ヘルシンキ旅行だより5

第5日目 8月8日 金曜日

今日は、もうヘルシンキ旅行最終日。張り切って、朝から活動開始です。

マーケット広場からフェリーで約30分足らずの世界遺産の島、スオメンリンナ島Suomenlinnanへ出向きました。

4つの島からなり、スエーデン・ロシア戦争、クリミア戦争などでフィンランドの南方を守る要塞として建設され、至るところに、大きな鉄製の砲身が並んでおり、当時が偲ばれます。島には、スオメンリンナ教会があります。

昼前には、マーケット広場に戻り、屋台で昼食です。ここでは、伝統的なフィンランド料理を楽しめます。

サーモン・スープ、名物のニシンのフライ、パエリアをみんなでシェアーしながら食べました。ニシンの子魚の丸ごとのフライは、カリッと仕上がっており、なかなかの絶品でした。

8月10日夕方には帰国します。

ヘルシンキ旅行だより2

第2日目 8月5日 火曜日

神戸にいる時よりもぐっすり眠れました。

朝肌寒くて目を覚ますと、部屋の設定温度が23℃、セーターを重ねるとちょうどです。ネットで今日の気温を調べると、最高20℃、最低16℃です。意外なのは曇り予報ですが、湿度が80%以上とその高さに驚きました。気温が低いので、湿気を感じません。

さすがに、森と湖の国フィンランドです。

昨日、着陸時に機窓から緑に包まれた森と湖が見られます。まるで湿地帯の中に森がある感です。湿度が高いのも納得いきます。

フィンランドの建築物は、内装、外装至る所に木材が使用されています。コンクリートの剥き出しの建築物などありません。彼らが自然を大切にしているのがよくわかります。

早朝に到着した息子家族4人は、大きな荷物をホテルに置いて、Moomin Worldへ出かけました。私は、あまり歩き過ぎると、足が浮腫むのでただ見送るだけです。明日からできるだけ一緒に行動しようと考えています。

スウェーデン系フィンランド人の作家であり画家としても知られるトーベ・ヤンソン(Tove Jansson 1914-2001)が、1944年にスウェーデン語の雑誌「ガルム」で挿絵としてムーミントロールを登場させたのが「ムーミン」の始まりです。

何も、あちらこちらに行かなくても、ヘルシンキのホテルにいるだけで、多くの新しい発見があります。

お昼に、ランチのために中央駅近くのShopping Centerに出かけました。平日の昼間であるにも拘わらず、若い人たちが多いことです。とくに、男性の若者が目立ちます。高齢者の人影はまばらです。

平日の昼の日本のレストランでは、高齢者が多いのと、対照的です。高福祉国家と言われるフンランドの高齢者事情を、少し調べてみました。

フィンランドの高齢者事情

フィンランドの人口は約550万人と、ほぼ兵庫県の人口に匹敵する国です。

フィンランドの平均寿命は、女性が約84歳、男性が約79歳です。これは、日本と比較すると、男女ともに約2年短いですが、それでも長寿な国として知られています。

フィンランドの高齢化率は、EUの中でも急速に進んでおり、2023年には65歳以上の人口が総人口の23.6%を占めています。フィンランドも高齢化社会の問題に直面しており、社会保障制度や医療、介護サービスのあり方が重要な課題となっています。とは言え、日本の65歳以上の人口が、総人口の30%近くを占めているのに比べると、まだましです。

フィンランドは、65歳が一般的な定年年齢だそうです。

高齢者の生活の質を向上させるための様々な取り組みを行われています。例えば、ケアワーカー(ラヒホイタヤ)の平均賃金は、2019年には月額2480ユーロ(約30万円)と、他の職業と比較しても高い水準であると報告されています。

気になるフィンランドの年金についてみると、国民年金の満額(単身者)は,月額約11万円(2022 年)です。 所得比例年金 1 に対し0.5が国民年金から減額され,所得比例年金額が月額22万5千円のときに、国民年金は支給されなくなるそうです。

