<講演要旨>
生まれた時代背景が新生児医療へ導く
私は、1940年生まれ、戦後の民主主義教育の第1期生です。小学校入学時は教科書がなく、日々の生活に何の規範もないことから、新しいことに全く抵抗感のない世代として育ってきました。
自分が卒業した神戸医大には全国でも数少ない未熟児室がありました。当時は、新生児用の人工呼吸器もなく、静脈確保も容易でない時代でしたが、先輩の小児科医がコットの側に佇み、新生児を見つめ、創意工夫しながら必死に医療に取り組む姿に感動し、仲間に加えて貰いました。
海外留学で得たもの
全国的な学園闘争の最中の1970年春から、私はフランス政府給費留学生としてパリ大学新生児研究センターへ2年6ヶ月間留学する機会を得ました。
私が着任するや否や、大きなカルチャー・ショックを受けました。日本では、見たこともない人工呼吸器がところ狭しと並び、頭からビニール袋を被せてCPAPが行われていました。その医療内容は神戸で経験したものとは全く異次元のものでした。
センター長のMinkowski 教授は、新生児学の創始者であるClement A. Smith(Harvard大学小児科教授)の門下生で、スタッフには、新生児病理学のLaroche 博士を始めとする多数の高名な新生児学者が在籍しており、米国からはLeo Stern教授を始め、世界をリードする気鋭の新生児学者が絶えず訪れてきました。
今思えば、このセンターは、新生児医療イノベーションの最先端を走る欧米でも特異なところであったようです。私は、ここで黄疸の研究をしていましたが、最先端の新生児医療に触れることができたこと、また、世界中の新生児学の高名な研究者と知り合いになれたことが、のちに研究活動をする上での大きな財産となり、日本に持ち帰ることができました。
なぜ、新生児医療は素晴らしい
「小児医療の目標は、子ども一人一人が自らの能力の限界まで発達するのを助け、それにより、成熟し、生産的で、幸せな大人になるチャンスを増やすことである。この目標は、新生児期に最大の危険にさらされている。」これは、1970年出版のThe Pediatric Clinics of North America 、新生児特集の巻頭言として記された、Richard E. Behrman博士の言葉です。私は、これを自らへの励ましの言葉としてきました。
この本には、NICUのあり方、新生児医療の地域化、新生児医療の各種手技など、近代新生児医療の幕開けを告げる内容の特集が組まれており、新生児臨床のバイブルとして活用させていただきました。
日本における新生児医療イノベーション
パリ大学留学より帰国した1972年には、まだ新生児用の人工呼吸器は日本で使われておらず、途方に暮れていたところ、1973年に麻酔科に岩井誠三教授が赴任され、新生児用人工呼吸器Baby birdや各種モニタ類を使用する機会に恵まれ、近代新生児医療のスタートラインに立つことができました。1976年には六つ子が誕生、全国ニュースとして報道され、唯一620g女児が生存退院しました。
その後、わが国でも新生児医療革命が起こり、あっという間に欧米の医療水準に追いつき、追い越しました。その原動力は、大学の枠を超えて、全国の新生児科医が一丸となって、絶えず連携を取りながら、情報交換するネットワークにあったと言えます。小川雄之亮先生、多田裕先生、仁志田先生らと組んで、産科と対峙できる「新生児科のアイデンティティ」確立を目指していたことも結束力のエネルギーとなっていたと思います。
日本発の新生児学研究成果
1980年代に入ると、日本発の新生児学研究成果が欧米でも評価されるようになりました。藤原哲郎教授らの「人工肺surfactant補充療法」がLancetに掲載され、世界中の注目を集め、1996年にはキング・ファイサル国際賞を受賞されました。
1980年には、山内逸郎先生、山内芳忠先生の「経皮ビリルビン測定器の開発」がPediatricsに、次いで1995年には私たちの「UB自動測定器の開発」が同じくPediatricsに掲載されました。私の研究がPediatricsに取り上げられたのは、山内逸郎先生のおかげです。先生からAPSの事務総長をされていたAudrey Brown教授を紹介していただき、彼女からまた、Stanford大学のStevenson博士や米国の著名な黄疸研究者のいる大学を訪問する機会を得ました。
私自身、1984年以来、毎年APSには演題を出し、欧米の研究者が日本の新生児医療を次第に注目していくのを実感しました。
新生児科医はひとつのファミリー
新生児医療は、医師として最もロマンに満ちた仕事として、いつも誇りに思っています。なぜなら、新生児医療には、人生の始まりの最も大切な時期に立ち会えるという大きな役割があります。国の内外を問はず、新生児科医の結束力が強いのは、仕事はハードであっても、ロマンを追い求める純な心にあるのでないでしょうか。これが周産期医療システム確立の原動力となったと思います。
国内、国外の同じ思いをもつ先達、同僚、後輩との出会い・協働が、自らの夢を叶えてくれたことに感謝いたします。以上
<中村肇の略歴> 神戸大学名誉教授、兵庫県立こども病院名誉院長、社会福祉法人「芳友」会長。1940年生まれ。1964年神戸医科大学卒業、小児科入局。神戸大小児科教授、神戸大学医学部附属病院長、2003年に兵庫県立こども病院長、2008年に財団法人阪神北広域救急医療財団理事長などを歴任。2001年には、「新生児黄疸の研究」で兵庫県科学賞、2017年に米国小児科学会Bilirubin Club Award を受賞。著書には『新生児学』、『小児の成長障害と栄養』、『子育て支援のための小児保健学』、エッセイ集「赤ちゃんの四季」など。