at the Pokharel residence and was attended only by the groom’s side. Around the numerous gifts from the bride’s side, children joyfully danced, and everyone ate heartily and enjoyed lively conversations.

The second day was hosted by the bride’s side and took place at a hotel. In the garden, a band played Nepali folk music, while various rituals continued endlessly from morning to night. One particularly interesting ritual involved washing the bride’s feet, where relatives took turns sprinkling water over her feet. It seemed to symbolize the bride leaving her parental home and moving into her husband’s household.

The third-day ceremony took place in the evening in a hotel garden, attended by many guests. Later in the evening, a banquet was held in a large hall with round tables, similar to Japanese weddings. However, unlike Japanese receptions where speeches are made on stage with a microphone, here everything was conducted face-to-face in a more personal manner, which made the event quite lengthy. Despite being the main ceremony, the groom and bride had already been introduced earlier, making the atmosphere relaxed and lively.

This tradition of celebrating weddings with such large gatherings shows that the family system is still deeply rooted in Nepali society. That said, the bride and groom, both studying in the United States, were set to return there just two days after the wedding. In 10 years, Nepali wedding customs might change significantly.

December 11, 2024

ネパールの結婚式に参列して

12月3日に、娘のMayukoと関空を発ち、バンコクで2泊、ようやくネパールのカトマンズに辿り着きました。時差が3時間15分あります。ネパールの親友ポカレルさんのご子息の結婚式に何とか参加できました。8日間の旅、10日朝、無事寒い日本に帰国しました。

ネパールの結婚式は、3日間にわたり行われます。第1日目は花婿側の招待、第2日目は花嫁側の招待、第3日目がメインで、両家の主催です。いずれの御家族も100名以上おられ、それ以外にも我々のような知人を合わせると500名以上に及ぶ実に盛大なものです。日本からの参加者は、ネパールの子ども病院設立に尽力されたAMDA Japanの山本秀樹先生夫妻、ポカレル先生の日本留学中のホストファミリーお二人の計6名でした。

第1日目には、ポカレル邸で行われ、花嫁側からのプレゼントを前に、花婿側のみの集まりです。子どもたちは楽しそうに踊りに興じています。皆さんよく食べ、賑やかによく話します。

第2日目は、花嫁側の招き、ホテルで行われ、庭園では音楽隊がネパール民謡を奏でる中で、朝から夜までいろんな儀式が延々と続きます。興味深かったのは、花嫁が足を洗う儀式、親族の方々が次々と花嫁の足に水を振りかけます。生家を離れ、婚家先に移る証のようです。

 


第3日目の儀式は、数多くの参列者のもと、夕方からホテルの庭園で、夜には日本と同じような大ホールの円卓形式です。日本の披露宴と違うのは、壇上でマイクで話すのでなく、終始個々に対面で行われます。だから長時間かかるのです。

本番とは言え、すでに花婿、花嫁の顔見せも行われており、かなりリラックスした賑やかな雰囲気です。

これだけ多くの人に祝福され、結婚式を挙げる風習は、今もネパールでは家族制度が強く残っている証です。とは言え、米国留学中の花嫁・花婿は、式の2日後には米国に戻るそうです。10年後には、ネパールの結婚の儀式もかなり変わっているかもしれません。2024.12.11.