若葉「名誉教授からの一言」 2010
ICTの急速な進歩は、我々のライフスタイルを大きく変化させました。これまでなかなか手に入れることできなかった情報が、だれでもが、どこででも手に入ります。かつては、医学校で学んだ医師のみが知り得た専門的な医学知識を、今では医師以外の者でも、最新の国内外の情報にいとも簡単にアクセスできるようになっています。
医学知識だけでは医師としてのIdentityを保てない
医学知識は、もはや医師の独占物ではなくなり、医学知識をもつだけでは医師としてのIdentityを保つことができなくなったのです。断片的な知識なら、素人でも医師に負けないくらいの情報を得ることができます。とりわけ、薬事情報とか、検査情報といった物質的な情報、数値化された情報は、特別な基礎知識がなくても理解するのにさほど困難はありません。
検査データを的確に評価するには
患者が手にする医学情報の大半は、疾病の一面だけを見たものであることが多く、必ずしも患者本人に当てはまるものとは限らないのです。とくに、数値化された検査データについては、誤解を生むことがしばしばあります。
検査データには、基準値が定められている。異常値を示しているからといって、患者当人にとっては、病的である可能性は高いが、100%病的である証拠とはなり得ません。多くの基準値そのものが95%の精度で線引きされており、20人に1人は当てはまらない基準値を元に判断していることを忘れてはなりません。医師は、この点をしっかりと患者に伝えねばならないのです。
医師としてのIdentityとは
ICTが進化したとはいえ、人間を対象とした医療にはデジタル処理で解決できない問題が余りにも多いのです。医師は、数値化された情報と数値化できない情報に加え、患者の社会的背景などを集約し、個々の患者の病状を判断、適した治療法の選択肢を患者に提供する事になります。これらの情報をもとに、医療におけるPDCAサイクルをいかに上手く廻せるかが医師の役割ではないでしょうか。
医療の標準化にはご用心
医療へのICT活用を図るために、各医療分野で医療の標準化が試みられているが、アナログ思考でなければ解決できなのが医療である。中途半端な医療の標準化は、医師の思考能力、判断能力を低下させ、患者にとっても益するところはない。喜ぶのは医療に直接タッチしていない医療保険会社で、彼らが単純化した物差しとして用いるだけだ。
各地でみられる医療崩壊、医療経営の破たん
各地で医療崩壊、医療経営の破たんが取りざたされ、その原因として挙げられるのが医師数の不足であるが、もっと重大な問題である管理者の経営責任が看過されている。医学の進歩、患者のニーズと大きく乖離した病院医療の提供体制、とくに公立病院の医療提供体制は、旧態依然としたもので、まったく手つかずのままである。
夕張市やJALが経営破たんし、会社更生法の適用を受ける時代である。国民の生活基盤を担う事業というだけで、親方日の丸で安穏とした経営は最早許されないのである。
公立病院経営はその典型で、「患者さんのため」、「市民のため」と、野放図な経営であることを知りながら、抜本的な改革を行わずにきているのである。医療内容ではなく、空きベッド対策や職員対策として入院患者をコントロールする稼働率重視の愚、医療資源の無駄遣いを排除し、入院しなければ治療のできない患者だけに絞っても経営が成り立つ医療制度にすべきであろう。
我々医師自身が、地域における医療ニーズを適正に把握し、財政基盤を明確にした経営を行っている病院での勤務でなければ、納得いく医療を提供できないという毅然とした姿勢で臨まねば、地域医療はますます崩壊し、我々医師にも、患者にも不幸な結果を招くことになる。
医療界にもダイバーシティー(diversity)を
ICTの進歩により企業のグローバル化が急速に進み、日本企業の多くが海外に進出しています。各企業では、グローバル化に対応するための企業戦略として、「ダイバシィティー」の概念が取り入れています。「ダイバシィティー」とは、多様性、相違点のことであるが、企業では、人種・国籍・性・年齢を問わずに人材を活用することを意味しており、こうすることで、ビジネス環境の変化に柔軟に、迅速に対応しようとするものです。医療環境の変化に柔軟、迅速に対応できる体制を整えるには、「ダイバシィティー」の概念を導入することです。
医療マネージメントの学習を
これまでの医師中心の病院運営から、各種コメデカルスタッフを活用したサービス産業としての医療への変革が必至であり、医療者自らの意識改革が不可欠です。
これからの医師は、医療に携わる多職種の一つとしての医療技術の提供者であり得ても、これまでのように医師であるというだけで、多職種のカナメとしての役割を担う立場を保ち続けるのは難しいでしょう。
激動する世の中で、小児科医として、医師として、自分の役割が何であるかを今一度考えてください。
2010年1月記