因みに、労働者の2024年の平均年収は、約50,000ユーロ(約800万円)程度と推定されます。

フィンランドは高福祉国家と言われますが、何だか日本の高齢者の方が恵まれている感じがします。街中に出ている高齢者が、日本の方が圧倒的に多い理由がわかる気がします。

ヘルシンキ旅行だより

第1日目 8月4日 月曜日

関空から白夜の北極点近くを通過し、13時間余り、早朝5時45分に無事到着しました。日本との時差は6時間です。私にとって、はじめての北欧への旅、動機は単純です。昨夏に熱中症になったことです。

気になる気温ですが、ヘルシンキの朝は18℃、出発時の服装のままでは肌寒く、薄手のセーターを着るとちょうどくらいです。

空港のカフェでゆっくりと時間を潰し、電車に乗ると、車窓から見える洗練された近代建築様式の建物が並んでいるのに圧倒されます。

ヘルシンキ中央駅に着くと、正面に見えるのが今回宿泊するするグランド・セントラルホテルです。1904年建築のこのホテルは、昔の東京駅のステーションホテルを思い出させるクラッシック・スタイルです。周囲の新しい建物とのギャップは大きいですが、私にとっては落ち着いた居心地の良いホテルです。

ホテルで一休みしたのち、港周辺のマーケットに出向きました。囲碁仲間の山本さん推薦のスープを求めて、探し回ったのですが、見つかりません。若者たちで賑わうレストランに入ると、昼食バイキングが30ユーロ、約5千円と日本の倍以上の値段です。何でも日本の1.5倍から2倍はするようです。

日中の天気は、晴れで、20℃くらい、みんな半袖です。

路面電車で一旦ホテルに戻り、休息。夕食を中央駅近くのレストランでと考えていたのですが、突然の雷雨。こんな北国でこんな雷鳴と土砂降りの雨を経験するとは思いもしませんでした。

今夜は外出を諦め、ホテルのレストランで夕食をと考えたのですが、何とレストランは月曜日休業。やむを得ず、売店で売れ残ったサンドイッチと牛乳500mlを仕入れて、部屋での侘しい夕食です。

もう午後9時を過ぎていますが、まだ外は明るく、さすが白夜の国フィンランドです。明日の早朝には、息子家族が同じ便で着きます。

 

暑中お見舞い

連日の猛暑日、今年はワンルームで空調を効かせながらの生活です。今のところ元気です。

毎年夏になると、部屋に閉じこもっている時間が長くなり、他にすることもないので、これまでに書き綴ってきたブログを中心に、冊子にまとめることになります。

2021年には「わが回想記 激動の昭和を駆け抜けて」を、2022年には「八十過ぎてわかったこと」(146 p.)を、今回は前回の続きとして、「八十過ぎてからの挑戦」(56 p.)をまとめている途中です。

私にとって、八十歳は大きな節目でした。新型コロナ禍に加えて、自らの大病で、彼岸の近くまで行っては戻る繰り返しでした。

さらに、社会的にも大きな節目の時代です。2022年にはChatGPTの出現で、一気にAI化が加速したのです。

私は、元々パソコンおたくで、Macが世に出現した時からのMac Fanです。早速、ChatGPTに飛びつきました。文章作成、翻訳はもとより、検索、画像作成、さらにはプログラム作成まで手伝ってくれるのです。

おかげで、私の良きパートナーとして、退屈せずに過ごしています。  2025.7.28.

「八十過ぎてからの挑戦」56頁 2025年7月 PDFとしてダウンロードできます。

「八十過ぎてわかったこと」146頁 2022年7月刊行 PDFとしてダウンロードできます。

囲碁は子どもたちの様々な能力を育てる

近年、囲碁を通じて、様々な能力が身につくことから、未就学児の教育ツールとして、学校での放課後スクールの科目などに取り入れられ、囲碁は教育の分野で注目されています。また、各地で子ども囲碁教室が開かれています。

