回想記を書き始めていると、いろんなことに気づきます。
幼い頃の記憶は、当時の光景や友達の声まで聞こえてくるのですが、ある年齢を過ぎてからは、記憶というよりも何かメモ書きの記録を見ているような気がします。
ゆったりとした時間の流れの中で過ごしていた若かりし頃の記憶には、1年1年の区切りが鮮明です。年齢が進むにつれて、1年と1年の間が狭くなっていくため、いろんな出来事の前後関係がはっきりしません。
まるで、人生の時間軸の目盛りの幅が、年齢とともに指数関数的に狭くなっていくようです。
目盛りの幅が急に狭くなったと感じる時が、人生のターニングポイントのようです。人により違うとは思いますが、40代から50代にかけての頃でしょうか。
昔、「窓際族」と言う言葉が流行ったことがあります。ちょうどその頃、私たち世代が、その年齢に達しており、後輩たちがてきぱきと仕事をしてしまうので、自分たちの存在感が薄れかけていた時です。同期の児玉君が「僕たち、窓際族だね」と、医局の窓際に立ち、外の夕日を見ながら、呟いてきたのを思い出します。
その後、あの阪神大震災をきっかけに、全てが新しい人生に切り替わりました。
歳が進むにつれ、管理職の仕事が増え、自分の自由になる時間がなくなりました。毎日が慌ただしく過ぎ去っていくだけです。心の癒しは海外出張でした。日本を離れた途端にリラックスし、一週間ほどで元気を回復して日本に戻ると、再び同じ生活の繰り返しです。しかし、定年を迎える頃には、これも叶わず、インターネットの発達でどこまでも追いかけられる生活となっていました。
70歳を過ぎ、第一線の仕事から次第に離れていくうちに、時間な余裕ができ、再び自分を取り戻した感じがします。面白いのは、これまでの職場での付き合いから、幼なじみや中高の友達との交流が深まったことです。
これは私だけでなく、私と同級生もそのようです。生活環境や身体的能力もからみても、その方がお互い気が休まるのかもしれません。何だか、時計の針が逆向きに進み出したようです。
2021.10.23.