この世に生を受けると、障害の有無は関係ありません。どんなに重度の障害があっても、親は我が子の命を守り、育み、人間としての尊厳を守るというのが人間社会の掟です。私自身がかつて接してきた多くの障害児は、親・家族に受容され、本人も・家族も幸せに暮らしておられました。大家族制度の中では、お互いの助け合いが日常的に行われ、障害児が生まれても家族みんなで支えあう生活ができたのです。
とはいえ、核家族化が進んだ現代社会では、障害児が一人生まれると、周りからの支援なしには、家族全体の生活を維持することが困難な時代となってしまったのです。わが国では、平成25年4月に障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援し、「地域社会における共生の実現」を目指した「障害者総合支援法」が法制化されました。この新しい法律に、「共生」(共に生きる)という言葉が盛り込まれたことを私は大変嬉しく思っていました。
ところが、平成28年には障害者は生きる権利がないという理由で19人の障害者を刺し殺した相模原障害者施設殺傷事件が起きました。さらに、平成30年には、政府中央省庁の8割にあたる行政機関で、3,460人の障害者雇用が水増しされていた問題が発覚しました。最近も、政府要人の障害者への不用意な発言がありました。このところ、日本人の障害者に対する差別的発言や姿勢が、以前よりも目立ってきたように思えてなりません。
最近制定された福祉関係の法律には、「・・・支援法」という3文字が定番のようについています。この支援という言葉が、国のトップにも、マスコミにも、国民にも、差別意識をうえ付けているような気がします。差別のない「共生社会」こそが、人間社会の理想です。
2020.2.1