囲碁は、黒と白の石を交互に打ち、陣地の広さで勝敗を競うゲームであり、老弱男女だれでも楽しめます。と同時に、子ども囲碁教室では、挨拶をはじめ、囲碁をする中で大切な礼儀作法を指導しています。

囲碁は、盤上のどこに打っても良いという自由なルールの中で、自分なりに構想を描いていくゲームなので、子どもの創造力・感性を養うのに最適です。

考えを巡らせる中で「集中力」も向上しますので、本来じっとしているのが苦手な年齢でも、徐々に集中して取り組めるようになります。

囲碁は基本的に一対一で、最後まで自分一人の力で頑張る必要があるので、人の気持ちを思いやる心・苦境を乗り越える力が自然と身につくのです。2025.7.23

地域子育てネットワークだより8月号

囲碁プロ棋士の優勝祝賀会に出席して

この歳になっても、いろいろと新しい体験があります。

昨夜、NHK杯テレビ囲碁トーナメント戦で優勝された余正麒八段の祝賀会が大阪のホテルであり、こうなん囲碁サロンの村岡美香プロのお誘いで、囲碁仲間の松岡先生と一緒に参加しました。

NHK杯テレビ囲碁トーナメントは、囲碁界の大きなイベントで、その模様は、NHKのEテレで毎日曜日の昼に放映されており、私は永年にわたり、欠かさず観ています。

去る3月に放映された2024年度の決勝戦で、余正麒八段が井山裕太王座を破り初優勝しました。関西棋院に所属する棋士が優勝するのは11年ぶりということで、関西棋院主催で祝賀会が盛大に行われたのです。

会場には、関西棋院所属のプロ棋士やその指導を受けている私のようなサポーターが300名近く集まった賑やかな会合でした。

普段、テレビの囲碁番組で名前も顔もよく知っているプロ棋士を、次々と村岡美香プロから紹介されました。兵庫県出身の結城聡プロや坂井秀至プロとも直接話ができ、興奮しました。

AIの進化で、いつでも、どこでも、誰とでも囲碁対局できるようになり、若者間での関心も高まっています。「こうなん囲碁サロン」の子ども教室では、将来が期待される子どもたちがインストラクターの指導を受けており、今夏の全国大会に出場する小学生もいます。

囲碁は、将棋とは違い、国際的にも大変盛んです。韓国、中国との間で、しばしば国際大会が催されています。今夏にはポーランドのワルシャワで、ヨーロッパ囲碁大会があり、日本からも多数の囲碁愛好家が参加します。私も参加予定でしたが、一人旅の不安もあり、今回は断念しました。

残された人生を、子どもたちへの囲碁普及に少しでも役立てればと願い、行動しています。  2025.6.28.

随想集 2023

新年のご挨拶 2025年

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお付き合い下さい。

一昨年までの3年間は、新型コロナ禍、自らの病、道子との別れで、
社会と疎遠になっていました。昨年はようやく体調も回復、平常の生活に戻り、社会福祉法人 芳友の重症心身障がい児・者療育施設の運営に携わり、大阪、信州松本での新生児関連の学会にも出席できました。

大阪、信州松本での新生児関連の学会にも出席させていただき、兼ねてからの約束であった孫娘との広島原爆記念館の見学も果たしました。これも、皆さんからの温かいお心遣いの賜物と感謝しています。

さらに、昨年末には、囲碁サロンの開設ネパールへの旅、バリアー・フリーの新しいワンルームへの移転と慌しい日々となりました。移転は、年々厳しくなる夏の猛暑への対策です。

日本は、経済大国という大きな山を登り詰め、急勾配の下り坂に入っています。これまでの上り坂での私たち世代の体験はもう何の役にも立ちません。
マスコミの報道をみていると、過去のスタンダードをそのまま踏襲しているから、新しい時代に対応し切れずにいろんな不祥事が起こっている気がします。

