Be patient!我慢してください

若葉「名誉教授からの一言」2008

福祉よりも自己責任を求める施策が

映画「Sicco」を地でいくシーンが

小泉政権下での医療政策の過ちに端を発した医療崩壊が、地方だけでなく都市部においても混乱を巻き起こし始めた。大都市における救急患者の受け入れ拒否報道、病院を追い出された盲目の患者が公園に置き去りにされるというおぞましい出来事。昨年夏に封切られた映画「Sicco」を地でいくシーンがこの日本で起こったのです。
アメリカ型の格差社会の道を選び、福祉よりも自己責任を求める施策に国民が賛同した時点から、このような結末に至るのは当然の帰結だったとはいえ、これほどまでに急速に事態の悪化を招いてしまうとは考え及びませんでした。

現代はまさにモラル・ハザードの時代

昨年の言葉として、『偽』が選ばれたそうだが、現代はまさにモラル・ハザードの時代です。政治家の無責任な言動はともかくとして、元来国民の健康、安全に責任を持つ立場にある食品業界の事業主が国民の健康・安全を脅かす事態に対してあまりにも無知で、無責任な態度をとり続けている姿勢には唖然とします。
昨今の経済至上主義、拝金主義が日本の経済人のモラル崩壊を引き起こしたと言えます。もし、病院経営が株式会社化し、経済原理に基づいて病院経営が行われると、コストのかかる安全対策軽視の医療になること必至です。

『医師の立ち去り型サボタージュ』が話題に

『医師の立ち去り型サボタージュ』が話題になっているが、公立病院でも経営改善のための目標値を課せられるだけで、超過勤務手当ての支給は十分でない。医師たちは、一体何のために医師になったのかと自問し、我慢の限界を超えてしまったようです。
本来、医療者は、『寛容の精神』の持ち主でなければ勤まりません。寛容とは、英語でforgiveness、generosityと訳され、kindness(親切)の一種です。見返りを求めることなく、他人に何かを与えることを指しています。forbearance (辛抱、自制)という単語にも置き換えられます。

医療者は、『寛容の精神』の持ち主でなければ

我慢強く患者の病気回復に尽くすのが医療者なのである。もっとも、患者という単語も英語ではpatient、すなわち辛抱強い、我慢強いという意味がある。本来病人は、辛抱強く、我慢強くないと闘病生活に打ち勝てない。同時に患者のそばにいる医療者にもまた我慢強さが求められてきました。
ところが、我慢に欠け、感謝の気持ちにも欠け、自分の苦しみは医療者のせいであるかのように振舞う患者もいることから、医療者への負担が大きくなりすぎ、寛容の精神に満ち溢れた医師たちはもう我慢の限界に達しています。

今や、医師・患者関係だけでなく、世の中全般がぎすぎすしたものとなっています。学校教育には、生徒に寛容の精神を醸成するのではなく、競争を煽り、競争社会を礼賛する本末転倒の教育が求められています。人間は、放置すれば競争し、寛容の精神など養われるはずがありません。

宮西達也作の絵本「にゃーご」の話

小学2年生の教科書に宮西達也作の絵本「にゃーご」の話が載っています。
ねずみの学校の先生が、生徒のねずみたちに猫は恐ろしいから近づかないようにと教えていましたが、3匹の子ねずみたちは先生の話を全然聞いていませんでした。
そんな3匹の子ねずみの前に恐ろしい猫が現れました。猫の恐ろしさを聞いていないねずみたちは、親愛の情を示しながら猫に近づくと、猫も親愛の情を示し、仲良くなったという話です。
猫とねずみでもお互い寛容の心を持ち合わせていれば仲良くなれるという話ですが、その解釈には困るところもあります。学校では先生の教えることは聞かないほうが良いともとれます。言えることは、この話を教材として教えている先生こそが寛容であり、これが検定済み教科書とは文部科学省も粋な計らいをするところだと感心しています。

今年のキーワードは寛容、みなさんBe patient. 我慢してください。
2008年1月記