狭心症発作に襲われ、自らが成人病を患ったことにがっくりしているところへ、前田盛教授から医者の不養生の見本として「死からの生還」について投稿するよう要請されたのである。自らの恥さらしの様なものなので拒否し続けてきたが、皆さんのお陰で無事この世に生還できた御恩と、私の体験が多少なりとも専門医と患者のはざまを埋める上でお役に立つのではないかと思い直し、筆をとることにした。しかし、依頼のタイトルであった「死からの生還」では、まだ臨死にまでいってはなかったので誤解を招くと思い、変更させて頂いた。
まさかまさかの虚血性心疾患
私は、若いときから幸い健康に恵まれ、中学、高校ともに学校を一日も休んだことがなかった。小児科入局後も風邪で発熱することもなく、ここまで全て体力まかせで突き進んできていた。実のところ、定期健診もろくに受けず、小児科の先輩である瀬尾先生、竹峰先生が癌に倒れられたときにカメラを呑んだものの、飲酒、喫煙、肥満、不摂生と健康に良くないとされることすべてを抱え込んでいた。成人病リスクファクターはあくまでも確率の問題であって、自らは関係のないグループに属していると言い聞かせ、タバコをふかしながら生活していた。そこへ、まさかまさかの虚血性心疾患である。
狭心症発作を疑ったが
正月休みに家族で城崎に行き、玄武洞の石段を上っていると、いつになく胸苦しくなり、しばらく立ち往生することになり、これは少し変だぞという気にはなっていた。しかし、しばらくすると何事もなかったように症状は消えてしまい、そのようなエピソードがあったことすら忘れてしまっていた。正月休み最後の1月4日日曜日の夜にコンピューターに向かってデータの整理をしていたところ、突然暑くもないのに額に汗がにじみ、胸部に絞扼感を覚えた。狭心症発作を疑ったが、休日深夜のことでもあるし、朝まで我慢するか、病院に行くか悩んでいた。ベッドに横たわっても一向に改善しないので、小児科夜間救急体制をとっている六甲アイランド病院の山田至康医師に電話したところ、循環器内科に頼りになる当直医師がいるのを確認できたので、娘の運転する車で救急外来を訪れた。
病院に着いたときには、少し症状が軽くなっていたので、ニトロを処方してもらって帰宅しようと考えていた。ところが、血圧、心電図をみている橋本医師の顔が次第にひき攣っていくのをみて、こればヤバイぞという気持になり、入院を命ぜられ、病室まで車椅子で運ばれ、絶対安静を指示され、ことの重大さに気づいた次第である。
思い出したのは阪神大震災直後のこと
橋本医師の問診に答えながら思い出したのは、3年前の阪神大震災直後のことである。自宅が全壊し、大学に近い五宮町に一時避難していた時のことだ。朝、坂を下ってくる途中で冷気を吸い込むと、よく喉の奥が絞めつけられる感じがしていた。タバコに火をつけ、大きく胸に空気を吸い込むと症状は軽くなり、大学に辿り着きエレベーターに乗った頃には症状は消え、その後は何事もなかったように毎日を過ごしていた。私が考えていた心臓病の胸痛ではなく、また呼吸困難というほどでもなかったので、よもや虚血性心疾患の症状とは思いもしなかった。妻に話すと、「あなた、登校拒否と違う? タバコを止めたら」ということになり、以後は誰にも相談することなく、自分でも忘れていた。
左前下行枝に90%の狭窄
入院翌日には、PTCAの処置を受け、「左前下行枝に90%の狭窄があり、危ないところでしたよ、先生」と横山教授から告げられ、「先生は、自分の病気について全く理解がないので困ったものです」と、彼が書いた文献の束が早速病室に届けられた。
PTCAを施行した当夜は鼡径部を圧迫した身動きできない姿勢で、タバコの禁断症状と闘いながら悶々と一夜を過ごすこととなった。その後の負荷心電図検査もパスしたが「PTCAの3分の1は再狭窄」という不安と闘いながら、厳しい食事指導を担当ナースから受け、薬袋を抱え無事帰宅できた。
「加減して生きる」のは大変
手帳には「ヘルプカード」を挟み、ポケットにはニトロを忍ばせての生活が始まった。「あまり無理をしないように」、「ほどほどに」と忠告されてもなかなか「加減して生きる」のは大変だ。退院した翌週の1月23日から神戸で日本周産期学会を開催し、上谷助教授をはじめとする教室員の働きで、無事盛会裡に終了することができた。ほっとするとともに、この学会を機に日常性を取り戻すことができた。
新聞、雑誌、総合医学雑誌をみていると、「心筋こうそく」、「狭心症」、「虚血性心疾患」という活字がやたらと眼につく。2月12日の日経新聞の記事で、「しめつけられるような胸の痛みと冷や汗、こんな心筋こうそくの症状が起きても、救急車を呼んだり、救急病院に駆け付けたりせずに様子をみようという人が一般の約半数に上っている」というのがあった。心筋こうそくは、発症してから治療開始まで2時間を超えると死亡率が急に高くなるという。当日娘が側にいなければ、私もこの「様子を見る」グループに属していたかも知れない。どうなっていたのだろう。
胸痛は、痛みというよりは漠然とした不快感 vague pain
心筋こうそく=致死的疾患、だから、胸痛 -> 呼吸困難・チアノーゼ -> 死への恐怖と、その症状は非常に息苦しいものと短絡的に考えていた。横山教授が書かれた内科学成書の狭心症の診断の項には、「胸痛は、痛みというよりは漠然とした不快感vague painといった程度のことが多い」と、「胸痛の性状は絞めつけられる感じ、圧迫される感じ、重苦しさと表現されることが多く、ときには灼けるような感じや痛み」と記載されている。また、発作の持続時間が短いことも受診への決断を鈍らせる。実際のところ、このような症状を的確に判断するのは今でも難しい。若い娘をみれば胸キュンだし、心配事があると胸が痛む。気にしだすと症状はより強くなる。今こうして、このような原稿を書いていると、当時を思い出し、また胸が痛み出す。ちょっとした症状で毎度救急外来を訪れると医師も大変だ。ポケットに忍ばせたニトロが私に安心感を与えてくれている。
ストレスが悪いという。喫煙が悪い、高血圧、糖尿病、高脂血症が増悪因子という。永年親しんできた喫煙ともさよならし、大好きなロース、チーズとも別れを告げ、カロリー摂取も自分では控えているつもりである。私なりにライフスタイルをかなり変える努力をしてきた。もし、次の再検査で良くなっていないのなら、これらの因子が血管内皮細胞増殖因子に作用して血管閉塞を引き起こすリスクファクターだったろうか疑いたくなる。
筋金入りの心臓で活躍している医者が結構たくさんいる
インターベンション可能なこの疾患に罹ったのは、不幸中の幸いと自らを慰めている。一昔前なら死んでいたのであろうか。心筋こうそく、狭心症を含めた虚血性心疾患の診断・治療は医学の中でも最も進歩した領域の一つだ。各種の薬物療法、PTCA、PTCRなどの侵襲的療法の進歩のお陰で命拾いをさせて頂いた。この疾患は術後のQOLについても申し分がない。筋金入りの心臓で活躍している医者が結構たくさんいることを、今回初めて知った。その連中が逞しく酒を呑み、豪快に気炎を上げている姿をみると大いに勇気づけられる。自分もやっと病気と仲よくできるようになったところである。
神緑会学術雑誌、第14巻105-6頁、1998