いのちを考える

若葉2020.2.

昨年暮れのある日、体調を崩し、外出も控えていた。所在無げにしていたところ、うっすらと埃を被った本棚に、「般若心経」(新井満著)を見つけた。その横には、瀬戸内寂聴さんの「般若心経」も並んで置かれていた。
いずれも2005年頃の発行で、大学を定年退官し、こども病院にいた頃であろう。なぜこの時期にこれらの本を手にしたか定かな記憶はないが、人生の折り返し点を迎え、手にとってみたのであろう。瀬戸内寂聴さんの「般若心経」は半分ほど読んだところに栞が挟まれたままになっていた。

「般若心経」は本文266文字からなる経文であり、天台宗の開祖最澄、真言宗の開祖空海によって伝来した仏教であり、宗派を問わず詠まれている。「色即是空」、「空即是色」は大変有名な文言であるが、解ったような、解らないような話である。

新井満氏の「般若心経」
新井満氏の「般若心経」は70頁ほどの小冊子であり、一気に通読できる。『無数のいのちが寄り集って、あなたといういのちを成している』という文言に惹きつけられた。

あなたを産んでくれたのは父と母だ。
その父にも、また父と母がいて、
その母にも、また父と母がいる。
その父と母にも、さらにまた父と母がいる。
あなたから十代前までさかのぼるならば、
あなたにつながる父と母は千人以上になる。
さらに二十代前までさかのぼるならば、
父と母の数は百万人を超える。
即ち、無数のいのちが寄り集まって、
あなたという命を成しているのだ。その中の
わずか一つのいのちが欠けたとしても、
あなたといういのちは成りたたない。

お彼岸には、先祖代々の墓前で、手を合わせているが、これまで自分がこれほどまでに多数のいのちの集合体とは思ってもみなかった。この世に生を受けた私たち一人ひとりは、障害の有無にかかわらず代々引き継がれてきた唯一無二の大切な存在なのだ。

我が国には、障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための「障害者総合支援法」が平成25年4月に成立した。「地域社会における共生の実現」という言葉も盛り込まれた。

ところが、平成28年には、障害者は生きる権利がないという理由で19人の障害者を刺し殺した相模原障害者施設殺傷事件が、さらに、平成30年には、政府中央省庁の8割にあたる行政機関で、3,460人の障害者雇用が水増しされていた問題が発覚し、政府要人の障害者への不用意な発言も相次いでいる。

超格差社会にある日本では、障害者に対する差別的発言や姿勢が、以前よりも目立ってきたように思える。新型出生前診断(NIPT)もいのちの選別という大きな問題を抱えている。科学技術の進歩と人間の幸せとは何か、医師として、小児科医として考え続けたい。

令和2年2月  傘寿を迎えて