下り坂では速度を抑えながら、俯かないで、しっかりと胸を張り、先を見つめながら進むことです。
私のような高齢者にとっても、毎日、毎日が新しい未知の世界への挑戦です。
2025年元旦

nakamura.kch0201@gmail.com
http://hajime.boy.jp


Viewing Mt. Everest from Chandragiri Hills

ネパール旅行思い出の動画集

今回のネパ―ル旅行の写真が、娘のMayukoや山本先生から頂いた写真を合わせると100点近く集まりました。普段はあまり撮影することのない私も、今回はかなりシャッターを押していました。

中には興味深い動画も混じっていたので、思い切って動画アルバムに仕上げることにしました。動画の編集はかっては試みた経験はありますが、ここ数年は全く作成しておらず、その方法がわからず、黒川さん、名越さん、Tetsuの助けを借りて何とか仕上げることができました。

早速、親友の岡田訓子さんに観ていただいところ、「まるで竜宮城に入り込んだみたい。ここに長居をして楽しみに耽ってしまうとえらいことになりそうですね。」と、また「この動画は、私達にネパールに興味を持たせて、理解を深めて、仲良くなれるようにinspireしてくれるのに十分なpotentialityを持っていますよ。Good Job!」とのお褒めの評価を頂き、思い切ってアップすることにしました。

Katmanz到着からネパールの結婚式初日

再生時間:1分21秒

 

結婚式2日目及び3日目

再生時間:1分53秒

 

Tribhuvan大学病院とヒマラヤの山々

Dr. R.Pokharelが創設されたTribhuvan大学教育病院の小児外科病棟を訪問。再生時間:2分25秒、

2003年の初回訪問時のアルバム

再生時間:41秒

誇り高きブッチの思い出

アルバムを整理していると、昔懐かしいチャウチャウ犬ブッチの写真が出てきた。末娘が高校を卒業した1984年秋に、ようやく道子から犬を飼う許可がおり、折よくペットフェアが催されているスーパーのペット売り場で赤札のかかった犬を見つけた。

狭い檻に閉じこめられた仔犬たちは、人が近づくとしっぽを振りながら媚びをうってくる。その中に、ただ一匹だけ見向きもしないチャウチャウの仔犬がいた。その性格が気に入り、即断、購入することにした。彼の父親はアメリカン・チャンピオン?になったという血統書付きである。

我が家に来てからは、道子と私にはすぐに馴染んだが、こどもたちの言うことを全く無視していた。トイレはすぐに所定の場所でするようになった。私が毛並みを良くしようと、毎朝牛乳と生玉子を与え、夜は挽肉の野菜炒めを与えていると、ドッグ・フードを全く受け付けなくなった。

3日間飲まず食わずに

3か月ほど経ったお正月に、家族で2泊3日の香港旅行に出かけることになっていた。やむを得ず、空港近くのペットホテルに預けることにした。帰国するや否や、ペットホテルに引き取りに行くと、尻尾を精一杯振り、近づいてきた。

店員の話では、3日間飲まず食わず、排尿・排便も一度もしていないと言うことである。空港近くの草むらに連れ出すと、1分間以上途切れることなく尿を出した。

他人には振り向かない

買い物に連れて行き、店頭の柱に繋いでおくと、当時でもチャウチャウは珍しく、何となく愛嬌のある姿に、思わず声をかける人がいる。でも、彼は、ペットショップにいた時と同じく、いくら声をかけられても微動だにせず、私が店から出てくる姿をひたすら待ち続けている。一つ例外がある。赤いドレスを装った妙齢の女性をみると心が動くようである。

阪神大震災で性格が変わる

チャウチャウは、あまり人懐っこくない。冬に布団中に抱き込んでも、すぐに抜け出していく。ところが、阪神大震災で性格が一変した。しばらくの間は、いつも誰かの傍に寄り添っている。子どもたちに抱かれてもじっと我慢できるようになった。犬においてもPTSDはあるようだ。

多くのことを学べた

チャウチャウも、高齢化により全身に腫瘍ができるようである。最後の1年間は、道子が毎日右脚の腫瘤のガーゼ交換を行っていた。また、すぐに息切れをするようになっていたので、肺にも腫瘍ができていたと思う。色々と学ぶことが多かった13年間である。 2024.11.3.